2019年12月28日 19:27

今年は、5月1日に元号が平成から令和に代わり、新しい時代が始まりました。思えば昭和から平成に元号が変わった時は、大学受験の時でした。平成元年に大学にめでたく入学しました。平成の時代を振り返ることは、自分自身の大学から社会人となった今日までの歩みを重ねて振り返ることにもなり、様々な思いがこみ上げ、いろいろと考えさせられました。
ところで、2024年度から新しい一万円札に渋沢栄一さんが登場します。私は大学時代に東京都北区王子に住んでいました。近所には飛鳥山公園という東京の桜の名所があります。今でも春には、時折当時を懐かしみ花見に訪れます。実は、この飛鳥山公園に渋沢栄一さんは居を構えていました。公園には渋沢史料館もあります。(現在史料館は改装中で休館しています。)
 ちなみに、飛鳥山公園は徳川幕府の8代将軍徳川吉宗公が享保年間に「江戸の庶民にも桜を楽しめるようになってほしい」ということで多くの桜の木を植え整備をしたところです。また、王子には若き日の田中角栄元首相が学んだ中央工学校という専門学校もあります。
 当時、私は渋沢栄一という人物を知っていましたが、その偉大さがわからず、「公園には散歩に行くが、史料館にまでは行かない」という今考えればもったいないことをしていました。視野が狭かったのか浅学非才だったのだろうと我ながら痛感しています。
 渋沢栄一といえば、昔見たNHKのテレビ番組を今でも覚えています。渋沢栄一とともに日本の資本主義経済を築き上げてきた三菱財閥の創始者岩崎弥太郎を取り上げていました。番組には経済評論家の堺屋太一さんと日本マクドナルド社長(当時)の藤田田さんが出て対談をしました。当時はバブル経済が崩壊し、日本の経済も徐々に下降線をたどっている時でした。それぞれの立場から両氏の功績を紹介した後に、堺屋太一さんが、「ぜひ、ビック渋沢栄一がこれから出てきてほしい。」といったことに対して、藤田田さんが、「スモールでもいいからたくさんの岩崎弥太郎が出てきてほしい。」と言っていました。とても印象的な発言でした。
 さて、話題は変わりますが、今年の8月にアメリカの主要企業の経営者団体であるビジネス・ラウンドテーブルが「脱・株主第一主義」を宣言したことは、私にとって大きな驚きでした。この宣言は、「顧客や従業員、取引先、地域社会といった利害関係者に広く配慮して、長期的に企業価値を高める」という、今までのアメリカの経営姿勢からすれば大きな方針転換を行う内容です。
「アメリカ資本主義の重要な分岐点になる」という識者もいれば、懐疑的にみる向きもあります。実際の動きがどうなるかはまだ不透明ではあります。
 バブル崩壊後の日本の企業経営は平たく言えば、従来の日本型経営を否定し、完全とはいえないまでもアメリカ型の経営を取り入れていくことに力をさいてきたのではないかと思います。しかし、その資本主義の本家のアメリカでこのような重要な変化が生じたことは大きな衝撃でした。
 よく言われるように、リーマンショック後の急速な富の偏在、格差の拡大、中間層の没落、既存の政治家、政党への不信感の増大、ポピュリズムの席巻など多くの原因があるのだろうと推察します。アメリカのある世論調査によれば、ソ連崩壊をあまり知らない若い世代の間で、社会主義に好感をもつ人たちが半数近くいるということも衝撃な話です。
 折しも今年は東西冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊して30年です。アメリカの著名な政治学者フランシス・フクヤマさんが「歴史の終わり」で著したように、資本主義が社会主義に勝利したはずでしたが、30年たちどうなのだろうとも時折感じますし、また今後どうなるのだろうと考えを巡らせたりします。この間、中国やロシアのように強権的な国家資本主義ともいわれる体制も出現しています。
 しかし、考えてみれば、どんな制度も完全無欠で完璧という制度はないはずです。よりよい制度を創っていくことに英知を結集していかなくてはならないのだろうと思います。資本主義市場経済という制度をより健全で多くの方が豊かに暮らしていける制度へと進化をさせていかなくてはならないのだろうと思います。そういった課題に微力ながら挑戦していき、令和の時代をよりよい社会へとしていくことに力を尽くしていきたいと思っています。
来年が皆様にとりましてよりよい一年となりますことを心からご祈念申し上げます。



