2007年02月08日

朝だ。

i-pod+本=徹夜。

ていうか時間感覚が麻痺する。

没頭して、あ、朝になっちまった寝ねば。みたいな。

古典といっても、岩波から出ている文庫本とシェイクスピア系の文庫から

でているものを、別に独文学オンリーとか、決めて読むわけでもなく

日本!とか決めるわけでもなく。ただ、本屋やブックオフとか行き

これ読もう!って決めたり。

読んで感じるのは、えぐられる感じと達成感!!

古典だからいいのか、自分に合うのか、それは関係ないのかもしれないけれど

エグったり、感化されたり、されることが多いなー。実りある蓄積ある読書。

さらって読みやすい現代作家は、いやそれよりも今は古典。

この冬に、はまる。

「どうしろうと、古典を新鮮な感動とともに、よんでみよう」

大いに酔いしれよう。自己満の世界。

*******************************

近ごろの若い人たちのあいだでは一種の偶像崇拝がはやっており、

これはこんにちあらゆる街角、あらゆる雑誌のなかに広くみいだされる。

ここでいう偶像とは、「個性」と「体験」のことである。

このふたつのものはたがいに密接に結びつく。すなわち、

個性は体験からなり体験は個性に属するとされるのである。

この種のひとたちは苦心して「体験」を得ようとつとめる。

なぜなら、それが個性をもつ人にふさわしい行動だからである。そしてそれが

得られなかったばあいには、人は少なくともこの個性という賜物をあたかも

もっているかのように振舞わなくてはならない。

さて、お集まりの諸君!学問の領域で「個性」をもつのは、その個性ではなくて、その仕事に仕える人のみである。しかしこのことたるや、なにも学問の領域にばかり限ったことではない。芸術家でも、自分の仕事に仕えるかわりになにかほかのことに手を出した人には、われわれの知る限り偉大な芸術家は存在しないのである。

自己を滅して専心すべき仕事を、逆になにか自分の名を売るための手段の

ように考え、自分がどんな人間であるかを、「体験」で示してやろうと思っている

ような人、つまり、どうだ俺はただの「専門家」じゃないだろうとか、どうだ俺の

いったようなことはまだだれもいわないだろうとか、そういうことばかり考えている人、こうした人々は、学問の世界では間違いなくなんら「個性」のる人ではない。

 

くるね。胸に。腹に。ずしっと。感動といくらかの動揺と共に。

他、引用したい場所は多岐にわたれど、指が痛いので

以上1919年マックス・ウェーバーからの言葉でした。

「職業としての学問」

 

 

 

お、ジュクコーだ。



トラックバックURL

コメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価:  顔   星
 
 
 
Profile
ひろぽん
現在大学院1年生。比較教育学をやってます。デンマークと民衆教育関係で。8月から2ヶ月現地いってました。
世界の国をもっとこの眼でみたい。多くの社会をみたい。
自分の常識をいい意味でどんどん破壊、創造していきたい。それは本を読むことも、人と対話することも同じ。
日本、世界でのさまざまな気づきを大切にしてこれからも行動していきたいなって思っています。

「百聞は一見に如かず」「誰かのためにと強く意識したときには、誰もそんなこと望んでいないのだと再考しよう。それをやりたいから、俺はやるのだ。」「一人でできないことをするために組織(チーム)がある」
あたまかたくならないよういろいろからだうごかしまーす
ふにゃふにゃ

・学問
グローバル教育・潜在能力とか感性を発掘する教育とか
教育協力、文化人類学、社会学、デンマーク
民衆教育、新教育運動とか(人や思想に興味)

・先祖は(両親に聞くと)

商人と軍人系のエリートさん(満州国の)だそうです

・旅とかなんやら

北海道〜屋久島
フィリピン、韓国、デンマーク、オーストラリア
ひとりがすきです。気をつかわないし。

・本好き
・歌好き、演劇とか、司会とか
とりあえず声はでかい。

いろいろありましたが
これからもいろいろあるんだと思います
論理や現実の特に負の面に嫌気がさすときも
ありますが、レーチェル・カーソンの
センスオブワンダーや「論理じゃないんだよ!」
みたいなものは忘れずにいたいな、と思います。

Recent Comments
アクセスカウンター