基準値の罠

日本人間ドック学会(なんかおかしな響きですね、昔から思ってることですが)が2015年分の全国集計して発表してます、基本検査の全項目で異常がなかった者は全体の5.6%で、前年を1%下回ったそうです。どう思われます?人間ドック(この造語がおかしいんですねきっと。船の修繕やメンテナンスをドック入りなんて言いますからそれをもじったんでしょうが)ではなくて、通常の健康診断でも全ての検査項目(おそらく血液検査の結果でしょう)が基準値内にある者は10%以下だとこれも平気で発表されてたことを思い出しました。10%でもええ?でしたがさらに少ない5%台・・。こういう結果でしかし連中(検査する側、基準値を制定している側)は恬として平気なわけです。この稿のネタ元は Medical Tribune という業界誌が出してるネットニュースの記事です(2016.9.28)。そこで検査する側の医者、笹森斉というこの学会の統計調査委員会委員長の肩書下げたのがこの結果を解説してます。この結果は受検者のうち高齢者の増加による平均年齢の増加が原因だろうと。平気でしょう?自分達がやってるこの検査自体が、判断基準自体がおかしいとはまるで考えてないのです。皆さんはどうお感じですか。そうかぁ。現代人は皆病気持ちかぁって?とんでもない!検査した者の95%に何らかの異常があるってどんな基準なんですか?「異常なし」の反対は異常者ですね。そう非難するときっと向こうさんは、異常値があるからと言って即病的状態とは言えない、なんてシレっと言うのでしょうがしかし、しっかり異常値が赤字印刷されたり下線引かれたりしている検査結果見せられると素人はそうは思わないし、つまりそれが向こうさんの思う壺で、専門医を受診することを勧めますなんて但し書きをつけて、予防という大嘘を被せて無用の薬を飲まそう(薬を売ろう)という流れです。ひとえに素人騙し。宗教ビジネスと一緒です。こんなに異常者が多いのは日頃の節制が足りぬのです、血圧、コレステロール、中性脂肪、血糖値、尿酸値、もろもろ、もろもろをしっかり下げましょうと来るのです。さもなくば病気になりますよと脅すばかり。やくざもかくやあらん、ですよ。この仏壇買わないと祟りがありますよ。あなたには悪霊が憑いている、祈祷しなければ一家に累が及ぶ、財産をすべて寄付しなさい。この手の詐欺と一緒です。あなたの150という血圧は脳卒中を起こす虞れを大きくする、だから薬を飲みなさい。同じでしょう?数百万と千円二千円の違いだけです。でもこちらは数稼げますからね。薬屋さんは大儲けです。そう、健康診断の無意味さ無効さは近藤さんだけじゃなく多くの医者が認めていることですが、製薬会社の政治力(ロビー活動)、その尻馬に乗っているバカな医師会歯科医師会の後押しもあって、御大層に予防という大嘘の御旗を掲げて、検査結果だけの医療に貶めているのです。もっとも最近の医者はパソコンの画面ばかり見て、患者さんを見ない(診ない)そうですから、どちらが先かわかりませんが双方向、この供給にしてこの需要ありではあるのです。検査結果の異常を病気と決めて薬を出す、それが今の医者の仕事なのです、例えば大学病院、例えばあなたの街の大病院、特に若い医者の外来診療。思い当たるでしょう?全てはここに素があるのです。その人の状態を見ない。元気な人にどうして手を加える要があるのか、そういう極々常識的な判断が排除される。検査値至上。間違っていることは明らかですが、EBM(効果があると数字で証明されてる治療法だけが許されるとするドグマ:ドグマですよこれ。皆有難がってますけれど)がこれだけ幅を利かすと数字だけを頼りにするのは自然な流れではあります。