言葉に出来ない

  • author:
  • 2017年05月28日

kikiです。先々週のNHKスペシャルで寿司の職人と天ぷらの職人がお互いに高め合うという内容の番組を放送していました。
見た方はいらっしゃるでしょうか?
寿司の職人は神様と言われる人でオバマ前大統領も食べにきたこともあるそうです。
天ぷら職人の人がよくそこに寿司を食べに行くのですが、そのシーンが印象的でした。
一言も喋らないのです。お互いに意識しているのにただ食べるだけでほとんど喋らない。
メニューもお任せです。
でもそのシーンを見た時に思い出したのは「本当に感じたものは言葉に出来ない。」ということです。
確かに言葉はないのですが、お互いに会話をしているように感じました。
でも後でインタビューすると天ぷら職人は寿司職人の所作を良く見ています。
手の動きとかちょっとした仕草とか、、。そして歳をとってその仕草が変化していることも。
本当に「感じる」ことは言葉にしたらまるで軽くなってしまうのだなあと思いました。
私達は言葉によって世界が広くなったような気がしますが、失ったものもあるのではないでしょうか?


来月で今期も終わり。皆さんはどんな半年だったでしょうか?
期末パーティーも楽しみですね。
では教室でお会いしましょう。(私は欠席でパーティーは参加です〜)

 

行きたかったところ

  • author:
  • 2017年05月10日

少し前の話になりますが、3月から4月にかけてカトマンズを訪れました。

きっかけは今の職場の先輩がネパールなら旅行の経験もあるし一緒に行こうと勧められたからでした。
山登りが好きな自分のにとってネパールのヒマラヤ山脈、そこにはあのエベレストを間近で対面できるトレッキングコースは絶対的な憧れです。
すぐに日程調整、ツアー会社の選定をしたのが去年の11月。そこから長い準備期間が始まります。
英語、ネパール語の習得のため、かのスピードラーニングやcdを購入しての学習。
持ち込みは25キロと限定されているため服装、カメラ機材等の購入やら携帯食の選別など心躍る4か月でした。
3月14日遂にその日を迎え、ツアーメンバー13名はバンコク経由でカトマンドゥに出発しました。

カトマンドゥのタメル地区には度肝を抜かれました。品物は何でも揃いますが無法地帯で交通規制とか公共規制がないため、電線が蜘蛛の巣状態、街中が常に渋滞しデコボコ道で物乞いにまとわりつかれる。
そんな状況でも不思議なことに半日すれば慣れてきて、目的のアウターとかお土産を片言の英語で値切り合戦を繰り広げたものでした。

さて、カトマンドゥからツゥクラに飛行機で移動しいよいよトレッキングの始まりです。
大手ツアー会社なので持ち物は最低限で、重いものはゾッキョと呼ばれる牛とヤクのアイノコ4頭が運び、ガイドが6名ほど同行します。
ここから7日を費やしエベレスト街道を歩きカラパタールというエベレストから直線距離で10キロの丘を目指すのです。
難敵は標高。ツゥクラは2800mで最終目的地のカラパタールは5545mで酸素が半分で高山病対策で銀座にある低酸素室で高度順応訓練を考えた。(行かなかったけど)
実際、トレッキング途上で上空をヘリが飛び交っていたのは高山病の重篤患者をカトマンドゥまで搬送していたのだ。
歩いたエベレスト街道は糞の道である。ロッジなど食物、燃料等を運ぶのは馬、牛、ゾッキョ、ヤクの動物だからだ。
加えてポーターと呼ばれる信じられないほどの荷物を担ぎ上げる人もおり、各国から訪れるハイカーも交じり乾季は大賑わい状態だった。
連れのガイドは全員ネパール人。英語は日本人レベルなので自分の中学程度の英語が何とか通じ、怪しいネパール語を発するととても喜んでくれたものだった。

安くないツアー料金を支払ってまでも毎日肉体的に辛いトレッキングに挑むのは、眼下に広がるヒマラヤ山脈の神々しいまでに美しい光景を拝めることに尽きる。
3日目に街道からエベレストの片鱗を垣間見ることができた瞬間には、涙が出るほど感動し、3月23日 長い8日間をかけて遂に全員フラフラながらもカラパタールに登頂できた。
あれが世界で一番高いエベレスト(サガルマータ)なのだ。

今回のツアーはヒマラヤ自体は一部分で、バンコク、カトマンドゥの人々の暮らしぶり、ツアー客同士のふれ合い、ガイドとの交流など毎日が前頭葉を揺さぶられる深い経験だった。
IMG_0293IMG_0331IMG_0401IMG_0401IMG_0375IMG_0375IMG_0370IMG_0333IMG_0324





落ち込む理由

  • author:
  • 2017年05月04日

kikiです。ゴールデンウィーク真っ只中ですが、私は仕事中です。
なるべく人が休んでいる時に仕事をして、来週末は九州に行く予定です。
単なる帰省ですが、、。

時々教室の中で吃って落ち込むと言う話しを聞きます。
確かに私も何年か前までは吃って落ち込むことがありました。
でも今は事前に緊張したり予期不安が起こることはたまにありますが
吃っても落ち込むことはなくなりました。
 
先日テレビを見ていて明石家さんまさんが言っていたことが耳に残っていたので
ちょっと調べてみました。
落ち込まない理由 
さんまさんは絶対に落ち込まないそうです。確かにそんな感じですね。
その理由は「落ち込む人は自分のことを過大評価しすぎ。人間なんて
、今日出来たこと、やったことがすべて」だそうです。
つまり自分で思っている自分と実際の自分とのギャップで、それを見せつけられた時に
落ち込むということですね。

人間って意外と自分の事を知らないものです。
自分を知らない人ほど落ち込みやすいのかも知れません。

私達吃音者にも当てはまることがありますね。
私は直接聞いたことはないのですが、廣瀬先生は「あなた達は吃りなのに何故吃りでないようにふるまうのか?」と仰ったことがあるそうです。
のんだくれさんの投稿を読んで記憶していました。
あるがままの自分を見つめることは、まずは吃りの自分を認めること。
吃っている自分が今の自分なんです。
かと言って吃音の改善をあきらめることではありません。
一旦はそこを通る必要があるということです。
吃音者でないように振る舞って、自分の吃音を感じることは出来ませんよね。
自分に嘘をついて内蔵感覚的刺激は得られないと思います。

さんまさんの話しを聞いてそんなことを感じました。

今月の教室は第二土曜日ですが、第一土曜日も場所がとれているので自主勉強会をします。
今のところ現役生のMさんが参加してくれるようです。
誰か他にもいらっしゃったら参加してみて下さい。

よろしくお願いします。


 

ページトップに戻る▲