自問清掃*自問教育*平田治*学校掃除

学校掃除の教育的な意義、特に自問清掃について詳しく書いています。 相談や依頼は⇒hirata@poplar.ocn.ne.jp(@は書き直してください)

原稿上がり

『これからの学校掃除・自問清掃のすすめ』(仮題)

はしがき

Ⅰ 学校掃除指導意識の形成12

身体統制と軍国主義13

1 学校掃除形態と教師の意識16

巡視方式・責任者方式17  区域道具の徹底分担・マニュアル方式19  

鍛錬とすり替え22  自己の修身・修養25  民主的な話し合いと自治活動27  

大人も子どもも皆ゲーム28  体罰と掃除指導30  若い教師でも32  

服装の統一34  水中めがね異聞37  従来型学校掃除の指導意識40

2 明治期までの学校掃除論議41

学校掃除研究の現状43  日本人の掃除意識45  民俗学と掃除49

仏教の掃除観と学校掃除52  養生思想と初期学校掃除の成立57  

細菌学の発達と衛生理念64  学校掃除是非論争の発端71  

学校掃除是非論争の展開73  意義の強化と一般化―浅見2010の言説を中心に―81  

長野県下の学校掃除論議―雑誌『信濃教育』に見る教師の意識85

3 大正初期から戦前まで99

大正初期の学校掃除観―湯原元一の場合―100  

昭和初期の掃除論議―大内惣吉の場合―108  日本優生学の動向111  

優性思想と大内惣吉114

4 戦時の学校学級経営と学校掃除127

国民学校躾の修練実践128  国防教育としての学校掃除131  

土方惠治『行の訓育』133  土方惠治『国防国民学校経営』136  

縦の組織で真剣協力規律―国民教育の新構想143  

清掃訓練実施案―信濃教育会松本市部会144  国民学校の清掃訓練―東京高等師範学

校附属国民学校145  初等教育研究会146  御破算の原理149  御破算の自覚150  

児童敬礼法151  国民学校の清掃訓練154  掃除の本質がある―湯澤俊の教育観と掃

除観―160  掃除の本質160  子どもの心が働く163  たとえ少数派でも164  

さかしらな態度ではなく―久保田浩の学級経営165  

黙行による考える清掃―兵庫県福崎国民学校166  掃除形態の確立と制度化168

5 戦後教育と学校掃除170

学習指導要領改訂とともに173  学習指導要領と学校掃除175

係活動と当番活動178  位置づけられた学校掃除181  学習指導要領と特別活動183  

戦後初期教育実践の無視と特別教育活動185  特別教育活動の変容と掃除指導186

6 学校掃除事故と事件191

女生徒墜落死事件191  掃除当番取り消し請求事件192  

損害賠償請求事件194

7 戦後教育の変貌と学校掃除196

清掃活動の位置づけ―特別教育活動研究会編―196  「わかる」と「できる」200  

「第四節清掃活動」の筆致202  清掃活動研究の経緯203  

異年齢グループ活動の提起206  理念と実践との齟齬206  

共有化されていた指導観208  存在感が失われていった学校掃除209  

教育界の変貌または変わらなかったこと212  裸の教師・水野茂一の反骨213  

戦後学校教育の反動化215  戦後への継続217  集団指向性と管理清掃218  

個人の記憶と社会集団220  身体統制と学校掃除222  

集団的記憶と学校掃除指導223  管理清掃を超えて224  第3の通路226  

関係性の中で227

 

