青木さんに会って、お別れしてきました。
初めて会ったのはいつなんだろう。
どうやって出会ったんだろう。。。
ちゃんと覚えてないけど、2004年くらいかな。
惑星ってバンドやってた岸田くんにセッションしようよって誘われて
行ったスタジオに青木さんが居て、そこで初めて会った気がする。
うん、多分そうだ。
初めて合わせたその時に、
(当時好きでよく聴いていた)Gang of Fourのギターみたい!!!
すごい!!
めちゃくちゃかっこいい!!!
洋楽の音してる!!!
って思ったことを今、思い出しました。
それから青木さんが僕のドラムを気に入ってくれたみたいで、
日暮愛葉さんとのバンド【LOVES.】に誘ってくれて、何回かライブ一緒にやって。
その後、二人でLOVES.は抜けちゃうんだけど、
「おれは紘志とバンドがやりたい!」
「絶対、紘志のドラムが必要だ!」
って言ってくれて、
その時、交流のあったTOKIEさんを誘ってスタジオに入って。
2006年1月にベースマガジン主催のイベントに出ることになったけど、
これはすごいかもって感覚は最初にスタジオ入った時から多分みんなにあって、
決してwikiに書いてあるみたいに、そのイベントのためだけに作ったバンドではなかったと思います。
青木さんに、バンド名は【unkie】がいい!!
って言われて、その時に意味を聞いた気がするけど、そういえばなんだっけ。。。
思い出せない。汗
何かのスラングだったはずだけど。。。
青木さんに聞かなきゃわかんない。。。
アラバキに出て
1stアルバム「the Price of Fame」作って。
ジャケはおれに書かせて。絶対すごいの描くから。って言われて、
その時に初めて青木さんの絵を見て、
すげー!!!
ってびっくりして。
青木さんって絵もすごいんスね。
とか言うと、めっちゃ嬉しそうに「照れる〜」とか言うんですよね。
茨城弁で。笑
やばい、これ、このままいくとすごく長くなりそうです。。。
2ndアルバム「too many secrets」のレコーディング楽しかったな。
あのNirvanaを録ってるエンジニアのスティーブ・アルビニに録ってもらうことになって
シカゴまで行ったんですけど、確か7日間のレコーディングの予定が4日くらいで終わっちゃったのかな。
やる事ないからずっと一緒に呑んで遊んでました。
寝る部屋も同じだったから、
ホントにずーっと一緒に居ましたね。笑
レコーディング中に音楽のことで意見がぶつかって1回だけ喧嘩して。
それからその日は、必要なこと以外あんまり話さなかったんですけど、
電気消してベッドに横になって、寝ようとしたら青木さんが
「紘志。ちょっと言いすぎた。ごめんな。」
って言ってきて。
「いえ、青木さん。僕も生意気言ってすみませんでした。」って返したら
「年なんて関係ないよ。お前は生意気でいいんだよ。
対等にぶつかっていかないとかっこいい音楽なんてできないから。それでいいんだよ。」
って感じで仲直りして、明日からまた頑張ろうぜ、おやすみって。。。
なんか青春って感じでした。笑
アルビニとのレコーディングは青木さんの一つの目標でしたからね。
青木さんも一切妥協したくないし、かなり気合い入ってたんだと思います。
しかし、ほんと呑みまくりましたね。笑
シカゴのメキシコ料理屋にて。
(青木さん、吉野家じゃないですから。笑)
普段はいっつも面白いことばっか言ってきます。
僕はそれ聞いてずーっと笑ってます。
このアー写好き。
僕らがヤンチャしても、TOKIEさんはそんなに入ってこないで冷静な感じ、
このバランスがなんかいいんですよね。
青木さんに描いてもらったモヒカン時代の僕。
実物よりかっこよくしといたよーって。笑
ありがとうございます。
青木さんのおかげで人生が変わりました。
今の僕が居るのは間違いなく青木さんのおかげでした。
居なくなって初めて気付いてしまいました。
フジファブリックの志村くんの時に、
一度経験してわかってたはずなのに。
当たり前のことは当たり前じゃないって。。。
またやってしまいました。
僕は本当にバカだなぁ。
青木さんの病気は治るものだと、全く疑っていなかったから、
完全に油断していました。
基本的になんでも大げさに言う人だから、
ガンとか言われても、珍しい骨髄肉腫とか言われても、
まぁ、青木さんなら大丈夫でしょ。ってすごく軽く考えてしまってた。
だって1月にも一緒にお酒飲んで、
ガンだけにガンガン飲んでまーす、とか言ってるし、
もう全然大丈夫やんって思っちゃいますよね。
ヤバいなら今回はマジでヤバいかも、とか言ってくださいよ。。。
その時に今年はunkie絶対やるって言ったじゃないですか。
今unkieやったら渋谷WWWは埋められるんじゃないかって。
今やりたいです。。。
色々あって、3年間くらいunkie動いてなかったんですが、
その間に僕もドラムもっと上手くなったんで。
今の自分でunkieやりたかった。
また新曲作りたかったです。
バンドやれてるって本当に奇跡的な事だなって思います。
もういつかやろうなんてことを口にするのはやめにします。
いつかなんてないから。
今しかない。
今やらなきゃ。
今言わなきゃ。
ありがとうって。
思ったらその時に。
unkieは解散とかしないで、ずっと籍を置いていたいと思います。
unkieのドラマーとして、
もっともっと一流のドラマーになれるように。
活躍していけるように。
青木さんに、
「やっぱ紘志はすげーよ、お前はおれの誇りだ」
って言ってもらえるように、
頑張って生きていきたいと思います。
きっと見守っていてくれる気がします。
青木さん、
とりあえずゆっくり休んでくださいね。
今まで、本当にありがとうございました。
初めて会ったのはいつなんだろう。
どうやって出会ったんだろう。。。
ちゃんと覚えてないけど、2004年くらいかな。
惑星ってバンドやってた岸田くんにセッションしようよって誘われて
行ったスタジオに青木さんが居て、そこで初めて会った気がする。
うん、多分そうだ。
初めて合わせたその時に、
(当時好きでよく聴いていた)Gang of Fourのギターみたい!!!
