岡山に帰ってきて丸3年が経った。
この3年間と、帰ってくる前の1年を併せた4年間。自分の人生はいままでに経験したことのないくらいに物凄いスピードで劇的に変化した。

今から4年前、自分は東京での生活15年目を迎えていた。その年、その後の人生を大きく変える1本の電話が鳴る。
内容は母からの電話で、父がある大病の疑いがあると・・・
その後の報告を待っている間、良性でありますようにと祈っていたが、過酷な精密検査を繰り返した結果、悪性で手術を要するものだった。
それも命に係わる大病で、手術がうまくいったとしても何年かは再発に怯えなければならないものである。

自分には兄弟はなく、両親も山口から岡山に越してきていた為、親戚も傍に居らず、専業主婦の母は不安で居た堪れない状態だった。もちろん自分もショックは相当なもので、「なぜ」という言葉が頭の中をグルグル回るばかり。
只、自身の病状を全て把握して手術を受ける決断をし、その上で家族のことを気遣う父の姿を見ていると、こんな時こそ自分がしっかりせねばと思うばかりだった。

入院前日に岡山に帰省し、その日の晩は家族三人いたって普通を装い家族団欒を楽しんだ。
そして次の日、入院。
大手術で体力が必要になる為、入院後すぐに手術ではなく、病院で体調管理を1週間しそれから手術となる。

毎日、母と病室に通い、長い時間を家族で過ごした。こんなに長い時間一緒に居るのはいままでなかったと思う。
そして、手術の日。
それまでにインターネットや書籍などで、病気のことをいろいろ調べたり、同じ病気の人の手記を読んだりして、如何に大変な病なのか、また大変な手術となるのかは理解していた。
主治医の先生も分かりやすく率直に現状や今後起こりうることを説明してくれ、不安ではあるが、きっとうまくいくと信じ手術室に入っていく父を見送った。

見送った後、母と「これからが大変なんだから、今のうちにしっかりご飯を食べて元気を付け、看病中こっちが倒れることがないようにしとかなきゃ」と二人で食事に向かった。今考えれば、二人とも気を張っているのが容易に想像がつく。

予定より少しオーバーの10時間にも及ぶ大手術。
すでに消灯時間を過ぎていたが、手術も終わり父は病室に帰ってきた。
痛々しい姿だったが、無事帰ってきてくれた。
その日から3日間は泊り込みで看病。その後も毎日通っていた。
看病の甲斐もあってか幸運なことに全てが順調に進み、不安は尽きないが父は予定通り回復していった。

そして数日が経ち、仕事の関係でどうしても東京に戻らなくてはならなくなった日の朝、もう一度父を見舞い、後ろ髪を引かれる思いだったが、「もう大丈夫だね。オレ東京に戻るから」と声を掛けて病室を後にしようとした。
その時、頑固で物静かで忍耐強く、とっても照れ屋の父が「ありがとなっ」と一言。
その途端、涙が込み上げてきた。父の前で涙は見せたくなかったので、慌てて病室を出、長い廊下を目頭を押さえながら歩いた。

今まで親孝行らしいことは何一つしてない。迷惑ばかりかけてきた。
滅多に帰省もせず、好き勝手に生きてきた。いい時だけ家族面して・・・
その時の自分は両親に対し、心の中で「ごめん」としか言えなかった。

つづく。。。(また気が向いた時に続きを書こう・・・)