2015年12月

カフェイン中毒

毎週土曜日に書き続けております当ブログ。今週末はその時間が取れそうになく、丁度休日が挟まりましたので本日代替いたします。あしからず。22日の新聞にカフェインで中毒死と大きな見出しがありました。カフェイン?そう、あのコーヒーのカフェインです。へぇ、こんなもんでも過剰摂取があるんだと感心することでした。いえ、コーヒーの飲み過ぎくらいじゃこんなことにはならぬ筈です。第一そんなに呑めませんからコーヒー自体を。たっぷんたっぷんになっても中毒量に届きません。記事によると眠気覚ましのカフェイン入りの飲料があるそうで、その飲み過ぎだそうです。品名も出てます、エナジードリンク。そのまま。エナジーとはエネルギーの英語読みですね、energy です。ま商品名はどうでもよいのですが、記事にもありますがカフェインには嗜好性耽溺性依存性があります、こっちも中毒なんて呼びますが。過量摂取の意味と止めれられない状態を指す場合と。アルコール中毒(アル中)が有名ですか、アルコールから逃げられない、いつもいつも酒飲んで社会生活できなくなる社会から脱落することですが、アルコールを飲み過ぎること、絶てないこと(飲まずにいることができない)、それによって不都合が起こる(起こす)こと、その悪い結果、どれを指す時にもこの言葉を使います、止められないことを咎めるニュアンスが強いですけれど。中毒と言えば麻薬のイメージでしょうが、こちらは犯罪と強く結び付くことからの非難が主体ですね。もちろん当人の体を蝕みますし、キャンペーンの主体は麻薬止めますか人間やめますかといった方向です(たっぷり偽善欺瞞系ですが)けれど、言いたいことは社会に(他人に)迷惑かけるな!ですよね。お前が潰れるのはお前の勝手だけれど他人を巻き込むな!です。歴とした病気(依存症であれば)なのですが、治す治さないの治療への流れ以外に排除の力が働くのが特徴ですか。たばこのニコチン、コーヒーのカフェインには依存性があるのは一般的に知られてます、煙草止められないことの理由にしますね。副流煙の過剰な害毒説は措いて、こちらは他人への迷惑よりも自己責任問題ですね。カフェインもこっち系です。飲み過ぎ摂り過ぎするんだからあなたが悪い。のですが、こういう飲料が市販されてることはどうよ?という噛みつきはきっと起こりましょう。でもスポーツ飲料の飲み過ぎで云々もよく聞く話、所詮は個人の問題、極端する方が悪いとの常識的な決着にはなるのでしょう。飲食物のカフェインの含有に対する規制が甘いとか何とか、そういう対応はされましょうけれど。ま、こんな飛び上がり者はいつの時代にもいるものです、睡眠剤やその他の薬を大量に飲む輩は。カフェインてのが初めてだったというので話題になっただけなんです身も蓋もなく言えば。注意喚起と言う意味合いですか。上記しましたがコーヒーを少々飲み過ぎてもなりはしません。この手の飲料限定の出来事ですからその点は無用に怖がることはありません。但し一つ、カフェイン絡みで言えばこっちの方が要注意でしょう、総合感冒薬です、風邪薬です。市販の風邪薬、ルル、ベンザ、あれこれあれこれ(さすがに葛根湯などの漢方には含まれないでしょうが)、そして病院から処方される粉薬PL顆粒、全てに入ってますカフェイン。市販薬の瓶の裏を見てご覧になればいい、含有される成分が列記されてます。風邪薬を風邪引いてもないのに常用する人が結構います、何故か、カフェインに負けてるんです知らず知らずのうちに。風邪薬をなぜ総合感冒薬と呼ぶか、それは痛みどめ成分、抗アレルギー成分、そしてこのカフェインなどの合剤であるからです。眠気をとる、シャキッとさせる。カフェインの効能はこれです、風邪ひいての体の倦いを取ろうという寸法です。だから負ける、この味を忘れられずに飲み続ける。風邪薬飲んだらシャンとする。危ないですよこれも、中毒とまでは言いませんが。
 今年はこれが最後になります。今年もお付き合いいただきまして有難うございました。毎回毎回独善の振り回して、さぞや失笑顰蹙を買いつめましたでしょうし、嫌な気分にさせもしたことと思います、お許しを願います。正直を書いてますと開き直るつもりもありません、私も偽善欺瞞の塊です、斜に構える、斜めから見る、矯めつ眇めつ皮肉屋の目で見る、ただこれだけのことなのですが、百のひとりよがりのうちにも一つや二つは正鵠を射ることができれば、肯綮に当たれば、の思いで書いています。今後も拙文書き続ける所存でおります。明年もよろしくお付き合いいただきますようお願いいたします。

男女平等?