Ⅱ 自問清掃の発想と原則    241

1 独創的学校掃除教育プラン 241

導入243  第1段階「がまん」と「やる気」の育ち244  

2段階人の心を汲みとる力245  第3段階所属感を深める245  

4段階感謝の心を確かめる246  第5段階正直な心に247

2 自問清掃の特徴248

社会的教育的状況248  発想の逆転250  教科教育方法論の適用251  

構想の経緯252

3 プランへの疑問256

なぜ5段階なのか256

4 独特の指導方法258

実生活と学校掃除258  指導しない指導260  指示・命令・注意をしない261  

信じて待つ教師263  ほめない・叱らない・比べない265  仕事を休んでもよい269  

民主主義の自由と平等271  自由について学ぶ272  従来型清掃指導発想の負274  

〈無言〉の位置づけ―自問清掃と無言清掃276  〈無言〉は活動条件279

5 直観による逆転発想281

6 発想の原点を探る283

時実脳生理学286  井島勉の美学288  教科の本質を見極める290  

〈正直〉とは292  井島美学と民主主義の原理294  三重の課題295  

自由と平等の解釈298  民主主義と自問清掃301  

〈正直〉の前提としての〈感謝〉303  感謝と喜心304  〈感謝〉と〈正直〉305  

実践の場をくぐらせる307  ペスタロッチの思想309  信頼とは311  

発想原理の論理的構成313

7 原則としての「条件型学習」314

自由型学習の克服315  条件型学習とは316  教科指導方法の適用317  

条件型学習への確信318

8 実践的指導方法の確立320

机上と床上の連結320  道徳授業:机上における自問活動322  

実践的指導方法の確立324

9 無言清掃とのちがい325

結果としての〈無言〉1  326  結果としての〈無言〉2  328  

関係性と〈無言〉330  論述方法の比較330  自問清掃の全体像334

 

Ⅲ 自問清掃実践者の教師成長―〈自己成長感〉の連関的形成―349

教師成長に関する先行研究350  学校掃除の位置づけと先行研究353  

「自問清掃」研究と〈教師成長相互連関モデル〉355  

Clarkeらのモデルを適用356  自問清掃実践者たちの教師成長357  

調査と結果359  〈自己成長感〉と〈子ども成長感〉が同時に361  

〈自己成長感〉はいつ表れるのか362  〈自己成長感〉の原因は何か364  

〈子ども成長感〉によって教師は成長する366

 

Ⅳ 自問清掃実践者の教師成長―H教諭の作文分析―373

『自問教育に出会うまで』(H教諭の作文)373  「作文」にみる連関性378  

自問掃除のはじまり379  自問(気づき)掃除を始めた一ケ月380  

自問(気づき)掃除が定着したあと380  

自問掃除を始めて考えが変わったこと381  連関性による教師成長381  

自覚の形成と教師成長384

 

Ⅴ 自問清掃の構造―自覚形成への自己省察と活動形態―387

関係性による自覚の形成387  5段階プランの矛盾388  5段階のイメージ390  

自覚の構造393  鍵語と反省の深化395  自覚形成の構造図397  

5段階は5つの段階か399  活動目的と反省の鍵語401  

西田哲学の視座から403

 

Ⅵ 自問清掃と心身論409

気働きと非言語コミュニケーション409  言葉を探す410  

学校掃除は表現活動だ412  自問清掃とオペレッタ414  

生まれるが残らない事実415  結果ではなく過程を416  関係性の中で418  

自覚における直観と反省419  アクティヴ・ラーニングと自問清掃421  

実践なき研究者の言葉423  西田哲学の限界性と身体論424  受動と能動426  

吉田章宏の〈見る〉427  湯浅泰雄の身体論と5段階問題428  

心身論からみた5段階430  教材解釈も心身論431  意識の二重構造432  

東洋思想と自問清掃434  修業と自問清掃436  身体と技術440  

技術論と経験442  師匠と弟子445  日本的身体論の転倒446  

だから日本は優れているのか450  身体論と表情452  協働と目的456  

きれいな状態から457  義務と責任458  間主体的な身体の交渉460

 

