生殖行為の意味

動物(のみならず生物一般に敷衍されてますが)の生殖行動、交尾を指して、あれは自分の遺伝子を残す為に、その延長上に、より良い精子を選ぶためにあるのだ、つまり種の繁栄という表現で正統化されていますが、いつも「ホンマかいな?」と穿っています。こういう前提で多くの本を書いている竹内久美子女史が9月19日産経新聞に一文載せてます、人間だけが不倫と騒ぐ不思議 という題です。この表題だけで内容が偲ばれますし事実そのままですが、こういう前提で話を進められるといつも違和感を覚えます。哺乳類において交尾の主導権を握るのはメスです、メスがオスを選ぶ。その現象を上記の理由で説明するのですが、ホンマかいな?です。ヒトは(動物一般にそうですが)自分の遺伝子を次代に繋ぐために生きている、ヒトの体は遺伝子の乗り物(vehicle)だと喝破した(極端視)したのはドーキンス博士でしたか、その謂いに従って敷衍してのことなのでしょうが、ううむ。この女史の本を読んだことがありますが、鳥の羽の色の鮮やかなのはオスの方で、それはメスの気を引くためだ、自分の遺伝子を残す為に必死なのだと。交尾の目的、交尾前の求愛行動(これも人間が勝手にそう思ってるだけじゃないかと思うのですが)を説明するに常にこの前提です。絶対の公理扱いです。ううむ?その鳥に聞いたんかい?いえ、茶化すのではなくて、ツッコミかけるのではなくて。どうしてそうわかるんでしょうね。あくまで推測でしょうに。科学的じゃないですよね。でも誰もがその前提に乗っかってる。正しいことと前提してる。本当ですか?じゃぁ他に何か?いえ、私に対案はありません、が、そんな推測だけで交尾行動を一色に塗りつぶしてていいんですかね。そう思うのです。最近、男脳女脳を題材にした本を読んで、そこにも脳の造作の男女差を解説するにこうありました、女は妊娠して出産して子育てしなければならぬ、早々に死ぬわけにはいかぬ、男は交尾すれば死んでもいい、この差は大きいのだと。うむ。オスの身とすればそこまでバッサリ書かれると唇をかむ思いですが、そうですわね、カマキリの例のように。竹内女史の文にも同じようにあります、オスのように生殖機会の多くないメスはオス選びに慎重になるのだと。それはオスは相手定めずに打ち(射ち)続けることで遺伝子を残せるという比較論です。いいメスを選ぼうなんて原則はオスにはないという、これも前提ですか。なかったかなぁ。でも草食男子と揶揄批判する向きにはこういうニュアンスがもちろん入ってますね、男は女を口説くもんだろう、落そうと思うもんだろうという前提。ヒトと同じように一夫一婦制を保っているのは鳥類だそうで営巣行動や子育ては共同でするが、それでもある巣の中では雛の70%が他のオスの子だったという例もあるそうで、鴛鴦の契りと夫婦仲のよいことの喩えとされるオシドリでさえ毎年相手を替えているのだそうです。だから相手を代えての生殖行為(子を為そうなんて思ってないですよね、ただの性交交尾行為だけが目的です)を悪とするはヒトだけだ、そんなに目くじら立てずともというのが彼女の論旨です(そうは書いてませんが)。