August 01, 2009
今の思いを文章にした。
人間には一人一人に個性があって、他のだれにも似ていない。そうでありたい。その個性を発揮したい。という思いがある。これがアイデンティティーだ。周囲と自分が同じことで安心感を得る場合があるが、これは文明のレベルが低い場合だと思う。先進国、成熟した国家では、アイデンティティーに対する要求が強くなるのが当然だと思う。(そうすると日本は文明レベルが低い?)
全ての人間が全く同じ価値観になることはできないし、その必要もない。もし、そのようなことがあるとすれば、これは思想的にかなり危険だ。
だが、複数の人間で1つの仕事を進める場合、何かしらの共有が必要であることはだれもが納得のいくところである。
では、何を共有すべきか?、価値観?、趣味趣向?、センス?、仕事の進め方?、はっきり言おう、どれでもない。共有すべきは、ゴールだ。
目的、目的地、到達地点が同じである必要がある。
日頃仕事をしていて、どうもこの事を勘違いしている人があまりに多い。残念だ。同じ目的を共有するに当たって、仲良し倶楽部である必要は全くない。人生観が同じである必要も全くない。ジョークのセンスが同じである必要も全くない。コーヒーが好き、紅茶がすき、まったく関係ない。騒がしいのが好き、静かがすき、全く関係ない。
よく、仕事が切迫してくると、連絡を蜜に、コミュニケーションを蜜に、などという人がいる。これが全くもって勘違いの典型だ。そんなに四六時中、話さないといけないという事は、そもそも、出発点、到達点が間違っている。あるいは不明確である可能性が極めて高い。そのまま進んでも必ずトラブルになる事、確実である。
このような進め方を好む人は、往々にして、プロセスを共有したがる。ゴールとプロセスが同じだと勘違いしている。他のメンバーの仕事の進め方に余計な口出しをして、必要以上のルールを作り、何でもかんでも、統一フォーマットを作りたがる。だが、それが成功の足しになることなど殆どない。飲ュニケーション?などいう言葉を好む人が多いきがする。それで解決できると思ったら大間違いだ。シラフで話せ!
まず最初に、目的を定め、皆一斉に、その目的に向かって、個々の方法で、個々の個性で、まい進すればいい。ただそれだけだ。自分のパートにおいて最高のものを創りだすことに最大限の努力を払う。これがチームワークというものだ。決して、右に習えをすることではない。
どうしてこんな簡単な事が解からないのだろう。日本の慣習か、社会通念か、日本人の国民性か?、いやそんなはずはない。私はれっきとした日本人だ。何かがおかしい。
因みに、世間で聞いた話、日本では、仕事を予定期間に終わらせないと、上司から叱られる。毎日、地獄のような残業を強要される。チームメンバーが連帯責任としょうして、全員が終わるまで、共に付き合うとなるのが一般的。一方、かの、マイクロソフトでは、最初に実現可能なスケージュールを提出する。あとは、どのように進めようが自由で、宣言した日まで、目的のものが完成すればよいらしい。昼間、飛行機を乗り回し、夜、仕事してもよい。但し、健康管理は自身の責任だ。上司もほとんど干渉しないらしい。
では、できなかった場合どうなるか。まず、上司からは叱られない。責任を追及されるだけだ。そして、残業の強要はない。変わりの要員が立てられ、自分の仕事がなくなるだけだ。これはオトガメめ無しということではない。この流儀で行くと、仕事がない=クビ(解雇)ということである。勿論、連帯責任などない。全ては個人の問題だ。だから、みんな必死で仕事をする。そしてそれが遣り甲斐であり、誇りである。一生、会社に面倒を見てもらおう、などと、だれも思わない。
全ての人間が全く同じ価値観になることはできないし、その必要もない。もし、そのようなことがあるとすれば、これは思想的にかなり危険だ。
だが、複数の人間で1つの仕事を進める場合、何かしらの共有が必要であることはだれもが納得のいくところである。
では、何を共有すべきか?、価値観?、趣味趣向?、センス?、仕事の進め方?、はっきり言おう、どれでもない。共有すべきは、ゴールだ。
目的、目的地、到達地点が同じである必要がある。
日頃仕事をしていて、どうもこの事を勘違いしている人があまりに多い。残念だ。同じ目的を共有するに当たって、仲良し倶楽部である必要は全くない。人生観が同じである必要も全くない。ジョークのセンスが同じである必要も全くない。コーヒーが好き、紅茶がすき、まったく関係ない。騒がしいのが好き、静かがすき、全く関係ない。
よく、仕事が切迫してくると、連絡を蜜に、コミュニケーションを蜜に、などという人がいる。これが全くもって勘違いの典型だ。そんなに四六時中、話さないといけないという事は、そもそも、出発点、到達点が間違っている。あるいは不明確である可能性が極めて高い。そのまま進んでも必ずトラブルになる事、確実である。
このような進め方を好む人は、往々にして、プロセスを共有したがる。ゴールとプロセスが同じだと勘違いしている。他のメンバーの仕事の進め方に余計な口出しをして、必要以上のルールを作り、何でもかんでも、統一フォーマットを作りたがる。だが、それが成功の足しになることなど殆どない。飲ュニケーション?などいう言葉を好む人が多いきがする。それで解決できると思ったら大間違いだ。シラフで話せ!
まず最初に、目的を定め、皆一斉に、その目的に向かって、個々の方法で、個々の個性で、まい進すればいい。ただそれだけだ。自分のパートにおいて最高のものを創りだすことに最大限の努力を払う。これがチームワークというものだ。決して、右に習えをすることではない。
どうしてこんな簡単な事が解からないのだろう。日本の慣習か、社会通念か、日本人の国民性か?、いやそんなはずはない。私はれっきとした日本人だ。何かがおかしい。
因みに、世間で聞いた話、日本では、仕事を予定期間に終わらせないと、上司から叱られる。毎日、地獄のような残業を強要される。チームメンバーが連帯責任としょうして、全員が終わるまで、共に付き合うとなるのが一般的。一方、かの、マイクロソフトでは、最初に実現可能なスケージュールを提出する。あとは、どのように進めようが自由で、宣言した日まで、目的のものが完成すればよいらしい。昼間、飛行機を乗り回し、夜、仕事してもよい。但し、健康管理は自身の責任だ。上司もほとんど干渉しないらしい。
では、できなかった場合どうなるか。まず、上司からは叱られない。責任を追及されるだけだ。そして、残業の強要はない。変わりの要員が立てられ、自分の仕事がなくなるだけだ。これはオトガメめ無しということではない。この流儀で行くと、仕事がない=クビ(解雇)ということである。勿論、連帯責任などない。全ては個人の問題だ。だから、みんな必死で仕事をする。そしてそれが遣り甲斐であり、誇りである。一生、会社に面倒を見てもらおう、などと、だれも思わない。
July 16, 2009
英語テストの特訓
ある日のこと、中学1年生の息子がなにやら英語の問題集を開いて勉強している。「珍しいな、どうしたんだ?」と聞くと、明日英語のテストだという。OK、じゃぁ一夜漬けの特訓をしよう!ということになった。
厄介なのが s だ。
Does he like music ?
like に s がつかない。
Yes he does.
He likes music.
like に s がつく。
これを文法や理屈で覚えるのは面倒だ。そこで提案、とにかく大声で唱和!、親子二人で延々と、問題集のセンテンスを唱和した。
そうすると、
He like music.
んんー????
何か違和感があるぞ、そうだ、
He likes music.
よし、スッキリ!となる。
これはなかなかいけるぞ。要するに感覚で覚えればいいんだなと、私自身も納得。そういえば、文法を意識して日本語を覚える、なんてことは普通しないよな。
さて、数日後、結果が返ってきた。
そざ満点かとおもいきや、100点中、40点。
なになに、... 採点結果を見ると、内容的にはほとんど満点。 s の有無もバッチリだ。ところが、かなりの頻度で、×となっている。原因は、"?"の書き忘れ、"."の書き忘れ、スペルミスがほとんど。もし、これが会話だったら何の問題も無いのだが。...因みに、リアルなアメリカ人はスペルミスだらけだぞ!、だからワードにスペルチェック機能があるのだ。
んーーーーー、教育として、こういう評価の仕方がいいのだろうか?
チョット疑問を感じるバカ親であった。
厄介なのが s だ。
Does he like music ?
like に s がつかない。
Yes he does.
He likes music.
like に s がつく。
これを文法や理屈で覚えるのは面倒だ。そこで提案、とにかく大声で唱和!、親子二人で延々と、問題集のセンテンスを唱和した。
そうすると、
He like music.
んんー????
何か違和感があるぞ、そうだ、
He likes music.
よし、スッキリ!となる。
これはなかなかいけるぞ。要するに感覚で覚えればいいんだなと、私自身も納得。そういえば、文法を意識して日本語を覚える、なんてことは普通しないよな。
さて、数日後、結果が返ってきた。
そざ満点かとおもいきや、100点中、40点。
なになに、... 採点結果を見ると、内容的にはほとんど満点。 s の有無もバッチリだ。ところが、かなりの頻度で、×となっている。原因は、"?"の書き忘れ、"."の書き忘れ、スペルミスがほとんど。もし、これが会話だったら何の問題も無いのだが。...因みに、リアルなアメリカ人はスペルミスだらけだぞ!、だからワードにスペルチェック機能があるのだ。
んーーーーー、教育として、こういう評価の仕方がいいのだろうか?
