心のケア無用論

人が亡くなる事故や事件、災害に子供たちが遭遇した場合、暫く後に必ず出てくる「心のケア」必要論。すっかり行政のマニュアル化しています、専門家を送らねばならぬ。それはつまり送ればいい、であって、その手配さえしておけば能事終われりということです。その内容や成果にまでは行政は関わりません、専門家を動員するまでが仕事です。でその動員の仕方ですが、もちろん彼らが人選するのではありません、専門家団体に丸投げです。何人をどこそこに配置してください。精神科医、臨床心理士(今回も新聞に載ってます)などが呼ばれます。誰が行くのか。失礼ながら役に立っているのかしら?です。どうして送らねばならぬ?という一番根っこの、身も蓋もない質問にもきっと明快に答えられぬことでしょう、みんなが(マスコミですよ)言うからそうかなと思って・・がきっと一番正しい答えでしょう行政は。何かあるとすぐに弱者扱いする。そう差別して(自分達はそっちじゃありまえん、こっち側ですよもちろん)助けてやれよと上から目線で指示する。子供、年寄り、女、低所得者、障害者、あげればキリがありません、自分達より下と決めつけた者(自分の方が上だと思える者)全員ですから。マスコミの偽善です、欺瞞です。平等公平人権至上社会とあらば差別を言い立てるに如くはなしです。子供達が精神的に参っているから助けてやれ。この安直さに憤るのです。ただ大声で言い立てるだけ、実際に効果があるのかないのかには全く興味もフォローもない。きっときちんとした報告もないのでしょうし、学問的な効果の検証もないのでしょうね。いえ、報告出せと言われれば金もらっての仕事ですからそれなりの文章は書いてきましょうが、この対応自体が無用この上ないと思うのです。何故か。子供たちはいつも以上に両親や親族と肌寄せあっているのですよ。もちろん不自由はしていましょうし、ゆっくり寝られないでしょう、非日常の環境に置かれればそれなりの反応しましょう、しかしそばには両親がいるのです。親族がいるのです。怖い、辛い、しんどい、等々の非日常下の「正常な」心の反応を病気に仕立てて、そこに見ず知らずのアカの他人の専門家の言葉やアドバイスを振りかけたところでどれだけの効果が見込まれましょうか。そしてその専門家達はきっと専門用語を並べながら話すんでしょう、自分の知っている知識や分類に相手の状態をあてはめるだけです、親身に心配などしません。だって他人ですから。相手は患者ですから。病名つけて終わりです。時間が必要ですとか何とか。何度も言います、子達は病人じゃないです。とんでもないものを見て経験して怖い思いをして、その後にはきっとこうなるのです。きわめて正常な反応です。そしてやがて回復していくのです。何と言っても隣に両親がいてくれるのです、医者やなんとか士の百万言に優ります。最上の環境です。親達も迷うことはありません、大丈夫よ、今は辛抱しなさいね、頑張ろうねと言ってやればいいだけです。が、正義の味方達はそうは言いません、それじゃぁ足りぬというわけです。足りぬを補うと余分を加えるとは見栄えは一緒でも全く異なるものです。無用なモノを与えられて迷惑しているのは誰ですか?行く方は要請に従うだけ、自分達も行きたくて行くんじゃないですきっと。呼ぶ方も必要に迫られてのことではないです、マニュアルに従っているだけです。受ける方からしても要らぬ世話だとなると何~にやってる?の愚行でしかないのです。カネの無駄遣い、だけじゃなくて有害です。誰に?一に子供達に。二にその親たちに。他人が賢しらに専門用語振りかけるより、両親が抱きしめてやれば、ちゃんと話してやれば彼らはきちんと回復しましょう。そうやって私たちの先祖は幾多の困難を乗り越えてきたのでしょうに。過去に学ぶべきなのです。人の心などは奈良平安の時代となんら変わりはない筈です。過保護な社会、幼稚な社会になってしまっている現代です、こういう対応は必要悪で致し方ないにせよ、私たちは自分の持つ心の力を信じ、大人たちは特に子供に相対する時には肚を据える要があると思うのです。すぐに弱者側に回ろうとする、誰かの所為にしようとする安直さ、意気地のなさ、芯のなさを恥じるべきです。そう大上段に思います。

