このエントリーは法務系Advent Calendar2016のエントリーです。mortdoreeさんからバトンを頂きました。今までの流れと違って専門的な話題で恐縮です。

 

今気づいたけれどこれの前のブログエントリーがAdvent Calendar2015ということは、今年1年ブログを更新しなかった、ということですな。うむ、いかん。来年は頑張ります。

 

さて、このエントリー、位置づけ的には、「応用美術と著作物性 -TRIPP TRAPP事件控訴審-」の続きエントリーです。しかし、Advent Calendarの一貫なので、専門的な話よりも、問題意識を指摘する軽めの読み物として書いてみようと思います。


  • 「応用美術」とは

 
「応用美術」とは、一般的に、「実用に供され、あるいは産業上の利用を目的とする表現物」であると言われています。例えば、工業製品のデザインや大量生産される洋服のデザインなどが入ってきます。従来の支配的な考え方によれば、応用美術は著作権法によって保護されるのではなく、意匠法によって保護を受けるべきであり、従って、著作物として例外的に保護を受けるためには、純粋美術と同視し得る程度の美的創作性がなければならない、とされてきました(このように応用美術について通常の著作物よりも高度な創作性を要求する説を「段階理論」と呼びます)。

  • 新しい裁判例

しかし、前述のTRIPP TRAPP事件控訴審判決(知財高裁平成27414日判決)はこの段階理論を採用せず、応用美術についても他の著作物と同様、表現に制作者の何らかの個性が発揮されていれば著作物性を認める、と判示しました。これまでの通説的な見解を覆す、画期的な判決です。

 

これで裁判例の流れが変わるのか、それともTRIPP TRAPP事件控訴審判決は「異端児」となるのかが注目されていましたが、結果は、今のところ、同控訴審判決を出した清水裁判官以外に、同判決に従う裁判例を書く人は出てこない状態です。逆に、TRIPP TRAPP事件控訴審判決の後、地裁レベルでは大阪地裁平成27924日判決(ピクトグラム)、東京地裁平成28114日判決(携帯用加湿器)、東京地裁平成28421日(ゴルフシャフト)と、従来の段階理論的な考え方を取る判決が相次ぎ、ついには、平成281013日に知財高裁(清水裁判官とは別の部)からも、段階理論的な考え方を取る判決が出ました(エジソンのお箸。うちの息子も愛用しております。)。このままTRIPP TRAPP事件控訴審判決は埋もれていくのか、と言いますと、タイムリーなことに、おととい、清水裁判官が前記携帯用加湿器事件の控訴審判決を書いたものが裁判所ウェブサイトにアップされました(知財高裁平成281130日判決)。清水裁判官はここでも、「応用美術に実用性があることゆえに応用美術を別異に取り扱うべき合理的理由は見出し難い」として、段階理論を取らないことを明言されています(ただし、著作物性が認められたTRIPP TRAPPと異なり、携帯用加湿器の形状はアイデアに過ぎないとして著作物性は否定しました。)。

 

  • TRIPP TRAPP or not

 

さて、ここまで裁判例が真っ二つになっていると、どっちで考えてよいか分からなくなってしまうわけですが、おそらく、背景には「美術の著作物」とは何か、という大問題が隠れているような気がしています。少し例を考えてみましょう。

 

事例1:世界的な超有名デザイナーが、シンプルな、しかし優れたデザインの椅子を一点物で制作した。その椅子は、当該デザイナーの工房に、彼の作品例として展示してある。この椅子は、実用に供するものでもないし、産業上の利用も目的としていないので、「応用美術」には該当しないように思われる。その場合、作者の何らかの個性が発揮されていれば創作性は認められ、幼稚園児の絵でも創作性はあるというのが一般的な見解なのだから、世界的な超有名デザイナー作の優れたデザインの椅子に創作性が認められないということはなさそうだ。しかし、しばらくして、あるメーカーがそのデザイナーからライセンスを受け、同じ椅子を大量生産した。この場合、その椅子は事後的に「応用美術」になってしまうが、著作物性は失われるのだろうか?

 

事例2:何の変哲もないちょっと古びたママチャリがある。これを現代美術館の展示室に持って行って、ちょっとハンドルを傾けた状態で設置して、「寂しい自転車」というタイトルとともに置いてみた。これはこれでアート(純粋美術)として成立しそうである。アートとして成立するのであれば、著作物はありそうである。しかし、元は何の変哲もないママチャリであって、ママチャリ自体には著作物性はないだろう(ありふれている。)。同じものなのに、美術館に置くと著作物性があって、駅前駐輪場にあると著作物性がないのだろうか?