すごい!!
めちゃくちゃかっこいい!!!
洋楽の音してる!!!
って思ったことを今、思い出しました。
それから青木さんが僕のドラムを気に入ってくれたみたいで、
日暮愛葉さんとのバンド【LOVES.】に誘ってくれて、何回かライブ一緒にやって。
その後、二人でLOVES.は抜けちゃうんだけど、
「おれは紘志とバンドがやりたい!」
「絶対、紘志のドラムが必要だ!」
って言ってくれて、
その時、交流のあったTOKIEさんを誘ってスタジオに入って。
2006年1月にベースマガジン主催のイベントに出ることになったけど、
これはすごいかもって感覚は最初にスタジオ入った時から多分みんなにあって、
決してwikiに書いてあるみたいに、そのイベントのためだけに作ったバンドではなかったと思います。
青木さんに、バンド名は【unkie】がいい!!
って言われて、その時に意味を聞いた気がするけど、そういえばなんだっけ。。。
思い出せない。汗
何かのスラングだったはずだけど。。。
青木さんに聞かなきゃわかんない。。。
アラバキに出て
1stアルバム「the Price of Fame」作って。
ジャケはおれに書かせて。絶対すごいの描くから。って言われて、
その時に初めて青木さんの絵を見て、
すげー!!!
ってびっくりして。
青木さんって絵もすごいんスね。
とか言うと、めっちゃ嬉しそうに「照れる〜」とか言うんですよね。
茨城弁で。笑
やばい、これ、このままいくとすごく長くなりそうです。。。
2ndアルバム「too many secrets」のレコーディング楽しかったな。
あのNirvanaを録ってるエンジニアのスティーブ・アルビニに録ってもらうことになって
シカゴまで行ったんですけど、確か7日間のレコーディングの予定が4日くらいで終わっちゃったのかな。
やる事ないからずっと一緒に呑んで遊んでました。
寝る部屋も同じだったから、
ホントにずーっと一緒に居ましたね。笑
レコーディング中に音楽のことで意見がぶつかって1回だけ喧嘩して。
それからその日は、必要なこと以外あんまり話さなかったんですけど、
電気消してベッドに横になって、寝ようとしたら青木さんが
「紘志。ちょっと言いすぎた。ごめんな。」
って言ってきて。
「いえ、青木さん。僕も生意気言ってすみませんでした。」って返したら
「年なんて関係ないよ。お前は生意気でいいんだよ。
対等にぶつかっていかないとかっこいい音楽なんてできないから。それでいいんだよ。」
って感じで仲直りして、明日からまた頑張ろうぜ、おやすみって。。。
なんか青春って感じでした。笑
アルビニとのレコーディングは青木さんの一つの目標でしたからね。
青木さんも一切妥協したくないし、かなり気合い入ってたんだと思います。
しかし、ほんと呑みまくりましたね。笑
シカゴのメキシコ料理屋にて。
(青木さん、吉野家じゃないですから。笑)
普段はいっつも面白いことばっか言ってきます。
僕はそれ聞いてずーっと笑ってます。
このアー写好き。
僕らがヤンチャしても、TOKIEさんはそんなに入ってこないで冷静な感じ、
このバランスがなんかいいんですよね。
青木さんに描いてもらったモヒカン時代の僕。
実物よりかっこよくしといたよーって。笑
ありがとうございます。
青木さんのおかげで人生が変わりました。
今の僕が居るのは間違いなく青木さんのおかげでした。
居なくなって初めて気付いてしまいました。
フジファブリックの志村くんの時に、
一度経験してわかってたはずなのに。
当たり前のことは当たり前じゃないって。。。
またやってしまいました。
僕は本当にバカだなぁ。
青木さんの病気は治るものだと、全く疑っていなかったから、
完全に油断していました。
基本的になんでも大げさに言う人だから、
ガンとか言われても、珍しい骨髄肉腫とか言われても、
まぁ、青木さんなら大丈夫でしょ。ってすごく軽く考えてしまってた。
だって1月にも一緒にお酒飲んで、
ガンだけにガンガン飲んでまーす、とか言ってるし、
もう全然大丈夫やんって思っちゃいますよね。
ヤバいなら今回はマジでヤバいかも、とか言ってくださいよ。。。
その時に今年はunkie絶対やるって言ったじゃないですか。
今unkieやったら渋谷WWWは埋められるんじゃないかって。
今やりたいです。。。
色々あって、3年間くらいunkie動いてなかったんですが、
その間に僕もドラムもっと上手くなったんで。
今の自分でunkieやりたかった。
また新曲作りたかったです。
バンドやれてるって本当に奇跡的な事だなって思います。
もういつかやろうなんてことを口にするのはやめにします。
いつかなんてないから。
今しかない。
今やらなきゃ。
今言わなきゃ。
ありがとうって。
思ったらその時に。
unkieは解散とかしないで、ずっと籍を置いていたいと思います。
unkieのドラマーとして、
もっともっと一流のドラマーになれるように。
活躍していけるように。
青木さんに、
「やっぱ紘志はすげーよ、お前はおれの誇りだ」
って言ってもらえるように、
頑張って生きていきたいと思います。
きっと見守っていてくれる気がします。
青木さん、
とりあえずゆっくり休んでくださいね。
今まで、本当にありがとうございました。