夫婦別姓と女性の再婚規制に対する最高裁の判断が出ました。判断とよく書かれてますがこれは男女差別に当たる、憲法違反だから国は600万円だかの賠償金を払えとした歴とした訴訟でした。これは憲法に係る問題ですから最高裁まで登った。合憲か否かの判断をする訴訟。結果は皆さんご存知の通り、大法廷は前者に合憲、後者に違憲の判断を下しました。前者の合憲判断がよほどに悔しかったのか新聞各紙(特に進歩的文化人系の朝日毎日に顕著でした)は詳細を教えてました、15人の裁判官、10-5で合憲だったそうです、うち女性は3人、3人とも反対したそうで。女性裁判官が3人?15人の内に?これに驚きませんか?男女不平等がどうこう問題になっているのに、しかも結局は多数決で決まるという学級会と同じシステムの場に男女比がこれじゃぁダメでしょう?ここが一番男女差別がきつい職場だったというシャレにもならぬ話ではあるのですが。ちなみに再婚期間制限については15-0で完勝。もっともこちらは今の親子鑑定(父親鑑定)技術をもってすれば180日は長すぎる、から100日に短縮せよという進言です。法律を変えるには国会の手続きが必要ですがすかさず法相が答えてました、再婚期間制限は100日にするよう各自治体に通達すると言ってました。再婚期間の制限をなくすわけじゃなくて短縮という上手な裁定したこともあったのでしょうが、こちらには左巻きさん達の反対側、トンガリ系からも確たる反論は見えません。こんなことを男女不平等とすり替えるのは大間違いで、子を孕むのは男じゃなくて女だけなんです、そんな所に平等不平等もないことです。あなたが女だから、子を産むのは女だけだから、こういう決まりは致し方ないのだとトンガリ系(保守系)の者達はこういう反対してたのですから、この裁定はとても上手だったというわけです。最近の高裁や最高裁の判決傾向、つまり人権勝ち、弱者救済勝ちの傾向鑑みるに15‐0もさもありなんでしょうか。そういう裁判官達が10‐5だったは、その数倍も進歩的な人々には我慢ならなかったんでしょうね。夫婦別姓も再婚期間問題も男女差別糾弾にすり替えます。違うのに。女が嫁ぎ先の苗字に変えることを家制度の残渣だとの誹りも聞きますが、原告団長してる闘士然とした婆様の話を聞いてると彼女も生家の姓に拘っているわけです、家制度云々の問題ではない。どうして女ばかりが変えなけりゃならぬ?という不平等への不平というわけですが、いえ、婿養子ってのは大昔から厳として存在して決して数も少なくなく、女側の不公平ばかりを言うは少し違うんじゃないですか、です。それこそ選択肢は昔からあったのです。いえ、それと別姓とは違うんだ?苗字を変えたくないから戸籍に入らない、事実婚しかなくなるじゃないか!通常夫婦としての権利が失われるじゃないか!ってと、勝手な被害者意識でしょう?あの原告団長の婆様の言い分は自分勝手ですよね。決まりに沿えないなら我慢するんでしょう普通は。すみません、私も十分にトンガリ系です。反進歩系です。あしからず。