チョット疑問を感じるバカ親であった。
June 15, 2009
人間の証明
最近ふと、CATVを見ていると、これをやっていた。思わず最後まで見てしまった。そういえば、この映画がやっていたのは、たしか、中学1年生の頃である。私はすっかり、ストーリーを忘れていたと思っていたのだが、改めて見て初めて、これは忘れていたのではなく、そもそも理解できていなかったんだ。という事に気がついた。
確かにこのストーリーは中学生が理解できるものではない、大人になって、子供の親になって、初めて理解できるものだ。最初に見てから、はや30年以上、この年になって初めて、ジョニーの悲しみ、母親の悲しみが理解できたのだ。
因みに、似たような経験として、クレイマークレイマーがある。これも子供の頃に見た理解と、人の親になってから見た理解とでは全く感動が違う。昔見た映画を改めて見ると、新しい発見があるものだ。
確かにこのストーリーは中学生が理解できるものではない、大人になって、子供の親になって、初めて理解できるものだ。最初に見てから、はや30年以上、この年になって初めて、ジョニーの悲しみ、母親の悲しみが理解できたのだ。
因みに、似たような経験として、クレイマークレイマーがある。これも子供の頃に見た理解と、人の親になってから見た理解とでは全く感動が違う。昔見た映画を改めて見ると、新しい発見があるものだ。
June 02, 2009
反省とは何だ!
昨日、我が息子の中間テストの結果が返ってきた。まま、良い教科もあれば、良くない教科もある。でも私の学生時代に比べればはるかに優秀である。親としてもまことに気分が良い。特に、一律、無難という結果ではなく、得意、不得意がはっきりしているところがまた個性的で良い。
ところが、彼はなにやらレポートを出さないといけないと言う。そこには、テストの結果を踏まえて、「反省」という欄がある。何だこれは!、しかも全員書くのだという。バカいっちゃいけない。頑張ってだした結果に対して、一律、「反省」とは何事だ!、息子には、かまわず、得意な教科をもっと、もっと伸ばしなさい。と言った。
何が反省だ!、そんな事を考える暇があったら、自分の明るい未来について想像して、努力していればいいんだ。全く、ネガティブ思考とおいうか、減点主義というか、しょうがない。
一方で今朝の新聞、見出しトップがGM破綻とある、この事態に及んでもなお、オバマ大統領の言葉、「古いGMは終わり、新しいGMが始まる。安全性が高く、燃料効率の高い車を製造し、再びアメリカの象徴となるのだ」んー、どこまで言っても前向き思考。この姿勢、全く見習うべきだろう。これが日本ならば、こんな言葉が出るどころか、責任追及、非難、誹謗、中傷の嵐になって、渦中の人々に自殺者が続々という結果になる。そしてなんの前進もなく絶滅となるのである。我々は、オバマ大統領の政策について、評論家している場合じゃない、まず自分たちのこのネガティブ思考、減点主義を改めるべきた。
ところが、彼はなにやらレポートを出さないといけないと言う。そこには、テストの結果を踏まえて、「反省」という欄がある。何だこれは!、しかも全員書くのだという。バカいっちゃいけない。頑張ってだした結果に対して、一律、「反省」とは何事だ!、息子には、かまわず、得意な教科をもっと、もっと伸ばしなさい。と言った。
何が反省だ!、そんな事を考える暇があったら、自分の明るい未来について想像して、努力していればいいんだ。全く、ネガティブ思考とおいうか、減点主義というか、しょうがない。
一方で今朝の新聞、見出しトップがGM破綻とある、この事態に及んでもなお、オバマ大統領の言葉、「古いGMは終わり、新しいGMが始まる。安全性が高く、燃料効率の高い車を製造し、再びアメリカの象徴となるのだ」んー、どこまで言っても前向き思考。この姿勢、全く見習うべきだろう。これが日本ならば、こんな言葉が出るどころか、責任追及、非難、誹謗、中傷の嵐になって、渦中の人々に自殺者が続々という結果になる。そしてなんの前進もなく絶滅となるのである。我々は、オバマ大統領の政策について、評論家している場合じゃない、まず自分たちのこのネガティブ思考、減点主義を改めるべきた。
May 29, 2009
旨味(うまみ)
通常これは、利益のことを言う。よく、利益の少ない仕事の事を「旨味がない」と言ったりする。しかし、私にとってはちょっと意味合いが違ってくるんだな。
旨味がある美味しい仕事とは、0から自分で創ることができる仕事、構想を巡らし、創意工夫して、アーキティクチャーを考え、理想のコーディングをする。さらに依頼主の用途とは別の用途にも利用できる仕組みを盛り込み、製品化を虎視眈眈と狙うのである。これが何よりも楽しい。とても美味しいのだ。この場合、プロジェクト単体で割りが多少よくなくてもよい。別件で挽回すれば言い訳だ。
一方で、旨味がない仕事とはどういう仕事か。例えば、既にある程度出来上がっていて、いや正確に言うと中途半端にできていて、とにかく、それを、そのまま使って完成させて欲しいという依頼だ。当然、出来ているものを流用する訳だから、工数も少なくて当然という流れになる。えてして、これは営業的にも旨味がない。
大抵このような事例では、その出来ていると称するものの出来が非常に悪い。大変なコストをかけて開発したにも関わらず、大半の費用はSIと称する連中の中間マージンに消費され、レベルの低いプログラマーが安月給でかいた最悪のコードがほとんどだ。結局、どうにもならなくなって逃げ出した後の後始末という話もよく聴く。当然のことながら、おどろおどろしい、読むのも苦痛な最悪最低のソースコードだ。こうなると、もう、構想を巡らす楽しみもない。ましてや、製品化の野望などまったく起こらない。
ただでさえ苦痛である上に、常にまるごと作り直したい衝動と戦わなければならない。なかなかストレスフルである。挙句、コードレビューだと言われた日にはたまらない。このクソコードを説明しろと言われても、説明できる訳がない。「ご質問頂きましても私には、なぜこうなっているか全く解かりません。なぜなら、このコードは私の創作ではないからです。」と大声で叫びたくなるだろう。
一部噂によると、最近は、コスト低減を狙って、中国などに作らせたが、結局、日本人の手で、それを何とかするという仕事が増えているそうだ。それなら、最初からまともなプログラマーに依頼した方が結局、出来栄えもコストの面でも、かえって良くなると思うのだが。
旨味がある美味しい仕事とは、0から自分で創ることができる仕事、構想を巡らし、創意工夫して、アーキティクチャーを考え、理想のコーディングをする。さらに依頼主の用途とは別の用途にも利用できる仕組みを盛り込み、製品化を虎視眈眈と狙うのである。これが何よりも楽しい。とても美味しいのだ。この場合、プロジェクト単体で割りが多少よくなくてもよい。別件で挽回すれば言い訳だ。
一方で、旨味がない仕事とはどういう仕事か。例えば、既にある程度出来上がっていて、いや正確に言うと中途半端にできていて、とにかく、それを、そのまま使って完成させて欲しいという依頼だ。当然、出来ているものを流用する訳だから、工数も少なくて当然という流れになる。えてして、これは営業的にも旨味がない。
大抵このような事例では、その出来ていると称するものの出来が非常に悪い。大変なコストをかけて開発したにも関わらず、大半の費用はSIと称する連中の中間マージンに消費され、レベルの低いプログラマーが安月給でかいた最悪のコードがほとんどだ。結局、どうにもならなくなって逃げ出した後の後始末という話もよく聴く。当然のことながら、おどろおどろしい、読むのも苦痛な最悪最低のソースコードだ。こうなると、もう、構想を巡らす楽しみもない。ましてや、製品化の野望などまったく起こらない。
ただでさえ苦痛である上に、常にまるごと作り直したい衝動と戦わなければならない。なかなかストレスフルである。挙句、コードレビューだと言われた日にはたまらない。このクソコードを説明しろと言われても、説明できる訳がない。「ご質問頂きましても私には、なぜこうなっているか全く解かりません。なぜなら、このコードは私の創作ではないからです。」と大声で叫びたくなるだろう。
一部噂によると、最近は、コスト低減を狙って、中国などに作らせたが、結局、日本人の手で、それを何とかするという仕事が増えているそうだ。それなら、最初からまともなプログラマーに依頼した方が結局、出来栄えもコストの面でも、かえって良くなると思うのだが。
February 14, 2009
空気・ムード・集団心理(2/2)
先にも書いたキーワードをもう一度、
集団心理
斉一性の原理
自薦の用心棒
同調現象
私自身も少々個性が強い方であるのか、上記キーワードに関連して周囲の人々と衝突することがよくある。しかしそれらは、理解ある仲間に支えられて、その都度、解決の努力もしながら、現実的な落とし所を模索しながらやっているので特に問題はない。ところが、それでは収まらない事がある。
我が妻は保育士である。いわゆる赤ちゃんから、小学校入学の手前の年長児まで一通りの経験を持ち、さらに、自ら子育ても経験し、親の気持ちもわかるようになっており、まさに保育士としては、本来であれば、理想的な状況である。そして、彼女は、保育士という職業に誇りを持ち、それが天職であると考えている。勿論、私自身も妻の職業を誇りに思っている。
ところが、この数年間、彼女は複数の職場で屈辱的な扱いを受け、最終的に最後の職場では、長期の「集団的ないじめ」にあい、パワーハラスメント、モラルハラスメントを受け、多大な精神的ダメージを受けた。その結果、昨年、自らの天職を失うこととなった。この事によって受けた心の傷は深く、再び保育業界に復帰したくても、現在の社会情勢(保育業界の酷い実態)と、彼女自身の心の傷によって、同じ業界に復帰することが難しく、新たな道を模索している。
詳しい話は長くなるので、ここではしないが、現在の保育業界は、単に保守的を通り越して、超保守的かつ悪慣習が幅を利かせ、一般企業では考えられないような閉鎖的な職場となっている。私はこの問題に遭遇して以来、これは、彼女が勤めた職場固有の問題かどうか、あるいは、彼女自身の性格の問題ではないかと疑問に思い、様々な人々から話を伺いながら、私なりに調べてみた。これは、そういう小さな問題ではなく、知る人ぞ知る全国的な、しかも、かなり深刻なアンダーグランドな問題であることを知った。当初、彼女がいじめにあった最後の職場に乗り込んで行き、保育所所長と古株職員を糾弾しようと考えていたが、事情はもっと深刻で、そのレベルではないと悟った。