2018年12月30日 13:23

 7月に、法務省の法務資料展示室で開催された「明治150年」特集展示を見に行きました。民法、刑法といった我が国の司法制度の確率に向けた先人たちの取り組みに感じ入りました。特に、当時の司法卿江藤新平が提出した「司法職務制定」は行政権と司法権を分離し、日本に三権分立を確立しようとするものでした。「法による支配」を目指した江藤新平の志を強く感じました。学生時代に、彼を取り上げた司馬遼太郎の「歳月」を教授に勧められて読んだことを思い出しました。江藤新平は佐賀の乱の後、非業の最期を遂げますが、彼の志は脈々と生きていると強く思いました。
 ところで、この三権分立について、興味深いエピソードがあります。これは、私が県議会議員時代に私の先輩で大変お世話になり、現在も何かと私のことを気にかけてくれている井上幸春先生(現福岡県みやこ町町長)から聞いた話です。
 塚本三郎民社党委員長が訪中した時、当時の中国の最高実力者小平さんと会談した際に、三権分立を知らなかったとの事です。そこで、塚本委員長が教示をしたとのことでした。(井上先生は塚本先生の秘書を長年務めていたので、このエピソードだけでなく塚本先生に関わる話は色々と拝聴をさせていただきました。)
 毎日新聞の政治記者として活躍した岩見隆夫さんの平成25年2月2日の「近聞遠見」というコラムにこの一件が紹介されています。そのコラムによると、次のような事です。
 訪中した塚本委員長に小平氏は、何度も「アメリカは大統領と議会と裁判所の三つの政府ある。どの政府を信用したらいいかわからない。日本もアメリカの悪いとことをまねしないようにしてください。」と繰り返しました。そこで、塚本委員長は、「閣下、見苦しいから、もうそういう主張はおやめなさい。日中平和友好条第1条は〈内政不干渉〉を約束している。閣下は約束違反第1号になりますよ」と声を荒げました。小平氏はやっと矛を収めたとのことです。帰り際、小平氏は塚本委員長を出口まで見送り、「今日はじめて日中間の政治のやり方の違いがわかった。時々北京に来て教えてください」と言ったとのことです。
 我々が当たり前と思っていることであっても、国の政治体制が違えばこうも違うものかとこの話を聞いて感じ入ったものです。
 話は、変わりますが、今年の大きなニュースとして、「米中貿易戦争」が挙げられます。この話は、ご承知のとおり単に「貿易、通商」に関することだけではなく、ハイテクの覇権等をかけた「国家安全保障」に関わる争いとなっています。しかし、ことはこれだけにとどまらず、「資本主義」、「民主主義」といったいわゆる西側先進諸国の体制と「国家資本主義」、「一党独裁体制」といった体制の戦いとなってくるのではと言われています。この行方はポスト平成の時代に避けては通れない大変重要な課題なのだろうと思います。
 ここで、米国の作家・地理学者であるジャレッド・ダイアモンド氏の指摘がなるほどと思わせます。(日本経済新聞2017年11月28日 時論 人類史から見通す近未来)  
 ジャレッド・ダイアモンド氏によると、「中国と欧州は1400年代には経済的に同等に近かったが、その後欧州は中国の先をいった」とのことです。その理由は、「中国には統一の強い王朝があり、欧州には多くの国が群雄割拠していた。『統一』は強みにもなるが弱みにもなる。強みは一人の指導者の下で大きな事業が実現し、経済が飛躍することだが、一方指導者に問題があった場合には、国全体が危機にさらされやすい」とのことです。
 具体的に言えば、「1430年代には中国は世界最大の艦隊と大きな船舶を持ち、中国の船舶は東南アジアや中東を越えてアフリカに到達した。しかし、明の洪武帝の時代になると最高位についた皇帝が艦隊は金の無駄遣いと決め、海禁政策や朝貢貿易に舵を切りました。一方ヨーロッパでは、艦隊が金の無駄遣いだという国王もいたが、有用な出費だと考えた国王もいた。コロンブスは後者の考えだったスペインの国王の支援を得て大西洋を渡った。それによって新世界を欧州は発見することができた」と。そして、「中国はさらに巨大になるだろうが、歴史上、一度も民主主義を経験していない。このことは中国にとって致命的である。一党独裁による政治は意思決定のスピードは速いが、多数の意見を戦わせる機会が少なく、民主主義国家のように新しいことを試すことが難しい。総合力で米国に追いつくことは難しい」と述べています。
 なかなか含蓄のある指摘であると思います。民主主義は手続きを重視し、時間がかかりともすれば面倒くさいという側面もあるのかも知れませんが、大事に守り精度を高めていかなくてはならないのだろうと思います。 こう思っていると、やはり、かの英国の大宰相であるウィンストン・チャーチルの言葉が頭に蘇ってきます。総選挙で労働党のアトリーに敗れ、下野したときの言葉です。「民主主義は最悪の制度である。しかし、他の制度を除けば・・・」チャーチル一流のユーモアある言葉だなと思います。
 今年1年大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。そして、来年、そして平成の次の時代がすばらしい時代であることを心からお祈り申し上げます。