 

こういった事例を見ていくと、「美術の著作物」というのは外縁が極めて曖昧であって、「美術の著作物」と「応用美術」も境界線は極めてあやふやであるということが分かるのではないかと思われます。そうであれば、「純粋美術」と「応用美術」の切り分けを前提とする段階理論は、少し無理をしているのではないかと思われます。さらに、そのような段階理論は、裁判所が、何が「アート」で何が「アート」ではないか、ということを決めるに近い状態になり、適切ではないように思われます。そういうわけで、私はTRIPP TRAPP事件控訴審的な考え方が正しいのではないかと思っていますし、冒頭に紹介した昨年のエントリーでも、デザインの法的保護を厚くして、デザイン重視の世の中の流れに日本の産業界が乗れるようにするという政策的観点からそう考えた方がよいのではないか、ということ書きました。また、フランスやドイツではこの手のものには著作物性が認められていますので、国際ハーモという観点でも、そのように考えた方がよいのではないかと思います。わが国だけデザイン保護が薄いというのでは、国際競争力の観点からも問題がありそうです。

 

  • 法務パーソンの心得

 

最後に、上記のような流れを考慮した上での法務パーソン向けの一般的なアドバイスを書きますと、応用美術の創作性は今著作権業界でホットに議論されており、将来、応用美術にも著作物性を認める時代がくる可能性があります。創作側としては、その権利がきちんと自社帰属するような手当(職務著作要件の充足や外注からの権利譲渡の手当て)をしておく必要があると思いますし、利用側としては、応用美術であっても著作権侵害が起きうることを念頭に利用していく必要があると思います。

 

明日はysaksmzさんです。

 

  • 補足

 

最後に少し専門的な見地から上の事例を分析してみます。お時間のない方はスルーしましょう。

 

事例1の場合、TRIPP TRAPP事件のように考えるのであれば、おかしなことにはなりませんが、段階理論的に考えると、最初「純粋美術」に分類したものが、事後的に「応用美術」になることで、判断枠組みが変わってしまう、という現象が起きるように見えるので、おかしなことになってしまうように見えます。しかし、段階理論的に考えても、そもそもシンプルな椅子は、美的鑑賞の対象となり得るような美的特性を備えていない限り、誰が作ろうとも類型的に「純粋美術」には該当しないのだ、と考えれば、おかしなことにはなりません。ちなみに、エジソンのお箸事件の第一審(東京地裁平成28427日判決)は、応用美術は、「その実用的機能を離れて美的鑑賞の対象となり得るような美的特性を備えていない限り、著作権法が保護を予定している対象ではなく、同法211号の『文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの』に当たらない」としており、美的鑑賞の対象となり得るような美的特性を備えない応用美術は、創作性の有無の判断の前に、そもそも類型的に著作権法の保護を受けない、と言っているようにも読めます。しかし、「美的鑑賞の対象となり得るような美的特性」があるかないかを、応用美術の利用前に判断できるでしょうか?美的かどうかはそもそも個人の感性もかかわってきますし、基準として適切かと言われると、微妙であるように思われます。

 

事例2の場合は、いずれの説に立っても、ママチャリに創作性はないことが明らかなので、結局のところ、現代美術館における展示の方法に創作性があり、それ故に現代美術館に展示されているママチャリはアートである、という説明になりそうであると思います。すなわち、それと同じママチャリを同じような格好で駐輪場に駐車しても著作権侵害は成立せず、同じような格好で、同じようなタイトルをつけて美術空間に展示することによって著作権侵害が成立する、ということになるのではないかと思います。

次に、この事例の変形として、自転車が特殊な形状をしており、装飾も施されているような場合はどうか、という問題はどうでしょうか。段階理論に立つ場合、実用的機能を離れて美的鑑賞の対象となり得るような美的特性を備えているかが重要です。美術館にあれば、それは「美的鑑賞の対象となり得る」でしょうが、駅前駐輪場にあっても「美的鑑賞の対象となり得る」でしょうか?もちろん、形状の特殊さや装飾の程度によっては駅前駐輪場にあっても美的鑑賞の対象となり得る自転車はあるかもしれませんが、やはり美術館にあるのと駅前駐車場にあるのとでは、美的鑑賞の対象となる自転車のレベルは違うように思われます(駅前駐車場にあると、かなり美的でないと鑑賞の対象にはなりませんが、美術館にあるとほとんどのものは美的鑑賞の対象とされるでしょう。)。段階理論に立つ場合、どこに置いた場合を想定して美的鑑賞となり得るかを判断するのでしょうか。

 

現代アートの誕生・発展による美術の範囲の拡張(ありふれたスープ缶だって絵画にすれば現代アートになるところから、間違って清掃員が捨ててしまう美術品まで、広がってきています。)、工業製品のデザイン化の発展の波を考えれば、両者はこれからも接近するでしょう。そろそろ、段階理論から卒業してもよいころなのではないかと思います。今後の裁判例の発展に期待します。