自己責任考2

東京福生の公立病院での透析拒否による患者死亡事件、承前。医者が悪い(担当医の対応、病院の方針、倫理委員会を開いていないなどの手続き不備などあれこれ合わせて)という流れです。死んだ44歳女性は無謬無敵の被害者に祀り上げられてます。TVはあれから採り上げませんが新聞はまだ書き立てます。あれこれほじくりだして同じように透析せずに亡くなった人が20人いることを報道し、とんでもない病院だ!との印象を与えてます。日本透析医学会が調査に入り、東京都も調査に乗り出しているそうです。都が何の調査するんですかね。保険医療に反するとか、都条例に抵触するとか?刑事事件じゃないですよねまだ。今朝の中国新聞は珍しく中立中庸の意見です「救命か患者の意思か」との見出しです。重んじるのは救命か自己決定権か。現代の社会は(医療現場も例外ではなく)本人の意思こそが尊重されるべきというPC(ポリティカルコレクトネス)全盛です。医療現場についていえば、医者の言いなりになる、医者の判断だけで治療が決まる、本人の意向は副次的なものと閑却視される実態を改めるべく(医療のパターナリズムと呼称されて大非難を喰らいました)、インフォームドコンセントを徹底せよと過ぎているのはご存知の通りです。本人(家族)の意向なくして何も前に進みません。今時どこの病院においても金科玉条です。無視しようものなら大叩きされます、手術一つするのに一冊の本になるくらいの枚数の書類に承諾のサインを要請されます。それに慣れている(慣らされている)都会の勤務医です、説明とか手続きとかに抜かりはないでしょう。で、今回のように本人の意向を尊重したのに、PCに背いたとなるとこれです。もちろん死亡という結果を受けての過剰反応です、正義の味方達の憤りです。死ぬと分かっているのになぜ?ときます。いやいや、本人も十分にわかっていたことです、今更のように他人がとやかく言い立てることじゃないです。でも、こうなる。寄ってたかっての集団暴力です。いつものことです。上記しましたが亡くなった人は問答無用、無敵無謬の被害者です。悪いのは医者です。そういう構図で総叩きです。本人が悪いなんて言うのではないです、が、本人の意思を受けての治療自体を非難するのはどうですかね。治療しないことを選択肢に提示することがいけないという流れです。今朝は朝日新聞も採り上げてますが、意外や中庸調です。この事件、連日毎日新聞が先頭切って非難しているのですが、寄らば斬るぞのPCブン回し一派の盟主とすれば中国新聞と同様に意外と淡々と事実を並べるだけです。が、毎日は黙ってません、論説委員の記名コラム「プリズム」で正体表します。野沢某は言います『治療中止を選択肢として提示するのはいかがなものか、抑うつ神経症で自殺を図ったことがある患者に対しても提示するのか』いいえ、そんなことする医者はいません。うつ病患者にそもそも治療選択などできないことは常識ですから。