2010年05月17日

2008)御礼。

今回で、この『古い日記』の更新を停止することにしました。
5年間、読んで頂いた皆様、暴言の数々、平に御容赦のほどを。誠にありがとうございました。


hiro_s1976 at 01:52|PermalinkComments(7)

2009年01月24日

1909)驚異の価格。2

1日に喫茶店に行く回数は、ならすと恐らく3回ぐらいであろう。
変にコジャレた喫茶店にはあまり行かないし、高級そうな店にもあまり行かないので、1杯あたりの単価は400円ぐらいだろう。
新聞配達を始めて、自分の金でコーヒーを飲むようになった小学校高学年頃から、22年が経過している。

以上の条件で、私が今までにコーヒーを飲むために使った金額は、

400(円)×3(杯)×365(日)×22(年)=?


…なんと、9636000円!

このまま行くと、今年の年末には1000万円に到達してしまうのである。
一体全体、どこにそんな金があったのか…恐ろしい金額ではないか。

で、もしも。

この定期券の喫茶店が22年間我が家の近所に存在していて、このサービスを継続している、と仮定したら、この額はどうなっているかというと、

1280(円)×12(月)×22(年)=337920(円)

9636000(円)―337920(円)=9298080(円)


差額約930万である。
意識が遠退いていきそうだ。こんなもの、計算しなきゃよかった、くそっ!

この計算だと、私は喫茶店に24090回足を運んでいることになるわけだが、
コーヒー1杯の単価は、400円から一気に14円3銭になる。これじゃあ、一杯あたりいくら、と宣伝してる宅配コーヒーと大して変わらないではないか。

hiro_s1976 at 03:09|PermalinkComments(0)日々の話 

1908)驚異の価格。

46479d0e.jpg珈琲定期券
好評発売中!

購入したその日から
1ヶ月間いくら飲んでも
3杯以下の価格で

1280円

毎日でも
何回でも
何杯でもOK!

おかわり自由
ぜったいお得!




と、偶然入った喫茶店の入口に立て看板が置かれている。
店内にも同様の紙が何枚も貼られている。
注文をとりにきたスタッフも、「ただいま、珈琲定期券を特別に値下げしておりますが、いかがでしょうか?」としきりにすすめてくる。

う〜む、確かに安い。

値下げしてるというが、値下げ前の値段も1600円台なので、十分に安い。

喫茶店に足を運び、コーヒーを注文する頻度は人それぞれであろうから、
安い安いと言っても、「そうかしら。」と言う人も中にはいるだろう。
ネスカフェで十分という人や、買ってきた豆を家でいれて飲めばいいじゃないという人からすれば、
「そもそも高い金を払って喫茶店に行くこと自体がムダ。」ということにもなろう。

が、残念なことに、私はそういう人たちと違って、自宅ではあまりコーヒーを飲まず、日々足繁く喫茶店へと通う人間なのである。
別にネスカフェが嫌いなわけでもないし、家でもコーヒーを飲まないわけではないのだが。

喫茶店で飲むコーヒーの価格は、コーヒー代プラスその空間や時間の「価格」だと思っているので、勿体ないとは全く思わない。

では。

一体、どれくらい安いか、計算してみる。


hiro_s1976 at 03:07|PermalinkComments(0)日々の話 

2009年01月19日

1907)継ぐ。

従兄から叔父の容態について連絡が入る。
一緒に風呂に入っていた孫が異変に気付いたらしく、早く病院に搬送出来たので、命に別状はなく、意識もあるという。
だが、喋ると呂律が回らないそうで、退院後果たして筆を握れるまでに回復するかどうかは、なんとも言えないということだ。

前にも書いたかもしれないが、私はこの店の4代目である。
1)母方の祖父…留萌
2)母方の叔父…留萌→旭川
3)父…札幌
4)私…札幌

母方のはんこ屋としての系譜を、父が引き継ぎ、さらに私が継いだのだ。

叔父の二人の息子(つまり従兄)は二人とも40代だが、どちらもこの道に進むことはなかった。

電話口でその従兄がこう言った。
「うちの家系を継げるのは、お前しかいないのだから、容態が安定したら盗める技術は全部持っていってくれ。」

それは確かにそうありたいものだが、今日明日でどうなるものでないのも事実だ。と同時に、もしも受けとったにしても、同時にその技術を活かす土壌をも再生しなければ、それは宝の持ち腐れになってしまう。
今のままでは活版印刷も印鑑も、私の代で確実に終わる仕事なのだ。

いきなり重たいものが肩にのし掛かってきたようだ。無論、叔父には復帰できるものなら、何とかもう一度復帰してほしい。
だが、それが未来永劫続くわけではないことを、父は告げに来たような気がする。
そろそろ2度目の「独立」をしなければ、先はないぞ、と。

