Yさんは本人もよく理解しないまま(そう、本人の意思とは無関係に)、老人保健施設へ入所した。
何度も書いているように、当時僕が勤めていたところはショートステイだったから、何らかの理由で長期利用している人もいつかは別の場所へ移ろっていく。
今までも僕の大好きだったお年寄りが何人も去って行った。彼らを受け入れる次の居場所へ。
是非はともあれ、我われの施設が行き場所のない老人の一時的な生活場所という役割を期待され、それを我われは果たしてきた。僕はそう考えていた。それは間違いではない。
でも僕には見えていない部分があった。Yさんがそのことを教えてくれた。
Yさんは在宅サービスであるショートステイを利用していた。在宅サービスを使っている以上、担当のケアマネージャーは1ヶ月に一度は利用者宅を訪問し、サービスの状況や本人の生活状況を把握する義務がある(Yさんの場合は家にはいないので施設に訪問すべきだった)。
介護保険法にそう決められていて、それを行っていなければケアマネージャーが所属している事業所の報酬が減らされることになる。
でも僕が知る限りにおいて、Yさんの担当ケアマネは一度たりともYさんのところに顔を見せたことはなかった。
それにも関らず、サービス担当者会議(これについては後述)が知らない間に行われ、その会議で家族に入所施設への申し込みを誰か(おそらくケアマネ)が勧めた。それはそれで当たり前の話だ。家に戻れるあてがないのならば、施設入所(居)という選択しかない。
保険者(行政)からの圧力もケアマネにはあったのだろうと思う。前にも書いたように、ショートステイは原則的に介護保険の認定有効期間の半分以上を超えて利用してはいけないことになっている。
だから長期の利用になってきたところで、そろそろ入所施設に・・・、という話の流れは理解できなくはない。
だが、なぜその老健(※)なのか、というのが僕たちが抱いた疑問だった。Yさんは1年以上にわたって僕たちの施設に入っていた。その間、このケアマネはいったい何をしていたのか、と僕は思った。Yさんの状態をきちんと把握して、Yさんにあった施設を探していたのだろうか?あるいは家族にそうするよう促していなかったのか。
担当者会議が開かれるまで、家族はとくに入所先を探してはいなかった、とあとで聞いた。家族にしてみれば「在宅サービス」のショートステイだろうが長期入所していれば「入所サービス」の施設と同じだと思っている。家族の介護保険サービスに関する理解度はけっして高くない。
僕の目から見れば、これ以上ショート施設にいれなくなると脅されてあわてて申し込みを行い、申し込み先にたまたま部屋の空きがあったから入所させた、という図式だった。
どちらかと言えばよくある話だ。
☆
Yさんが老人保健施設に入所して3週間くらいたったあと、僕は面会に行った。
エレベーターを3階で降り、フロアに集められた老人の中から僕はYさんを探した。7割くらいの老人が施設のレンタル服を着ていた。男性は淡いブルー。女性は淡いピンクだ。
僕は一通り眺めまわした後で、集団から少し外れたところに、車椅子に乗せられたYさんの姿を見つけた。
僕が近づくと、Yさんは淡い笑顔を作ってくれた。だが話す声はか細く、目の奥の光も弱っているように僕には感じられた。
僕たちのところにいたYさんにはYさんという人間がもつオーラが体の表面に漂っていた。でもこの老健にいるYさんは周りにいる入居者と見分けがつかない。お仕着せのレンタル服を着せられているから?まだ友達がいなくてさみしそうにしているから?
ここではレクリエーションをしているのだろうか、と僕は心配になった。そもそもレクリエーションをしていない施設はたくさんある。たとえ行っていたとしても、利用者の個性を引き出すレクができている施設はさらに少ないと僕は思っている。
その老健がどんなケアをしているか知らない僕には、判断を留保するしかなかった。
Yさんが本当はおとなしいだけのばあちゃんじゃないということを、あの老健の職員は知っただろうか?
☆
一度、Yさんが自宅に1泊か2泊だけ帰ったことがあった。施設に戻る日、僕がYさんを家まで迎えに行った。僕は杖をついて歩くYさんの横につき、車まで誘導した。
家に帰ってどうだった?と僕は聞いた。
「とくに何もありゃしないよ」Yさんはそう言っただけだった。
車に乗る手前で、Yさんは立ち止った。彼女は後ろを振り返り、曲がった背中を伸ばし、なにかまぶしいものでも見上げるときのように目を細め、自分の家を見上げた。僕は自分の手を彼女の背中にそっと添えながら、間近で彼女の顔をみた。
そこには悲しみでもない、怒りでもない、リリシズムとでも呼ぶしかない表情が浮かんでいた。
僕は少し待ち、そして彼女を促し車に乗せた。そして僕たちは何十年もの間生活してきた彼女のアジールをあとにした。
あのときYさんが何を考え、どんな思いを持っていたのか、当時も分からなかったし、今でも同じように分からない。
僕には分かるわけもないのだ。
※介護老人保健施設
「介護保険法に基づく介護保険施設の一つ。病状が安定している要介護者を対象に、入所者の能力に応じた自立と自宅での生活復帰を目指し、当人の意思を尊重しながら日常生活の世話や看護・医療・リハビリテーションなどのサービスを提供する施設」
デジタル大辞泉から引用。制度上の解釈では在宅復帰を目指す前提の施設。現実的に解釈すると、病院と老人ホームの悪いところを持ってきて足した施設ということになる。もちろんちゃんとしたところはあるが、「在宅復帰」施設という役割を100パーセント果たしているところは皆無だろう。
いつか見た統計によると、在宅復帰しているのはほんの数パーセント。現実的には特養への入所待機施設の役割を果たしている。
僕たちのショートステイが持っていた役割と何が違うのか?