排他主義

ヨーロッパでムスリム(イスラム)排他排除を掲げる勢力が、常に極右政党と表記されてますが、支持を広げているんだそうです。アメリカではトランプおやじが威勢がいいですが、こっちも一連です。で、こういう時には必ず建前をお題目のように唱える連中が出てきます。自由、平等、博愛。フランスの国旗そのままに、差別はいけない、偏見はいけない、人権至上。でも、これも価値観の一つに過ぎぬわけです。ここに気づかされるべきなのです、きっとそういう機会なのだと思います。安倍さんのよく言う共通の価値観です。これは単に西側の価値観なのですが、子供の頃からこれが普通と教えられ過ごして来ていることですから何の疑問も比較もないわけです。自由、人権、民主主義、法の支配、これが正しい世界、社会で、これ以外が間違っていると思い込んでますから。左巻きさん達の言い方するなら、そう思いこまされている。でも、こちら側の人間ばかりじゃないですよね、世界は広いのです。他人の意見を聞く、他人の考え方を尊重する、これはずっと教えられてきたことですし。ここを掘り進めると、日本はキリスト教国の独特の教義から見ると、支配されるべき野蛮人だったのです、だから戦争仕掛けられて潰された。ヨーロッパ諸国の帝国主義、アジアの植民地化が、自由平等博愛な筈もないのです。そういう二枚舌的な対応、それは結局異教徒排除、異端排除、異民族排除を根に持つ(というより、これらが行動原理)考えです。昨今のフランスでのテロ事件でフランスという国の独特さ、政教分離の独特さ、世俗主義なるものの特異さを評論家達が教えてくれました。ムスリムたちのルサンチマンもわかる気がします。ISILの原理主義、ムスリムで世界征服する(異教徒排除はキリスト教徒と同じ考えです)は無茶だと皆思うのでしょうが、今のパクスアメリカーナ、キリスト教徒によるパクスに対抗する勢力があっても何も不思議じゃないわけです。西側諸国が挙げている価値観が如何に偽善であるかをすっかり棚に上げて、そうでない者達を咎めるために大義として掲げる。あたかも後進国蛮国の様に謗る。パリがやられたらあれだけ大騒ぎして、中東の町はどういう扱いだ?所詮は西側の理屈で回そうとするわけです。それに反発する者を認めない。のみならず叩く。極右体質の人はきっと左翼建前体質と同じくらいいるのです。ヨーロッパの今の状況は不思議じゃないですよ。そう思われませんか。

単純則

介護離職。別のブログにも書いたのですが、私はすっかり勘違いしていて、介護職に就いていた者が給料が少ないとか勤務がきついとかで辞めていく、介護の現場の人手不足を示す(訴える)言葉と思ってました。が、TV聴いてると違う、親の介護のために今就いてる仕事を辞めること、無収入になることを承知で辞める、辞めざるを得ないことを指すのでした。病院に入れる、施設に入れる、それができないから仕方なく自分が看る、そういう順番です。とても本人の年金で二人は暮らせない。そうと知りつつ新たな仕事には就けない。就労時間が自由になる職種なんてそうそうありませんし、あったにしても転職に器用な人ばかりじゃないし、共倒れに一直線です。生活保護は?介護保険は?失業保険は?当面は蓄えもありで、将来の先細りを考えて進み始めるのでしょうが、やがて必ず底をつきます。介護保険は金が要ります、金がなければ利用できません。ヘルパーとかケアマネとかよくお聞きになるでしょうスタッフも金がないと動いてくれません。そのための生活保護だろう?ですが、食費や家賃で一杯でしょう。所詮は金なのです。福祉国家を謳う日本ですが、所詮は自己責任なのであります。大きい国家、小さい国家(夜警国家)と表現の仕方は色々ですが、政治体系がどうあれ金で回っている社会で生きるには金がいるのです。金の切れ目が縁の切れ目なのです。金があれば離職せずに済む、こっちの方向で考えれば介護費用(入院費用)稼ぐためにもっともっと働け!となるはずですが、誰も看る者がいないから自分が看ると多くは選択するのです。ここはどちらを採るかではあります、少々当座の借金してでも最低の介護を誰かに依頼して、自分は働く。仕方ないです、昼も夜も働く。こういう選択もありましょう?でも大概は悲劇に沈む、ある種のヒロイズムです。共倒れになるか、親を殺すか、介護放棄して逃げ出すか。どれも地獄でしょうが、自分で選んだことです。安倍さんは介護離職をゼロにすると言うてますが、一体どういう具体策があるんでしょうね。その人の生き様にまで踏み込まざるを得ない事柄です。若い奴らはりしっかり働いてしっかり生きろ。そして年寄りは早く死ぬこと。実はとても単純なところに答えがありますか。
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プロフィール

hirotanougeka

昭和32年 1月6日生まれ
昭和50年 山口県立柳井高校卒業
昭和58年 大阪医科大学卒業
昭和60年 梶川脳神経外科病院 勤務
平成04年 6月1日開業 現在に至る

・医学博士
・日本脳神経外科学会認定専門医 No,2746
・柳井医師会会長

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