2017年12月29日 12:48

今年は、戦後日本を大きく揺さぶった金融危機の端緒である北海道拓殖銀行、山一証券の破綻から20年という年でした。私が愛読している日経新聞をはじめ新聞各紙や雑誌などで特集が組まれていました。各記事を読みながら当時の状況を思い出し懐かしくも思い、様々考えさせられることも多々ありました。
 当時私は、新進党の鈴木淑夫衆議院議員(元日銀理事、元野村総研理事長、エコノミスト)の秘書をしていました。鈴木淑夫先生は、当時の野党第1党新進党の経済政策の責任者としてこの問題をはじめ、日経平均株価の続落、金融機関の不良債権問題、アジア通貨危機に対して、政府の対策への追及や対案のとりまとめに奔走をしておりました。私も門前の小僧のように経済を学び、使い走りをしていたことが懐かしく思い出されます。
 当時は、都市銀行や大手証券会社は倒産しないだろうというのが世間の常識でしたので、この出来事は我々にとって大きな衝撃でした。確か赤坂にあった山一證券のお店に破綻の報告の張り紙がしてあり、通りかかった時それが剥がれかけていたので、寂寥感を感じたのか、無関係の私がきちんと張り直した記憶があります。我々が就職活動をしていた頃は、年功序列の賃金体系、終身雇用という企業システムが当たり前で、大学を卒業したら大企業に就職するというのが一般的でした。私は、当時新設されたばかりの国会議員の政策担当秘書という非常に不安定な職業を選び、周囲から驚きの目で見られていました。
 話は戻りますが、この倒産劇があった時、友人たちと飲んでいた時、私は次のようなことを言った記憶があります。「会社がなくなったことは大変残念だが、大事なのは会社よりも人である。そこで育った人が様々な分野に行って活躍して成功すればいい。昔、鈴木商店(戦前に三菱、三井をも凌駕した総合商社)という会社が倒産したが、そこにいた人達がいろいろな分野に行き、様々な事業を起こし、会社を作り、国家、社会に貢献してきた。」
 今日では、転職も珍しいことではなくなり、大学を出てすぐ起業する人も当時と比べて多くなっています。終身雇用、年功序列という企業システムが壊れ、社会状況も職場を取り巻く状況も大きく変わっています。さらに戦後のモノづくりを代表した企業ですらも不祥事や業績不振から立ち行かなくなっている姿も見受けられます。
 このような時代に、我々はどのようなことが大事なのかと自問自答させられます。先日、福澤諭吉翁の「学問のすすめ」第3編に次のような一節があることを知りました。
 「独立の気力無き者は人に依頼し人を恐れ諛(へつら)う。ついには、面の皮鉄のごとくなり、恥ずべきことを恥じず、論ずべきことを論ぜず、人を見れば唯腰を屈するのみ」と。
 非常に含蓄があり考えさせられる言葉です。この精神を持てるよう今後とも精進をしていきたいと思います。
1年間大変お世話になりました。皆様どうぞ良いお年をお迎えください。


