2008年07月28日

幼稚なテロ

犯罪は、社会を映す鏡だと言うが、最近の“人殺し”たちには、ほとほと呆れる。
近年の無差別殺人実行犯の誰もが共通して言っていることは「殺す相手は誰でもよかった」とか。

「動機」なき殺人とも言えようが、ほんとのところは、社会全体に対する「モヤモヤとした敵意」ではないのか。
自分が何に怒っているのか、漠然としていて、誰をターゲットにその怒りをぶつけてよいのかさえ分からないから、手短にいる“非力な他人”を殺して鬱憤を晴らそうとする。
本当に情けない。幼稚な犯行だ。

日本の昔々の時代背景をもとに考えると、社会に何かしら不可侵な道徳的、倫理的な価値観があり(たとえば儒教的なもの)、その中で自分がアウトローとして犯罪を犯した場合には、なにかしらの「後ろめたさ」があったと思う。

親孝行する子供たち、子のために命を投げ出す親たち、社会に貢献する大人たち、子供のために一生をささげる教師たち、故郷や国のために命を懸ける政治家たち………。
そんな人々が生きている社会背景の中では、グレるものがいたとしても、それはそれで「自分は悪いことをしているんだ」という自覚があって、それなりの覚悟をもってしか犯罪を犯すことはできなかったのではないか。
社会を正すためと称して政府要人を暗殺する、といった政治的な確信犯もしかり。
決して許されない行為ではあるが、何かしら自分なりの“意味”や“大義名分”をもって行動したものだ。

しかし、現代の“人殺し”たちはどうだ。
人殺しをするにも、たいそうな意味も、覚悟も要らないらしい。
「カッ」としたら、失敗したゲームをリセットするように、気軽に他人を刺してしまう。

社会のあらゆる階層が腐っていて、利己主義の塊のような社会になればなるほど、その中から落ちこぼれていく者たちに、もう後ろめたさは無い。
自分が落ちこぼれたのは社会のせいで、「自分は被害者だ」と思い込む。
それどころか、社会全体が腐っているので、その中の構成員の一人や二人殺害しても、なんら悪びれる必要がないのかも知れない。

そもそも、他人の命やその生活背景をリアルに考えることができない低知能の持ち主だからこそ、他人の命や人生が“物”としてしか認識できないのは当たり前である。

しかし、あえて反社会的なことだと承知で言うなら、「どうせ死刑を承知で犯行に及ぶのなら、もっと社会を変えるくらいの人物を狙え!」と言いたい。
世の中には、悪いことをしていて、法的にも裁き切れない大物がいっぱいいるではないか。
それが見えないのか!この大バカ者と叫びたい!もっと巨悪を暴き、それに天誅をくわえて見ろよ!
そっちの方が、同じ罪としても“価値”があるではないか。

犯人が言うところの「テレビで有名になりたい」のなら、ちんけな“お昼のワイドショー”だけでは寂しいでしょう。
怒りをぶつけるのなら、相手は強大な権力者にしたほうが、よっぽど社会的に注目を集めるはずだ。
犯罪史の中にも、堂々と名前が残る。政治番組にでも、たくさんあなたの名前が出ますよ、と教えてあげたいくらいだ。

隣近所の未来ある、何の落ち度もない青少年や女子供、善良な市民を巻き添えにするな!と言いたい。
お前はアホか、と声を大にして言いたいのだ。人を刺すなら、もっと相手を考えろ!!
手当たり次第に噛みつくのなら、もう君は、人間ではなく、動物と同じだということだ。

そうだろ?加藤智大くん!

運良く死刑にならずに出所できたとしても、もうアキバには近づくなよ!
霞が関や永田町あたりにでも行きなさい!!




hiro1958hm at 14:46│Comments(1)TrackBack(0)clip!

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この記事へのコメント

1. Posted by あ   2008年09月09日 15:51
加藤さんの事件を犯罪というのはおかしいです
僕は加藤さんを尊敬しています 彼は弱者の為に敵を倒しました
本当に感謝しています
今の社会は一般人が弱者を虐殺しているのだから、一般人を殺すことこそが弱者の人権、尊厳、権利を守る唯一の方法であると思います

弱者の力を思い知らせなければなりません。一般人はナイフで刺して殺すべきです

政治家云々いいますが一般人こそ悪い
死んでも償えない大罪を犯しています

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