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何度も書いているように、当時僕が勤めていたところはショートステイだったから、何らかの理由で長期利用している人もいつかは別の場所へ移ろっていく。
今までも僕の大好きだったお年寄りが何人も去って行った。彼らを受け入れる次の居場所へ。
是非はともあれ、我われの施設が行き場所のない老人の一時的な生活場所という役割を期待され、それを我われは果たしてきた。僕はそう考えていた。それは間違いではない。
でも僕には見えていない部分があった。Yさんがそのことを教えてくれた。
Yさんは在宅サービスであるショートステイを利用していた。在宅サービスを使っている以上、担当のケアマネージャーは1ヶ月に一度は利用者宅を訪問し、サービスの状況や本人の生活状況を把握する義務がある(Yさんの場合は家にはいないので施設に訪問すべきだった)。
介護保険法にそう決められていて、それを行っていなければケアマネージャーが所属している事業所の報酬が減らされることになる。
でも僕が知る限りにおいて、Yさんの担当ケアマネは一度たりともYさんのところに顔を見せたことはなかった。
それにも関らず、サービス担当者会議(これについては後述)が知らない間に行われ、その会議で家族に入所施設への申し込みを誰か(おそらくケアマネ)が勧めた。それはそれで当たり前の話だ。家に戻れるあてがないのならば、施設入所(居)という選択しかない。
保険者(行政)からの圧力もケアマネにはあったのだろうと思う。前にも書いたように、ショートステイは原則的に介護保険の認定有効期間の半分以上を超えて利用してはいけないことになっている。
だから長期の利用になってきたところで、そろそろ入所施設に・・・、という話の流れは理解できなくはない。
だが、なぜその老健(※)なのか、というのが僕たちが抱いた疑問だった。Yさんは1年以上にわたって僕たちの施設に入っていた。その間、このケアマネはいったい何をしていたのか、と僕は思った。Yさんの状態をきちんと把握して、Yさんにあった施設を探していたのだろうか?あるいは家族にそうするよう促していなかったのか。
担当者会議が開かれるまで、家族はとくに入所先を探してはいなかった、とあとで聞いた。家族にしてみれば「在宅サービス」のショートステイだろうが長期入所していれば「入所サービス」の施設と同じだと思っている。家族の介護保険サービスに関する理解度はけっして高くない。
僕の目から見れば、これ以上ショート施設にいれなくなると脅されてあわてて申し込みを行い、申し込み先にたまたま部屋の空きがあったから入所させた、という図式だった。
どちらかと言えばよくある話だ。
☆
Yさんが老人保健施設に入所して3週間くらいたったあと、僕は面会に行った。
エレベーターを3階で降り、フロアに集められた老人の中から僕はYさんを探した。7割くらいの老人が施設のレンタル服を着ていた。男性は淡いブルー。女性は淡いピンクだ。
僕は一通り眺めまわした後で、集団から少し外れたところに、車椅子に乗せられたYさんの姿を見つけた。
僕が近づくと、Yさんは淡い笑顔を作ってくれた。だが話す声はか細く、目の奥の光も弱っているように僕には感じられた。
僕たちのところにいたYさんにはYさんという人間がもつオーラが体の表面に漂っていた。でもこの老健にいるYさんは周りにいる入居者と見分けがつかない。お仕着せのレンタル服を着せられているから?まだ友達がいなくてさみしそうにしているから?
ここではレクリエーションをしているのだろうか、と僕は心配になった。そもそもレクリエーションをしていない施設はたくさんある。たとえ行っていたとしても、利用者の個性を引き出すレクができている施設はさらに少ないと僕は思っている。
その老健がどんなケアをしているか知らない僕には、判断を留保するしかなかった。
Yさんが本当はおとなしいだけのばあちゃんじゃないということを、あの老健の職員は知っただろうか?
☆
一度、Yさんが自宅に1泊か2泊だけ帰ったことがあった。施設に戻る日、僕がYさんを家まで迎えに行った。僕は杖をついて歩くYさんの横につき、車まで誘導した。
家に帰ってどうだった?と僕は聞いた。
「とくに何もありゃしないよ」Yさんはそう言っただけだった。
車に乗る手前で、Yさんは立ち止った。彼女は後ろを振り返り、曲がった背中を伸ばし、なにかまぶしいものでも見上げるときのように目を細め、自分の家を見上げた。僕は自分の手を彼女の背中にそっと添えながら、間近で彼女の顔をみた。
そこには悲しみでもない、怒りでもない、リリシズムとでも呼ぶしかない表情が浮かんでいた。
僕は少し待ち、そして彼女を促し車に乗せた。そして僕たちは何十年もの間生活してきた彼女のアジールをあとにした。
あのときYさんが何を考え、どんな思いを持っていたのか、当時も分からなかったし、今でも同じように分からない。
僕には分かるわけもないのだ。
※介護老人保健施設
「介護保険法に基づく介護保険施設の一つ。病状が安定している要介護者を対象に、入所者の能力に応じた自立と自宅での生活復帰を目指し、当人の意思を尊重しながら日常生活の世話や看護・医療・リハビリテーションなどのサービスを提供する施設」
デジタル大辞泉から引用。制度上の解釈では在宅復帰を目指す前提の施設。現実的に解釈すると、病院と老人ホームの悪いところを持ってきて足した施設ということになる。もちろんちゃんとしたところはあるが、「在宅復帰」施設という役割を100パーセント果たしているところは皆無だろう。
いつか見た統計によると、在宅復帰しているのはほんの数パーセント。現実的には特養への入所待機施設の役割を果たしている。
僕たちのショートステイが持っていた役割と何が違うのか?
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