Ⅶ 自問清掃と現代―自助と自治から日本社会へ―465

気働きとは465  自問清掃プランと〈気働き〉466  

気働き・無言のコミュニケーション469  〈気働き〉は無言の共同活動か472  

LPP理論と気働き474  気働きの自閉性475  わかり合える感覚と気働き477  

きれい清掃を拒否できるのか479  4つの課題481  

目標行動と自他の関係性483  自問清掃モデルと精神性の深化484  

気働き再考486  女の気働き491  気働きと障害492  

安心してサボれる職場づくり492  現代日本社会の気働き495  

気働きと自立499  独特の美学としての気働き500  自分を育てる教育502  

安心してサボれる503  健常と病気505  弱さを語り合う506  

邪魔をしてはいけない507  絶望の鉱脈509  非健常者の目510  

自助と非援助512  非健常と非援助513  技法以前・授業以前514  

教師またの名を絶えず働きかけたい人515  自問教育と当事者研究516  

苦労とあきらめること518  奪われた当事者性520  

よけいなことはしない医療522  当事者性・言語化・日本文化524  

健常者か障害者か526  信じること・待つこと527  自助と自治528  

SSTをツールとするために531  「非」援助論532  「当事者研究」とは534  

「問い」という営み537  苦労の主人公として538  苦労悩み失敗の権利540  

あきらめと逃亡542  教師にとっての「当然のこと」543  

疑問からの出発544  掃除をサボるとは545  嘘をつけない546  

弱さの情報公開546  学校掃除指導の当事者性547  当事者性を奪う指導548  

虐待と自助549  助けを求める自己虐待550  相互依存の関係性551  

治せない医者552  あきらめて信じる553  べてると森田療法554  

教えない教育教えない教師556  してはいけないこと558  

信じることと場560  当事者と援助者560  信じると信用する561  

現代社会と病気564  自問清掃とSST565  自問清掃と関係性567  

自問清掃における集団と個人568  日本近代の関係性570  

じゃまをしてはいけない572

 

あとがき577

参考文献579

索引


続き170 Ⅳ 自問清掃実践者の教師成長

 自問清掃を実践する教師達の〈自己成長感〉が、〈子ども成長感〉によって促されることは明らかになった。因果的な連関性によって〈自己成長感〉が形成されるというこの傾向性は、自問清掃実践者に一般的に見られることであった。ここからは、さらにその形成作用の仕組みを詳しく見ることにする。〈自己成長感〉は、自己省察という〈形成作用〉の結果もたらされた自己認識であるが、ここでは〈形成〉された認識の内実ではなく、形成される〈作用〉の仕組みを明らかにしたい。

そのために、自問清掃実践者H教諭の自己省察記述(作文)を分析対象とする。記録者のH教諭は、千葉県小学校勤務している。教職歴23年、年齢47歳、男性。H教諭は、数カ月以上の継続的な自問清掃実践者である。作文『自問教育に出会うまで』(以下、「作文」)は、20108月、「自問清掃に出会うまでの自分と出会ってからの自分について自由に書いてほしい」という私からの依頼によって書かれたものである。まずは、その全貌を示しておこう。

 

『自問教育に出会うまで』(H教諭の作文)

教員になって

・産休補助時代にそうじのことを子どもに話したことを覚えているんですけど、「背の高い人は高いところをやった方がいい。自分が一番生かせるところを本当はやるべきだ」要は考えてそうじをやった方が良いと言いたかったんだと思います。その頃はまだ指導が下手だったので子どもには通じなかったと思います。

・採用されてから学級を持つたびに、「気づいて動け」はずっと言って来ました。「良い事をすれば何かの形で自分に返って来るから良いことはした方が良い。」これは父親に何度か言われた言葉です。それから「情けは人の為ならず」も子どもたちに言ってました。

・尾木先生の本に出会ってからは、子どもが何かをするときは、「待つ」姿勢が強くなりました。新設校で運動会の企両準備運営をさせるときも、先生方にお願いしていたのは「待つ」でした。子どもは大人よりも判断の時間がかかります、だから待つ。自分で判断をして自分で実行して、成功したり失敗し、反省し、次に生かす。大人の何倍も時間がかかるけれども絶対に大きな力になると信じました。自問をさせていたことになると思います。数字として表れないので、活動に携わらない職員には理解してもらえませんでした。

2年前、5年生を受け持ったときの隣のクラスの担任は私よりも一つ上の独身の女子教諭。日に見えることを一番大切にする方でした。教室掲示は、隙のない誰が見ても「すごいねえ。」  子どもたちに対しても隙がないように調教します。新年度早々毎日のように、皮肉・前のクラスの子と比べる発言・かん高い怒鳴り声が聞こえて来ました。子どもたちは怖さ故、先生の思った通りに変身していきました。が不満はたくさん。

・こんなことを毎日、日の当たりにし、自分は絶対にあのようにならないと、逆逆に行動していました。で、この年の9月に本に出会うのです。

 

