この仕事していると受診、診察というかたちで生活保護受給者さんと相まみえます。別段構えるわけでもなく、こちらも大阪で摘発されてたようなビジネスに手を染めているのでもなく、誰彼と同じように話をし対応しますが、元気な人が多いのですね意外と。脳卒中を患って働けない、さらに身寄りがなくてという境遇、それに近い環境の方、つまりこういうセーフティーネットを受けるべくして受けている方々がもちろん多いのですが、それと同じくらい見た目は元気な方も多いのが事実です。え?と思わずカルテを見直すわけです。いえ、世の中が糾弾している不正受給がそんなにあちこちであるとも思ってませんし、役所としても申請されたものは受けるというのが原則でしょうし、色々なケースがあっていいのですが、この制度を権利と改めて提示されると違和感が湧きます。3月29日の朝日新聞「耕論」コラムで識者が書いてます(聞き書きのようですが)。そもそも生活保護制度は憲法が保障する生存権に基づいている、けれども日本社会では社会保障は権利ではなく恩恵と捉えられがちだと。そういう意識のある所に、働いても生活が苦しい人達(ワーキングプアと呼ばれる人達です、働いても手元に残る金が生活保護の受給額よりも低い人のことと別の論者が教えてくれてます)が増えたために生活保護に対するバッシングが起きやすくなっている、と言います。受給者は就労を免除されているのではないとも教えてくれます。この論者の言いたいことは、貧困対策の一部である筈の生活保護が、活用できる唯一の施策となっていることに問題がある、だからもっと他の方法を考えろというものですから、そもそもこういう「生活保護制度とは」との定義に噛みつくのは方向違いなのですが、恩恵ではなく権利なのだとの前提がどうかなと思うわけです。何でもかんでも権利として措くことに違和感があるのですね。恩恵じゃないのですかという素朴な疑問です。福祉国家としてのセーフティーネット、近代国家の備えるべき基本制度等々、言い回しは色々あるのでしょうが、生存権による当然の要請と言われると、ううむと思うのです。公務員の不祥事やどこかの損失の補填を批判するに、何でもかんでも我々の税金(血税)なのにと振りまわす手合いと同じ向きではないのですが、恩恵という思いがあっても罰は当たらぬでしょうにと思うわけです。生活保護金でパチンコやったてたんじゃぁやはりいかがかなですわね。それが一般的な感想です。どう使おうとそれはその人の自由だからなんてのが建前でしょうが、そんなポリコレ棒で問答無用に抑えられるとトランプ騒動の前例が蘇ります。権利という言葉は言わぬが花なのでしょうね。皆理解していることです。それを振り回しちゃぁミもフタもないという感想です。情けは人の為ならず。日本人なら皆分かっていることで、この心根があればこそ世界に冠たる国民皆保険制度が運営されているのですが、この制度は情けではない!と、こんな喩えを出すとかえって怒られるのでしょうか。