NHKの朝ドラ、ご覧になってますか。NHKは一日4回放映しているのをご存知でしたか。昔はずっと朝8時15分からでしたが今は8時から。昼の再放送は12時45分。BSは朝7時半と夜遅くにやってます、都合4回。昔から結構見る方でした、それは通勤や仕事時間にかぶらぬ、昼休みに重なるという条件が揃ったからですが、内容も面白いのが続いたからでもあります。あまちゃんが飛びぬけて話題をさらいましたが、あの前後も十分面白くて何作も続けて大きな凹みなく、びっくりぽんやらの流行語、主役以外に売れっこを輩出して今や民放の定番ドラマを食ってます(と民放のドラマ見てない者が言うてはならぬのでしょうが)。主題歌もそれこそ昔は歌なしのBGMの趣でしたが、山下達郎やユーミンの曲を使い出してからは当代一流ミュージシャンを抜擢します、前回はミスチルでした、今回は桑田です。NHKの自信の表われですね。昔話を言えば、おはなはんを覚えてますし、当地柳井(上関)を舞台にした鳩子の海、大竹しのぶのデビュー作水色の時、コシノ三姉妹の母親物語カーネーション(思えばここからぐっと面白くなったことでしたか)藤山直美のかもかのおっちゃん(田辺聖子物語)・・覚えてるものです。今回、東京五輪当時の集団就職、出稼ぎ風景の物語です。最近は有名人の一生をなぞるモノが続いてましたが、今回はそういう筋書きはなしだそうです。あの頃のテイストを、と依頼するならこの人でしょうと衆目一致するところの桑田佳祐が、ぴったりの曲を唄ってます。懐かしいよな、せつないような、です。私には妙な懐古趣味があって、昔の写真集、とくに昭和の初期から私の幼少時の頃のものに魅かれて、土門拳の筑豊モノなどです、たくさん買い込んでいるのですが、もちろん昔の記録映画にもとても魅かれます、特に戦後の世相、ちょうど今次の朝ドラの頃の白黒映像にはとても郷愁を感じるのです。というかすぐに涙が湧くのです、無闇に感情が刺激されて。中でも集団就職の映像ですね。あの頃です、高度経済成長にさしかかる頃、五輪需要(景気)に東京がひっくり返ってた頃、田舎から労働力が大量に流れ込む、大人の男だけでは足りず、資本主義の原則よろしく安い労働力が要請される、中卒高卒の子供達が「買われて」いく、その映像です。上野(なぜか東北からの子達の映像です。西日本からも行ったと思うのですが、福岡大阪京都名古屋で賄えていたのでしょうか)駅でのあの映像です、若い子達が緊張と不安を顔いっぱいに両手に荷物を下げて列組んで歩いてるあの映像です、あれを見るだけでこみ上げてしまいます。安い労働力としてあてがわれているのですが、彼ら彼女達は働いて実家の家計を助けるという使命を帯びて懸命で。健気です。いたいけです。だから感情が溢れてしまいます。朝ドラもそういう展開です。奥茨城出の高卒の主人公がトランジスタラジオの下請け工場に勤めてて、ちょうど給料日のシーンでした、当時の大卒の初任給が2万数千円だったとナレーション(マラソンの増田明美です)が教えて、彼女のそれは12000円、寮費食費引かれて手取り6000円、そのうち5000円を実家に送るんです、手元に残すは1000円です。1カ月1000円です。大卒男と比べてどうなんでしょう、2万あれば普通に暮らせたという世相であれば、現代のおよそ10分の1勘定ですか。でも、単純に比較できないですね、モノも人の暮らしもインフラも何もかも違いますから、給料額だけでは判定できません。東京五輪当時私は小学2年生でした、当時の記憶は結構鮮明です。当時京都に住んでました、市電の運賃が15円(子供運賃だったでしょう)でした。銭湯代もその位だったと思います。母親が働いてましたので、学校から帰ると机の上に20円置いてありました。当時りんごが10円で3個買えました。小さくて堅い国光りんごです。5円のアイスキャンディーがありました。カップのアイスは大きいのが20円。ガムは10円だったでしょう。鉄腕アトムのシールの入ったマーブルチョコレートは20円では買えなかったでしょう。当時の20円です、夏はアイスが買えましたし、冬はりんご三つ買えば十分おなかはふくれます。当時は八百屋の店先はみかんとりんご、夏は黄色いまくわ瓜、甘くない西瓜でしたか。バナナなんて高根の花でしたからね。熱だしたりお腹こわした時にしか食べられませんでした、ましてやメロンをや。黄色いまくわ瓜、最近珍しく思いながら食べたのでしたが、ああ思い出通りの風味だけれど甘くないのです。こんなに甘さが少なかったのかと、そういう驚きでした。西瓜も昔はそれほど甘くなかったから塩かけて(つけて)食ってましたね、子供心にはどうして塩なのか分からなかったですが。20円です、子供の1日の小遣いとしては十分だったのでしょうね、18の子達がひと月1000円、1日30円でやってたんですから。と昔話をずるずるしてしまいましたが、金の卵とマスコミが囃したてて安い労働力として東京の製造業を下支えして、昭和30年40年代の経済発展をもたらしたのは彼ら彼女らのまじめさ辛抱強さといった共通の資質、それはかつての日本人が皆持っていた特性だったのでしょうね、そう思いたいそう信じたい気分になります。辺りはみな貧しかったですよ、私たちの世代がきっと貧しかった日本を知ってる尻尾だろうと思うのですが、洗濯機が来てTVが来て冷蔵庫が来て火鉢から石油ストーブに替わり湯沸かし器がついて、それこそどの家にも揃って行く。それはつまり豊かになっていく社会の変化も見てきたのです。ものを作ればどんどん売れる時代が来たのですが、それを支えていたのが私たちより10歳上の人達だという感慨です。今次の朝ドラはダメです、涙が溢れます。