単なる言いがかりです。『インフォームドコンセントを得ているからいいのか。十分な説明だったかどうかを医者が判断していいのか』何時間説明したとしても本来の医学知識量に天地の懸隔のある者間の理解の差、溝は埋まらないです、それはあなたの言う通り。だから知識のある医者が良かれとリードして治療するのが今までであったわけです、医者は性善であるという前提ですが。それを崩して、素人判断であっても本人意思至上と言い募るのがあなた方の勢力でしょう。こういう場合だけいけないとはあまりに整合性のないことです。つまり身勝手。『(精神科医の斎藤環さんがインフォームドコンセント第一主義を新自由主義的だと評価しているのを受けて)患者が自分で判断して責任を取れという、自己責任を過度に重んじる考えが新自由主義的だという捉え方はもっともだ。』上記したように従前の医療をパターナリズムと批判して現行の患者(素人)意向重視に変更したのはあなた方PC軍ですから。『苦しみ追い詰められている患者がどれだけ正常な判断ができるだろう』だから医者が治療しない(死への)選択肢を提示するなんてとんでもない、と言いたいのでしょうが、この選択肢を隠すことが患者のためになるとの前提ですな。違うでしょう、今時。全てをテーブルに並べるのがPC上正しいのでしょうに。私も常に外来でこう話してます。特にガンと宣告された人には第一に挙げます。このままにしておくのも正しい選択ですよと。自分の人生でしょう?それが自己決定でしょうに。同じ医療治療の現場でも、ある時は医者の誘導を非とし、ある時は患者の自己選択を非とする。そしてそれは結果次第であると。患者が死を選ぶのはおかしいという前提、それは全て医者の誘導であるとの決めつけ。病気を前に死を選ぶ人も当然存在するのですが、そこに想像が及ばない。それは最後の言いっ放しのような一文に明らかです『患者が意思確認書に署名したから、それでいいという話ではない』。彼女の担当医もそんなこと思ってなかったはずです。何度も意思確認したはずです(普通はそうしますから)。さらには彼女本人がどんなキャラクターであったか、どんな人であったかまでは記事ではわかりません。担当医との信頼関係とか意志疎通具合とか、この結末に至るにはほかに多くの要素が絡んでいるはずです。この論説委員のこの論は乱暴稚拙に思いました。もっとも、週刊文春の今週号は、この病院の取材への対応の悪さを書き、独断専行がなかったのかと疑問を呈してます。医師側に問題がなかったと私も言うのではありません。が、この事件は犯人探しではなくて、次々に新しく作られる権利問題(治療しない権利、迷う権利、強制しない権利等々)でもなくて、自己責任の究極、みずからの死の選択問題(尊厳死、安楽死)に発展してもらいたいと思うことです。マスコミもこっちに向かってもらいたいのですが、犯人捜しの方が面白いですからねぇ。