では、具体的に、彼女が経験した職場で、何が起こっていたかと言うと、彼女自身の体験と、私が調査した様々な方々の話を総合すると、先に掲げたキーワード(集団心理、斉一性の原理、自薦の用心棒、同調現象)などのような状況が、まさに最悪な状況で混ざり合っている。典型的な日本の悪慣習の寄せ集め、極端な閉鎖的村社会の様である。このような職場で、長期において、正常な精神状態を維持するのは真に困難であると安易に想像できる。
最も深刻で、解決を困難にしているのは、職場全体が一種の病的な精神疾患ではないかと思われる事、そして加害者たちに罪の意識がないという事、さらにそれが、特定の職場の事情ではなく、日本全国、業界全体、保育園、幼稚園、共通して起こっている事である。
これは噂話の域ではあるが、最近、大学や専門学校では、学生が、保育園や幼稚園に実習に行くのを怖がっていると聞いていた。しかし、最近、ひょんなことから、今年大学を卒業するある女性から、衝撃的な話を聞いた。彼女は大学で、児童心理学を学び、かつ、実習も済ませたようで、保育士免許も取得見込みであるが、保育士にはなりたくないと言う。なぜかと聞くと、実際の保育園に実習に言ってみて、ここは大学を卒業して行く職場ではないと思ったそうである。つらい体験のようで、あまり詳しくは語らないが、何があったかは概ね想像がつく。人材育成の観点からもかなり深刻な状態であることは間違いない。
残念ながら、私自身の個人の力では、今直ぐにどうにかできる範囲を超えている。例えば、マスコミにリークするような行動を起こしたとしても、さらに状況が悪くなると判断している。とても悔しい事だが、少々時間の経過と、時代の流れを待つしかないだろう。まさに、空気とかムードに度が過ぎた日本人全体の問題の縮図のようである。
以下は、私が調べて、メール等で事情を聞いて回った1つの例だ。
職員質内いじめ
幼稚園、保育園と、職場は違うにもかかわらず、我が妻が受けた事と非常に良く似ているドキュメント。しかも、夫が怒り、行動を起こすところも非常によく似ている。この著者に方には実際にメールで情報交換を試みたが、この方は、本まで書いたにも関わらず、世間の関心は相変わらず薄く、せいぜい、奥様の虐め被害が、かろうじて、見かけ上防げているに過ぎないと言う。私には、問題の深刻さが改めて認識させられた。
他の人々にも聞いて回ったが、どうも、職員間の問題だけでなく、保育現場での幼児虐待までもが関連していて、さらに深い問題となっている。
集団心理
斉一性の原理
自薦の用心棒
同調現象
私自身も少々個性が強い方であるのか、上記キーワードに関連して周囲の人々と衝突することがよくある。しかしそれらは、理解ある仲間に支えられて、その都度、解決の努力もしながら、現実的な落とし所を模索しながらやっているので特に問題はない。ところが、それでは収まらない事がある。
我が妻は保育士である。いわゆる赤ちゃんから、小学校入学の手前の年長児まで一通りの経験を持ち、さらに、自ら子育ても経験し、親の気持ちもわかるようになっており、まさに保育士としては、本来であれば、理想的な状況である。そして、彼女は、保育士という職業に誇りを持ち、それが天職であると考えている。勿論、私自身も妻の職業を誇りに思っている。
ところが、この数年間、彼女は複数の職場で屈辱的な扱いを受け、最終的に最後の職場では、長期の「集団的ないじめ」にあい、パワーハラスメント、モラルハラスメントを受け、多大な精神的ダメージを受けた。その結果、昨年、自らの天職を失うこととなった。この事によって受けた心の傷は深く、再び保育業界に復帰したくても、現在の社会情勢(保育業界の酷い実態)と、彼女自身の心の傷によって、同じ業界に復帰することが難しく、新たな道を模索している。
詳しい話は長くなるので、ここではしないが、現在の保育業界は、単に保守的を通り越して、超保守的かつ悪慣習が幅を利かせ、一般企業では考えられないような閉鎖的な職場となっている。私はこの問題に遭遇して以来、これは、彼女が勤めた職場固有の問題かどうか、あるいは、彼女自身の性格の問題ではないかと疑問に思い、様々な人々から話を伺いながら、私なりに調べてみた。これは、そういう小さな問題ではなく、知る人ぞ知る全国的な、しかも、かなり深刻なアンダーグランドな問題であることを知った。当初、彼女がいじめにあった最後の職場に乗り込んで行き、保育所所長と古株職員を糾弾しようと考えていたが、事情はもっと深刻で、そのレベルではないと悟った。
では、具体的に、彼女が経験した職場で、何が起こっていたかと言うと、彼女自身の体験と、私が調査した様々な方々の話を総合すると、先に掲げたキーワード(集団心理、斉一性の原理、自薦の用心棒、同調現象)などのような状況が、まさに最悪な状況で混ざり合っている。典型的な日本の悪慣習の寄せ集め、極端な閉鎖的村社会の様である。このような職場で、長期において、正常な精神状態を維持するのは真に困難であると安易に想像できる。
最も深刻で、解決を困難にしているのは、職場全体が一種の病的な精神疾患ではないかと思われる事、そして加害者たちに罪の意識がないという事、さらにそれが、特定の職場の事情ではなく、日本全国、業界全体、保育園、幼稚園、共通して起こっている事である。
これは噂話の域ではあるが、最近、大学や専門学校では、学生が、保育園や幼稚園に実習に行くのを怖がっていると聞いていた。しかし、最近、ひょんなことから、今年大学を卒業するある女性から、衝撃的な話を聞いた。彼女は大学で、児童心理学を学び、かつ、実習も済ませたようで、保育士免許も取得見込みであるが、保育士にはなりたくないと言う。なぜかと聞くと、実際の保育園に実習に言ってみて、ここは大学を卒業して行く職場ではないと思ったそうである。つらい体験のようで、あまり詳しくは語らないが、何があったかは概ね想像がつく。人材育成の観点からもかなり深刻な状態であることは間違いない。
残念ながら、私自身の個人の力では、今直ぐにどうにかできる範囲を超えている。例えば、マスコミにリークするような行動を起こしたとしても、さらに状況が悪くなると判断している。とても悔しい事だが、少々時間の経過と、時代の流れを待つしかないだろう。まさに、空気とかムードに度が過ぎた日本人全体の問題の縮図のようである。
以下は、私が調べて、メール等で事情を聞いて回った1つの例だ。
職員質内いじめ
幼稚園、保育園と、職場は違うにもかかわらず、我が妻が受けた事と非常に良く似ているドキュメント。しかも、夫が怒り、行動を起こすところも非常によく似ている。この著者に方には実際にメールで情報交換を試みたが、この方は、本まで書いたにも関わらず、世間の関心は相変わらず薄く、せいぜい、奥様の虐め被害が、かろうじて、見かけ上防げているに過ぎないと言う。私には、問題の深刻さが改めて認識させられた。
他の人々にも聞いて回ったが、どうも、職員間の問題だけでなく、保育現場での幼児虐待までもが関連していて、さらに深い問題となっている。
空気・ムード・集団心理(1/2)
ひところ、KY(空気を読め、空気を読めない人)という言葉が流行った。日ごろからAKY(敢えて空気読まない)を自称する私などはよく周囲から、「空気を読め」とか、「相手の気持ちを考えた配慮が無い」などとよく批判される。
この空気という発想は我々日本人独自なものだろうか、最近よく話す機会の多い知り合いのインド人(彼は2年間日本に住んでいる)に、この空気の意味を、 read air とか、 air の深い意味は、mood だとか捕捉しながら説明を試みてみがた、意味は通じたものの、結局 Communication isseのひとつである程度にしか理解されなかった。
また、いつも通う英会話スクールのカナダ人講師(彼は5年間も日本に住んでいる)にも同じことを試みたが、概ね反応は同じであった。どうも良く言えば、日本人の研ぎ澄まされた感性、悪く言えば、神経質で必要以上に細かすぎる国民性ではないかと思う。(私には害の方が多いと思うが。)
どうも我々日本人は、自分自身の個をしかり持たず、集団のムードに流されやすい傾向が強いように思う。このことは以前のエントリー創造的破壊でも書いたが、このところの世界的な景気低迷によって、TV、新聞、インターネット等では、必要以上にネガティブなことばかり報道されており、皆そのムードに流れている。本当は良い話題があるにも関わらずだ。どうもステレオタイプが過ぎていて、派遣切りをする企業経営者は悪、派遣労働者は善良な罪なき人々で被害者的な発想が横行している。本来はそんな単純は話ではない。むしろ、双方の職業観に問題があったはずだ。
かつては、能力の高い人、低い人、努力する人、そうでない人、皆同じ会社員として、皆平等で、年功序列、同じことをしていれば、全てが旨くいく世の中であったが、それが全く問題がなかった訳ではない。むしろ、能力のある者、そして、それを自らの努力によって得た者、特に上昇志向の若者にとっては、その成果を無視され、皆平等に扱われ、挙句、能力の無い年長者からは、「若いうちの苦労は進んでやれ」などと勘違いの指導をされては、到底、納得のいかない事であったとこは事実である。
このところの世界的な景気低迷がきっかけとなって、今まで「うやむやにされていた」、あるいは、「うやむやにしていた」、自らの職業意識や、正社員・派遣社員といった働き方の意味や是非を、真っ向から一人一人に突きつけられている、というのが賢いとらえ方だと思う。
話を戻して、この空気・ムードから連想してくるのが以下のキーワードだ。
集団心理
斉一性の原理
自薦の用心棒
同調現象
などである。
特に 斉一性の原理「ウィキペディアの解説」にもある映画「十二人の怒れる男」は白黒映画で私も見たことがあるが、とある裁判において、12人の陪審員を勤めるごく普通の一般庶民が、有罪、無罪を検討するにあたって、彼らのムードが、一度有罪の傾向に流れると、皆こぞって有罪の原因を探し始める。そして、その中で一人、反対の無罪を主張する者が現れると、皆、急にイライラし始めて、皆で、その反対意見を封じ込めようと動きだす場面が展開されている。まさに見事に、斉一性の原理が表現されていると思った。結局この話は、疑わしきは罰せずという原理原則に落ち着くのであるが。