道はあまりにも長くて、とても届きそうな気がしないのだが、今は有無を言わず歩いていくしかないようだ。

hiro_s1976 at 19:57|PermalinkComments(4)日々の話 

1906)夢の理由。

夜中に見た奇妙な夢について。
何故、父が夢の中で、「鈴木宗男」と言ったのか、その理由はやっぱり全然わからない。

だが、一つわかったのは、夢枕に現れた理由である。
恐らくこれではないかという、その理由というのは、
叔父が倒れたことを報せるためだったのではないかと思う。

叔父が脳梗塞で倒れたという電話が、昼頃旭川から入った。

父が自分の兄弟の誰よりも信用していた叔父である。私が父の病をきっかけに、この仕事を高校生から始めて、今に至るまで続けてこれたのも、ひとえにこの叔父の存在あってこそであった。

この店の印刷の生命線が活字だとするならば、
印鑑の生命線、後ろ楯は叔父の目と筆と言っていい。

たかだか15、6年程度の経験の私の技術など、
60余年の叔父には到底及びもしないこともわかっている。

両輪がガラガラ崩れていく激しい動揺の中で、こうして他人事のように文章を打ち込みながら、どうにも現実味のない状態というか、上の空な感じでもある。

間違いなく、今自分は、これから先に進む道の、分岐点に立たされているはずなのだが。

どうにか軽い症状であってほしいと願うが…状況を知らせてくれるはずの電話を待つ時間が、あまりにも長い。

何かしてなければ、落ち着かなくて困るが、
何かしてると、手につかなくて困る。

hiro_s1976 at 14:04|PermalinkComments(0)日々の話 

1905)うなされる。6

「いいか、これだけは言っておくぞ。」
と言って一息おいた父は立ち上がったかと思うや、こう叫んだ。

「いいか、鈴木宗男はなあっ…!!」


**

…目が醒めた。

物凄くうなされていたらしく、寝汗がひどいし、猫が心配しているのかなんなのか、鳴きながら私の周りをぐるぐると回っている。

時間は午前3時半。
寝てから3時間しか経っていない。

そもそも夢を見ることが滅多にない、ましてやこんなに鮮明に覚えていると、一体あれは何だったのかと、気が重くなる。

一体、この夢はなんだったのだろうか。

そして父は最後に何を言いたかったのだろうか。
何故、そこに鈴木宗男…確かにミッキーマウスがあった隣のビルを数年前、鈴木宗男が事務所として使っていたことはあったが…。

いや、待て。
亡くなった父の弟弟子の名前は“スズキトシオ”である。
もしや、自分の弟弟子の名前を言い間違えたのか?

しかし、私は父がこの人のことをフルネームで呼んだのを聞いたことがない。
表立った席では「鈴木さん」「酒井さん」と呼んでいたが、
普段は「トシちゃん」「ケンちゃん」と呼びあっていたので、鈴木宗男と言うはずはないのだ。

とすれば父は夢にまで出てきて、鈴木宗男が何だと言いたかったのだろうか。


何だかわけがわからないが、どんよりと朝から気の重い一日である。

hiro_s1976 at 07:38|PermalinkComments(0)ぼやき節 

1904)うなされる。5

後ろを振り向けば、初恋の早見優似の女子大生の娘までが、
「ヒロちゃん(実際そう呼ばれていた)がそんなつまらない子だとは思わなかったわ。」と、私に白い目を向ける。
いたたまれなくなって、喫茶店を後にして、道を渡ると先ほどの銭湯のオッサンに変わり、何故か薬師寺が消防団員姿で雪掻きをしていて、「早く店へ帰れ!」と声をかけられた。

店に戻ってみると、店の中はがらんどうになっていて、店のガラスには、
「閉店」
と墨で書かれた半紙が貼られており、驚いて中に入ると、機材はすっかり撤去され、たった一つの長机が置いてあるばかり。
そこには父と母が並んで座っている。

店はもうやっていけなくなったと涙ながらに語る母の横で、死んだはずの父はここに座れと私を促す。
13年ぶりに見た父の風体は、さほど変わってはいなかったが、声だけがついこの間亡くなった牟田悌三そっくりになっていて、私は驚いた。

「最近、どうなの?」
と聞く私の声を父は無視して、
「お前なあ、音楽とか美術とか商店街とか、あんなつまらんことに現をぬかしてる間に、とうとう店をダメにしやがって…。」
と嘆く。

言葉のない私に、父は「まあいい。」とつぶやく。
長い沈黙のあと、父はこう切り出した。

「いいか、最近奴が俺らのところに来るようになったよ。」

どうも父は現実に数年前に亡くなった、自分の弟弟子であり、当初この店の共同経営者だった人のことを言ってるらしい。
奴としか言わないが、何となく言いたいことは勘でわかる。



hiro_s1976 at 07:32|PermalinkComments(0)ぼやき節 

1903)うなされる。4

免許を見つける。不思議なことに免許に書かれた住所は現実のものではなく、店を基準にした際に、この自宅に該当する場所(現実には天理教の教会がある)の住所になっている。
免許を持って外に出ると、警官のS君も車も、何もなかったかのように消え失せていて、
私は車を慌てて探すが、まったく町内どこにも見当たらない。
しかたがないので再び喫茶店に戻ってみると、そこにまた別の知人がいた。