文中にもありますがそれが社会生活共同生活をトラブル少なく過ごす為の知恵、倫理とか社会規範とか常識とか言われるもので、それは正しい間違いじゃない、こういう枠内でヒトは(日本人は)文化文明を育んできたわけです、一夫一婦制の基本形であるわけです。そうは言うても何十年前までは日本にも畜妾や庶子は普通にあったわけです、天皇や将軍に見習って(?)です。でもこちらは動物の原則には当てはまらぬことですわね、メスが主導権を持つのではないですし、助平オヤジが使用人に手を掛けるとかの性交目的で生殖目的ではないですしね。そこがヒトと他の動物との最大の相違点です。だから動物の原則をヒトに当て嵌めるは間違いですが、彼女は続けます。女が選ぶのは「いい男」だ。するとその選に漏れる「冴えない男」は面白くない、だから浮気はいけない、倫理に反するなんてプロパガンダを流し始めたと。そりゃ違うでしょう?女史はこの論で一冊上梓しているそうですが、読みたくないです。大勢を調査してみると男女とも浮気型と真面目型に分けられるそうで、その真面目型が不倫はいけないと叫んでいると締めてます。まるで冴えない男が悪いような言い方ですが、ま、こちらはどちらでもいいです、私の噛みついてるのは動物の生殖行為の遺伝子前提論とそれをそのままヒトにあてはめてあれこれ比較する愚です。ヒトが他の動物よりも優れているなんてことじゃないです、ヒトは性交目的で交尾します、ここです。よく女は言いますね、好きな人の子を産んで幸せよねと。男は好きな女に子を生ませて(産んでもらって)、という意識がどうでしょうか。わが子が生まれるのはとても嬉しかったですが、自分の子、女房と自分の子だという意識は薄かったですね私は。いえ、誤解のないよう言明しますが自分の子?と疑うという意味ではありません。女と男の違いでしょうか,身籠るのでも出産するのでも授乳するのでもない側の悲しさでしょうか。そこまで気持ちが届きません。子を為すを目的の動物の生殖行為と性交(快楽)目的の不倫とは同列じゃないですよね。少し考えれば分かることですし、女史も求められて面白おかしく書いているだけのことでしょうが、彼女達学者が前提としている生殖行為の目的説明に科学性がないことも前々から訝しく思っていることです。我が遺伝子を残す為に、なんてことどうやって証明しますか科学的に。ヒトのような快楽目的だけの交尾が他の動物にないことを証明することができぬように。あくまで仮説です。推測です。それが正しいとしている、だけです。文中に、タヌキは一夫一婦だがオスはいつもメスと一緒にいる、それはそうやって監視してないとメスを攫われたり逃げられたりするからだと説明してありますが、ホンマかいな?タヌキに聞いたんかい?あなたがそう思ってる、勝手にそう解釈してるだけでしょう?ヒトの感覚に当て嵌めようとしているだけでしょう?ヒトの頭では考えもよらぬ原因、魂の叫び(魂があるとすれば)があるやもしれないでしょう?種が違うんですからわからぬことばかりでしょうに。と、言いたいのでした。ただのねじこみ、でしたか。

