医者の勤務時間が多いと頻りに新聞が言います。多いに違いないのです、そうやって仕事を覚える職種ですから。丁稚奉公のように子供にしつけるのではないにせよ、大工や他の職人のようにカンナの研ぎ方、包丁の使い方から教わらねばならぬのです、勤務時間内にどうこうの仕事じゃないのです。ましてや相手は生身の人間です、お前の勤務時間内に物事が起こり解決する筈もないのです。私は脳外科ですから特にそんなわがまま言えなかったですよ。特に初めの二年は。三年目に大学離れて一般病院に出て、仕事を任されてまたそこで覚えて、自分が差配する立場になればなるほど自分の時間がなくなります。緊急手術こそ、の病院に勤めていた特殊性はあったでしょうが、救急車受け容れる脳外科はどこでも同じようなことでしょう。初めの二年はとにかく下働き。最初に行って最後に帰る。当然です。いえ、正確には帰れないのです。大学ですから困難例が集まります、手術後すぐに回復する例など殆どないです、何日も何日もICUという特別室で過ごします、そこの看護婦がまたキツい。一般病棟に帰れるまで自分も帰れません。勤務時間?考えたこともないですね。もっとも私が新米の頃には勤めている病院(大学病院です)の医療保険に入れず、給料も3万円です、そこから医局費などが差し引かれる。1カ月分ですよ。そんな待遇でした。私は医者になる前から結婚して子もいましたから、親の扶養に入って(それしか保険に入れないのですから)、当直を何度もして女房子供を食わせていたのです。日中はこき使われて(雑巾のようになんて表現がありますが、ずっと体を動かす肉体労働ではないにせよ、何日もその辺のソファーで眠る、今日何食ったかなぁの日常です)、夜は他の病院の当直に行く、次の日朝早くに帰って来て手術に入る・・・。思い出は作り話とよく言います、思い出は美しく都合よく脚色されるものですが、いえ、初めの2年は誇張ではなくこんな暮らしでした。久しぶりに帰れれば泥のように眠る。新聞見出しは20代医師 週50時間勤務、待機も12時間以上、と憎々しげにさえ見えます。待機が12時間って、そんなに?一番下っ端の頃は代わりが利きますから(つまり誰でもいい、その一人に過ぎぬ時代)今日は完全にフリーということがあったかもしれませんが、気持ちはそんなことなかったですよ、入院患者のことがいつも気になってますから。それでも待機ってのは順番でしたかね。でも3年目以降、責任ある立場につくと四六時中待機でしたよ。28歳から35歳まで。35で開業しました、そこから先はずっと「待機」ですが、勤務医でなければ労働者扱いされぬのでしょうな、あんたの勝手だという意味で。新聞は当然の如く言います、労働基準法は労働時間を1日8時間、週40時間までと規定している、と。はいそうですか。9時に来て5時に帰るような医者がいたら見てみたいですが、いるんでしょうなぁどこかに。どこかの耳鼻科医が過重労働を所為にして自殺して、それを両親が(妻ではなくて)訴えて裁判所が「医者も労働者だ」とやった、それ以来のことでしょう。耳鼻科ですよ、どんなハードだったってんでぇ?!当時は本当に憤ったもんです、労災がどうのこうののレベルにとどまらずに、医者全部を幼稚でバカな労働者に貶めやがったって。いえ、驕ってるんじゃないですよ、医者ってのは労働者という枠に括れないでしょう?そう言うてるのです。もっと別の働き方しないとならぬ職業でしょう?時間で勤務状況を測る仕事じゃないです。医者たるものそういう仕事だと皆覚悟してなってるのです。ここはおそらく全員と思いますよ、少なくとも当初は。いや、個別にはバカも混じってます、それも確かです。トンデモ医者はどこにでもいます、都会だけの話じゃありません、田舎であれどこであれ一定割合で含まれます。医者への残業規制ってのがかけられようとしているそうですが、自分が病気した時にはあれだけ医者に頼るのにそんな医者を働かなくさせてどうする?天唾と知れ!という話ですね。小泉改革の一環の新研修医制度で医者の都会集中を招来して地方医療を崩壊させて、次は労基法を盾に働くな(働かせるな)と来る。普通の医者は、そう言う心意気で医者になってますから、皆普通のサラリーマンや公務員のように休めない事は覚悟の上です。少々は無理をききますよ、それくらいの職業意識は持ってます。それをおためごかしに一般労働者扱いする。一体誰の目を気にしてるのでしょうか。愚策です。一般労働者を蔑んでいるのではないですよ、医者は違う働き方を要求されているのだし、それを十分に認識しているのだから妙に緩めるなと言いたいのです。時間外勤務にこそ医者の醍醐味がある。こう言うとまたまた公平平等機会均等至上の左巻き達が湯気を立てそうですが、若い時はそういう修行がいるのだとこの歳になっても思いますよ。臨床医になるにはショートカットはできぬのです、おそらく。