自問教育に出会った時

・運動会が終わり、体育主任の大きな仕事のーつが終わったあとの休日。一ケ月にー度は必ず通う千葉市中央図書館に行きました。お目当ての本が無いときは、いろいろなジヤンルから借りるようにしています。その日はお目当て無し。教育書コーナーの前を通りかかった時、視線より少し上の棚。「魔法の掃除」が目に飛び込んできました。運命的な出会いです。その後行くたびに気にして確認してみるのですが結構借りられているようで、なかなか無いんですよ。あの時間、お日当ての本が無く、何気なく通った時に、丁度見やすい高さにそれはあった。 パラパラとめくると「気づきそうじ」という項日が……タイムリースリーベース!!

・帰って読んでみると、何となく、自分がやってきたことに確信が持てるようなことが書かれている。「心を磨く」「何も注意しない」んんんんんんこれこれこれですよ。こりややるしかない。

 

自問掃除のはじまり

・さて、どうやって始めようか。お話したように、「玉」はどうも引っかかる。悩んだあげく、クラス作りから攻めることにした。(アマラとカマラの話も無し。)クラスを納豆に見立てる。『納豆はねばねばした糸でつながっている。クラスの仲間もつながっている。』『納豆を美味しくするためには、豆―つぶー粒を美味しくしなくてはいけない。クラスを良くするには一人―人が高まらなければいけない。』一人―人が高まるために気づきの掃除をする。方法はまず話をしない。仲間が高まろうとしているのを邪魔をしてはいけないから。汚れや友達の動きに気づきながら工夫をして掃除をする。その日の掃除について記録をする。

・これを授業参観にぶつけることにした。保護者の理解があった方が取り組みやすいと考えたからだ。しかしこんな授業参観をしたことがなかったからドキドキ。でも逆に、日吉らしい参観になるとも思っていた。当日はウソやごまかしが一切無いHらしい100%の授業参観になったから、保護者がいても何の飾りもなく、堂々とすすめられた。後日、「先生とても上手な例えでしたね。どこからか引用されたんですか?」と質問と合わせてほめられました。

 

自問(気づき)掃除を始めた一ケ月

・やるまでは半信半疑。でもー週間で結果は出た。子どもたち自身が変わったと自覚し、ノートに感想を書いている。二週間でほぼ全員が、がまん掃除クリア。一ケ月たった頃にはそうじが楽しいもっと時間を下さいと言ってくる。

・私は……。まだ自問掃除に入り込んでいない。汚れているところをうろうろしながら探しつつ無意識に子どもの様子を見て回っていた。子どもたちの変化に毎日驚いていた。

 

自問(気づき)掃除が定着したあと

・ニケ月たったころには、黙ってやることがあたり前になり、本当に掃除が好きになってしまい、12月の大掃除の時間を90分にした。これもこの時間集中し続け、充実感という楽しさを存分に味わっていた。私ももう見回りなんかどうでもよくなり自分の掃除の世界に浸っていた。子どもが用事でくることが邪魔に思えたくらい。

 

自問(気づき)掃除で持ち上がり ランクアップ

6年生に持ち上がった。子どもたちはもっと自分自身を高めたいと願っていた。それをかなえるために、学校で一番汚れる昇降ロと全員が使う階段そうじを受け持たせてもらうことにした。子どもたちはやる気満々。毎日汚れと向き合い、毎日どうすれば早くきれいになるのか考えていた。最終的にいきついたのは、タイル一枚一枚をタワシでこすり、ぞうきんで拭き取るという実に地道な作業だった。このそうじが始まると禅の世界。しゆこしゆことこすり、ふきとる。次のタイルをしゅこしゅこ……。十五分間休み無く続く。私もいっしょに楽しんでいた。

・ノートをB5サイズにアップ。そうじのことだけでなく、身の回りのことで思ったこと考えたことを書き、より高めて欲しかったから。これは子どもによってとても差が出てしまったので、良かったのか悪かったのか。

 

