介護師
2008年08月08日
バナナ的日本人のアジア観とは
(写真はMNS産経ニュース)
いよいよ2008年8月7日、インドネシアからの看護師・介護福祉士の若者たちがやって来た。報道写真の笑顔を見るにつけ、これから始まる明るい未来に胸を躍らせているようだ。
これから数年、日本の国家試験をパスするために、勉強しながら日本各地で働くという。特殊な技能を持つ者以外、労働市場から外国人を締め出している鎖国国家・日本としては初めての試みだ。
常々外国から、飲食店でのサービスなど単純労働者も受け入れて欲しいと願っていた身としては、まずは日本語による国家資格取得という高いハードルがあるにせよ、新しい試みとして歓迎したい。
しかし、受け入れ側の日本に、不安なことがある。
それは、日本人の根深い“アジア人蔑視”、“アジア人アレルギー”といったものだ。そもそも日本人が「外国人」と言う場合は、ほとんどが「西洋人」のことを指すのであって、アジア人は観念の中から除外されている。これは私だけの思いではなく、ほとんどの日本人が持っている感覚ではなかろうか。
外人と言えば、白人や黒人。もっと言えば、アメリカ人、といったところだろう。黄色人種なら、“中国人”“韓国人”と、直接的に表現する。教養の無い、頭の悪い右翼的な日本人は、いまだに堂々と「支那人」や「朝鮮人」と言っている。(そうでしょう?石原慎太郎くん!いくら支那「CHINA」は歴史的に正しい名称だと言っても、当の本人たちが嫌っている言葉を、あえて使うのは、喧嘩売ってるのと同じだろう!)
そもそも日本人は、自分たちが彼らと同じ「アジア人」だという自覚があまりないのではないか。だから、彼らをアジア人だと十羽ひとからげに言いたくない。自分たちも、そのカテゴリーに属するからだ。
自分たちは、彼らとは違い、たまたまアジアにいるが、自分たちは指導的な民族だと自惚れている。だから「八紘一宇」があったのだろうし、「五族共和」と言いながら、自分たちが一番上の兄だと思っていたのだ。
政治家たちの外交ニュースを見れば一目瞭然だ。アメリカの政治家と握手をしている日本の政治家は、誰も誇らしげで楽しそうだ。両手で握手をしている。反対に、アジアの政治家と握手する場面では、誰も偉そうにしてふんぞり返っていて、不機嫌だ。
しかし、文化の歴史的な視点から長い歴史を俯瞰してみれば、中国人や韓国人から言わせれば、日本は自分たちの先進的な文化を模倣して大きくなった島国に過ぎない、という自負がある。彼らに言わせれば、そんなアジア蔑視の日本人たちを「外見は黄色いが中身は白い」といって、バナナと皮肉っている。
昔読んだ歴史書のエピソードには、こんなものもあった。
中国独立の父と讃えられている・孫文と、大アジア主義の同志だった日本の右翼・頭山満との間に起った出来事だ。インドや東南アジアの反欧米活動家たちが一堂に日本に集まって国際会議を開催した時のこと。孫文は「同じアジア人同士なのに、中国と日本の間には不平等条約がある。まずはこれから解消しなければ、欧米諸国に対してアジアが団結できない」と言った。その時、頭山満は「それは絶対に解消できない」と返事したそうだ。それを聞いた孫文は意気消沈し、無口になったという。以後、孫文は、アジアの大同団結を唱えていた日本の右翼たちに、何の期待も持たなくなったそうだ。
また私事になるが、今から20年近く前のこと。私が「アジア太平洋博覧会」(愛称「よかトピア」、1989年3月17日から9月3日まで、福岡市の百道浜と地行浜の一帯で開催された、市制100周年を記念して開催された地方博)の公式広報誌のライターをしていた時のことだ。その雑誌のレギュラーコーナーで、福岡在住でアジアに関する仕事をしている人々を紹介する特集記事があった。
