サンクスリビング・デイズ

「サンクスリビングデイ」という名前で歌をうたっている個人の日記。2008年7月から。

『元号と自分の距離、その変化を感じる』



もうすぐ平成が終わるというニュースを少し前に見た。

今上天皇の生前退位に伴い、元号が新しいものに変わることになる。

僕は昭和の終り頃生まれで、物心つく頃にはすでに、進んでいく年月は「平成」を刻んでいくのが当たり前になっていた。

それでも、生年月日を和暦で書くときは毎回「昭和」を書いてきていたし、今後も僕の人生には一生「昭和」がついて回ることになる。

そんな中、物心ついてからずっと重ね続けてきた「平成」が終わるというのを聞くと、なんだか、大きな時間の流れを感じずにいられない。

歴史の勉強をしている時に、「これでこの時代が終わって、次はこの時代」みたいに勉強してきたものの、その確かな一つがもうすぐリアルタイムの自分の人生に起こる。


この間、お笑いのライブを見ていて、ネタの内容は細かく覚えていないけど、途中で「大正」という言葉を使っているネタがあった。
その「大正」の使い方が正確でなく、ただ、「現代から陸続きだけど、ものすごい昔なこと」の表現として「大正」を使っていたフシがあり、実際その時の話の流れが指している時期は昭和中期くらいのものだったと思う。

要は、その「大正」という言葉を使っていたコンビにとって、「大正」という時代は全くリアリティが無く、その程度の感覚的な使い方しかできないような言葉だったのだろうということ。

ネタを観ながらそんな風なことを思った後、ふと、自分と「大正」という時代、言葉との距離を考えてみた。

徳島に住んでいた十代の頃に比べて、自分にとっても「大正」という時代、言葉は遠くなってしまったように思った。昔は今よりもずっと「大正」というものをリアルに感じていたのに。

少し考えて、その理由はすぐに分かった。


徳島にいた頃は、同じ家に、大正生まれのじいちゃんが暮らしていたのだ。

大正からずっと人生を続けている人が同じ屋根の下で生活していれば、意識しなくても「大正」という時代がすぐ傍にある感覚でいることになる。

昭和末期生まれの自分とは明らかに違う感覚で生きている人間が、風呂で浪曲みたいなの歌ってたり、居間で頑なにNHKを観ようとして僕は観たい番組が観られなかったり、そんな具体的な物事以外にも空気的なところで「大正」を感じていたに違いない。

高校を卒業して、大学に入るに際し横浜に移り住んでから今まで12年、その間にじいちゃんも亡くなり、僕にとって身近な「大正」は失われてしまった。

なので、時が経つにつれ少しづつ、僕の中の「大正」という時代へのリアリティは失われていったのだと思う。

そんな、自分の中の元号との距離感の変化に、「平成」が終わると聞いて初めて気付いた。


「平成」との距離感も少しづつ変化している。もちろん並行して「昭和」との距離も。

大学卒業前後から、日常で関わる人に少しづつ「平成生まれ」が増えてきて、今ではそれにも大して驚かなくなってしまった。

いずれ、「平成生まれ」がおっさんおばはん扱いされる時代が来る。
「昭和生まれ」は僕らが子供の頃の「大正生まれ」みたいな扱いになるだろう。

時の流れは止まらずに続いていく。

歴史の教科書で読んだ物語から連続している時代の中に、大きな流れの中に自分も生きているのだと実感した。

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「平成おじさん」こと、小渕首相は好きでした。


株価低迷の中、なにかの行事で畑に立った際、両手に野菜のカブを持って、
「カブ上がれー!」
と言いながら持ち上げていたのを今も覚えている。

子供ながらに、
「このおっさんは信頼できる」
と思ったものである。


平成終わるらしいっすよ、小渕さん。

『予期せず参加する母の日』

知ってる人は知っていることですが、僕は四人兄弟末っ子なのです。

別に今日は兄弟の話をするわけではなく、

その兄弟四人のグループラインで、
「母さんが日傘ほしいって言ってるらしい」
という話があり、某通販サイト(密林ではない)で、母親の為に日傘を買って、送付先住所を実家にして送った。

