「この冬はブーツで通す」

 

 昨年11月、慶應大学での教え子の結婚披露宴のしばりが「コスプレ」だった。

 で、漫画『進撃の巨人』風に、膝上まであるニーハイブーツをネット通販で調達した。

 別件があって、結局、披露宴には行かなかったが、履いてみると心地いい。

 ということで、11月末からほぼ2か月、外出はブーツのみ。ニーハイが4足、普通のロングブーツが2足。

 どこに行っても、女性に「かっこいい」と言われる。男性は変な目で見ているが・・・。

 

 ブーツもハイヒールも元は男性用

 

「男は男らしく、女は女らしく」と子供は育てられる。

 先日、知人のFBで、2歳の男の子がピンクのジャンパーが大好きで、着て外出したいのだけれど、男友達に「女みたい」とバカにされるので、悩んでいるという話が書かれていた。

「人の目を気にする」というのは、本当にバカな風習だ。好きな格好でいいではないか。

 

 調べてみたら、今は女性の専有物のハイヒールは、もとはアラビアの貴族の男性が履いていた。それがヨーロッパに伝わり、「男の真似がしたい」という勇気ある女性が履き始めて、結局女性の専有物になったという。

 ブーツだって、元々は男性専用。先日、歌劇『トロヴァトーレ』を見ていたら、男性(中世の騎士)はすべてニーハイブーツだった!

 戦前、戦中の記録映像を見ると、ヨーロッパでは軍人は長靴が普通(日本はゲートルという代用物)。当時、ブーツを履いていた女性は皆無。

 たぶん1970年前後に、どういうきっかけかわからないが、女性ファッションとしてブーツが流行し始めた。女性なので、それに高いヒールを付けた。その結果、もう男性の手が届かなくなった。

 つまり、女性はどんどん越境して攻め込んで来るが、男性は「撤退」のみ。男性が女性の領域を侵犯した例をついぞ聞かない。

 

 安冨教授の勇気

 

 東京・渋谷区が同性婚を認め、LGBTが市民権を得るなかで、安冨歩東大教授が「女性装」を始めた。性的に女性になる気はないが、女性のファッションを楽しみたいというものだ。ドイツの著名なテレビ・プロデューサー、クリスチャン・ザイデルも1年間女性になる実験をして、本を書いた。

 面白いのは、二人の体験だ。女性からは「素敵」「かっこいい」と褒められるが、男性は変な目で見る。私のニーハイブーツも同様だ。

 男性の多くは、境界を越えた人間に半分嫉妬しながら、一方で目に見えない圧力を感じ「越えられない自分」への悔しさがあるのではないか?

 私は、女性に見られたいとかは思わないが、女性用のものを身に着けて「何が悪いのか」と思う。

「男らしい」「女らしい」なんて、幻想に過ぎない。境界を越えて何が悪いのか?

 

 花森安治のスカート

 

 女性装の先達は、2015年にNHK連続テレビ小説にもなった『暮らしの手帖』の編集長だった花森安治だ。

 彼は、「女性の気持ちを知りたい」と、おかっぱ頭、ロングスカートで仕事をしていた。訪ねてきた女性の国会議員が、花森と話し込んだ後、「私たち女性も頑張らないとね」と言って帰ったという。

『暮らしの手帖』編集部も女性が多数派だったが、わがLoco共感編集部は、私以外は全員女性。孤独な男性だ。

 彼女たちに囲まれていると、男のファッションの貧相なことを痛感する。

 フリル、レース、シースルー、花柄。一方でマニッシュなスーツ・・・女性の選択肢は360度。男性は60度以下だと思う。越境する女性から敗走するのみ。

 優美を満喫する女性に対し、男性の基本は「ドブネズミ」。できるだけ目立たぬように・・・というマインド。何とも後ろ向きだ。「ドブネズミルック」は奴隷の制服のように見えてくる。

 もっと美しく、もっと華麗に・・・。

 男性が筋骨隆々、ヒゲズラである必要はない。

 男女平等は、女性の救済ではなく、男性も「心の縛り」から自由になるべきだ。

 ニーハイブーツを履き始めて、そういう気持ちが強くなっている。

 アパレル業界には、ぜひ、男性のための華麗なファッションを創出してほしい。

 男の越境が自由になってこそ、本当の男女平等だと思う。

 

          (2017119日 第3話 おわり)

 

 

 

名言収集癖

 

 私は、毎日平均4時間程度、テレビ番組を録画している。ほぼ全部NHK

 他の用事でテレビが見られないとき、その番組を後で見るためだが、もう一つは「名言メモ」のためだ。

「いい言葉」が出てくると、一時停止して、メモする。

 有名人の言葉もあるが、庶民の何げない言葉もある。ニュースのインタビューから拾うこともある。

 例えば、2012年だったか、NHKニュースで、米国の名門コロンビア大学で19年、清掃員として働きながら卒業したガッツ・フリッツパイさん(ユーゴ出身)を紹介していた。