その中で、九州大学留学生センターのある教授を取材した時のことだ。興味ある話を聞いた。彼は、福岡の人々のアジア人に対する理解の無さを嘆いていた。ひとことで言えば「欧米人には優しいが、アジア人には厳しいのが日本人だ」ということだった。その先生は、アジア各国から留学生が来福したら、まず大変な大仕事が彼らのアパート探しだと言っていた。
白い肌の欧米人なら、英会話学校のアルバイトをしている不良外人でも、二つ返事で貸してくれる家主でも、韓国や中国はもとより、東南アジアや中央アジアのどこの国の学生に対しても、ほとんどが冷たい対応をとられたという。そこで、先生自ら留学生に同行して、大家さんに頼みに行くのだという。「彼は○○国の国費留学生として勉強に来た、大変まじめな人です」と紹介しても、ダメなことがあったという。理由は「部屋が臭くなる」とか、「日本の常識がわからない」とか言うそうだ。先生は、とても憤慨していた。同じアパートにアメリカ人が住んでいても、アジア人には貸さない大家もいるという。
この留学センターでは、来日した学生たちにアンケートを取っているのだが、概ねこんな結果だという。「欧米からの留学生は、来日時は日本の印象は悪いが、帰国時には日本が好きになって帰っていく」そして「アジアからの留学生は、来日時は日本に好印象を持っているが、帰国時には反日家となって帰っていく」。
それもそうだろう。青い眼の欧米人は、どこに行っても差別されず、親切にされ、下手でも日本語が話せるだけで尊敬され、カノジョやカレシもすぐできる。アジア人は、変わったイントネーションの日本語を話すだけで白い眼で見られ、貧乏人扱いされ、後進国の習慣を否定されて、日本人流のやり方を強制され、覚えが悪ければ、哀れみを受けるか、バカにされる。これでは、嫌日家になって帰国するのがオチだろう。
悪いことに、親日家になって帰国する欧米人たちは、しょせんは二流の学生たちだ。一流の学生は、欧米の有名大学が第一志望なのだから。しかしアジアの貧乏な国の国費留学生たちは、本国ではエリートが多い。帰国すれば、将来は政府の高官になるような人たちなのだ。
話は飛んでしまったが、今回、人口2億4千万人の国インドネシアからやって来た約200名の若者たちも、おそらく、その分野のエリートたちであろう。インドネシアとしても、第一陣が良好な成果をあげなければ、次がないので、選びに選んだ結果の若者たちのはずだ。
私は、とにかく願っている。彼らが数年後、反日家となって本国に帰らないことを。
同じアジアの同胞として、日本を好きになって、この国で夢をつかんで欲しいと願う。
いよいよ2008年8月7日、インドネシアからの看護師・介護福祉士の若者たちがやって来た。報道写真の笑顔を見るにつけ、これから始まる明るい未来に胸を躍らせているようだ。
これから数年、日本の国家試験をパスするために、勉強しながら日本各地で働くという。特殊な技能を持つ者以外、労働市場から外国人を締め出している鎖国国家・日本としては初めての試みだ。
常々外国から、飲食店でのサービスなど単純労働者も受け入れて欲しいと願っていた身としては、まずは日本語による国家資格取得という高いハードルがあるにせよ、新しい試みとして歓迎したい。
しかし、受け入れ側の日本に、不安なことがある。
それは、日本人の根深い“アジア人蔑視”、“アジア人アレルギー”といったものだ。そもそも日本人が「外国人」と言う場合は、ほとんどが「西洋人」のことを指すのであって、アジア人は観念の中から除外されている。これは私だけの思いではなく、ほとんどの日本人が持っている感覚ではなかろうか。
外人と言えば、白人や黒人。もっと言えば、アメリカ人、といったところだろう。黄色人種なら、“中国人”“韓国人”と、直接的に表現する。教養の無い、頭の悪い右翼的な日本人は、いまだに堂々と「支那人」や「朝鮮人」と言っている。(そうでしょう?石原慎太郎くん!いくら支那「CHINA」は歴史的に正しい名称だと言っても、当の本人たちが嫌っている言葉を、あえて使うのは、喧嘩売ってるのと同じだろう!)
