宗教学講座 初級コース 第229回 秘密伝承(アリマタヤのヨセフ)
【スライドの内容】
『出典:アリマタヤのヨセフ —変貌の軌跡— 横山安由美
『出典:アリマタヤのヨセフ —変貌の軌跡— 横山安由美
四福音書に共通した記述は、アリマタヤ出身の男ヨセフがイエスの体の下げ渡しをピラトに願い、イエスを墓に埋葬した、というものである。そして、自分の墓(マタイ27−60)を提供したにも関わらず埋葬の場面では大した照明を浴びず、その後二度と登場しない。
聖書外典の数々を繙いてみると、例えば『ペテロの福音書』(2世紀には成立)では、ヨセフは「イエスとピラトの[それぞれの]友」と設定され、前者の体を後者に請う理由付けが素朴になされている。
アマラリウスの
Liber officialis(9世紀)は聖書の典礼学的解釈の草分けと言われる。「隠れていた十二使徒やその他の弟子全てをヨセフは超越していた」、ヨセフと並んでニコデモも埋葬の功により司祭によって表される者、とされる。』
【ここです。】出典は「アリマタヤのヨセフ」というタイトルで、「変貌の軌跡」ということです。横山安由美(よこやまあゆみ)さんと読むと思うんですけれど、ちょっとはっきりとはしません。
『四福音書に共通した記述は、アリマタヤ出身の男ヨセフがイエスの体の下げ渡しをピラトに願い、イエスを墓に埋葬した、というものである。そして、自分の墓(マタイ27−60)』イエスを埋葬した墓はアリマタヤのヨセフが作った新しい墓だったんです。
『自分の墓(マタイ27−60)を提供したにも関わらず埋葬の場面では大した照明を浴びず、その後二度と登場しない。』福音書ではそうですね。非常に軽い扱いになっています。あくまでも、12人の使徒が主役というような形になっているんです。
『四福音書に共通した記述は、アリマタヤ出身の男ヨセフがイエスの体の下げ渡しをピラトに願い、イエスを墓に埋葬した、というものである。そして、自分の墓(マタイ27−60)』イエスを埋葬した墓はアリマタヤのヨセフが作った新しい墓だったんです。
『自分の墓(マタイ27−60)を提供したにも関わらず埋葬の場面では大した照明を浴びず、その後二度と登場しない。』福音書ではそうですね。非常に軽い扱いになっています。あくまでも、12人の使徒が主役というような形になっているんです。
ただ、これまで僕が説明したように、実を言うと聖書の物語の中で最大の重要な人物は、アリマタヤのヨセフとマグダラのマリアなんだと。この2人が一番重要な人物で、12人の使徒たちはほとんど何も知らなかったという事をずっと説明したきたんです。聖杯の物語というのは僕の主張に添った展開になっていて、アリマタヤのヨセフが非常に重要で、12人の使徒なんか出てきません。はっきり言って全く出て来ないんです。
『聖書外典の数々を繙いてみると、例えば『ペテロの福音書』(2世紀には成立)では、ヨセフは「イエスとピラトの[それぞれの]友」と設定され、前者の体を後者に請う理由付けが素朴になされている。』
『聖書外典の数々を繙いてみると、例えば『ペテロの福音書』(2世紀には成立)では、ヨセフは「イエスとピラトの[それぞれの]友」と設定され、前者の体を後者に請う理由付けが素朴になされている。』
アリマタヤのヨセフが、イエスとピラトの両方の友人であると設定されているということです。前者の体、イエスのことです。イエスの体を、後者ピラトに頼んで受け渡してもらうという理由が、両方の友だったということで、これは僕がずっと言っているわけで、アリマタヤのヨセフはサンヘドリンの有力な議員であったと同時に、ピラトどころかヘロデ王とも非常に深い関係で、直接ヘロデ王の所に行って話をする事が出来るほど有力な人間だったという事を、僕は最初から言っているんです。ここではそのうちのピラトの方なんですけれども、両方と友だったという風に設定されています。
『アマラリウスの Liber officialis(9世紀)』こういうものかどうかはっきりしませんが、こういうタイトルの本があるんでしょう。意味もあまりよくわかりません。どうもラテン語のようで、この綴りで見ても意味がわからないものなんです。わかる人は、こういう意味らしいということをちょっとコメントで書き込んでおいて下さい。9世紀の書物のようで、アマラリウスのLiber
officialisという書物は、『聖書の典礼学的解釈の草分けと言われる。』典礼学的解釈というのは、どういう意味かわかりませんが、儀式的に読み解いていくということでしょう。
『「隠れていた十二使徒やその他の弟子全てをヨセフは超越していた」』とこのアマラリウスは言っているんです。【隠れていた十二使徒やその他の全ての弟子全てをヨセフは超越していたと。】