自問掃除を始めて自分自身が変わったこと

・具体的な行動で変わったことは、そうじが好きになった。掃除に入り込むようになった。汚れをどのように落とすのか考えることが楽しい。 

・男子更衣室の掃除をする回数が増えた。出会う前は、「まったく誰もやらないんだから、仕方ないなあ。」とつぶやきながらやっていたのが。掃除をさせて頂いているという感じになった。

・ぞうきんをいとおしく思うようになった。ぞうきんなら何でも同じというわけにはいかず、絶対に自分のぞうきんを使うようになった。

・家でのそうじ。髪の毛を拾ったり、風呂に入ったときにちょこちょこと、身体以外のとろもこするようになった。

・視聴するテレビ番組が変わった。生き方を考えさせるような番祖ばかりを観るようになったようだ。時には内容を書き留めたりもする。

・本についても同じような事が言えて、気になることは作文するようになった。

 

自問掃除を始めて考えが変わったこと

・考えが変わったというよりも、考え方が確立してきた。出会う前は、自分の生活スタイルの延長で「気づき考え」などを何となく行ってきたものが、本に出会い、段階を追った指導法を知り、子どもの成長を目の当たりにすることで揺るがぬ自信を持つことができた。

 

自問掃除での言葉

・自問(教育を実践している)の先生たちは、はがれないメッキと表現されますが、ぼくは違うと思うんです。メッキというのはあくまで外側からかぶせるものであって、中身は変わらずそのままの状態。自問掃除は本質を変えていくものなんですから、メッキではありません。その物を化学変化させ変えてしまう。それでもぼくは違うと思います。ある程度全うに育った人間の心の中にしまわれていたものを掃除を通して自分の力で引き出してくる。一回出てきてしまえば、あとは掃除や他の自問活動で磨きをかけていく。 ぼくはこっちの考え方の方がしっくりきます。「ある程度全うに育つ」というのは、三歳までの親子のスキンシップ。この時期に親子関係がまともじゃないと、言葉が入っていってくれないように感じます。昨年度どうしても掃除に上手く乗っかっていかない子がいました。丁度幼児期に離婚騒勣があったようで言語能力が極端に悪かったのです。この経験から、今年は読み語りを毎日するようにしました。効果がでるかそれこそ数字にでないので、信じるのみです。

続き169 〈子ども成長感〉によって教師は成長する

 教師成長に関する先行研究を教師成長モデル研究の視点から検討したところ、従来のモデル像は構造化された建築物のようなイメージであり、そうした試みには限界性があることを指摘した。この細分化と構築化によるモデル像に対して、ClaIkeらが提起した「教師の職能成長相互連関モデル」は、特に【結果】領域【教育観】領域の連関性に着目した動的で柔軟性のあるモデルである。そこで自問清掃における教師成長を実証するために、Clarkeらのモデルを修正し、〈教師成長相互連関モデル〉(図I)として提示した。

無言清掃・通常清掃を対照として意識調査を実施し、結果を分散分析法と〈教師成長相互連関モデル〉を適用して分析した。すると自問清掃にだけ、〈自己成長感〉を持つ教師が同時に〈子ども成長感〉を持つ傾向がみられた。これは、【結果】【教育観】という領域間の因果的連関作用が働いたことを意味している。

また自問清掃実践者が〈子ども成長感〉を持つためには数ヵ月以上の継続的な実践が必要であり、教師の〈自己成長感〉と〈子ども成長感〉もそうした継続的な実践を前提としながら連関性をもっていることが明らかになった。

さらに、〈自己成長感〉の〈原因帰属認識〉の様相について分析したところ、ここにも〈子ども成長感〉〈自己成長感〉の連関性が認められた。この連関性は、それぞれの意識の在処である【結果】領域から【教育観】領域への省察的連関作用である。

以上の考察を総合すると、「自問清掃」に継続的に取り組んだ教師には〈自己成長感〉があり、この意織は、子どもが成長したという意識からの省察的連関作用によって形成されたものである。自問清掃実践者の教師成長は、【結果】【教育観】の2領域間の因果的連関作用による〈自己成長感〉の形成の結果なのである。

 

*この章は、拙稿『「自問清掃」実践者の教師成長―〈自己成長感〉の連関的形成―』(日本教師学学会誌『教師学研究』第12号 pp.11-20 2013)に修正加筆した。

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