なぜ、このような話をするのかというと、勿論、先に書いた、ネガティブ報道に流されてて一喜一憂するもの集団心理のひうつかとは思うが、単に、評論的に言っているのではない。実際、私の最も身近なところで、非常に現実的なダメージを受けているからである。
この空気という発想は我々日本人独自なものだろうか、最近よく話す機会の多い知り合いのインド人(彼は2年間日本に住んでいる)に、この空気の意味を、 read air とか、 air の深い意味は、mood だとか捕捉しながら説明を試みてみがた、意味は通じたものの、結局 Communication isseのひとつである程度にしか理解されなかった。
また、いつも通う英会話スクールのカナダ人講師(彼は5年間も日本に住んでいる)にも同じことを試みたが、概ね反応は同じであった。どうも良く言えば、日本人の研ぎ澄まされた感性、悪く言えば、神経質で必要以上に細かすぎる国民性ではないかと思う。(私には害の方が多いと思うが。)
どうも我々日本人は、自分自身の個をしかり持たず、集団のムードに流されやすい傾向が強いように思う。このことは以前のエントリー創造的破壊でも書いたが、このところの世界的な景気低迷によって、TV、新聞、インターネット等では、必要以上にネガティブなことばかり報道されており、皆そのムードに流れている。本当は良い話題があるにも関わらずだ。どうもステレオタイプが過ぎていて、派遣切りをする企業経営者は悪、派遣労働者は善良な罪なき人々で被害者的な発想が横行している。本来はそんな単純は話ではない。むしろ、双方の職業観に問題があったはずだ。
かつては、能力の高い人、低い人、努力する人、そうでない人、皆同じ会社員として、皆平等で、年功序列、同じことをしていれば、全てが旨くいく世の中であったが、それが全く問題がなかった訳ではない。むしろ、能力のある者、そして、それを自らの努力によって得た者、特に上昇志向の若者にとっては、その成果を無視され、皆平等に扱われ、挙句、能力の無い年長者からは、「若いうちの苦労は進んでやれ」などと勘違いの指導をされては、到底、納得のいかない事であったとこは事実である。
このところの世界的な景気低迷がきっかけとなって、今まで「うやむやにされていた」、あるいは、「うやむやにしていた」、自らの職業意識や、正社員・派遣社員といった働き方の意味や是非を、真っ向から一人一人に突きつけられている、というのが賢いとらえ方だと思う。
話を戻して、この空気・ムードから連想してくるのが以下のキーワードだ。
集団心理
斉一性の原理
自薦の用心棒
同調現象
などである。
特に 斉一性の原理「ウィキペディアの解説」にもある映画「十二人の怒れる男」は白黒映画で私も見たことがあるが、とある裁判において、12人の陪審員を勤めるごく普通の一般庶民が、有罪、無罪を検討するにあたって、彼らのムードが、一度有罪の傾向に流れると、皆こぞって有罪の原因を探し始める。そして、その中で一人、反対の無罪を主張する者が現れると、皆、急にイライラし始めて、皆で、その反対意見を封じ込めようと動きだす場面が展開されている。まさに見事に、斉一性の原理が表現されていると思った。結局この話は、疑わしきは罰せずという原理原則に落ち着くのであるが。
なぜ、このような話をするのかというと、勿論、先に書いた、ネガティブ報道に流されてて一喜一憂するもの集団心理のひうつかとは思うが、単に、評論的に言っているのではない。実際、私の最も身近なところで、非常に現実的なダメージを受けているからである。
January 25, 2009
オバマ大統領就任演説
すこし遅れた話題だが、オバマ大統領就任演説の内容が英文と日本語訳で、先週木曜日の読売新聞朝刊に掲載されていた。後でその事を知り、慌てて古新聞の山の中から掘り起こして読んだ。
きっかけは、いつも通っている英会話スクールでクラスメイトの1りが、この新聞のコピーを持ってきたことである。これに関心した講師が、早速この話題を取り上げてその日の授業に使った。
英文原稿を読み上げたり、朗読したりしながら、それについて話をするわけだが、それぞれの単語の意味は理解できても、文章全体の意味がサッパリ判らない。私の貧弱な語学力では理解は困難なようだ。
後日、日本語訳を改めて読んだ。確かに元の英文原稿が感動的であることは何となく想像できる。30代のカナダ人講師が、なぜこの文章に感動し、少々興奮ぎみに話していたのか解かるような気がする。
さて、この演説内容について、ある経済の専門家が、具体的なものが何もなく失望したとか、オバマは演説だけは上手だとか、政治をファッションにしてはいけない、など、インターネットのニュースを読む限り、概ね評判は良くない。そもそも、評論家というのは、辛口な批判をすれば、さも自分が見識者であるかのような勘違いをしているろころがあるので、本当のところは何とも言えない。
私は経済の専門家ではないので、これらとは全く違う感想を持っている。確かに具体的なものはないが、これを読むと、アメリカは本当に再生するのではないかと信じたくなる。なぜか、それは、演説の多くに、アメリカを建国した彼らの先祖の苦しみや努力を労い、それに感謝し、今日の自分たちは、そうした先祖の努力と犠牲に上にあることを語っている。なぜ、この事がなぜ重要であるか、それは私の以前のエントリー「運命を左右するもの」を是非、読んで頂きたい。
この考えからすると、オバマ大統領は既に、彼らの先祖の協力を取り付けており、本人自身の努力を併せると、運命を動か力の半分は得ていることになる。だからこそ、多くの人々の共感を呼び、この演説に感動するのだろう。
究極の真理を言えば、世界の未来は人々の心が創るものである。だから、人々の心を動かすオバマ大統領は必ず成功するということになるのである。
きっかけは、いつも通っている英会話スクールでクラスメイトの1りが、この新聞のコピーを持ってきたことである。これに関心した講師が、早速この話題を取り上げてその日の授業に使った。
英文原稿を読み上げたり、朗読したりしながら、それについて話をするわけだが、それぞれの単語の意味は理解できても、文章全体の意味がサッパリ判らない。私の貧弱な語学力では理解は困難なようだ。
後日、日本語訳を改めて読んだ。確かに元の英文原稿が感動的であることは何となく想像できる。30代のカナダ人講師が、なぜこの文章に感動し、少々興奮ぎみに話していたのか解かるような気がする。
さて、この演説内容について、ある経済の専門家が、具体的なものが何もなく失望したとか、オバマは演説だけは上手だとか、政治をファッションにしてはいけない、など、インターネットのニュースを読む限り、概ね評判は良くない。そもそも、評論家というのは、辛口な批判をすれば、さも自分が見識者であるかのような勘違いをしているろころがあるので、本当のところは何とも言えない。
私は経済の専門家ではないので、これらとは全く違う感想を持っている。確かに具体的なものはないが、これを読むと、アメリカは本当に再生するのではないかと信じたくなる。なぜか、それは、演説の多くに、アメリカを建国した彼らの先祖の苦しみや努力を労い、それに感謝し、今日の自分たちは、そうした先祖の努力と犠牲に上にあることを語っている。なぜ、この事がなぜ重要であるか、それは私の以前のエントリー「運命を左右するもの」を是非、読んで頂きたい。
この考えからすると、オバマ大統領は既に、彼らの先祖の協力を取り付けており、本人自身の努力を併せると、運命を動か力の半分は得ていることになる。だからこそ、多くの人々の共感を呼び、この演説に感動するのだろう。
究極の真理を言えば、世界の未来は人々の心が創るものである。だから、人々の心を動かすオバマ大統領は必ず成功するということになるのである。
January 10, 2009
創造的破壊
このところ人員整理だの、工場停止だの、暗い話題が続いている。景気低迷のこの時期、マスコミはこぞって暗い話題ばかりを報道する。しかし、世の中そう単純ではなく、暗い話題もあれば、明るい話題もあるはずだ。しかし、明るい話題より暗い話題の方が大衆受けするものだから、そちらばかりが報道されるのだ。この辺りの事情をきちんと理解しておかないと、世の中の過剰な風潮に流されて、意味なく否定的な気分にさせられてしまう。
それでも、きちんと物事を考えている人々は必ずいるもので、このところ、「不況こそはチャンス」という言葉が目立つ。全くその通りだ。なぜかというと、こういう時期は多くの人々が否定的な考えに心が支配されていて、勢い視野もせまくなっている。経費節減だの消極的な方法ばかりに走りがちだ。これは逆に考えると、まさにこの時期に、皆が考えない全く別の、全く逆の発想やアイデア、あるいは、考えてはいるものの躊躇して実行に移せないでいるアイデアを実行してしまえば、競争相手も少ないに違いない。これが余裕のある時期だと、競争相手も多くて、なかなかできないものではないだろうか。
さらに、ビック3救済議論に絡めて、「創造的破壊」という言葉もよく聞くようになった。証券会社の人たちは声を揃えて、絶対に救済しないといけないと言うが、本当は、創造的破壊の法が正しい選択であると思う。事実、多くのアメリカ国民はこの考えに賛成のようで、そう簡単に税金を使うことを許さない。
そもそも企業とは、会社とは、何がしかの使命や目的を携えて誕生するものだ。たとえば、新しいサービスを実現するとか、画期的な製品を開発して世に広める、などである。そして、その使命が終わった時、潔く解散し、また新しく誕生する企業に主役が移るのが理想だ。当然、解散したところで働いていた者が新しい企業に移って、新規一転というケースもあるだろう。これが健全な社会の新陳代謝だとも言われる。
一方、日本では、特に中小企業の社長などを相手にする経営コンサルタントの方々は、「経営は継栄なり」、とか、「会社は永遠に存続するもの」、など、全くもって私には理解できないことを、経営指導と称して、かつてよく話していた。事実、私もかつて勤めていた会社でよく聞かされた。でも、結局、その会社も倒産した訳で、私が考えていた疑問は決して間違ってはいなかったと、今にして思う。