2016年12月31日 04:11

久しぶりにブログを書きます。いつもの出だしですが、ご無沙汰ですみません。まずは、今年1年本当にお世話になりありがとうございました。来年もご指導の程よろしくお願い致します。
 さて、私の趣味の1つに新聞の切り抜きがあります。(あまりに昔のものや溜まり過ぎで、整理に苦心するのですが・・・)昔の記事を2年位前に整理していたら、大学時代に切り抜いた記事がでてきました。おそらく平成4年か5年頃の記事ですが、住友生命保険名誉会長(当時)の新井正明さんの私の履歴書です。新井さんが大学時代に芦田均さんが講演に来て次のようにおっしゃったそうです。「学びて思わざれば則ち左傾し、思うて学ばざれば則ち右傾す、故にわれは中道を行く」と。
 当時大学生だった私は、無性にこの言葉にひかれ、おそらくこの記事を切り抜き保存したのだろうと思います。自身の将来について様々に思いを巡らせ、青春時代の様々な悩みや葛藤があったのかもしれません。あれから二十数年経ち、この言葉のとおり実践できたのだろうかとふと振り返ってしまいます。これからこの言葉を改めて噛み締めて精進していきたいと思っています。
 ところで、せっかくですので芦田均さんについて少し触れさせていただきます。芦田さんは外交官を経て、衆議院議員となりました。この時期は軍部が国政を席巻しており日本がファシズムに突入していく時期でした。しかし、芦田均さんは、自由主義の立場を堅持し、軍部に妥協することなく国政で活躍をしました。圧巻は、斎藤隆夫衆議院議員が軍部の忌避に触れ、衆議院議員を除名されたと時に、反対票を投じた数少ない国会議員でした。かつて法務大臣を務めた秦野章さんはこの行動を高く評価し、芦田さんのような政治家が当時20人でも30人でもいたらあの戦争は防げたのかもしれないとその著書で述回していました。
戦後の活躍では、日本国憲法の中で特に議論となる9条に,いわゆる芦田修正を盛り込みました。そして、GHQ支配下の日本で総理となり難局にあたりました。しかし、GHQの派閥争いから生じたといわれる昭電疑獄で逮捕され失脚しました。(後にこれは無罪が確定しています。)復権後はハンガリー動乱に際しては反共の立場から日本ハンガリー協会を設立し会長となるなど終始自由主義を守ることに心を砕き、外交問題で發じ識と行動力を示されました。晩年は、自身の外交官として、そして政治家としての経験から第二次世界大戦を振り返り、「第二次世界大戦史」を病魔に侵されながらも完成させました。まさに見識の發ぢ遽曚靴神治家であったと思います。
 一度この本を読み、自身の研鑽に努めていきたいと思います。来年もよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。



2015年12月29日 13:24

 暫くぶりにブログを書きます。ご無沙汰ですみません。(何度かこのフレーズを使っており恐縮ですが・・・)
 今年も1年色々なことがありましたが、4月の統一地方選挙は出馬を見送らせていただきました。様々考えましたが、それが現時点で最良の選択だろうと決断しました。ブログでのご報告も遅くなり申し訳ございません。しかし、政治活動は地道に続けてまいりますのでご指導のほどよろしくお願いいたします。
 さて、今年のニュースの中で気になったのは、中国(中華人民共和国)の習近平国家主席と台湾(中華民国)の馬英九総統がシンガポールで会談したことです。1949年の中台分断以来初のトップ会談であり世界に大きな衝撃を与えました。
 国民党と共産党の会談で思い出されるのは、1936年の「西安事件」です。かつて国民党の蒋介石総統の部下であった張学良が共産党と和解し共同して抗日戦線を戦うことを主張し、聞き入れられないと今度は蒋介石を軟禁してその実現を迫りました。その結果蒋介石はじり貧状態にあった共産党の毛沢東と会談を行い、国民党と共産党の内戦を休戦して抗日へ共同歩調をとるという世に言う「国共合作」を行いました。
 この結果、日本は日中戦争に敗北を喫することになるわけですが、まさに西安事件はアジアの近代史に大きな影響を与えたエポックメーキングだと思います。常々思っている私の説ですが、育ちのよかった張学良(さらに父である張作霖を関東軍に爆殺されたため関東軍そして日本への怒りはひとしおであっただろうから・・・)を老獪な周恩来が上手に説得したというのが西安事件の一つの事実ではないかと思っています。ちなみに、張学良は蒋介石のことを兄のようにしたっていて、「兄を諌める」という思いで蒋介石を軟禁したそうですが、蒋介石は張学良のことを「部下」としか思っていなかったそうでで、蒋介石からしてみたらただ単に「部下の反乱」つまり「クーデター」に以外何者でもなかったわけですから人間模様というのはなかなか一筋縄ではいかないなと思います。その後、張学良は逮捕され50年近くに渡って軟禁状態に置かれてしまいます。確か私が大学時代の平成2年頃に正式に軟禁状態が解かれて、テレビのインタビューに答えていました。当時、非常に歴史の重みを感じました。
 さて、今回の会談は、アジアにおける何か大きな地殻変動の現れかもしれません。この会談が日本にとってどういう影響をもたらすのか、また日本がどう利活用していかなくてはならないのか、アジア外交の真価が問われるだろうと思います。