もう一つ指摘しましょう、人間ドックも通常の検診も、検査結果を説明してくれぬでしょう?結果の紙(冊子)が送られてくるだけで。つまり端からあなたを診ようとしない、検査結果だけを求めるものなのです。しかもそれが95%が異常持ちなんて無茶な結果が出る検査と来ては・・・原因と言うか理由はとうにわかっているのです。コレステロール値はコレステロール学会や動脈硬化学会が決める、尿酸値は腎臓学会、肝機能項目は肝臓学会、血圧は心臓、循環器学会、いわばそれぞれが勝手に決めてるんです、一人の人間のトータルなものとしては全然考えてない。いわば各臓器ごとの理想値ばかりが並んでいる。いえ、連中に言わせればそんなことはない、十分に個人差を反映して幅を取って設定してあると弁明するでしょうが、一人の人間としての均衡や揺らぎまで考えに入れてない(元々考慮しようがないことではありましょうが)から、「異常なし」が5%しかいないという検査自体の異常さを感じられないのです。異常なしが5%しかない基準自体がおかしいのです。普通は逆でしょう?正常が9割、それに外れるのが異常。こっちが普通です。だから全てが基準値(これを正常値を言い換えて異常を殊更に強調脅迫する向きもそこここにいます。あなたのかかりつけ医はどうです?)内に納まっている人の方が実はおかしいのかもしれないのです。背丈が違う体格が違う、ヒトは個人差の塊です、臓器の造りや数が同じだけでその動き具合、他の臓器との関連、体調の波の影響等々、皆違うんですよ。みんな違ってみんないいという金子みすずの詩には皆頷くくせに、内心の自由なんて言って思想思考の自由さは当然のこととするくせに、こと体重や血圧や血液検査結果については横並びを強制する。おかしいでしょう?ヒトの体は文字通りの十人十色なのです。だから科学できぬのです、数字で置き換えられぬのです、一般式を作れぬのです。そこにEBMなんて似非科学を持ちこんで、個人差を無視しようとする。確率で割り切れるほど単純な現象ではないのです人体の変化は。と、とめどなく非難が湧き出ますが、所詮は医療はテーラーメード、オートクチュールなのです。「吊るし」の治療法は、外れても私には責任はないという言い訳を含んでいます。EBMの本質はそこです。外れることもありますが、それは制度的前提ですからという言い訳。抗がん剤治療を思われれば合点がいくでしょう。本人の状態や家族背景、人生計画などを見て考えて選ぶ治療ではないのです、癌の種類、進行具合、このタイプにはこの薬のこの使用量という今迄の使用経験、マニュアルだけが拠り所です。外れると髪の毛は抜けるわ、吐いて吐いてげっそり痩せて、挙げ句死んでいく。医者は悪びれませんよ、悪いのは癌ですから。ひいては癌を生やしたあなたですから悪いのは。そして薬が効かなかったのはあなたが効かない体だったからです。健診も同じ考え方でしょう?健診は治療ではない、予防策の一助だという逃げは効きません、病人を次々に作っているのは歴たる事実ですから。今の医療は本人を見てません。病を見ずに人を診よ。病を治すは下医、人を治すは中医、社会を治すは上医。医者が治すのではない、神が治し賜うのだ。あれこれ昔から医療に対する箴言はありますが、現代の医療はことごとく離反しています。人を診るのではなく病ばかりを見る、追う、探すからです。こんな大きな流れに私如きが歯向かったところで何も変わりませんが、やはり噛みつくべきは噛みつくべしと思います。そしてそう言い続ける。本流とちがう考え方を聞かされる受診者さん達は困惑されますがこういう捉え方もあるとは知ってもらうべきと思っています。天の邪鬼。我ながらそうは思うているのですよ、これでも。