自己決定権考

東京福生の公立病院で透析を中止して、それは44歳の彼女が望んだことだそうなのですが、そのまま死なせてしまった。すわ、大事件だとマスコミが、特に新聞が頻りに叩いてます。これが高齢者ならきっとここまで騒動にはならずに片隅のベタ記事で終わっていたでしょう。44歳だからこうなった。透析続けていたらもちろんこんなに早くに亡くなることはなかった、殺人じゃないのか、こういう咎めです。いつものようなマスコミの正義の刃です。PCの刃。TVは透析を何十年も続けて元気にアクティブに過ごしている女性を写します。うむ、やりそうな印象操作です。が、透析している人たちの実際の多くはそうじゃありません。週に三日も(人によって違いますが)何時間も拘束されて、透析した後は体調はすぐれない。顔色はどす黒く変化していく、健康状態を保てている人は(透析しているのですからそもそも健康ではないというわけですが、これは健康の定義の問題です)数少ない、やがて社会から退場を余儀なくされるのです。44歳という若さであれば、将来をはかなむ気持ちも無理ないことです。で、透析の担当医は彼女のそういう思いを受け入れた。で、果たして望み通り亡くなった。マスコミの持ちだすのは一般的なPC棒だけではなく、その根拠として透析学会の治療指針(ガイドライン)です。ガイドラインにまさか、透析を中止して不利益(端的には、死んでしまう)を被むることが予想される症例に本人の意思ならば中止してもいいとは書いてないです。紹介されてますが、終末期でいよいよ最期という時か、透析することが不利益を生ずるような場合かに限定されてます。それを第一の根拠にして、この44歳女性の場合はこれに当てはまらない!と非難しているのです。ま、やりそうなことです。が、そのガイドラインにはきっとこう但し書きがあるはずです(どのガイドラインにも、たとえば血圧やコレステロール治療の指針にも書いてあることです)、この指針はあくまで指針であって、実際の治療に際しては各症例に沿って考慮すべしと。つまり参考に過ぎぬと。いや、実際は違いますよ、今次のように医療事故が起こるとまず学会の出している指針に対する違反の有無を調べていきます。裁判でも判断の根拠にされてます。もちろん原告被告どちらか都合のいい方が持ち出すことですけれど。でも、本人が望んだことです。医者が勝手に本人の望まぬ要らぬ治療したとか本人の意思を確認せぬままに手術したとか、何につけても本人の意思をまず第一に尊重する現在の価値観です。今回のようにはっきりと本人の意思が書面に残されているケースにおいてもこの咎めです。それにこのご時世です、大きな病院(田舎の開業医ならいざ知らず)でこんな大事に対してインフォームドコンセントが不十分なはずもなく、上司も院長も皆知ってる上での決定でしょう(院内で倫理委員会は開かれなかったそうです、毎日3/10)。毎日は一面トップでこうセンセーショナルに大見出し打ってます、透析中止を院長了承 と。だからそれは当然ですって。院長まで事案が上がってるという手続き上の正当さですわそれは。院長が了承した?という非難は全くの筋違いです、これぞ印象操作です。院長が止めるべきだった!本人に翻意させるべきだった、そう非難したいのですが、それは全くの筋違いです。PCが過ぎます。前日には各全国紙が、この病院は透析が必要になった症例に対して透析治療開始前に「透析しない」の選択肢を与えていて、終末期ではない患者149人のうち20人がそれを選んでそのまま死亡した、という事実を伝えてます。その見出しはこうです、20人透析せず複数死亡か(朝日3/9)、20人透析せず全員死亡か(サンケイ3/9)、医師から死の選択肢(中国3/8)。偏向報道ですねぇ。まるで治療せずにみすみす殺したとでも言いたげです。フェイクに近い。本人が望んでいるのですよ。この病院の手続きに齟齬はないです。本人がそう願ったことじゃないですか。本人の意思を尊重して尊厳死安楽死をと求める声が多いことを知りながら、そしてある時はそちらに沿う記事や論説を載せながら、一旦事が起こるとPCの使者然として大叩きする玉虫態度を恥じぬマスコミ。毎日が妙にきつく追及してますが当然に毎日側の医者の意見を載せます、帝京大の生命倫理の女学者の弁「医師の独善だ」「死の選択肢を示し、結果的に死へと誘導している」、千葉の病院の院長の言葉「医師による身勝手な考えの押しつけで、医療ではない」とか。治療の方法の選択肢のうちの一つに、「何もしない」があるのは間違いですかね。私はそうは思いません。透析しないとおそらく早晩に死んでしまいます、との説明を諒とした人にどうしてそれはならぬと言わねばならぬ義務や強制が生じましょうや。あなた方の権利意識ってのはそんなに偏向してるのですか。治療をしない権利ってのは自己決定権のうちに含まれぬとでも言うのでしょうか。福生のこの病院の院長や担当医には突っぱねてもらいたい、泰然と対してもらいたいと願うことです。あるいは遅々として進まぬ安楽死尊厳死認可への鳥羽口になるかもしれません。