買って、母親に電話して、
「買ったけん、二、三日のうちに届くと思うわー」
という話をして、切った。

電話を切ってから気づいたけど、
日傘、意図せずして、母の日のプレゼントみたいになってしまっている。

母の日のタイミングで母親に何かを買ってあげたのって、たぶん初めてだ。

たまたま話の流れで母親にものを買ってあげたら、母の日だったという感じ。

伝わるかどうかわからないけど、この、予期せずして世間の大きな流れにハマってしまう感じ、嫌いじゃない。

たまたま変な恰好するネタ作ってたら、時期がハロウィンだった、みたいな。

何も考えずにコンビニでポッキー買ったら、11月11日、ポッキープリッツの日だったみたいな。

夏で天気良いからってだけで山登りに行ったら、8月11日、山の日だったみたいな。

あまり積極的にそういう行事的なのにどんどん参加しよう、記念日だからこうしようみたいなのしないので、意図せずその輪に参加すると、
「あ、すみません、参加しちゃいました」
みたいになる。

共感してもらえるかはわからないけど、なんか、ちょっと嬉しかった。

もちろん、母親が日傘を買ったよ電話で喜んでくれたのも嬉しかった。

いいもんですね、人に何か役立つもん買ってあげるって。

母親が前に病気した時に、恐らく人生イチであろう良いプレゼントをしたこともあるけど、
それはまた別の時に。


買った日傘の画像載せるのもいやらしいので、代わりと言っちゃなんですが、
この前渋谷で食べたでっかい味噌ラーメンの画像でも載っけときます。

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『五月病にはならないけれど』

昨日、年末ぶりにお会いした人に「ブログ読んでます」って言われて驚いた。

「最近更新されてないなぁ〜って思ってて」

確かにそうだ。

前のブログから書くべきことはいくらでもあったのになぁ。

生活がわちゃわちゃし過ぎてて、書くための時間を取れてなかったのと、
だいたいのことは要約してツイッターで済んでしまってたというのが言い訳。

まめにチェックしてくれてる人に実際に会うと、俄然やらねばと思うもんですね。


ともあれ、本題。


毎年思ってるし、その度書いてることも多いけど、

春って季節は厄介なもんだと思う。

冬が終わって、寒さに耐えて生き延びようとすることに必死にならなくてもいいようになる。

そうなると、頭をもたげるのは、
「で、お前は何をすんの?」
っていう自問自答。

人類の歴史で、生きるか死ぬかの狩猟生活から安定の農耕生活に変わって、心の余裕ができて文化が生まれる過程に似てる。
物理的、肉体的にしんどくなくなった分、精神的なところの働きが活発になる。
で、やたら焦燥感に駆られたりする。

新生活、新入学、新入社員、そうでなくても何か浮足だってしまう上、
そういう自問自答が頭にへばりついているので、ウキウキするよりも内心ソワソワする方が勝っている状態が絶えずある。

サークルの新歓コンパだとか、プレミアムフライデーだとか花見だとかでうほほーいってなってる人達を横目に、
自分のやるべきことを考え直して、やる気を維持している季節。

去年の春はどうだったかを思い返すと、
事務所関係でも、私的な部分でも、本当に状況がガラっと変わって、よくハゲなかったもんだと思うような春だった。何にせよ浮かれてはなかった。

大体4月はそんな風に、自問自答のソワソワ感、焦燥感に追われて、でも生活はし易くなって、だからと言ってそんな浮かれたこともせずにいる。


なので、いわゆる五月病というものを自覚したことは、一度もない。
イメージでしかないけど、新生活に過度な期待をしていてギャップを感じたりとか、状況の変化に上手く適応できなかったりとかで気落ちする現象、を五月病としての話。

僕は4月の時点でソワソワし始めて変な精神状態になるので、
むしろ「四月病」と呼べば、それは毎年罹患している。
もっと言えば、暖かくなりかけた3月末とかの時点で既にソワソワしてくるので、語呂良く言おうとすれば
「三四病」みたいなことになるのか。

「三四郎」みたいになってしまった。


そういや夏目漱石の『三四郎』も春からの新生活でのなんやかんやのお話だったな。


さらに思い出したけど、3月に夏目漱石マニアの後輩が結婚して、その場所が夏目漱石ゆかりの松山で、道後温泉入ってきて最高だったみたいなブログも書こうと思って書けてない。
また写真付きで書きます。ああとりとめがない。


とにかく、「四月病」ないし「三四病」は一生治らないと思うので、一度なったら一生ものの、花粉症みたいなものとして付き合っていくことにする。多分来年も同じようなブログ書くことになると思う。





もう、ええねや。



それは三枝師匠。


今は文枝師匠。


サニーさん。








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