その知人のいるボックス席に座る。知人は私にアイヌ語を聞きに来たという。
紙を出されて、そこに書かれているアイヌ語を教えてくれと言われ、その紙を手にとると、そこには、

マサラ
クマウス
オコバチ
カツナイ
モモナイ
オタナイ
オタモイ
イブキブンメイ
オモロイフウフ
パンチデデート
トミートマツ
ダイジュウロクモンワタナベサントツボウチサンハツボウチサン

と、小樽の地名である最初のいくつかはいいにしても、残りは無茶苦茶なことが書いてある。

地名を説明してから、私は後半に書かれたのを指差して、
「アイヌ語は関係ないだろ。これは、連想ゲームだろ。渡辺文雄と坪内ミキ子のことだろ。イブキブンメイは自民党だろ。」
とツッコミを入れた途端、知人は、
「それをお前ならアイヌ語でどう解釈するかが知りたかったのに、そんな了見じゃあお前との仲もこれまでだな。見損なったよ。俺は小樽に帰る。じゃあな。」
と、理不尽この上ないことを言い放った。
私は店を出ようとする知人を必死に止めようと抗弁するが、知人は呆れたような薄笑いを浮かべ、すべてを聞き流し、北帰行を口ずさみながら店を出ていってしまった。



hiro_s1976 at 07:29|PermalinkComments(0)ぼやき節 

1902)うなされる。3

私はコーヒーが飲みたくて、9条通を横断して向かいに渡る。
やはり今は歯医者とマンションになっているはずのそこは、なくなって25年近く経つ『ミッキーマウス』という喫茶店のままで、
店には、恐らくは私の初恋の相手であったと思われる、その店でウェイトレスをしていたマスターの娘が一人でいたが、店の前には峰岸徹似のマスターの愛車のベンツも停まっていた。外出中らしい。

早見優に似ていたこの娘は、私が小学校に入った頃、女子大生であったから、今はきっと40代後半になっているのだが、
そこは夢の都合のよろしいところで、当時の姿のままであるから、私とその娘の年齢は完全に逆転している。

私はその娘を口説こうとしているのか、必死にいろんな話を振ろうとしているのだが、急がば回れも回り過ぎればやっぱり遅いという、まるで現実と何ら変わらない遠回りな話ばかりで、全然核心へとは踏み込めず、自分に辟易しながらコーヒーを飲み干す。

店を出ると、角の米屋(そういえばこの米屋の2階は、40年ほど前に私の両親が住んでいたところである)の前に停めてあった私の車をパトカーと警官が取り囲んでいる。
慌てて走っていくと、その警官は、現実についさっき絵を見てきたばかりの、網走へ帰るS君で、何とか勘弁してもらおうとするが、どうにも許してくれない。
あと1点で90日免停になるから勘弁してくれ、と言うと(現実にはそんなことはないのよ)、「じゃあ、とりあえず免許を出して」と言われ、私は数軒隣の自宅へ走っていった。



hiro_s1976 at 07:27|PermalinkComments(0)ぼやき節 

1901)うなされる。2

**

何故かまちづくり事務所で仕事をしている私のところに、現実に昨夜飯を食いに行った際、一緒だった人が訪れてくるところから話は始まる。
実際にまちづくりをやってた当時なら、その人はまだ高校生のはずだが、姿は今のままだ。

ちょっと横になる、と奥に入るその人を横目に、しばらくパソコン相手にアイヌ語のデータベースを作っている私。
函館周辺の地図を見ながら、地図上に書かれている地名を片っ端から拾い集め、それにアイヌ語をあてはめている。

私は作業に疲れて、奥の部屋に入っていくが、なぜかそこは小学校低学年の頃まで住んでいた自宅の茶の間と仏間になっていて、
そこには先ほどの人と、20年前に死んだシャム猫と、私の母と、まちづくり事務所を手伝いに来ていた近所のオバサンが、
電気を消した室内に川の字になって寝ている。
私もそこに横たわるが、どうも眠れず、事務所の外に一人飛び出してしまった。

外に出てみると、この街の住人は何故か、現実にはここに住んでいない知り合いばかりだ。
豊平の喫茶店のマスターがいたり、そことはまた違う喫茶店で顔をあわすことがある蟹屋の主人がいたりする。

店に向かうと、途中にあるかつての自宅はやはりそこにもあるのだが、中は次に移り住んだ今の店の奥と一緒で、入り口をあけると「チン」とチャイムがなった。
2軒西隣の墓石屋は、働いている人まで、墓石屋だった頃と一緒であったが、何故かその中に一人だけ、通っていた保育園の保母さんがいた。
店の西隣にあるアパートで雪掻きをしているのが、何故か銭湯のオッサンで、声をかけられた。



hiro_s1976 at 07:25|PermalinkComments(0)ぼやき節