個体差と規格外

インドで72歳女性が出産したという記事が載りました。もう大概の事には驚きません、凍結精子卵子、体外受精、借り腹・・なんでもありですから。でも72歳・・。いくらホルモンを補充したと言っても、というびっくりさです。男はこの歳で父親にはなれましょう、上原謙のように(古い話ですみません、加山雄三のオヤジですが、この人が70歳超えてから子を為したですよね)。男の方はエレクトできて射精できればいいわけです、その時だけのことですが、女は十月十日ですからね。いや、72歳で小便以外に役に立つは希少(立派)なのです。いい歳してという世間体がどうのこうの以前に行為自体が賞讃の的になることですが、この場合は女は若い生殖年齢であるという前提です。理屈の上では70歳だろうが80歳だろうが、その刹那に役に立てばいいわけです(もちろん卵子が古くなるのと同じように精子もそうなる筈ですが、卵子は生まれた時に数が決まっているのに対して精子は新しく作られます、ここのところの個人差は大きいのです。規格外の爺さまがどこかには居るでしょう)。が、女はそこから始まる負担です。常に妊娠状態を保たねばならぬのです。昔、娘夫婦の為に60歳代の母親が代理出産した例が記事になってましたね。とうに閉経した後に妊娠状態を保つには外からのホルモン補充が欠かせません。いや、ホルモン補充は計画的に確実に単純にできることです、それ以前によく体が持ったことだなと感心しますが、常識を越える個体はどこかにいるものなのです。記事によると連れ合いは79歳、2013年から体外受精を試みていたんだそうです。70歳前から本気で妊娠する気だったんですね。冷凍精子とも卵子とも書いてありません、ということはこの年齢同士が採卵、採精子してのことなんですね(もっともこの人達が若い時にはそういう技術もなかったことでしょうし、彼の地ではなおさらのことです)。びっくりするというか、気味が悪いというか。さすがに老人同士がセックスしての自然懐妊ではなかったということですが、体外受精の選択に至るまでは並々ならぬ努力があったことなのでしょうね。この年齢の精子卵子で、しかもこの年齢の母体で正常児の出産という何重もの驚きです。こりゃまさにギネスですね。が、記事にはもう一つ但し書きがあります、彼の地の事情でしょう、彼女の出生証明書はなく正確な年齢は不明というオチがついてはいます。ついてはいますが、写真が載ってます、40,50の顔じゃないことです。日本では長野の産婦人科医が掟破りの出産(他人の借り腹ではなくて姉妹や母親を「使って」の懐妊出産)を手掛けて有名ですが、こちらはやむぬやまれぬという言い訳があります一応。例えば癌で子宮や卵巣を摘出したりして妊娠不能になったケースで強く挙児を望む場合。自分の卵子の使用不能になったケースでも姉妹の卵子を用いて自分の配偶者の精子と体外受精して改めて着床させるとか、そのまま姉妹の子宮で育てるとか。姉妹ではなくて母親の腹を借りるとか。身内だけに気持ち悪さが弥増すと私は思うのですが、他人よりのトラブルになり難いという面もあるそうで。いえ、日本の場合はこういう背景が必ずあるのですが、今回の場合はそういう記載がありません。特段のわけもいわくもない、79歳72歳夫婦の出産。挙児を望んでのごく普通の動機。女は強し。そうごまかして苦笑いして敬して遠ざけ(か)るしかありません。翻って男の方です。丁度業界誌の今月号にEDの特集がありました。EDとはエレクトできない、勃起しない状態です。EDとはセックスできなくなるわけですから男としては由々しき問題なのですが、性欲が溢れていて立たないケースは珍しいことで、そもそも性欲が減退することによる二次的な現象であることが多いわけです。が、御同輩なら経験のあることでしょうが、その時その場面での心理状態に大きく左右されること、一度や二度の失敗でくじけてはなりませぬ。女性の更年期と同じように男性ホルモン(テストステロン)の不足による症候群があって、LOH症候群と呼ばれてますが、性欲の低下、活力の低下、肥満が症状だそうです。男性ホルモンは性機能に重要なホルモンですが、男性らしい活力の素、社会的な活動性の素でもあります、ですから不足すると萎れてくるわけです、そういうイメージです。目を引いた項目を挙げておきます、御同輩、ご参照になれば。EDは男にとって生活習慣病の症状として最初に現れやすいものだ。テストステロン不足を思わせる症状は性欲の低下、EDに加えて早朝勃起現象の消失だ。いわゆる「朝立ち」です。これがある人は本格的なEDではないと言えましょう、立つんですから。心理的影響が強いんだと。こちらが消えてしまうと・・・。御同輩!萎れてはなりませぬ。女性がいつまでも若く美しくと念ずるように、せめて維持いたしましょうぞ。今はただ 小便だけの道具かな。なりませぬ。ぞ。

