2013年07月29日

今井良晴さんのご臨終を看取ってきました

先ほど癌との闘病生活を続けてきた今井良晴さんのご臨終を看取ってきました。

といっても、私が今井さんと特別に親しい間柄だったから、そうなったワケではなく全くの偶然でした。今月に入って今井さんの具合が芳しくないことは聞いていましたが、あえてお見舞いは自粛していました。最初の入院の時のように普通に歩き回れる状態ならばともかく、肉体的にもかなり辛い状態が続く今回の入院においては、私が行っても負担になるだけと考えたからです。

でも、なぜか今日はお見舞いに行こうと思いました土曜日にお見舞いに行った脇澤美穂選手からメールで「行ってあげて」と頼まれたこともありますが、とにかく自分でも上手く説明できないのですが、今日行かなきゃと思ったのです。

入院先の昭和医大病院に着いたのは16時過ぎでした。ナース・ステーションに面会の申し込みをすると、今井さんの奥さんが迎えてくれました。奥さんとは初対面でした。その時、ちょうど今井さんは体を拭いてもらっていたので、同じくお見舞いに来ていた今井さんのバンド仲間のご夫妻、そしてやはり初対面の今井さんの娘さんと自己紹介がてらいろんな話をしました。

そういう時でも話題になるのはミスター・ブッタマンの話です。全女時代から今井さんには迷惑をかけまくっていたブッタマンですが、こういう時でも彼の話題を出すと場が明るくなり、奥さんも娘さんも笑っていました。そうこうしているうちに病室に入れることになり、今井さんと会うことができました。6月30日の大日本後楽園大会以来です。あの時は試合前にローリング・ストーンズの話で盛り上がりました。今井さんが一番好きなストーンズのナンバーは、「Bitch」。「あんなカッコいい曲はないですよ!」と力説していました。

かれこれ1カ月ぶりにお会いした今井さんは、お見舞いに行った人から聞いてはいたものの、思わず泣けてくるくらいに細くなっていました。本当に頑張って頑張って、踏ん張って踏ん張ってきたことがわかりました。前日までは呼びかけに対して手を動かして応えていたそうですが、今日は声をかけても反応はありませんでした。でも、奥さんによれば、こちらの言うことは聞こえているとのことだったので、先週の大日本後楽園大会の話をしました。

今井さんのベットには心拍数、血圧、呼吸の状態を表示するモニターがあって、それが時々「ピコピコ」と鳴りました。何度目かにそのモニターが鳴った時に看護師さんが来て、酸素の濃度を上げました。今井さんの呼吸が少し楽になったように見えました。その後も何となく立ち去りがたくて、奥さん、娘さん、バンド仲間のご夫妻といろんな話をしました。奥さんは何度も「パパは本当に頑張ってますよ」と繰り返していました。

そうしているうちに、血圧がお見舞いに来た時よりも下がってきました。脈拍も「測定不能」という表示が頻繁に出るようになりました。少しして奥さんと娘さんが病室から出ている間に、脈拍数がみるみる下がってきました。すぐに看護師さんが病室に来て、「ご家族をすぐに呼んできてください」と言われたので、ロビーにいた奥さんと娘さんを呼びに行きました。

ご家族と病室に戻ってモニターを見ると、さっきよりも心拍数はさらに下がって、下がり続けて、とうとう0になってしまいました。間もなく担当のお医者さんが病室に来て、呼吸が停止して脈がないこと、瞳孔に反応がないことを説明した上で、「18時でした」と告げました。

奥さん、娘さん、バンド仲間のご夫妻に続いて、今井さんにお別れを言いました。見舞いに来た時には温かかった手が、もう冷たくなってきていました。


今井さんとのご縁は私が女子プロレスの取材をするようになってからですから、かれこれ20年前の全女時代からになります。97年からは全女の広報担当になった今井さんとは、何度か衝突したこともありました。記者と団体の広報担当は仕事仲間でもありますが、時にはぶつかり合うこともあります。とりわけ当時の今井さんは全女を立て直そうと必死だったので、ぶつかり合うことも多かったような気がします。怒鳴り合いになったことも何度かありました。

ご存知のように今井さんは最後の最後まで全女に留まって、必死に支え続けました。おそらく最後の数年間はまともに給料が出ていた時の方が少なかったと思います。それでも今井さんはバイトをしながら、最後の最後まで全女を支え続けました。あれは誰にでもできることではありませんでしたし、今井さんがいなければ全女はもっと早く終わっていたと思います。

その後、今井さんはチャンコ屋さんの店長や格闘技のジムの会長を任されたりして、プロレスの世界とは距離を置いていた時期もありましたが、2年前から大日本のリングアナ兼スタッフとして、プロレス業界に本格的に復帰しました。今井さんは家族的なムードの大日本が、全女に似ていて好きだったそうです。私にとっても再び会場で顔を合わせる機会が増えて、今井さんのコールが聞けるようになったのはとても嬉しいことでした。

癌を発症したと聞いた時も、そんなに心配はしていませんでした。あのタフで生命力に満ち溢れている今井さんならば、癌なんて克服してしまうと本気で思っていたのです。今だから書けますが、再入院して一時は意識不明になったと聞いた時でさえ、必ず回復してまた大日本の会場でコールをしてくれると本気で信じていました。お見舞いになかなか行かなかったのも、前述したようなオッサンならではの分別もありましたが、絶対に良くなると信じていたからです。

そんな私が今井さんのご臨終に立ち会うこととなってしまいました。私なんかよりもずっと苦楽を分かち合って、縁も濃かった人もたくさんいたはずなのに。

私は人の生死に対して思考停止してしまう部分があり、ご臨終の瞬間に立ち会って間もない今も、今井さんが逝ってしまったという事実を受け止めることができないでいます。

ただ、最期の瞬間に立ち会うことになったのは、今井さんからの何らかのメッセージであると考えることにしました。ですから遺されたご家族には、情けないくらいに微力ではありますが力になっていきたいと思っています。

今井さん、楽しい時間と素敵なコールを本当にありがとうございました。今井さんが大好きだったプロレス、大好きだった人たちのために、自分なりにできることを精一杯頑張っていきます。でも、やっぱり早すぎますよ・・・。




hirotsugu1069 at 22:35コメント(1)トラックバック(0) 
プロレス 

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コメント一欄

1. Posted by mulheres   2017年03月12日 13:34
夢とあなたは...心の自由で戦う、あなたは生活の中で自由になります。

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