ものすごく久しぶりにつづきを。。。

2001年、今年中に岡山に戻る約束をした。
残り4ヶ月ちょっと。この間に14年と数ヶ月の東京での生活にピリオドを打たねばならない。
戻ることが決まって気持ち的には晴れやかなのだが、正直何から手をつけていいのか分からなかった。
部屋を片付けるのはすぐできるが、それだけではない。今後のことを考えながら14年間染み付いたいろんな想いを整理しなくてはならない。

考えた末、まずはこの事実を伝えなくてはならない人に伝えようと思った。
どうやっても迷惑を掛けてしまう人も居る。なるべく早くに伝えなければ負担が増すばかりになってしまう。
そして、それぞれ機会をもち伝えていった。さすがに14年間も東京に居ると、誰もが「またまた〜ご冗談を…」なんて答えが返ってくる。
まぁそうだろうな。帰省すら滅多にしなかった奴が突然田舎に戻るって言ってるんだから。
一部の人には親父のこと、自分の考えを伝えたが、基本的には「いろいろあって一身上の都合ってやつ」みたいな言い方をした。
只、決して後ろ向きな表現はしなかった。「帰ってどうすんの?」なんて聞かれても、「今以上に楽しくやるよ!」って答えてた。今考えると、その時の心境としては先々のことを考えると不安が9割以上、残り1割以下が期待ってとこだったかな。
一通り伝えて、応援してくれる人、引き止めようとする人、黙り込んでしまう人、惜しんでくれる人などいろんな人が居た。
そんないろんな人と関わって自分が成長し、今があるんだな〜としばらく回顧していた。
そして、俺っていい奴らに囲まれてたんだな〜ともしみじみ思った。

さぁ次に何をすべきか?
考えながら、「それはそうと、岡山に帰っていったい俺は何をして食っていくんだろう?」とふと思ってしまった。
そりゃ選ばなけりゃなんだってやって食っていけるだろうが、折角リセットするんだからやりたいことをしたいし。
今まで音楽の世界しか知らないし、けど岡山にその手の仕事があるようにも思えない。かといってその他の仕事ができるか?
その後しばらくいろいろと調べながら模索していた。

そして、それなりに得意だったPC、インターネットを利用した世界で食っていこうと決める。
只、どこかに所属するのではなくてSOHO、フリーランスとしてやれるとこまでやってみようと。
決めたはいいが、今の自分では限界がある。そこでパートナーを探すことにした。
自分にないものを持っていて、PC、インターネットが得意な奴。
居た。適任者が。
すぐに口説き落とし、二人で話し始める。
新たな目標が見えて、なんか段々楽しくなってきている自分がまだ東京に居た。
「まだ?」
そう、今年中に戻ると約束していたのに、なんと年が明けていたのである。
別にチンタラしていた訳じゃないのだが、お世話になった人達に会って挨拶をしたり、今後の仕事の準備に取り掛かり始めてたら、あっという間に時間が過ぎていた。
親からはもういつ帰ってきてもいいぞ。受け入れ態勢は整った。と言われていたのだが、もうちょい時間がかかりそうなので、今年度中(3月末)には、と伝えた。

本格的に今後の仕事のことを考えて、足らないスキルをアップすべく勉強も始めた。
憶えることも多く悪戦苦闘。がしかしそれなりに充実した日々を過ごしていた。
只、岡山に戻るのがまたまた延びてしまい、結局5月末に戻ることにした。
その間、親には「本当に戻る気があんのか?」と苦言を指されたりしていたが…
きっと、親父の退院後の検査結果が良好なのをいいことに甘えていたんだと思う。

今度こそ3度目の正直で、はっきりとケツを決めるために2002年5月27日の岡山行の片道切符を予約購入した。
そう、今回は片道でいいんだよな。と少し寂しくもなったが、戻るためのいろいろな手続きに東奔西走したり、いろんな人が開いてくれた送別会に出席したりと、ラスト1ヶ月はしんみりする間もなくとても慌しかった。

そして、東京を後にする前日までに、捨てるものは全て捨て、売れるものは売り、なるべく身軽な状態にし、バック1つを残し残りの荷物を引越し屋に引渡した。
東京での最後の夜、一人静かに15年間の想い出を一つ一つ頭に思い起こしながら、明日本当にこの地とも「さよなら」だ、となんとも言えない寂しさに襲われた。
15年、長いようでいてあっという間だった。
高校を卒業してすぐに上京し、初めて社会に出、いろいろな人に出会い、経験し、成長してきた。大都会と言われる東京で…
楽しかったこと… 辛かったこと…

次の日の朝、外は快晴。
今日、15年間の東京生活にピリオドを打ち、新たなる一歩を踏み出すべく東京を後にする。
親父が手術して1年と2ヶ月、戻ることを決断して10ヶ月が経っていた。

つづく。。。(また気が向いた時に続きを書こう・・・)