誰?

体外受精による出産が2014年に47322人だったと日本産科婦人科学会が発表したと新聞記事です。過去最高数だそうです。凍結保存した受精卵(これがよくわかりませんが)や卵子を使っての出産がその殆どだそうです。卵子の老化とセンセーショナルに報道されて、若いうちに卵子を採り出して凍結保存する、時期が来てから体外受精して自分の子宮に戻して妊娠出産する、こういうケースが多いんでしょうね。そこまで詳しく書いてませんが。体外受精とは精子と卵子を採り出して顕微鏡的に受精させるのです。例えば、精子に泳ぐ力が足りずにセックスして射精しても卵子まで辿りつけないケースや、射精はできるがそもそも精子が含まれてないとか、もっと第一義的に射精できない、勃起しないなど、男性に原因の不妊も多いのです。不妊治療と言うと女性側に責任を求めることが多いのです、受精してもうまく子宮に着床しないとか流産するとか。でも体外受精してもこっちが原因の場合は効果がないですよね。つまりうまく受精できないケースに対しての手段。精子や卵子としての機能に問題なく、妊娠維持する為の子宮機能に問題ないという前提。不妊症と一言で括りますが対象はかなり限られます。が、このタイプが多いのでしょうね。実施した数(分母)は39万3745件だそうです。成功率は10%台です。その記事に一行、夫以外の男性から提供された精子で誕生した子は100人だった、とありました。精子がない(射精できぬ、勃起できぬじゃなくて、睾丸内に精子がない)、あるいは精子があっても機能不全の場合は他の精子が要ります。夫以外の精子です。体外受精による出産は1983年に東北大学で初の成功とあります。もちろん公式な記録ですから、それから漏れるモノ、言うところの「もぐり」の成功例はもっとありましょう。学会に入ってない(外されてる)施設はカウント外ですから。その筆頭が、公然と本流に(学会に)抗ってる有名な医者、根津八尋さんです。いつも新聞には長野の産婦人科医とクレジットされる人です。学会の上記の発表が新聞に載ったのは9月17日、その翌日にどうだとばかりにもっと刺激的な発表します。夫の父から精子、20年で173人誕生。小さな片隅記事ですが、この見出しきついでしょう?夫の父かぁ。ええ?聞き直す見直すの態です。夫の父とは祖父さん。その精子。つまり腹違いの弟を息子にするわけですな、正確には。何が正確なのかよくわからぬとは言え、家系図書くとそうなりますね。昔なら妾腹の子、余所に儲けた子。嫁から言えば義父の子。いかに遺伝子が似ているからと言って、それでいいんですかねぇ。いえ、これが「正式な手順」を踏んでいればそれこそ道ならぬ子になり親子断絶モノですが(AVネタです)、そうではない、双方承認済みのところが気持ち悪いです。双方とは祖父も祖父なら嫁も嫁という意味です。息子は葛藤の末というヒーロー気分でしょうが、自分は痛くも痒くもないことですからね。俺さえ辛抱して我が子として育てようと決意すればいいんです。自分以外の精子を使う、その選択肢は他人、兄弟、父親のいずれかです。消去法で父親になるのでしょうが、でも、その子が大きくなって事情を知ったら(誰かが言いますからきっと必ず)どうなるのでしょうか。ま、外野が要らん心配せずともいいことですが、根津さんはこういう批判を全く意に介さぬのです。必要な人に必要な技術を供与する、この信念(言い訳)です。学会の制止など聞きません。非難中傷の類もものかわ。倫理より現実。目の前で挙児を希望している人にできるだけのことをする。これが大義名分です。姉妹の卵子を使う、母親に産んでもらう、あるいは全くの他人に産んでもらう(借り腹)等々、女性側の手段はもっと多彩です。上記した如く誰の精子と誰の卵子という根拠だけで親子関係を想定することがいけない、無意味だという意見もあるでしょう。技術はそういう枠を越えているんだという言い訳です。でも、人はそういう関係の中で生きているのです。それが家系です、血です。口さがない噂話という非難はあるのでしょうが、いいえ、世間は正しいことを言うているのですから。だから気持ち悪い。いえ、生まれたその子が、ではないです、そういうことすることが、です。困っている人のための技術だ。それでいいんでしょうかね。倫理とか道徳とかそんな言葉を振りまわすのではないです。そりゃ違うだろう?です。単に、ええ?です。私はこの違和感を拭えません。何度この手の記事を読んでも同じ感情が湧きます。この感情は「正常」でしょう?違いますか。

