9月15日から16日にかけて、ブラジルのテレビ各局のスポーツニュースは、9月14日のアルゼンチン代表対ブラジル代表の試合でレアンドロ・ダミアンが見せたヒールリフト(両足の間にボールを挟み、前方に跳ね上げてマーカーの頭上を越すプレー)の話題で持ちきりだった。
 ブラジル人は、美しいプレーが大好きだ。時として試合の勝敗やゴール以上に、印象的なプレーが話題となり、賞賛を受ける(他の南米諸国もほぼ同様だ。アルゼンチンでも、ダミアンのプレーは喝采を浴びたそうだ)。

 このプレーは、通常、ブラジルでは「ランブレッタ」と呼ばれる。ランブレッタというのは、第二次大戦後に製造されたイタリア製スクーターのこと。ブラジルでも50年代に生産され、人気を博した。「新しいもの」「優れたもの」という意味合いから、このプレーがこう呼ばれるようになったようだ。
 他にも、「カヘチーリャ(リール)」、「ホーダ・ジガンチ(遊園地の観覧車)」など、地方によっていろいろな呼び名がある。サントスでは、「カネコ」。それは、このプレーを最初にやったのがアレッシャンドレ・カネコというサントスFCの選手とされているからだ。

 カネコは、父親が日本人で母親がブラジル人の日系二世。1967年末、21歳で名門サントスに入団した。当時のサントスは、ペレ、ペペらを擁する世界トップクラスのチームだった。
 カネコのポジションは、右ウイング。スピードがあり、高度なテクニックを備えていた。1968年3月、サンパウロ州リーグのボタフォゴ戦の後半、右サイドでボールを受けると、このプレーを試みた。カネコをマークしていたカルルッシは、初めて見る技に呆然自失。その横を悠然とすり抜けたカネコは、右足でグラウンダーのクロスを入れた。これを、ゴール前に走り込んできたFWがシャレーラ(両足をクロスさせ、後ろに引いた方の足の内側でボールを押し出すキック)で決めた。その直後、カルルッシはショックを受けて意気消沈し、監督に交代を申し出たという逸話が残っている。

 数年前、カネコにインタビューしたことがある。「遊びでやっていたら段々うまくいくようになったので、公式戦で試す機会をうかがっていたんだ」と話していた。小柄だが、なかなかダンディーな人だった。

 予断だが、ロナウジーニョが得意とするエラスチコ(足のアウトサイドでボールを外側に押し出し、直後に足のインサイドで逆側に切り返して相手を抜き去るドリブル。エラスチコとはポルトガル語で「輪ゴム」のことで、外側に出したボールがまるで足に輪ゴムでくっついているかのように内側に戻ってくることからこう呼ばれる)は、ブラジルではリベリーノ(60年代から70年代にかけてコリンチャンス、ブラジル代表などで活躍した名MF)が発明したと思っている人が多いが、当のリベリーノは、「60年代中頃、コリンチャンスでチームメイトだったセルジオ越後がやっているのを見て、それを真似たんだ」と語っている。

 サッカー王国で、日系人が新しい技を編み出し、ブラジル代表の名手たちがその技を真似、世界中のサッカーファンから喝采を浴びている。そのことを、我々日本人は誇りに思っていいだろう。