『ヨセフと並んでニコデモも埋葬の功により司祭によって表される者、とされる。』ということで、アマラリウスという人は、アリマタヤのヨセフを最大級に賞賛している。並んでニコデモも祭祀階級として賞賛しているんです。12人の使徒よりも上だという風に認識しているんです。これは僕の主張と同じです。僕の主張はさらにもっと言っていて、何を言っているかといったら、実はアリマタヤのヨセフとニコデモはアレキサンドリアのエッセネ派の大祭祀だったと。アリマタヤのヨセフが大祭祀だったと。祭祀がニコデモなんです。
もちろん、ニコデモはアリマタヤのヨセフに仕える人物だということで、実はアリマタヤのヨセフは大祭祀であるということです。エッセネ派というのは当時どういう思想を持っていたか。これはどこかで言いましたけれど、何回目のどこというのは覚えてないんだけれど、エッセネ派には1人の志願した若者が、人々の業というかカルマを引き受けて死ぬという設定があるんです。エッセネ派の仲間の人々のカルマを1人が背負うんです。それは、呪いの言葉をその1人の人物に投げつけるんです。最後にその人は殺されるんですけれど。
そういう風な英雄的行為をする男性の事をエッセネ派はキリストと言ったんです。これはイエスの行為に酷似しているんです。イエスというのは、そのエッセネ派の思想の、所謂、拡大版という形で、思想的には全人類の罪を背負った形になっているわけです。出来もしない事だけれどね。これは当時のエッセネ派の思想を非常に色濃く反映していて、こういった厄払いというのは日本にもありますね。雛人形というか人型というか、人の形をした折り紙みたいな、紙で切った物に穢れを封じ込めて流し雛という形で流す事とか、いろんな形でやられています。世界中であります。ある所では燃やしたりします。
そこに罪や穢れを押し付けて、それを燃やしてしまって清算するというような思想もあるんですけれど、実際にはその生け贄として1人の英雄を神に捧げて、その人はキリストとして天に昇るというそういう思想を持っていた。イエスという人は、まさにそれを自ら志願して行ったのではないかと思われる節がある。僕が更に言っているのは、このイエスはアリマタヤのヨセフの実の子である(注:竹下雅敏氏はずっと後の講義 「統一密教」 535(イエス様の父親がザカリヤである証拠)
でイエスはアリマタヤのヨセフの養子だと訂正した)ということです。アリマタヤのヨセフと聖母マリアの子。【板書:聖母マリア=アリマタヤのヨセフ ーイエス】聖母マリアですね。ここにイエスがいると。
イエスにはまた何人か兄弟がいたようですけれど、少なくとも長男としてイエスがいたろう。ですから、このアリマタヤのヨセフが自分の正体を悟られないために、どうも福音書では大工のヨセフになった(注:竹下雅敏氏はずっと後の講義 「統一密教」 535(イエス様の父親がザカリヤである証拠)
でアリマタヤのヨセフは大工のヨセフとは別人であると訂正した)わけです。ところが聖書を見たらわかりますけれど、父親である大工のヨセフというのは、影が薄いというか、ほとんど何の注目もされない。父親としてしか出てこないですね。どんな役割かも全くわからない。だけどその大工の父親だと思われていた者が、ほんとは知者のヨセフという意味であったら、アリマタヤのヨセフになるわけで、この関係になってくると、
アリマタヤのヨセフがなぜイエスを自分の墓に葬ったのかと言ったら、我が子だから。我が子の体をピラトにもらいに行った。
それは渡すに決まっているわけで、これは辻褄が全部合うという事になるんです。そうすると、伝承でアリマタヤのヨセフがイエスが幼い頃にコーンウォール地方の鉱山に連れて行ったというような事は我が子なら当たり前のことだということで、様々な伝承がピタッと繋がるということなんです。聖書の物語は計画的に作られたものですけれど、自分の我が子、長男を神に捧げる行為としてアブラハムがイサクを捧げようとしました。実際には止まったんですけれど、このアリマタヤのヨセフはアレキサンドリアのエッセネ派、要するにエジプトにある本部の大祭祀であった。
だからアリマタヤのヨセフは本当にやったんです。長男のイエスを神に捧げた。十字架で磔として捧げたということです。ここから新しい宗教の時代、2000年が始まるという形になるんです。旧約聖書の2000年は、簡単に言うとアブラハムから始まりますよね。アブラハム以降という形になるんですけれど、そこで前の2000年という宗教の時代は終わるわけです。ここから新しい新約の時代になる。霊的にはマイトレーヤの統治になるわけです。その前はエノクだったわけですから。エノクの統治だったその2000年は終わった。新しくここからはマイトレーヤの統治になるんだけれど、アブラハムとイサクの関係がアリマタヤのヨセフとイエスだったということで、これは実行されたという形になるんです。こう考えると、聖書の物語は非常に良くわかるということになります。
ですから、このアマラリウスという人は、僕みたいにそこまではっきりとは言ってないけれど、少なくともアリマタヤのヨセフが12人の使徒を超える存在である。しかもヨセフとニコデモを祭祀の階級であるという風に認識をしていたという事で、似たような事を言っているという事がわかります。次です。