いじめ考

いじめ、虐待死の報道が絶えません。千葉野田市の小4少女の事件の後にも出てくるわ出てくるわです。どんなにおどろおどろしく、重罪と報道しても何の抑止力にもならぬということです。その前にも幼児が拙い字で嘆願するのに殺めてしまう鬼親の事件があれだけ報道されたのに、の顛末でした。幼児や児童の虐待死はいつも児童相談所の所為にしてチョンです。児相は児相で人手が足りない、経験者が足りない、権限がないと言い訳する。それで終わり。結局誰の所為でもなくなって、せいぜい児相のトップが更迭されるが関の山です。死んだ子は戻らない。もっとも、戻らなくても悲しむ親もいないのですが。気の毒なのは殺された子で、親にも世間にも見放されて。と、世間は同情するのですが、そこまでです。TV画面が変わればすぐに忘れます。次は別の親の元に生まれてきなさいね。そう言ってやるしかない無力感です。どんな鬼親でもその子にとっては唯一の親です。殴られても蹴られてもついていくしかないのにそれを・・、と書いているうちにも憤りが湧き出ずることです。で、元児相職員とやらがあれこれ指摘する、あの対応はおかしい、信じられない云々かんぬん批判する(させる)。例によって専門家学者が机上論を滔々と述べる。机上の理想論が通用しない現実をそのまま見られない、見ようとしないわけです。警察はずっと知らん顔してる。校長が(担任でなければ知らないことだろうことまで言い並べて)いい子でしたよ、なのにどうして・・と涙ぐみ憤ってみせる。お定まりの場面です。あの事件に前後して当県山口でも乳児暴行死がありました。この時も児相や行政の担当部長が頭を下げてました。このケースは母親に資質の問題があって、そもそも子を育てられぬ女だったとわかっていて、この結果を生じたものですから咎めもより冷静でより客観的だったという特徴はありました。鬼親というより養育能力のない母親に、そうとわかっていて手渡したのでした。TV観ている方も、千葉の例よりは仕方ないかという感想ではありました。だからいいと言うのでもなく、小4の子よりも乳児の方が・・という単純な比較論です。で、新聞論調も一色です、児相がもっとしっかり対応しろ。こんなじゃ喩えではなくて字句通りに百年河清を俟つことでしょう。中国新聞の記名記事をそのまま引用すると「同様の事件を二度と起こさないためにも県は検証委員会で問題点をつまびらかにする必要がある」そうです(3/1)。そんなまとめで何が解決しようかい?新聞記者ってのもこんなこと書いとけばいいんですから楽なことですわね。気の利いた中学生でも書きそうなことです。もう一つ、当県高校生が貨物列車に飛び込んで自殺した事件。いじめだったと親が訴えて学校関係者が調べてけれどシロと答え出して、それを不服として両親が知事に直訴した。それを知事が受けて「再審」して、今度はクロ、しかも教員も同じように加担してたと示したことでした。再審したのは「県いじめ調査検証委員会」だそうです、なんとものものしいというか、こんなものわざわざに作らないと判断できぬのでしょうかね。組織の自浄力なんてよく言いますが、すべてはトップの意向一つですからね。下が動きはしません。今回も知事が指揮権発動したから山が動いただけです、そうでなければ泣き寝入りしかなかったのですから。で、その報告書です。からかいをいじりと表現して可とする空気を非難して、いじりはいじめと認定するとあります。いじりなんて言葉を正式用語然と使うこの無神経です。そもそもいじりとはお笑い達の業界用語でしょう。連中は売れるためなら少々このとはやる、いじられキャラなんて言葉を流行らせる。それもコミュニケーションの一方法だと誤解させる。教員の認識の低さというのか、今時多くを望めぬとは知ってはいますが、当該生徒の変調が本当にわからなかったのでしょうか。実際に自殺に至るは本人の内因性(元々持っている)の性格性質が大きく影響します。単純に環境因ばかりではないことは前提にしなければなりませんが、ここで親は無謬なのでしょうか。両親は教員までが加担していたと強く非難してますが、その憤りは理解しますが、あなた達の対策はどうだったのかという問いに答えられましょうか。いじめには逃げろ。これも手段とされてますね、悔しいことですが。そういう対応はどうだったのか。歯向かえぬからいじめにあう。さらに相手が面白がる。この関係からは逃げるしかないのですかね。子は親からは逃げられないですが。なんとも無力感です。

プロフィール

hirotanougeka

昭和32年 1月6日生まれ
昭和50年 山口県立柳井高校卒業
昭和58年 大阪医科大学卒業
昭和60年 梶川脳神経外科病院 勤務
平成04年 6月1日開業 現在に至る

・医学博士
・日本脳神経外科学会認定専門医 No,2746
・柳井医師会会長

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