どうも日本ではこの考えが主流で、とにかく存続する事ばかり考えている。本来は使命が終わっているはずの会社が、死に絶え企業として生き残っている。これが、日本の景気回復、社会の健全な新陳代謝を邪魔している諸悪の根源だ。まさに、創造的破壊が必要なのは、ビッグ3だけではなく、多くの日本の老舗大企業だろう。単純に規模が大きくなれば、それでいいというものではない。いくら会社が存続したとしても、そこで働く人々が仕事の喜びを味わうことができない不幸な境遇になっていては、全く意味がない。個人が幸せになってこそ、会社の意味がある。会社など、所詮は器にしか過ぎない。個人が幸せになるための道具でしかないのだ。
従業員を大量解雇して、一部の経営陣だけが生き残るのなら、いっそのこと全部潰して、新しい考えをもった同士が再び結集して、新しき企業をスタートアップさせるべきた。トヨタのように、したたかに生き残ったところで、一体誰が幸せになるというのだ。喜ぶのは創業家一族だけだ。景気の良いときに散々、労働者や名古屋の人々を支配しておいて、コスト削減と称して、労働搾取をしておいて、都合が悪くなれば切り捨てて、生き残りを考える。しかも、膨大な宣伝広告費に物を言わせて、自社に都合の悪いことは一切マスコミに報道させないなど、言論の自由さえ脅かされている状況に、日本国民はもっと危機感を覚えるべきだろう。大企業が順調であれば良いというものではない。自動車が売れないのなら、さっさと、全部ぶっ壊して、再編した方がよいのではないかと、過激に思うのである。そもそも自動車産業では、企業が固定化されていて、新陳代謝がないこと自体、全くもって不自然なのである。もしかしたら、ここで、ジャラジャラと牌を崩せば、魅力的な車を作る新しき自動車会社が誕生できるかもしれない。ビッグ3の破綻はそういうことを考えさせる良い機会だと思うのである。
時間はかかるかもしれないが、何だかんだといっても、アメリカはこの危機を乗り越え、新しい革新がまた起るだろう。しかし代謝の悪い日本は、また取り残されて、いつまでもダラダラと不況を続けるような気がする。だが創造的破壊をすれば、そうはならないと思うのだが。
それでも、きちんと物事を考えている人々は必ずいるもので、このところ、「不況こそはチャンス」という言葉が目立つ。全くその通りだ。なぜかというと、こういう時期は多くの人々が否定的な考えに心が支配されていて、勢い視野もせまくなっている。経費節減だの消極的な方法ばかりに走りがちだ。これは逆に考えると、まさにこの時期に、皆が考えない全く別の、全く逆の発想やアイデア、あるいは、考えてはいるものの躊躇して実行に移せないでいるアイデアを実行してしまえば、競争相手も少ないに違いない。これが余裕のある時期だと、競争相手も多くて、なかなかできないものではないだろうか。
さらに、ビック3救済議論に絡めて、「創造的破壊」という言葉もよく聞くようになった。証券会社の人たちは声を揃えて、絶対に救済しないといけないと言うが、本当は、創造的破壊の法が正しい選択であると思う。事実、多くのアメリカ国民はこの考えに賛成のようで、そう簡単に税金を使うことを許さない。
そもそも企業とは、会社とは、何がしかの使命や目的を携えて誕生するものだ。たとえば、新しいサービスを実現するとか、画期的な製品を開発して世に広める、などである。そして、その使命が終わった時、潔く解散し、また新しく誕生する企業に主役が移るのが理想だ。当然、解散したところで働いていた者が新しい企業に移って、新規一転というケースもあるだろう。これが健全な社会の新陳代謝だとも言われる。
一方、日本では、特に中小企業の社長などを相手にする経営コンサルタントの方々は、「経営は継栄なり」、とか、「会社は永遠に存続するもの」、など、全くもって私には理解できないことを、経営指導と称して、かつてよく話していた。事実、私もかつて勤めていた会社でよく聞かされた。でも、結局、その会社も倒産した訳で、私が考えていた疑問は決して間違ってはいなかったと、今にして思う。
どうも日本ではこの考えが主流で、とにかく存続する事ばかり考えている。本来は使命が終わっているはずの会社が、死に絶え企業として生き残っている。これが、日本の景気回復、社会の健全な新陳代謝を邪魔している諸悪の根源だ。まさに、創造的破壊が必要なのは、ビッグ3だけではなく、多くの日本の老舗大企業だろう。単純に規模が大きくなれば、それでいいというものではない。いくら会社が存続したとしても、そこで働く人々が仕事の喜びを味わうことができない不幸な境遇になっていては、全く意味がない。個人が幸せになってこそ、会社の意味がある。会社など、所詮は器にしか過ぎない。個人が幸せになるための道具でしかないのだ。
従業員を大量解雇して、一部の経営陣だけが生き残るのなら、いっそのこと全部潰して、新しい考えをもった同士が再び結集して、新しき企業をスタートアップさせるべきた。トヨタのように、したたかに生き残ったところで、一体誰が幸せになるというのだ。喜ぶのは創業家一族だけだ。景気の良いときに散々、労働者や名古屋の人々を支配しておいて、コスト削減と称して、労働搾取をしておいて、都合が悪くなれば切り捨てて、生き残りを考える。しかも、膨大な宣伝広告費に物を言わせて、自社に都合の悪いことは一切マスコミに報道させないなど、言論の自由さえ脅かされている状況に、日本国民はもっと危機感を覚えるべきだろう。大企業が順調であれば良いというものではない。自動車が売れないのなら、さっさと、全部ぶっ壊して、再編した方がよいのではないかと、過激に思うのである。そもそも自動車産業では、企業が固定化されていて、新陳代謝がないこと自体、全くもって不自然なのである。もしかしたら、ここで、ジャラジャラと牌を崩せば、魅力的な車を作る新しき自動車会社が誕生できるかもしれない。ビッグ3の破綻はそういうことを考えさせる良い機会だと思うのである。
時間はかかるかもしれないが、何だかんだといっても、アメリカはこの危機を乗り越え、新しい革新がまた起るだろう。しかし代謝の悪い日本は、また取り残されて、いつまでもダラダラと不況を続けるような気がする。だが創造的破壊をすれば、そうはならないと思うのだが。
September 06, 2008
TANSU MATRIX
ずいぶんと昔、友人から、Logic,Venus,東方快車 なるレコードを借りて聴いたことがあります。なので、つい、TANSU MATRIXを買ってしまいました。
LOGIC SYSTEM
しかし、TANSU(Moogシンセサイザー)というのは本当にインパクトがありますね。何ともいえぬ、魅了するものがあります。不思議な魅力があります。
【Report】HidekiMatsutake Private Studio
昔懐かしく思い、youtubeで、YMOのライブを見てみたら、あるは、あるは、ちゃんとステージの真ん中の後ろに鎮座している。そして、そこには、とても目立たないのですが、ちゃんと、松武さんがいる。改めてそういう目でみると、今更ながらちょっと違った人生劇が見えてくるのに驚きました。
しかし、このTANSU(Moogシンセサイザー)をよく毎回ステージまで運び、組み立てていたのには関心させられます。未だに壊れないというから本当にすごい。私にはよく解らないが、アナログシンセには、デジタルにはない魅力があるそうです。
LOGIC SYSTEM
しかし、TANSU(Moogシンセサイザー)というのは本当にインパクトがありますね。何ともいえぬ、魅了するものがあります。不思議な魅力があります。
【Report】HidekiMatsutake Private Studio
昔懐かしく思い、youtubeで、YMOのライブを見てみたら、あるは、あるは、ちゃんとステージの真ん中の後ろに鎮座している。そして、そこには、とても目立たないのですが、ちゃんと、松武さんがいる。改めてそういう目でみると、今更ながらちょっと違った人生劇が見えてくるのに驚きました。
しかし、このTANSU(Moogシンセサイザー)をよく毎回ステージまで運び、組み立てていたのには関心させられます。未だに壊れないというから本当にすごい。私にはよく解らないが、アナログシンセには、デジタルにはない魅力があるそうです。
May 31, 2008
2極モーターと電子ブロックの思い出
私がコンピューター業界に入ったのは、おそらく電子工作に興味を持ったせいだろう。
最初の切っ掛けは、小学校の2年生か3年生の頃に、父親に買ってもらった2極モーターが始まりだ。どういう物だったか今では記憶が定かではないが、おそらく、こんなものだったと思う。
http://www.kagakukyozaisha.co.jp/hbase/d2moter.html
父と一緒に、エナメル線の先を紙やすりではがしたり、コイル状に巻いたりした思い出がある。
父の子供の頃の思い出話しで、神社(地元和歌山県では、「お宮さん」という)の屋根の銅板をペンチではがしで、モーターを作ったというから、親子して、そういう傾向があったのだろう。
因みにその事が、後に大人たちにばれて、駐在さんにコッテリ絞られたそうだ。
その後、小学校4年生ごろだったか、町の模型店(アサヒヤ)の店頭で見つけたのが、電子ブロックだ。初めて見た時、強烈な興味を抱き、陳列されているそれに1時間ぐらい見入っていたと思う。欲しい、欲しいと思いつつも、いきなりは買えない。さらにその後、お小遣いや、お年玉を貯めて、やっとこ買えたのは、あの復刻版で有名なEXシリーズだ。だが欲しかった物とはちょっと違う。
大人になってから思い返して見ると、やはり、最初に見て、釘付けになった電子ブロックというのは、どうもEXシリーズではない。EXシリーズは、緑色系のものだが、最初に見たのは、水色だったと記憶している。
それがずっと疑問になっていたが、最近になってやっと解った。そう、私が欲しかった電子ブロックは、これなのだ。
http://www.denshiblock.co.jp/toy2_3.html
そうそう、本当はこれが欲しかったのだ。今になって、当時の感動が蘇ってきた。
結局、私が買ったのは、これ。