 彼が言った「豊かさはポケットではなく心の中にある」という言葉も、しっかりメモした。

 

 名言に出合うと、勇気が湧いてくるのだ。

 

 きっかけはヘレン・ケラー

 

「名言」に興味を持ったのは、野末陳平氏の著書に書かれていた「愛する二人はお互いを見ない、同じ方向を見る」(米国の女優、ジンジャー・ロジャース)という言葉に出合ってから。

この言葉は、結婚披露宴でスピーチするときに必ず言っている。「同じ方向=共通の目標」が大事だということだ。これは、会社の中でも言える。人間関係は、好き嫌いではなく、共通の目標で作っていくべきだという考えだ。

 

 本格的にメモし始めたのは、10年ぐらい前、NHKの番組で、ヘレン・ケラーの言葉を知ってからだ。

 

 不幸のどん底にあっても 

 この世には 自分にできることが

 あるのだと信じましょう

 

 誰かの苦しみを

 和らげてあげられるかぎり

 人生は無駄とはなりません

 

 人生で最も胸が高鳴るのは

 他人のために生きる時です

 

 短い命であった恋は

 暗い海に取り囲まれた

 歓喜の小島として

 私の一生に残るでしょう

 

 私は強く愛され

 必要とされるという

 経験を持っただけでも

 うれしく思います

 

 「幸福」とは何か

 

   収集した名言の中で、多いのは「幸福」についてだ。

   これもNHKの番組で、ブータンの高官が語った言葉。

 

幸福、満足感というものは物質的なものではありません

木の後ろや家の中、寺にあるものではないのです

幸福というものは、探すのをやめたときに見つかるもの

突きつめて言うと

幸福、GNH(国民総幸福度)の本質は、その人自身の中にあるのです

外にあるもの、速い車や大きな家が人に幸福をもたらすわけではない

幸福は、あなた自身の内部に見つけるもの

自分の中にあるものを知ること

それが幸福なのです

 

  天皇陛下の以下の言葉も、「幸福とは何か」を感じさせる。

 

天皇という立場にあることは孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切にしたいと思ってくれる伴侶を得ました。

                   (80歳記者会見より)

 

 

 リーダーの姿勢

 リーダーの姿勢についての名言もいくつか拾った。

 最近読んでいる、磯田道史の『江戸の備忘録』にこんな言葉があった。

 

国の興るや、民を見ること傷めるが如くす(中略)その亡ぶるや、民を以て土芥となす

 

政治は国民へのまなざしが大切。政治家が傷をいたわるように国民をみる国。そんな国は必ず栄える。逆に、政治家が国民をごみのように無視する国。そんな国は必ず滅ぶ。

                        (『春秋左氏伝』哀公元年の条)

 

これは、米沢藩主・上杉鷹山に、師の細井平洲が講じた話だ。

こういうのもある。

 

   自分が主役だと部下に思わせるのが理想のリーダー

(元旭山動物園長 小菅正夫)

 

政治家にとって大切なのは将来と将来に対する責任である。ところが『倫理』はこれについて苦慮する代わりに、解決不可能だから政治的にも不毛な過去の責任問題の追及に明け暮れる。政治的な罪とは――もしそんなものがあるとすればーーこういう態度のことである。

                (マックス・ウェーバー「職業としての政治」)

 

  人は下ほど骨折り候事よく知るべし

          (鍋島直茂 21か条)

 

政(まつりごと)は人心を得るにあり 「東照宮御実紀」

 

 20162月に刊行した「みんなで自費出版」プロジェクトの『心の華①』に、「言葉の花束」というコラムを設け、17本の名言を収録した。

 その後も収集しているので、このブログでも、今後、何回かに分けて紹介したい。

 

          (2017118日 第2話 おわり)

「管見妄語」というのは、お茶の水大学名誉教授の藤原正彦氏が『週刊新潮』に連載しているコラムのタイトル。「管見」というのは視野が狭いこと。「妄語」はうそのこと。

私も浅学に悩み、なかなか本当のことが言えないので、タイトルを拝借した。

藤原正彦氏の母親は藤原てい。戦後、満州からの引き揚げ体験を書いた『流れる星は生きている』がベストセラーになった。彼女の諏訪高女時代の国語の先生が大村はま。

私は大村はまを大尊敬しているので、藤原氏とは、何となく親近感がある。

 

会社は「みんなの夢をかなえる場」

 

で、本題に移ろう。

私は、合同会社・Loco共感編集部の代表社員。株式会社で言えば、社長。

ところが、創業時点(2015年3月)で「社長としてお給料はいらない」と宣言した。

世の中の常識は、「会社の中で最高の給料を取っているのが社長」。

そういう「常識」が、実は「非常識」であることを証明したかった。

 

この会社は、私が2011年から各地で開催してきた「共感される文章講座」の受講生(女性3人)が、「せっかくスキルを持ったのだから、これで仕事をしたい。会社を作るので、社長になってほしい」と申し出たことから、設立されたもの。