こじつけと看板替え

イグノーベル賞は以前から知ってます、語源はnoble - ignoble のもじりだろうこと、日本人がよく受賞していることも。カラオケを作った人が昔受賞してましたね、あれが象徴的でそういう賞なのだろうとも理解してます。今次、日本人が11年連続受賞したという慶事とあわせてオス・メス入れ替わりの虫(朝日新聞の見出し)の発見でマスコミが採り上げてます。ふむ。ブラジルの洞窟で小さな虫の40~70時間もかける交尾を観察しての発見だったそうです。立派な昆虫学問だと思うし、こういう根気と好奇心、興味の傾注(する人)があればこそ人類は知識を増やしてきたのであってとこちらも「立派に」感心するのですが、本来の昆虫学会は相応に評価するのだろうかとの皮肉と、こういう賞の存在と受賞者たちの困惑加減も面白いと思うのです、誰もこの賞を目指さないでしょうしねノーベル賞じゃないんですから。で、この虫、メスがオスの体内にペニスを差し込み精子と栄養分を長い時間を掛けて吸い取るんだそうです。へぇ。雌雄同体とか同じ個体でも雌雄が変わる生物がいますね、もちろんそれとは違うし、性の分化の意味とか交尾交配の意味とかを考えさせるというより、オスメスの交尾様式にも色々あるんだという事実ですか。でもこの記事見た時には、そんなに面白いことかなと思いました。でも見つけた本人の弁を読んでああなるほどねとも思いました、女の子にもおちんちんがついていたと子供にも分かり易い驚きがあると。ああ、そうか。そういう見方か。でも(でも、が多いですが)オスメスを女の子男の子と呼び変える風潮があるでしょう今、ペットの猫を指してこの子は女の子で云々かんぬん。先に生まれたパンダの子もそうです。こんな小さな虫を捕まえて女の子はないでしょう。もっと突っ込めばいわゆる「ふたなり」の人は歴として存在しますし。なんて、いつも安易な言葉狩り、重箱の隅つつきを強く非難している者が同じことやってはならぬのですが、だからイグノーベル賞なのだ、だからこれだけ脚光を浴びたのだという合点をうつことでした。しかしどの分野にもこういう長年これと決めたテーマを追い続ける人が多くいるという事実です。こういう根気のまるでない者には仰ぎ見るばかりです。
 もう一つ話題を。遺伝学会が優性劣性の呼称をやめて顕性潜性と言い換えるんだそうです。それぞれ英語ではdominant、 recessive です。そもそも遺伝子に優劣はないことが大きな理由と挙げられてます。遺伝子そのものには優った劣ったの差はないのだということで、言葉難しく言えば形質発現(見た目の違い)するのに出やすい出にくいの差があるのですが、それを優劣と表現していたわけです。覚えておられますか理科の時間にメンデルの法則、赤い花と白い花を交配させる実験、赤が優性白が劣性なのです、白い花は出にくいのです。血液型もそういう遺伝します。色盲、今は色覚異常と呼びますが、これを今度は色覚多様性とまた呼び変えるんだそうです。古くは昭和天皇の嫁さん探しの際に山縣有朋がイチャモンつけた事件は有名ですが、こちらは伴性遺伝といって性染色体上の遺伝子が症状を出します。外見や症状発現するにその遺伝子に強い弱いがあるという認識がわかり易いと思いますがそれは優劣ではないという、ま、言葉狩りです。いいじゃないかと思うんですがね昔からの学術用語なんですから。色盲が色覚異常に呼称変更なった時、小学校の体力体格測定項目から色覚検査がなくなった時、あれこれ理由が並べられたこと思い出します。色覚異常の男は結構多いのですよ。女より男に多いのです、だから伴性と冠がついてます。新聞記事によると、それを異常と呼ぶのはおかしい(赤緑の区別のつきにくい人が多くいるからです)、異常ではなくて多様性だと。ま、呼び名はどうであれ、だからといって現代では「差別」はないのです。昔は多くの資格欠落項目に挙がってましたが、例えば色盲の者は医者になれませんでした、今は全廃されてましょう。言葉狩りですよね。昭和の戦争前の本読むと劣性民族とか平気で出てきます。名のある学者の文中にも今の基準で言えば差別用語が差別表現が頻出します。だから時代の匂いを感じることができるということですが、言葉変えても人の評価までは変えられません。しかし、今後の人達、そういう言葉で育つ人達には色はつかぬことではありましょう、学者や役人の考えそうな大正論ではあります。痴呆が認知症に(この変更には未だに抗う人がいますが)精神分裂病が統合失調症に、ニュアンスの変更を意図した改名も多いことです。ニュアンスこそが病気の本質だろうし重症度の基準だろうにと思うことですが。ああ、もう一つありますよ、劣情。これも消えますかね。消されましょうか。劣情を催す。同じニュアンスを伝えるに他の言葉がありましょうか。

忖度は悪?