2014年12月31日 15:40

 今年もあと1日となりました。1年間お世話になりまして本当にありがとうございました。今回、NHKの大河ドラマ「軍師勘兵衛」をほぼ見逃さず見ました。勘兵衛役の岡田准一の好演もさることながら、徳川家康役の寺尾聰も素晴らしいと感じました。策士然とした雰囲気は恐らく歴代の大河ドラマの家康役でピカ一だろうと思います。さて、徳川家康の有名な言葉に「人の一生は長き道のりを重き荷物を背負いて歩むが如し」という言葉があります。幼い頃から苦労を重ねた家康ならではの含蓄のある言葉だと思います。(もっともこの言葉は家康像を打ち出すための後世の史家の創作だという説もあります。)ここ数年の思い通りにならない苦しい時期をこの言葉をよく噛み締めました。
 さて、今年は、スポーツの世界では錦織圭選手の活躍が内閣改造の話も吹き飛ばすくらい大きな話題となり、テニスもブームとなりました。彼の師匠の松岡修造さんもよくテレビに出ていました。今年、同時に忘れてはならない事はプロ野球で中日ドラゴンズの山本昌投手が49歳にして最年長勝利の記録を樹立したことだろうと思います。来年もプロ野球の世界に残るということで、齢50歳にしてプロ野球界で活躍していくというのは驚くべきことだろうと思います。個人差はあるでしょうが、年とともに必然的に衰えていく体力、運動神経をカバーしてプロ野球をやり続けるというのは、運動選手でない私は一層頑張っていかなくてはならないと心を奮わされました。たまたま見ていた日刊ゲンダイで武田鉄矢さんが、「自分は野垂れ死ぬまで生涯現役で頑張る」とおっしゃりこの山本昌投手を絶賛していました。
 数年前、あるかつて名を馳せた老政治家が落選して去就に迷っている時色々悩んでいたようなので、私は次のように自分の考えを伝えたことがあります。「体力があり、健康に問題がなく、環境が許せば次出馬されたらどうですか」と。その後私は、その人物に書簡を送りました。内容は、その政治家がかつて活躍していた時の記事と一緒にクリントイーストウッドの話と葛飾北斎の話を記した手紙でした。
クリントイーストウッドは若い頃はダーティーハリーの映画で一世を風靡し80歳近くになっても「硫黄島からの手紙」等様々な名作を監督として世に送り出しています。一方、葛飾北斎は、生涯をかけて浮世絵を極めようとし80歳を過ぎてもなおまだこの道を極めていないと絵筆をもって旅に出たという話があります。ちなみに北斎の浮世絵は出島を通じて当時のヨーロッパに流れゴッホをはじめとする後の印象派の絵画に大きな影響を与えました。今でもパリでは芸術家を目指す若者が、トンネルの壁に北斎の富嶽三十六景の絵を書き続けているというエピソードがテレビで紹介されていました。まさに、現在国が推し進めているクールジャパンの最たる事例ではないかと思います。
 さて、フランスの話が出てきたところで、フランスの政治家クレマンソーをここで紹介したいと思います。クレマンソーは若い時は政府を攻撃し内閣を何度も辞任に追いやり「虎」の異名をとりました。52歳の時に政界を離れジャーナリスト活動に専念しました。世界史で有名な「ドレフュス事件」ではドレフュス擁護の論陣をはりました。1902年、60歳を超えて政界に復帰し1906年から1909年には首相を務めました。そしてイギリス、ロシアと三国協商を結びました。第一次世界大戦中に再度フランスの首相として登板しドイツの攻撃を受け意気消沈し厭戦気分の国民を鼓舞し勝利を収めました。クレマンソーはヴェルサイユ条約調印時には80歳を超えていたわけであり(また、会議開催中に銃撃されたが事なきを得たことも驚異ですが・・・)、端倪すべからざる人物であると思います。
 長々と書きましたが、要は、超高齢化と言われる社会、年をとってもしっかりと頑張っていかなくてはならないし頑張っていけるだろうと思います。私は今年まだ(?)45歳、益々己を磨き志を高く掲げて頑張ってまいります。良いお年をお迎えください。