ほとんどの会社は、創業社長が、「これで稼ごう」ということで作る。一人では仕事ができないので、人を雇う。いわば自分の手足。自分は人間の身体で言うとアタマ。

ということで、「手足よりアタマが偉い」とばかりに、自分が最高の給料を得て、部下はそれ以下の給料にする。

そういうことが当然だと思われてきた。

会社は社長の欲望実現の手段で、社員は協力者、もしくは奴隷。

 

私はそうは思わない。

会社は「みんなの夢をかなえる場」であるべきだと思う。

 

ナイナイ尽くしの会社

 

私の会社(わが社では、社員全員が「私の会社」というので、私の専有物ではない)は、そもそもオフィスがない!

オフィスを借りれば、家賃がかかる。ほとんどの会社はオフィスがあるが、「業務上必要がないものは持たない」というのがわが社のポリシー。連絡はネット上で自由にできる。月に12度ミーティングをするが、渋谷の喫茶店の片隅で十分だ。

社員に肩書はないし、役職もない。分担はあるが、協力してやっているので、「縄張り」はない。もちろん階層はない。

社長が指示も命令もしない。社員は自主的にやるべきことをやっている。社長は現場に口出しをいない。

 

なんでこうなっているかというと、社員がすべての情報を共有し、そのうえで「これは私がやる」と自主的に仕事をするからだ。「押しつけ」はない。

 

階層を作るのは無意味

 

「じゃあ、社長の仕事は何か」と問われると、「見守ること」と「最終責任」。業務上の仕事はしない。

社長に就任した時に、個人的に100万円を別口座に移した。会社が倒産した時に、債務を処理するための準備だった。しかし、2期続けて黒字になり、このお金は元に戻した。

 

なんで組織は常に階層を作るのか―――私はそれがわからない。

私は、日本経済新聞社という会社に37年も勤めたが、一番のストレスは「バカな上司」だった。自分が社長になって、「バカな上司になりたくない」と思った。社員にとってそれは大きな迷惑だから。

社長が、社員のだれよりも賢明・・・なんて、絶対にありえない。

要するに、階層によって押さえつけているだけ。そういう意味では、生まれながらに階層化されていた封建時代と大した差はない。

 

要するに「階層」というのは、「バカが大きな顔をする」手段なのだ。

 

仕事は成長のためにある

 

子供の頃「お金持ちになりたい」と夢見た人は多いと思う。会社も「稼ぐ手段」。社長になるのは「いっぱい稼ぎたい」から。

 

でも、「仕事って何なの」?

多くの人は、「稼ぐこと」だと思っていると思う。

私の母も「もう年なんだから、仕事することはないだろう」という。

でも、私は「仕事=成長」だと思っている。仕事に取り組むことは、自分を人間として成長させる最高の舞台だと思う。仕事がなくなれば、人間が退化する。そうはなりたくない。

 

「俺は社長だ」と威張っている人がいる。みっともない話だ。

階層的に人の上に立ち、社員を使役し、高給を取り・・・サル山のボスザルみたいで、滑稽だ。

「社長は偉い」なんて、ごますり言葉だ。わが社は「現場の人が一番偉い」と考える。ということは、社長はボトム。だから給料もいただかない。

 

「それで暮らせるのか」といえば、定年になって退職金をもらい、年金もあるから、生活には困ってない。

 

「無給でいいのですか」と社員に念押しされ、「君たちの笑顔が、私への報酬だよ」と答えた。日々仕事に取り組んで成長し、その達成感で笑っている社員を見ていられるのは、お金以上の価値がある。

実際、彼女たち(社員も登録ライター=60人=も、全員女性)の笑顔が見られなくなったら、社長を辞めるつもり。そういう意味では、「社員の笑顔を眺める係」が社長の職務だと考えている。

 

社長が無給だと社員が仕事に励む

 

「社長の給料ゼロ」にした最大の効果は、社員が「自分たちが頑張らねば」と思ったこと。

一度、現場の仕事に口を出しかけたら、「それは私たちの仕事です」とピシャリ。以来、何にもしないことにした。

 

1985年に日本経済新聞が1面に連載した「21世紀企業」という企画のキャップを務めて以来、ずっと「いい会社」の研究をしてきた。

1990年代から注目されているのが、ブラジルの「セムコ社」。

社長のリカルド・セムラー氏は、週に3日、午前中だけ会社に行く。業務は、現場が自主的にやるので、社長は暇。

「いい会社」というのは「社長が暇」というのでわかる。社長が「陣頭指揮」とかでアクセクしているのは2流以下の経営だ。

能力と情熱がある社員がいれば、社長は何もしなくていい。

 

ということで、世界中の「社長」に呼び掛けたい。

「社長の給料をゼロにすると、会社が元気になります」と。

 

(2017年1月17日 第1話 おわり)

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