http://www.denshiblock.co.jp/toy4_1.html
この説明書の表紙も、なんとも、懐かしい。
http://www.denshiblock.co.jp/toy4_2.html
因みに、私は、「電子ブロック友の会」なるものに入会して、「電子ブロックニュース」なるものを読んでいた。
http://www.denshiblock.co.jp/toy1_7.html
時に、バイアス抵抗無しで、トランジスターを結線したら、どうなるだろうとむしょうに興味が沸き、やってみると、「パンッ!」という轟音とともに、トランジスターが見事、マップタツに割れた。そして、なんか臭い匂い。
それで、その事を手紙に書いて、交換パーツを、友の会にお願いしたことろ、後丁寧に、なぜそうなったか、長々と説明入りの返信を頂き、感動したことを思いだす。
私も知らなかったのだが、電子ブロックはそもそも、学研が考えたものではなかったんだね。
http://www.denshiblock.co.jp/
おそらく、手紙の返事をくれたのは、学研の人ではなく、この会社の人だったのかもしれない。屹度、今はお爺さんでしょう。遅まきながら、ありがとうございます。
この電子ブロック、私の人生を大きく変えたものの一つであるに違いない。非常に価値ある玩具といえるのではないだろうか。教育的にも素晴らしい。
最初の切っ掛けは、小学校の2年生か3年生の頃に、父親に買ってもらった2極モーターが始まりだ。どういう物だったか今では記憶が定かではないが、おそらく、こんなものだったと思う。
http://www.kagakukyozaisha.co.jp/hbase/d2moter.html
父と一緒に、エナメル線の先を紙やすりではがしたり、コイル状に巻いたりした思い出がある。
父の子供の頃の思い出話しで、神社(地元和歌山県では、「お宮さん」という)の屋根の銅板をペンチではがしで、モーターを作ったというから、親子して、そういう傾向があったのだろう。
因みにその事が、後に大人たちにばれて、駐在さんにコッテリ絞られたそうだ。
その後、小学校4年生ごろだったか、町の模型店(アサヒヤ)の店頭で見つけたのが、電子ブロックだ。初めて見た時、強烈な興味を抱き、陳列されているそれに1時間ぐらい見入っていたと思う。欲しい、欲しいと思いつつも、いきなりは買えない。さらにその後、お小遣いや、お年玉を貯めて、やっとこ買えたのは、あの復刻版で有名なEXシリーズだ。だが欲しかった物とはちょっと違う。
大人になってから思い返して見ると、やはり、最初に見て、釘付けになった電子ブロックというのは、どうもEXシリーズではない。EXシリーズは、緑色系のものだが、最初に見たのは、水色だったと記憶している。
それがずっと疑問になっていたが、最近になってやっと解った。そう、私が欲しかった電子ブロックは、これなのだ。
http://www.denshiblock.co.jp/toy2_3.html
そうそう、本当はこれが欲しかったのだ。今になって、当時の感動が蘇ってきた。
結局、私が買ったのは、これ。
http://www.denshiblock.co.jp/toy4_1.html
この説明書の表紙も、なんとも、懐かしい。
http://www.denshiblock.co.jp/toy4_2.html
因みに、私は、「電子ブロック友の会」なるものに入会して、「電子ブロックニュース」なるものを読んでいた。
http://www.denshiblock.co.jp/toy1_7.html
時に、バイアス抵抗無しで、トランジスターを結線したら、どうなるだろうとむしょうに興味が沸き、やってみると、「パンッ!」という轟音とともに、トランジスターが見事、マップタツに割れた。そして、なんか臭い匂い。
それで、その事を手紙に書いて、交換パーツを、友の会にお願いしたことろ、後丁寧に、なぜそうなったか、長々と説明入りの返信を頂き、感動したことを思いだす。
私も知らなかったのだが、電子ブロックはそもそも、学研が考えたものではなかったんだね。
http://www.denshiblock.co.jp/
おそらく、手紙の返事をくれたのは、学研の人ではなく、この会社の人だったのかもしれない。屹度、今はお爺さんでしょう。遅まきながら、ありがとうございます。
この電子ブロック、私の人生を大きく変えたものの一つであるに違いない。非常に価値ある玩具といえるのではないだろうか。教育的にも素晴らしい。
May 10, 2008
パンダ貸与
に抗議続々 対応に頭痛める「東京都」
ギョザーを無かったことにするのか?
チベット問題をうやむやにするのか?
東京都民を馬鹿にしているのか?
日本国民を馬鹿にしているのか?
1年間に1億円?、それだけあれば、できることが沢山あるぞ!
日本の代表は一体何をしているんだ。
ギョザーを無かったことにするのか?
チベット問題をうやむやにするのか?
東京都民を馬鹿にしているのか?
日本国民を馬鹿にしているのか?
1年間に1億円?、それだけあれば、できることが沢山あるぞ!
日本の代表は一体何をしているんだ。
May 07, 2008
DAVID RAMSAY
DAVID RAMSAY(デイビット・ラムゼィ)
いやー、本当に素晴らしい、これこそがエンターテーメント、エンターティナーだ。最近、子供たちが見ているTV番組が本当にレベルが低いと常々感じていただけに、なんという落差、さまに感動でした。
連休中に、千葉の船橋にある、アンデルセン公園に行って来た。ここは我が家のお気に入りで、ほぼ毎年、この時期に行っている。リピーターになりたくなる数少ない場所だ。
それで、今年も、いつものように、まず、ワークショップで、工作に励み、終わって、野外劇場に行った訳だが、そこで、何やら、マジック・ショーをやっている。
入場料もなく、無料で見られる。何気に、子供たちと観始めたのだが、これが、面白い、素晴らしい、感動物なのだ。
ショーは、マジック、バルーン(風船)、ジャグリングを組み合わせてもので、さらに、ユーモアたっぷり、笑いあり、驚きありで、観客を楽しませてくれる。子供たちがあんなに活き活きした目で見入っているのは、本当に珍しい。これは、私自身も感動したし、教育的にも素晴らしいと感じた。
最後に、バルーンと、宣伝用のDVDを、千円で販売しますと来たので、早速、子供たちに千円を持たせた。一見すると、無料で観ていたのに、なんだ商売か?という人のいるが、この素晴らしいマジックショーがたったの千円に見れたと思えば、本当にリーズナブルだ。
David 曰く、このDVDを、色んな人に見せてください。学校のお祭り、結婚式の余興、なんでもやりますとの事、いやいや、そんなのには、本当にもったいない。こういう人を、私は応援したい。
もうひとつ、感じた事は、やはり、生のステージでしか味わえない感動があるなと、NHKにも出演した事があるようだが、TV番組になったら、魅力が少し減るかも。やはり、観客と一体になれる、生のステージでしょう。
余談だが、最近のTVは本当にレベルが低い、業界の裏話で盛り上がられてもなにも面白くない。ましてや、芸能人のカラオケを見せるなって、ほとんど視聴者をバカにしている。エンターティメントのカケラもない。最低だ。
いやー、本当に素晴らしい、これこそがエンターテーメント、エンターティナーだ。最近、子供たちが見ているTV番組が本当にレベルが低いと常々感じていただけに、なんという落差、さまに感動でした。
連休中に、千葉の船橋にある、アンデルセン公園に行って来た。ここは我が家のお気に入りで、ほぼ毎年、この時期に行っている。リピーターになりたくなる数少ない場所だ。
それで、今年も、いつものように、まず、ワークショップで、工作に励み、終わって、野外劇場に行った訳だが、そこで、何やら、マジック・ショーをやっている。
入場料もなく、無料で見られる。何気に、子供たちと観始めたのだが、これが、面白い、素晴らしい、感動物なのだ。
ショーは、マジック、バルーン(風船)、ジャグリングを組み合わせてもので、さらに、ユーモアたっぷり、笑いあり、驚きありで、観客を楽しませてくれる。子供たちがあんなに活き活きした目で見入っているのは、本当に珍しい。これは、私自身も感動したし、教育的にも素晴らしいと感じた。
最後に、バルーンと、宣伝用のDVDを、千円で販売しますと来たので、早速、子供たちに千円を持たせた。一見すると、無料で観ていたのに、なんだ商売か?という人のいるが、この素晴らしいマジックショーがたったの千円に見れたと思えば、本当にリーズナブルだ。
David 曰く、このDVDを、色んな人に見せてください。学校のお祭り、結婚式の余興、なんでもやりますとの事、いやいや、そんなのには、本当にもったいない。こういう人を、私は応援したい。
もうひとつ、感じた事は、やはり、生のステージでしか味わえない感動があるなと、NHKにも出演した事があるようだが、TV番組になったら、魅力が少し減るかも。やはり、観客と一体になれる、生のステージでしょう。
余談だが、最近のTVは本当にレベルが低い、業界の裏話で盛り上がられてもなにも面白くない。ましてや、芸能人のカラオケを見せるなって、ほとんど視聴者をバカにしている。エンターティメントのカケラもない。最低だ。
April 16, 2008
保護者会
今日は、わが子供たちの通う小学校へ行った。保護者会だ。
父親が学校に来るというのは非情にまれなケースで、案の定、いつもの通り、今日も、男は私、だだ一人。
しかしまぁ、お母様方というのは、よくしゃべる。ペチャクチャ、ペチャクチャ、ペチャクチャ、・・・、そんなに話すことがあるのかと。
大体からして、たかだか30分程度の校長先生の話を、なぜ、黙って聞けん。ぜんぜん話が聞こえんだろうが。そもそも、校長先生に対して、失礼である。親がこんなんでは、子供の教育もクソもないだろう。
毎回、いい加減に呆れて、言葉も出ない。
レベル、低くすぎ。
傑作なのが、保護者に宛てた、「お願い」と称するプリント、
1.参観日の私語はご遠慮ください。子供たちが授業に集中できません。
2.廊下での携帯電話はご遠慮ください。
小さい字で、授業妨害と書いてある。先生方の気持ちの表れか?、さすがに、校長先生、この部分だけ、読み飛ばした。
言ってやれ!、言ってやれ!