社会正義の安直

相模原の障害者施設での惨殺事件、全容解明が待たれるなんてTVは思い出したように(つまり忘れてないぞというアピールですが)言いますが、何を指して「全容」なのですかね。犯人が捕まっていれば、こいつを外に出さなければいいのでしょうに。どこまで知りたいのでしょうか。どうしてこんなことやったか?でしょうね。前にも書きましたがそんなこと100年経ってもわかりませんよ。もっと正確には普通じゃない奴への個人攻撃はこの人権社会ではできないのです。そして加害者の人権はアンタッチャブルですから。とすればその周り、つまり環境因です。責め易い所に行くばかりです、来し方(育ち、家庭)です、行政です、病院です。でも親の責任は表立ってはマスコミは言挙げしませんね不思議に。人権擁護の高い高い壁です。週刊誌が出るのを待つしかありません。そして、なぜ起こった?じゃなくてどうして防げなかった?の追求。元より防ごうとしてないんですから防げるわけもない無茶な話なんですが、事件が起こったら起こったで嬉々としてマスコミは集団暴力をふるいます。総掛りです。何やってんだよ~!そしていつのものように何も変わらずに皆が忘れるに任せられます。何も変わらずに危ない奴も野放しのままで。マスコミはさらに問題をすり替えます、危ない奴をどうこう論ずるより、障害者が生きる価値がないと犯人が公然と言った事実に反応して、障害者たちに語らせます。問題はそこじゃないでしょう?こういう無茶する奴をどう取り締まるかであって、障害者を差別蔑視してはなりませんを啓発することじゃないですよね。こっちの方がた易いことですし、社会正義とやらを振り回しておけばいい安直に納まっておればいいとはいえ、すぐに過剰になりますからごく普通に生きている普通の人間は食傷します。でも、しつこいのです。障害者に語らせる記事が載ります(毎日9/15)、『上から目線で「社会的弱者」とレッテルを貼っていることに違いはない』、『健常者からは「守るべき存在」と見ることが美しいのかもしれないが、結果として障害者を「ペット扱い」していることに気づいてほしい』、『命のみならず名前も奪われた犠牲者の皆さんに哀悼の意をささげるとともに、犯人を生みだした社会の全てを変革し、誰もが自由に生きる社会を実現する為に力を尽くしたい』と。1996年生まれの男子東大生の文章です。いかがですか。誰もが自由に生きてますよね、自由がないからああいう事件が起こったのですかね。違いますよね。まぁ二十歳の子の文章ですから目くじら立てることじゃないのですが、「社会の全てを変革」などできませんから。この惨劇はひとえに犯人の勘違い、思いよがり独り善がりから起こった出来事です。こんな奴はゴマンといましょうが、こういう行動をとるかとらぬかの紙一重が分厚いのです普通は。だから普通は起こらない。障害者は死んでしまえ。それは間違った考え方だ。マスコミの流れはここの啓発に集中してます。だから違和感が拭えぬのですね。障害者は生きている価値はない、なんて表立って誰も言いませんし、だいたい考えませんわね。そこを無理矢理にそうじゃないのだ!勘違いするな!なんて怒られても、何?ですから。文章書いた彼も社会的弱者という置き場に異を唱えるばかりなのです。ペットという表現は思い切ったことで、若さゆえの勇み足かとも思いますが、そんなこと全然思ってませんから普通の人々は。警察もマスコミも弱いところしか責めない。追求しない。本質外しても恬として平気。そしてまた同じ事件が起きて同じような騒ぎになる。マスコミも行政も警察も人権の高い壁の前では予定調和するしかないのです。
livedoor プロフィール

昭和32年 1月6日生まれ
昭和50年 山口県立柳井高校卒業
昭和58年 大阪医科大学卒業
昭和60年 梶川脳神経外科病院 勤務
平成04年 6月1日開業 現在に至る

・医学博士
・日本脳神経外科学会認定専門医 No,2746
・柳井医師会副会長

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