本来忖度とは相手の心中を慮る、推し量ることですね。誰誰の心中を忖度するに・・と使います。が、あのモリカケ騒動で要らぬ色が付いてしまって(拡大解釈ならぬ過敷衍)、空気読め!という強制、上司や権力者の意を体せよの要請を含意して使われてます。忖度してはならぬ、忖度は悪事、の方向です。本来はそこまで含まぬ言葉です。民進党のアホどもがこの単語を連呼して攻め立てて、マスコミが面白がって。しかし元はと言えば安倍さんが使ったのだったですかね。総理大臣の言うことだから聞け、そう言われたから仕方なしに違法に手続きを進めた、それをあの前次官は行政が歪められたとマスコミが飛び付くような、俗耳に入り易いフレーズで表現したわけでした。産経を除いてどの新聞もマスコミも無視して報道しなかった、前愛媛県知事の証言で誰が悪いのかがはっきりしているというのが保守系月刊誌や週刊誌の共通した認識です。確かに素人が読んでもそう思います。そもそもあの特区内容の最終決定者は総理なのですから、行政を歪めていたのはどちらか?の話なのですが、いえ忖度の話です。籠池のオヤジのあの強烈な色にも引きづられて、忖度は悪いことだと流されてます。もちろんそんなことはないですし、正しく使いなさいよということなのですが、毎日新聞に「忖度とは何か」というそのままの論文が載ってました(9月3日)。日本世間学会(?。色んな学会があるんですねぇ。大宅壮一言うところの駅弁学会)幹事のクレジットです、大学の名誉教授の筆です、ですから70歳前のおやじでしょう。この文の結論はこうです、忖度は日本の美しい伝統であって組織内の葛藤や対立が顕在化しないように人間関係を円滑にするメリットがあるとの意見もあるが、それは違う、命令や指示なしに忖度が要求されることで責任の所在を限りなく曖昧にし組織内の不正を許してしまうから、と。忖度なんてなくなった方がいいに決まっている、と締めてます。毎日新聞が載せそうな文なのですが、どう思われますか。命令や指示なしに忖度が要求される。文中では、日本に独特の空気を読めという強い同調圧力と言い換えてます、法令遵守もいいがもっと大人になれよと暗に圧力をかけられることとも書いてます。その通り。それが忖度の意味かどうかは措いて、世の中はそう回ってますから。文では外国特派員相手の籠池さんの会見の場で通訳が忖度を英訳できなかったことを引いて、西洋にはこういう概念がないのだと強調する。他人の気持ちを推察することは西洋人でも理解できるが、空気を読みあらかじめ上の意向を察して行動を決定するという日本人独特の考え方は西洋にないと。ああ、そうなんですか。西洋人と日本人とは精神構造が、文化の深さが違います、こっちの常識を向こうがわからないことがあってもおかしくないです。それを、こういう学者の常で日本が劣ってるという色付けする。日本がおかしいと来る。日本では法のルールに優先する世間のルールがある、それが犯罪の抑止力になっていると認めておきながら、だから法のルールは建前に過ぎぬものになってちゃんとした命令や指示がなくても物事が忖度で回って行く、これでは西洋人が理解できぬ筈だ、ときます。筆者の忖度嫌いは昂じていきます、日本の世間のルールの下では西欧流の個人が存在しないので(出ました、個人主義礼賛、西洋かぶれ)過度にお互いの心中を察することを要求される、それを私は「共感過剰シンドローム」と呼んでいると鼻の穴膨らませてます。あなたがどう名付けようと、どう嫌おうと好きにすればいいが、どうしてそんなに非難されねばならぬことですかね。それが日本の文化です、日本が二千年以上培ってきた文化ですから。共鳴する共感する、そして争いごとを避ける。三方よし。当事者二人だけでなくもう一人(つまり世間です)の便宜も考えてきた文化です。何を悪しざまに言うてますかね。なぁなぁが嫌いなんでしょうね、良く言えば。責任の所在をはっきりしたいんでしょう、不正を隠したくないんでしょう。となるといちいちに争いごとになる。そういう煩雑さを避ける、社会的な不全状態を避ける手段だったわけです。まさしくの左翼思想ですな。進歩的文化人様には我慢ならぬことなのでしょう。空気読めない奴なんでしょうな筆者は。だから噛みついてる。いえ、決めつけてはなりませぬが。

livedoor プロフィール

昭和32年 1月6日生まれ
昭和50年 山口県立柳井高校卒業
昭和58年 大阪医科大学卒業
昭和60年 梶川脳神経外科病院 勤務
平成04年 6月1日開業 現在に至る

・医学博士
・日本脳神経外科学会認定専門医 No,2746
・柳井医師会副会長

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