あー、保護者の一人として、恥ずかしい。情けない。
父親が学校に来るというのは非情にまれなケースで、案の定、いつもの通り、今日も、男は私、だだ一人。
しかしまぁ、お母様方というのは、よくしゃべる。ペチャクチャ、ペチャクチャ、ペチャクチャ、・・・、そんなに話すことがあるのかと。
大体からして、たかだか30分程度の校長先生の話を、なぜ、黙って聞けん。ぜんぜん話が聞こえんだろうが。そもそも、校長先生に対して、失礼である。親がこんなんでは、子供の教育もクソもないだろう。
毎回、いい加減に呆れて、言葉も出ない。
レベル、低くすぎ。
傑作なのが、保護者に宛てた、「お願い」と称するプリント、
1.参観日の私語はご遠慮ください。子供たちが授業に集中できません。
2.廊下での携帯電話はご遠慮ください。
小さい字で、授業妨害と書いてある。先生方の気持ちの表れか?、さすがに、校長先生、この部分だけ、読み飛ばした。
言ってやれ!、言ってやれ!
あー、保護者の一人として、恥ずかしい。情けない。
しまじろう
といえば、子を持つ親であればだれでも知っているベネッセのヒット・キャラクターである。テレビでもお馴染みだが主に、「こどもチャレンジ」の付録ビデオや絵本に登場する。その目的は幼児教育である。
おそらく、皆さんも気づいているかと思うが、この「しまじろう」に出てくる物語、「何かちょっと変だぞ、それって、違うんじゃないの?」と思うことがたくさんある。
最も判り易いのが、1つのオモチャを何人かで取り合う場面、まず最初に、オモチャの取り合いから喧嘩になるところから始まる。
そこに「しかこ先生」が登場し、子供たちに、色々と話しかける。そして、お馴染みの流れは、「あなたがこれで遊びたいと思うように、他の子もそう思うのよ」とか「だめ!」って言われたら、どんな気持ちがする?という展開に持ち込み、最後には、半ば強制的に、「かしてね!」、「いいよ!」、「ありがとう」という具合になる。
これでは、まるで、昔、関西地方で流行った、ギャクだ。
「ごめんください!」、玄関をまたいで振り返って、
「どちら様ですか」、また、振り返って、
「まるまるのしかじかです。」、また、振り返って、
「どうぞ、お入りください。」、また、振り返って、
「ありがとう」、そして、勝手に上がりこむ。
を、一人で展開するやつ。
さて、これを見たお母様方が、また版を押したように、こどもたちに、この展開を迫るのだから、全くもってしょうがない。
そもそも、そのオモチャ、使いたいと思っていたところを、最初だれかが使っていて、飽きて、手間す瞬間を待ちわびて、やっと手にしたものかもしれない。
あるいは、もともと、誰も興味をしめさなかったのに、自分が楽しそうに遊んでいるのを見て、急に、取り合いになったのかもしれない。事情は様々だ。
だいたいからして、嫌なものは嫌、これはもう理屈ではない。そう簡単に手放したくないに決まっている。
なにが言いたいかと言うと、あまりにも通り一遍のルールの強制である。これは、「かしてね!」といわれれば、「いいよ!」と必ず言わなければならない。言われた方は、絶対納得できない。
このルールを覚えると、逆に自分の欲しいものは、「かしてね!」というと、絶対に得られるという歪んだものの考え方をするようになる。子供は、賢いから、早速このルールを悪用するという訳だ。全くもって、大人の自己満足でしかない。
遊びのルールは子供たちの方が一番よく知っている。異なる年齢の子供たちがまざって遊ぶと、大きい子が、時には、公平に、時には、不公平に、実に色んなルールを考えだすものだ。そこで、人との関わりを覚えていく。公平とか不公平も同時に体験できる訳だ。
どもう、こういうプロセスを得ないで大人になると、常に、周囲は、自分を平等に扱ってくれるべき、などという甘えた考えをもつようになってしまうものだ。
最近目立つ、ステレオ・タイプ社会の原因かもしれない。
おそらく、皆さんも気づいているかと思うが、この「しまじろう」に出てくる物語、「何かちょっと変だぞ、それって、違うんじゃないの?」と思うことがたくさんある。
最も判り易いのが、1つのオモチャを何人かで取り合う場面、まず最初に、オモチャの取り合いから喧嘩になるところから始まる。
そこに「しかこ先生」が登場し、子供たちに、色々と話しかける。そして、お馴染みの流れは、「あなたがこれで遊びたいと思うように、他の子もそう思うのよ」とか「だめ!」って言われたら、どんな気持ちがする?という展開に持ち込み、最後には、半ば強制的に、「かしてね!」、「いいよ!」、「ありがとう」という具合になる。
これでは、まるで、昔、関西地方で流行った、ギャクだ。
「ごめんください!」、玄関をまたいで振り返って、
「どちら様ですか」、また、振り返って、
「まるまるのしかじかです。」、また、振り返って、
「どうぞ、お入りください。」、また、振り返って、
「ありがとう」、そして、勝手に上がりこむ。
を、一人で展開するやつ。
さて、これを見たお母様方が、また版を押したように、こどもたちに、この展開を迫るのだから、全くもってしょうがない。
そもそも、そのオモチャ、使いたいと思っていたところを、最初だれかが使っていて、飽きて、手間す瞬間を待ちわびて、やっと手にしたものかもしれない。
あるいは、もともと、誰も興味をしめさなかったのに、自分が楽しそうに遊んでいるのを見て、急に、取り合いになったのかもしれない。事情は様々だ。
だいたいからして、嫌なものは嫌、これはもう理屈ではない。そう簡単に手放したくないに決まっている。
なにが言いたいかと言うと、あまりにも通り一遍のルールの強制である。これは、「かしてね!」といわれれば、「いいよ!」と必ず言わなければならない。言われた方は、絶対納得できない。
このルールを覚えると、逆に自分の欲しいものは、「かしてね!」というと、絶対に得られるという歪んだものの考え方をするようになる。子供は、賢いから、早速このルールを悪用するという訳だ。全くもって、大人の自己満足でしかない。
遊びのルールは子供たちの方が一番よく知っている。異なる年齢の子供たちがまざって遊ぶと、大きい子が、時には、公平に、時には、不公平に、実に色んなルールを考えだすものだ。そこで、人との関わりを覚えていく。公平とか不公平も同時に体験できる訳だ。
どもう、こういうプロセスを得ないで大人になると、常に、周囲は、自分を平等に扱ってくれるべき、などという甘えた考えをもつようになってしまうものだ。
最近目立つ、ステレオ・タイプ社会の原因かもしれない。
April 12, 2008
聖火リレーのランナー
日本では、誰が走るかしりませんが、この時期、この状況で
走るのは、人間としての見識、デリカシーのなさが疑われます。
皆さん、だれが走ったか、決して忘れてはなりません。
それが、たとえ卓球のなんとかチャンでも、納得できません。
彼女も、もう大人になったはず。社会人として、人間として
きちんと判断すべきです。
走るのは、人間としての見識、デリカシーのなさが疑われます。
皆さん、だれが走ったか、決して忘れてはなりません。
それが、たとえ卓球のなんとかチャンでも、納得できません。
彼女も、もう大人になったはず。社会人として、人間として
きちんと判断すべきです。
April 08, 2008
Windows 7
April 06, 2008
.NET Micro Framework
.NET Micro Framework のトレーニング・セミナーに参加してきた。
以前からこれには興味があったのだが、そもそも情報がない。英文の書籍も途中まで読みかけで、ほたらかし。そこへきてこのセミナーの話があったので、早速参加した。なんと、登録番号 001。
この.NET Micro Frameworkというもの、メモリー資源もCPUパワーも限られている小さなデバイスの、OSレスな環境で、C#をサポートして、いわゆるマネージド・コードで、デバイス制御プログラミング環境を実現するというもの。実装実績のサンプルとして、腕時計のようなものがあるらしい。
午前のセッションでは、概要や、アーキティクチャについてのレクチャーがあった。講師が英語で話し、それを、同時通訳者が、マイクで即通訳。一見便利そうだが、これが意外と疲れる。まず、英語を聞いて、それから、日本語訳が流れる、とうパターンの繰り返し。
長時間やっていると、そのうち、英語だけである程度理解できるようになってくるので、どうも折角の訳がうっとうしくなってくる。勿論、翻訳は素晴らしいものなのだが。ちょっとワガママな感想かもしれない。
午後のセッションの前半は、ひたすら、SDKを使った C# プログラミングの説明、別に興味がないわけではないが、もう、眠くて、眠くて、講師には失礼と思いつつも、コックリ、コックリ。食後ということもあるだろう。
因みに、このSDKは、WEBから無料でダウンロードできる。
そて、コヒーを飲んで、一息、後半は、プラットフォームと、ポーティングの話になった。マッテマシタ!。実は私はこれが聞きたかったのだ。これでやっと目が覚める。
デバイスドライバー開発やOSのポーティングを専業とする私の狙いは、当然、アプリケーション開発ではなく、ポーティング・ビジネスだ。
しかし、講師が、男性から女性に変わり、本人が緊張しているせいか、やたらと早口の英語になった。聞き慣れるまで、少々時間がかかる。
しかも、分の悪いことに、開口一番ライセンスの話、SDKは無料でダウンロードできるのに、ポーティング・キットは、契約が必要で、$2,500 だという。しかも、その女性の英語が早口で、まくしたてる様で、なんだか、高圧的、私は急に気分が悪くなった。
しかしながら、何とか我慢して聴いて、だいたい理解できた。
真っ先の疑問はライセンス。Windows CEより小さなデバイスをターゲットとしている訳だから、当然、製品単価も安くなるはず、であれば、ライセンスも CE より大幅に安くないといけないはず。だが、その質問に及ぶと、急に、険しい表情になり、その額は、 CE の 3分の2程度だという。ハッキリ言って高すぎる。これでは、魅力がない。
次の疑問は、ポーティングにあった。どうも、現在の版は、ARMのみのサポート。この場合、ポーティングキットを購入して、個々のデバイスにポーティングすると、3ヶ月程度だという。それはよいにしても、他のCPUにポーティングする場合は、さらなるMSのサポートが必要という。
