政府が高齢者に対する抗癌剤の使用効果について調査に乗りだすとの記事です(毎日4/27)。記事には「高齢者にとって身体的な負担の重い抗がん剤投与による延命効果を疑問視する声もあるため、大規模調査に基づく科学的分析が必要と判断した」とあります。あちこちの関係者に配慮しての文章にするとこうなるなぁと感心したことですが、高齢者の延命治療がそれほど重要なのかというそもそも論ではあります。もっともこっちの議論は些か過激に傾きます(得意ではありますが)。政府が調査するのは75歳以上の末期がん患者のサンプル数が少ないからという理由だそうです。記事を読むばかりですが、末期肺癌の場合75歳未満の症例には抗がん剤治療で明らかに延命効果があったんだそうです。でも75歳以上では大きな差が出なかった、それはつまり75歳以上では抗がん剤投与の有無と生存率の差が小さい可能性を示唆するとの国立がん研究センターの担当者の言が紹介されてます。うむ、もっとサンプルを集めようとの号令は結構なこと、死を前にした(75歳以上の高齢者ということです)人にそこにがんがあるからというだけで自動的に治療(抗がん剤投与だけではないです、手術、放射線照射も含めてです)している現況に一石投ずる結果を期待するものですが、そうはならないでしょうねぇ。曲者は生存率を指標にしていることです。生存率とは文字通り治療施してどれだけ死ななかったかの比率です。ベッドから起きられぬほどにげっそり痩せてゲーゲー吐いて食事もできぬ状態でも成功の組です。いえ、そのような状況が長くは続きません、やがて亡くなられるのですが数字の上では治療効果ありの組に入れられることがあるのです。言葉が直截でいけないですがとにかく死ななければ治療効果ありです。この調査がどういうこしらえになっているか知りませんが、がん治療始めて3年5年の生存率なのでしょうね。こういう話になると、例えば75歳の人に治療始めて80歳まで死なないことがどれだけ意味があるのかというそもそも論がどうしても割り込んできます。いえ、もちろん本人の意向が優先されるべきです、生きたいという望みを閉ざすは間違いと思います。が、が、です。どうしても比較論にしかなりませんが、記事にもありますが医療費には限りがあるという観点(それとて現在の国民皆保険財源を支えてきたのは高齢者の皆さんですからね、使う方に回って何が悪い?という論にも私は肯んずるのです)、ただ生存率だけを指標にする誤謬、治療費負担増はさらに公費を圧迫する等々、無視できぬ他の要素も多いことです。もっともどれもこれも、いかな高齢者であろうが検査でがんが見つかればすぐに治療に結びつけようとする医者の無節操さに起因することではあるのですが。パターナリズムとの批判を怖れるがあまりに、逆に大きく振れて、素人の患者に決定を預ける(ふりをして治療方向に振り向けるのですが)わけです、インフォームドコンセントなんて横文字に隠れて。こういう調査には期待しますが、データの扱い方ですからね所詮は。ここでも何度も指摘してますが、データは大きくなればなるほどどうにでも解釈できるものですから。それこそシロにもクロにもなります。死ぬべきときには死ぬがよかろう。口で言うは容易いことですが、そういう選択肢もあるということを教えるはやはり医者でしょうにね。自戒する気持ちでいます。