2014年05月05日 01:44

26 5 反逆の本
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を私は、毎週楽しみにしてみています。リアルタイムで見れない時は、録画してみています。残念ながら、視聴率はあまり高くないようで盛り上がりを期待したいところです。数年前の「功名が辻」の時もそうでしたが、戦国時代(正確言えば安土桃山時代でしょうが・・・)を物語りにした時に、ドラマの主人公とは別に「信長、秀吉、家康」の軸がどうしても必要となるので散漫になるというのがあるのかもしれません。来週、再来週と黒田官兵衛が荒木村重に裏切られて人生で最大のピンチを迎える状況となります。これを乗り越え、軍師として大きく飛躍し、秀吉を補佐して天下取りに邁進していく今後が楽しみです。
 ところで、遠藤周作さんの著作で「反逆」という小説があります。この小説は、私の高校時代に読売新聞の連載小説で掲載されていて当時、興味深く読みました。(すべてではありませんが・・・)この小説の見所は、天才(暴君?)織田信長に仕える、荒木村重、明智光秀、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の苦悩と葛藤を描いています。絶対的権力者である織田信長の様々な命令、処置、人事などに対し、どのような感情を抱きどう対処していくのか読み応えがあります。「軍師官兵衛」でも出ていた場面ですが、初対面の時、刀で刺した団子を面前で食べさせられた屈辱と恐怖が忘れられず、些細な失敗からどんどんと深みに嵌り、最後は信長に反旗を翻し悲劇的な末路をたどった荒木村重、彼に同情しながらも彼の攻撃の先頭に立たされ彼と同じように信長に反旗を翻し本能寺の変にいたった明智光秀、信長に反発を抱きながらもじっとそれを隠し続け、他の二人を冷徹に見ていた秀吉とその心理描写が見事に描かれています。
 数年前、ブックオフで単行本を見つけ購入しました。(残念ながら上巻だけですが・・・)今、斜め読みですが改めて読み返しています。大河ドラマとあわせて読むと見ごたえがあります。お勧めの一冊です。


2014年01月26日 22:16

 先日、NHKのクローズアップ現代で、「ビットコイン」(仮想通貨の一種)の特集を放送していました。
 ビットコインはサトシナカムラという人(もっともこの人が誰だかわからないそうですが…)がネットで論文を発表して一部の天才がネットで楽しくて作り出したそうです。みんながそれを通貨として受け取り楽しくてしょうがないないから始まったのではないかといわれています。そして、キプロスの経済危機で国家の通貨より信用されて使われ、中国マネーのおかげで2兆円くらいまで膨らんでいるとの事です。番組で解説をしていた岡田均さんという方が「まさにみんながお金だと信じるのがお金という典型だ」とおっしゃっていました。当然、国家の発行する通貨の信頼性に影響するのではということで、規制を行う国(中国)、規制を検討している国(日本)、自己責任に任せる国(アメリカなど)と各国で対応がなされています。
 ところで、この話を聞いて、2つのエピソードを思い浮かべました。
一つは「西郷札」です。西郷札とは、明治10年の西南戦争の時、西郷軍が戦費の調達のため占領地で発行した今で言う仮想通貨です。これはもちろん、通貨としての価値はなく西南戦争終了後、紙くずとなったのは論をまたないわけです。
 ちなみに、この西郷札を扱った小説を松本清張が昭和26年に発表し、これがデビュー作となりました。余談ですが、平成3年に松本清張さんの作家活動40周年を記念して民放のキー局が、毎月1回松本清張原作のドラマも放送しましたが、その第1作が「西郷札」でした。そしてさらに余談になりますが、ここで緒方直人さんと仙道敦子さんが共演をして、これがきっかけでお二人はご結婚をされました。(なぜここまで詳しいかというと、私が当時、仙道敦子さんのファンだったからにほかなりません。もちろんこのドラマも見ました。)
 もう一つのエピソードは蒋介石総統と人民元です。これもNHKの特集でやっていましたが、日中戦争時、蒋介石総統率いる中国国民党軍は日本軍に戦闘で負けてばかりいましたが、(これは多少の誇張だろうと思いますが、詳しく戦記をしらべていませんからわかりませんが、もちろん勝った事もあるでしょうが…日本軍が圧倒的に強かったということでしょうが…)最終的に日本軍に勝利を収めます。この要因の一つに、蒋介石総統が人民元を創設し、戦費の調達をしっかりと行えたことがあるそうです。蒋介石総統が後に、「元の誕生がなければ早く敗れていたか、屈辱の講和をしていた。」と語っています。
 「通貨とは」、真剣に考えさせたれた1日でした。