私の懸念は、HAL(Hardware Abstraction Layer)の中にARM依存コードがあふれているのではないか?、というもの。是非とも質問しようと思ったが、その前に、何やら技術的な質問が続出、講師の女性もツッコミ入れられまくり、もう泣きそう。何だか早く終わらせいたムードになっている様である。同業者として、少し可愛そうになったので、結局、この質問は諦める事とした。
その事をあとで仲間に話したら、それは、探りを入れるようで、かなりイヤミな質問じゃないかと言われ、ガックリ。
彼いわく、コンセプトやビジネス・モデルが見えない、今のものは、技術的にも中途半端で、どういう魅力で売り込めるかというものが見えないと、たいそう不満気味。
結局、さまざまな懸念、疑問を残したまま、なんともスッキリしない、やたらと疲れた一日であった。
.NET Micro Framework
.NET Micro Framework(はてな)
参考 .NET Framework(ウイキペデア)
以前からこれには興味があったのだが、そもそも情報がない。英文の書籍も途中まで読みかけで、ほたらかし。そこへきてこのセミナーの話があったので、早速参加した。なんと、登録番号 001。
この.NET Micro Frameworkというもの、メモリー資源もCPUパワーも限られている小さなデバイスの、OSレスな環境で、C#をサポートして、いわゆるマネージド・コードで、デバイス制御プログラミング環境を実現するというもの。実装実績のサンプルとして、腕時計のようなものがあるらしい。
午前のセッションでは、概要や、アーキティクチャについてのレクチャーがあった。講師が英語で話し、それを、同時通訳者が、マイクで即通訳。一見便利そうだが、これが意外と疲れる。まず、英語を聞いて、それから、日本語訳が流れる、とうパターンの繰り返し。
長時間やっていると、そのうち、英語だけである程度理解できるようになってくるので、どうも折角の訳がうっとうしくなってくる。勿論、翻訳は素晴らしいものなのだが。ちょっとワガママな感想かもしれない。
午後のセッションの前半は、ひたすら、SDKを使った C# プログラミングの説明、別に興味がないわけではないが、もう、眠くて、眠くて、講師には失礼と思いつつも、コックリ、コックリ。食後ということもあるだろう。
因みに、このSDKは、WEBから無料でダウンロードできる。
そて、コヒーを飲んで、一息、後半は、プラットフォームと、ポーティングの話になった。マッテマシタ!。実は私はこれが聞きたかったのだ。これでやっと目が覚める。
デバイスドライバー開発やOSのポーティングを専業とする私の狙いは、当然、アプリケーション開発ではなく、ポーティング・ビジネスだ。
しかし、講師が、男性から女性に変わり、本人が緊張しているせいか、やたらと早口の英語になった。聞き慣れるまで、少々時間がかかる。
しかも、分の悪いことに、開口一番ライセンスの話、SDKは無料でダウンロードできるのに、ポーティング・キットは、契約が必要で、$2,500 だという。しかも、その女性の英語が早口で、まくしたてる様で、なんだか、高圧的、私は急に気分が悪くなった。
しかしながら、何とか我慢して聴いて、だいたい理解できた。
真っ先の疑問はライセンス。Windows CEより小さなデバイスをターゲットとしている訳だから、当然、製品単価も安くなるはず、であれば、ライセンスも CE より大幅に安くないといけないはず。だが、その質問に及ぶと、急に、険しい表情になり、その額は、 CE の 3分の2程度だという。ハッキリ言って高すぎる。これでは、魅力がない。
次の疑問は、ポーティングにあった。どうも、現在の版は、ARMのみのサポート。この場合、ポーティングキットを購入して、個々のデバイスにポーティングすると、3ヶ月程度だという。それはよいにしても、他のCPUにポーティングする場合は、さらなるMSのサポートが必要という。
私の懸念は、HAL(Hardware Abstraction Layer)の中にARM依存コードがあふれているのではないか?、というもの。是非とも質問しようと思ったが、その前に、何やら技術的な質問が続出、講師の女性もツッコミ入れられまくり、もう泣きそう。何だか早く終わらせいたムードになっている様である。同業者として、少し可愛そうになったので、結局、この質問は諦める事とした。
その事をあとで仲間に話したら、それは、探りを入れるようで、かなりイヤミな質問じゃないかと言われ、ガックリ。
彼いわく、コンセプトやビジネス・モデルが見えない、今のものは、技術的にも中途半端で、どういう魅力で売り込めるかというものが見えないと、たいそう不満気味。
結局、さまざまな懸念、疑問を残したまま、なんともスッキリしない、やたらと疲れた一日であった。
.NET Micro Framework
.NET Micro Framework(はてな)
参考 .NET Framework(ウイキペデア)
満員電車
金曜日は、目黒に行った。朝の8時台ということもあり、久しぶりの満員電車体験だ。こういうのは会社員時代いらい、実に10年ぶりかもしれない。
さすがに、地獄のような快速や急行は避けて各駅に乗ったが、それでも混雑である事に変わりはない。
椅子の前に立っていたが、あとから乗ってきた40代中ごろのようなオジサンが、何にやら横に立って、肩で圧力をかけてくる。ジワジワ・タックルだ。さらに、私の目の前の網棚(最近は網になっていないか)に、いきなり視界をさえぎる様に、ドンと乱暴に鞄をのせた。まるで、そこは俺の場所だと言わんばかりである。
そして、引き続き、ジワジワ・タックル。どうやら私が立っている位置に何が何でも立ちたいようだ。なぜだろう?、フト、座っている人を見ると、何だか、次の駅で降りそうな気配を感じる。なるほど、そういう事か。なんというワガママ、自己中心的、自分勝手、目の前の人を強引にどかして、そこに立って、その前の座席を狙う魂胆か。何とも感じの悪い男だと思い、ムッとした。
以前の私なら、そういう卑怯なやつには、徹底抗戦で対向したのだが、今はもう通勤電車には乗らない生活、その日は、なんだが、そこまでして、座席を狙うその男がなんとも哀れで情けなく見えた。それで、こちらからサッサッと別の場所へと退散した。
しばらくして、元の位置を振り返ってみると、チャッカリ、その男、さも当然の如く、座席に座っている。満足そうである。
考えてみると、その気持ち、解らないでもない。なんとも哀れなことだが、これが会社員の心境というもの。常に、組織に従い、攻めるより、守ることばかりの毎日、せめて通勤の間でも、自分の縄張りを作って、落ち着きたいという心理というか、本能というか、そういうものだろう。
よく、ドアの前の左右の角の位置をめぐって、熾烈な争いが繰り広げられる光景がみられるが、それも同じことなのだろう。
しかし、皆がそうではないにしても、やはり、会社員というのは、哀れだ。全てが自分の責任で、成功しても、失敗しても、全て、自身の成果と責任という立場になって数年たつが、日々、生活の不安や緊張感はあるものの、こういう哀れな心境になることはない。人間にはやっぱり、それなりの自分の縄張りのようなものが必要なのかもしれない。会社員をながく続けると、だんだんと萎縮していく自分の心境に、意外と気づかないものだ。
その男、私の色眼鏡で「哀れな会社員」というレッテルを勝ってに貼り付けただけののだが。
さすがに、地獄のような快速や急行は避けて各駅に乗ったが、それでも混雑である事に変わりはない。
椅子の前に立っていたが、あとから乗ってきた40代中ごろのようなオジサンが、何にやら横に立って、肩で圧力をかけてくる。ジワジワ・タックルだ。さらに、私の目の前の網棚(最近は網になっていないか)に、いきなり視界をさえぎる様に、ドンと乱暴に鞄をのせた。まるで、そこは俺の場所だと言わんばかりである。
そして、引き続き、ジワジワ・タックル。どうやら私が立っている位置に何が何でも立ちたいようだ。なぜだろう?、フト、座っている人を見ると、何だか、次の駅で降りそうな気配を感じる。なるほど、そういう事か。なんというワガママ、自己中心的、自分勝手、目の前の人を強引にどかして、そこに立って、その前の座席を狙う魂胆か。何とも感じの悪い男だと思い、ムッとした。
以前の私なら、そういう卑怯なやつには、徹底抗戦で対向したのだが、今はもう通勤電車には乗らない生活、その日は、なんだが、そこまでして、座席を狙うその男がなんとも哀れで情けなく見えた。それで、こちらからサッサッと別の場所へと退散した。
しばらくして、元の位置を振り返ってみると、チャッカリ、その男、さも当然の如く、座席に座っている。満足そうである。
考えてみると、その気持ち、解らないでもない。なんとも哀れなことだが、これが会社員の心境というもの。常に、組織に従い、攻めるより、守ることばかりの毎日、せめて通勤の間でも、自分の縄張りを作って、落ち着きたいという心理というか、本能というか、そういうものだろう。
よく、ドアの前の左右の角の位置をめぐって、熾烈な争いが繰り広げられる光景がみられるが、それも同じことなのだろう。
しかし、皆がそうではないにしても、やはり、会社員というのは、哀れだ。全てが自分の責任で、成功しても、失敗しても、全て、自身の成果と責任という立場になって数年たつが、日々、生活の不安や緊張感はあるものの、こういう哀れな心境になることはない。人間にはやっぱり、それなりの自分の縄張りのようなものが必要なのかもしれない。会社員をながく続けると、だんだんと萎縮していく自分の心境に、意外と気づかないものだ。
その男、私の色眼鏡で「哀れな会社員」というレッテルを勝ってに貼り付けただけののだが。
April 01, 2008
昨夜のTVドラマ
昨夜、とても変なTVドラマを見てしまった。それ以来、頭の中に、この言葉が残ってしょうがない。困ったものだ。
「代表取締られ役、羽ヶ口信男(はけぐち のぶお)」
羽ヶ口君!、いいね、いいねー、その調子でどんどん失敗してくれたまえ。
などと言う。
「代表取締られ役、羽ヶ口信男(はけぐち のぶお)」
羽ヶ口君!、いいね、いいねー、その調子でどんどん失敗してくれたまえ。
などと言う。