そもそも日本人は、自分たちが彼らと同じ「アジア人」だという自覚があまりないのではないか。だから、彼らをアジア人だと十羽ひとからげに言いたくない。自分たちも、そのカテゴリーに属するからだ。
自分たちは、彼らとは違い、たまたまアジアにいるが、自分たちは指導的な民族だと自惚れている。だから「八紘一宇」があったのだろうし、「五族共和」と言いながら、自分たちが一番上の兄だと思っていたのだ。
政治家たちの外交ニュースを見れば一目瞭然だ。アメリカの政治家と握手をしている日本の政治家は、誰も誇らしげで楽しそうだ。両手で握手をしている。反対に、アジアの政治家と握手する場面では、誰も偉そうにしてふんぞり返っていて、不機嫌だ。
しかし、文化の歴史的な視点から長い歴史を俯瞰してみれば、中国人や韓国人から言わせれば、日本は自分たちの先進的な文化を模倣して大きくなった島国に過ぎない、という自負がある。彼らに言わせれば、そんなアジア蔑視の日本人たちを「外見は黄色いが中身は白い」といって、バナナと皮肉っている。
昔読んだ歴史書のエピソードには、こんなものもあった。
中国独立の父と讃えられている・孫文と、大アジア主義の同志だった日本の右翼・頭山満との間に起った出来事だ。インドや東南アジアの反欧米活動家たちが一堂に日本に集まって国際会議を開催した時のこと。孫文は「同じアジア人同士なのに、中国と日本の間には不平等条約がある。まずはこれから解消しなければ、欧米諸国に対してアジアが団結できない」と言った。その時、頭山満は「それは絶対に解消できない」と返事したそうだ。それを聞いた孫文は意気消沈し、無口になったという。以後、孫文は、アジアの大同団結を唱えていた日本の右翼たちに、何の期待も持たなくなったそうだ。
また私事になるが、今から20年近く前のこと。私が「アジア太平洋博覧会」(愛称「よかトピア」、1989年3月17日から9月3日まで、福岡市の百道浜と地行浜の一帯で開催された、市制100周年を記念して開催された地方博)の公式広報誌のライターをしていた時のことだ。その雑誌のレギュラーコーナーで、福岡在住でアジアに関する仕事をしている人々を紹介する特集記事があった。
その中で、九州大学留学生センターのある教授を取材した時のことだ。興味ある話を聞いた。彼は、福岡の人々のアジア人に対する理解の無さを嘆いていた。ひとことで言えば「欧米人には優しいが、アジア人には厳しいのが日本人だ」ということだった。その先生は、アジア各国から留学生が来福したら、まず大変な大仕事が彼らのアパート探しだと言っていた。
白い肌の欧米人なら、英会話学校のアルバイトをしている不良外人でも、二つ返事で貸してくれる家主でも、韓国や中国はもとより、東南アジアや中央アジアのどこの国の学生に対しても、ほとんどが冷たい対応をとられたという。そこで、先生自ら留学生に同行して、大家さんに頼みに行くのだという。「彼は○○国の国費留学生として勉強に来た、大変まじめな人です」と紹介しても、ダメなことがあったという。理由は「部屋が臭くなる」とか、「日本の常識がわからない」とか言うそうだ。先生は、とても憤慨していた。同じアパートにアメリカ人が住んでいても、アジア人には貸さない大家もいるという。
この留学センターでは、来日した学生たちにアンケートを取っているのだが、概ねこんな結果だという。「欧米からの留学生は、来日時は日本の印象は悪いが、帰国時には日本が好きになって帰っていく」そして「アジアからの留学生は、来日時は日本に好印象を持っているが、帰国時には反日家となって帰っていく」。
それもそうだろう。青い眼の欧米人は、どこに行っても差別されず、親切にされ、下手でも日本語が話せるだけで尊敬され、カノジョやカレシもすぐできる。アジア人は、変わったイントネーションの日本語を話すだけで白い眼で見られ、貧乏人扱いされ、後進国の習慣を否定されて、日本人流のやり方を強制され、覚えが悪ければ、哀れみを受けるか、バカにされる。これでは、嫌日家になって帰国するのがオチだろう。
悪いことに、親日家になって帰国する欧米人たちは、しょせんは二流の学生たちだ。一流の学生は、欧米の有名大学が第一志望なのだから。しかしアジアの貧乏な国の国費留学生たちは、本国ではエリートが多い。帰国すれば、将来は政府の高官になるような人たちなのだ。
話は飛んでしまったが、今回、人口2億4千万人の国インドネシアからやって来た約200名の若者たちも、おそらく、その分野のエリートたちであろう。インドネシアとしても、第一陣が良好な成果をあげなければ、次がないので、選びに選んだ結果の若者たちのはずだ。
私は、とにかく願っている。彼らが数年後、反日家となって本国に帰らないことを。
同じアジアの同胞として、日本を好きになって、この国で夢をつかんで欲しいと願う。