2014年01月03日 22:40

 久々に「独眼竜」の気炎を聞きました。「独眼竜」といってももちろん伊達政宗ではありませんが… その人物は立花証券元社長(現立花商事会長)の石井久さんです。氏は証券業界では知らない人はいないといわれる伝説の相場師です。「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」と読み、1953年のスターリン暴落を読みきった人物です。(1月3日の日経新聞の3面に人物紹介と共にリアルの逆襲という特集記事に出ています。)
 石井久氏が20年くらい前に日経新聞の私の履歴書で自身の半生をつづっていて、当時興味深く読ませていただきました。今日は、久々にお見かけしたので驚きと共に、特集記事を熱心に読みました。齢90歳になってもその考えは鋭さがにじみ出ていると感じました。
以下は、その記事中の石井氏の発言です。
・ 私は情報は新聞や雑誌などから得ており、インターネットは使えない。長期投資にはそれで十分だ。重要なのは書いてあることをうのみにせず常に自分の頭で総合的に考えるようにすること。
・ いちど投資で利益が出てもおごらず、内外情勢の勉強を続けること。私は60年以上規則正しい生活を続け、勉強もしている。
・ 多数意見の逆を考えることも大切。
・ 世の中にある情報をそしゃくして冷静にみれば、時代の流れを読める。
・ (株式相場は)向こう3年ほどは高くなるとみる。00年のIT相場の高値(2万0833円)は超えるだろう。安倍晋三政権が続き、経済重視の政治が続くことが条件だ。
・ 長期では日本経済を悲観している。人口減少下でも政府は移民政策に消極的だ。国の借金は1000兆円に及ぶ。貿易赤字も定着し、必然的に円は弱くなる。〜中略〜キャピタルフライト(資本投資)が本当に起きる前に、政府は行動しないといけない。

この「独眼竜」の言葉、日本の今後はどのようになるのか?参考にしながら研鑽を積んでいきたいと思います。


2013年12月31日 23:18

 12月に入って、南アフリカの元大統領マンデラ氏の訃報のニュースがありました。非人道的なアパルトヘイトの撤廃、人種の対立を乗り越えて融和を掲げ、「虹の国」を目指し国家の建設を行ってきました。訃報に際し、世界から多くの哀悼の意が表せられました。オバマ大統領は「私の人生のお手本だった。」と述べました。
 さて、多少不遜ではありますが、私、堀 宏行もお手本というかマンデラ氏を見習った一人であります。私が高校生の時、まだアパルトヘイトが厳然と存在していた時、新聞の特集で獄中にいるマンデラ氏の記事が掲載されていました。その中で、「20数年獄中にあるマンデラ氏はシャドーボクシングなどを行って健康管理を行い健在である」という趣旨の文章が目に入りました。強固な難敵に挑むマンデラという人物に非常に引かれたと共に、何故このように不屈の精神を保てるのか非常に感動を覚えました。私もこの不屈の精神を学ぼうと思い、単純かも知れませんが大学に入りボクシングを始めました。元々あまりスポーツが得意ではなかったので、大学の体育の授業で習い、その後ボクシング同好会というサークルにも入り、週に1度ボクシングジムにも通いだしました。ボクシングを始めたことが、私にとっても体を鍛え、健康になり、精神の鍛錬にもなり、その後の人生にも多くの価値を生み出したと思っています。もちろん、これだけで不屈の精神が身につくわけではありませんが、一助にはなっただろうと思いす。
 ここ数年の政治的に厳しい状況の時に、私が何とか乗り越えてこれたのも、多くの友人、支援者に支えられてのことです。そして今、様々な経験からこの不屈の精神を身につけてこれたか。自分が持ち合わせているか。これからも持ち続けていけるか。自身に問い続けていきたいと思います。
 皆様、よいお年をお迎えください。
 


楽天市場