米国追従、舶来信仰

医者の業界誌と言っていいでしょう、昔からある雑誌に日本医事新報があります。私も定期購読してます。毎号面白いわけではありません。が,偶に教科書以上に為になる特集が載るのです、だからやめられません。が、噴飯文も載ります。大学教授で J-CLEAR(臨床研究適正評価機構)の副理事長たる人の文章です。何でもオバマさんが Precision Medicine Initiative なる政策を公表したそうで、これはすごいと賞讃するものです。EBM との言葉お聞きになったことありませんか。Evidence-based Medicine の略です。「証拠に基づいた治療」が直訳です、つまり効くというデータのある、データとして有効性の証明された治療をしろという流れです。統計学的に有意差が認められた有効な治療法を選択しろ、です。これが現代医学、時に日本の医学を席巻しています、特に大学病院や大病院はこれを外すと、うまく行かなかった時に訴訟モノになってしまうので戦々恐々。すっかり萎縮しています。萎縮するだけならいいですが、その人に本当に必要な治療を選択できず(しようとせず)統計的に、つまり数字的に正しいとされている方法を盲目的に当て嵌める。うまく行かなくても(最悪患者さんが死んでも)言い訳がありますから。こういう安直に流れているのです。もちろんその傾向は開業医にも蔓延してます。安直さなら開業医の方がひどいですかね。嘆かわしいのですよ医療の現場は。あなたのことを見てないですよ、こういう数字の時はこういう薬を出す方がいいというデータだけですから、目の前に座っている医者の頭の中は。標準て何?なのですが、そんなこと考えません。個人差?考えません。大きなデータにあなたを合わせるだけです。本末転倒もいい所。EBMに対する語は Empirical Medicine と書かれることがあります、経験的治療。自家薬籠中のモノ、という表現がありますね、あれを許さない。昔、開業外科医がどんどん手術していた時代には医者の数だけ痔の術式がある、盲腸もそう言われたものです。つまり標準的術式ってのはあったのでしょうが銘々がそれぞれ工夫してそれぞれのやり方していた時代です。それを今は許しません。EBMとは、この記事によると患者集団の標準治療を見出すもの、標準的人類における標準治療の確立を目指す思想体系だと定義します。思想と呼ぶのは理由があるそうで、EBMはこういう治療することが正しいと決めつけるもので、それを正しいと定義するいわばイデオロギーなのだそうです。医療の何が正しく、何が正しくないかを定義する思想体系なのだそうです。そう掲げておいて、こちらの新しい提唱、 Precision云々とこれでもかと持ち上げます。先進の正確な治療、とでもなるのでしょうか直訳すると。個人の特性に基づいた個人ごとの最適医療を正しいとする原理、だそうです。おいおい!今までのは正確じゃなかったのかい?と誰もがツッコミそうですが、そう言うてるわけです。EBMは「集団を対象にしたデータから得られる有効とされる方法を選びなさい」です、標準化なんていう昔にはなかった日本語を作りだしてこれがさも正しいように喧伝して、個人差を無視してきたのはあんた達学者どもだろうに!それをオバマか誰か知らぬけれど、舶来崇拝そのままに有難い横文字を押戴いて恬として恥じぬ厚顔。あれこれ言い訳してますよ文中で、そしてEBMもアメリカが言うから従っただけだという口ぶりです。極めつけがこれです、EBMは人工的概念だ。我々はEBMを仮に正しいとして各国の診療ガイドラインをまとめてきた。ガイドラインにより推奨された医療はEBMを基本原則とする社会においてのみ正しい。医学を自然科学としてとらえた場合の正しい、間違っているの基準が Precision云々の発想により変わろうとしている、と。まぁヌケヌケと!仮に、だ?金科玉条のように押しつけていたのはあんた達学会じゃないか!当初からわかっていたことでした、何十万何百万人のデータを集めたところで、数字だけをいじってその背景(個体差)を全く無視する計算式で正しい治療が導ける筈がないんですから。目の前の患者さんに適した治療ってのは本には書いてありません。何%の有効性なんて数字で測れるもんじゃありません。みなわかってましたよ。でも、そっちの方がうんと簡単ですからね。血圧高ければ下げましょう。それ以上考えませんよ、その辺の医者は。ガイドラインに推奨されてる。それだけの理由です。そう持っていったのは誰なんだ?ということなのですが、本当にこの業界の奴らは恥を知りません。どこまで行っても(どんなに地位が上がっても)出羽の守です。アメリカでは、ドイツでは、フランスでは、では、では、でわ。いつまで経ってもアメリカの言うがまま。それを向こうが強いるのはなくて、日本が盲従し続けてるんですから処置に悪い。こんな言い訳だらけの文章を嬉々として、どうだ?と衒学味たっぷりと書き連ねる。あなた方のしてきたことに反省はないのか?全然ないですよ文中には。呆れるわけです。後講釈、後出しじゃんけんばかりして勝ってきた奴らにはこう寝返るが処世なんでしょうが、それにしても情けない内容です。そこまで考察できるなら当初から反対したらどうなんだい。がっかりします。機会があれば(多分こんな本読まれないでしょうが)御一読を。日本医事新報 No.4800 2016.4.23 p42-45 「Precision Medicineとそのインパクト」後藤信哉

livedoor プロフィール

昭和32年 1月6日生まれ
昭和50年 山口県立柳井高校卒業
昭和58年 大阪医科大学卒業
昭和60年 梶川脳神経外科病院 勤務
平成04年 6月1日開業 現在に至る

・医学博士
・日本脳神経外科学会認定専門医 No,2746
・柳井医師会副会長

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