2015年12月29日

 暫くぶりにブログを書きます。ご無沙汰ですみません。(何度かこのフレーズを使っており恐縮ですが・・・)
 今年も1年色々なことがありましたが、4月の統一地方選挙は出馬を見送らせていただきました。様々考えましたが、それが現時点で最良の選択だろうと決断しました。ブログでのご報告も遅くなり申し訳ございません。しかし、政治活動は地道に続けてまいりますのでご指導のほどよろしくお願いいたします。
 さて、今年のニュースの中で気になったのは、中国(中華人民共和国)の習近平国家主席と台湾(中華民国)の馬英九総統がシンガポールで会談したことです。1949年の中台分断以来初のトップ会談であり世界に大きな衝撃を与えました。
 国民党と共産党の会談で思い出されるのは、1936年の「西安事件」です。かつて国民党の蒋介石総統の部下であった張学良が共産党と和解し共同して抗日戦線を戦うことを主張し、聞き入れられないと今度は蒋介石を軟禁してその実現を迫りました。その結果蒋介石はじり貧状態にあった共産党の毛沢東と会談を行い、国民党と共産党の内戦を休戦して抗日へ共同歩調をとるという世に言う「国共合作」を行いました。
 この結果、日本は日中戦争に敗北を喫することになるわけですが、まさに西安事件はアジアの近代史に大きな影響を与えたエポックメーキングだと思います。常々思っている私の説ですが、育ちのよかった張学良(さらに父である張作霖を関東軍に爆殺されたため関東軍そして日本への怒りはひとしおであっただろうから・・・)を老獪な周恩来が上手に説得したというのが西安事件の一つの事実ではないかと思っています。ちなみに、張学良は蒋介石のことを兄のようにしたっていて、「兄を諌める」という思いで蒋介石を軟禁したそうですが、蒋介石は張学良のことを「部下」としか思っていなかったそうでで、蒋介石からしてみたらただ単に「部下の反乱」つまり「クーデター」に以外何者でもなかったわけですから人間模様というのはなかなか一筋縄ではいかないなと思います。その後、張学良は逮捕され50年近くに渡って軟禁状態に置かれてしまいます。確か私が大学時代の平成2年頃に正式に軟禁状態が解かれて、テレビのインタビューに答えていました。当時、非常に歴史の重みを感じました。
 さて、今回の会談は、アジアにおける何か大きな地殻変動の現れかもしれません。この会談が日本にとってどういう影響をもたらすのか、また日本がどう利活用していかなくてはならないのか、アジア外交の真価が問われるだろうと思います。


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2014年12月31日

 今年もあと1日となりました。1年間お世話になりまして本当にありがとうございました。今回、NHKの大河ドラマ「軍師勘兵衛」をほぼ見逃さず見ました。勘兵衛役の岡田准一の好演もさることながら、徳川家康役の寺尾聰も素晴らしいと感じました。策士然とした雰囲気は恐らく歴代の大河ドラマの家康役でピカ一だろうと思います。さて、徳川家康の有名な言葉に「人の一生は長き道のりを重き荷物を背負いて歩むが如し」という言葉があります。幼い頃から苦労を重ねた家康ならではの含蓄のある言葉だと思います。(もっともこの言葉は家康像を打ち出すための後世の史家の創作だという説もあります。)ここ数年の思い通りにならない苦しい時期をこの言葉をよく噛み締めました。
 さて、今年は、スポーツの世界では錦織圭選手の活躍が内閣改造の話も吹き飛ばすくらい大きな話題となり、テニスもブームとなりました。彼の師匠の松岡修造さんもよくテレビに出ていました。今年、同時に忘れてはならない事はプロ野球で中日ドラゴンズの山本昌投手が49歳にして最年長勝利の記録を樹立したことだろうと思います。来年もプロ野球の世界に残るということで、齢50歳にしてプロ野球界で活躍していくというのは驚くべきことだろうと思います。個人差はあるでしょうが、年とともに必然的に衰えていく体力、運動神経をカバーしてプロ野球をやり続けるというのは、運動選手でない私は一層頑張っていかなくてはならないと心を奮わされました。たまたま見ていた日刊ゲンダイで武田鉄矢さんが、「自分は野垂れ死ぬまで生涯現役で頑張る」とおっしゃりこの山本昌投手を絶賛していました。
 数年前、あるかつて名を馳せた老政治家が落選して去就に迷っている時色々悩んでいたようなので、私は次のように自分の考えを伝えたことがあります。「体力があり、健康に問題がなく、環境が許せば次出馬されたらどうですか」と。その後私は、その人物に書簡を送りました。内容は、その政治家がかつて活躍していた時の記事と一緒にクリントイーストウッドの話と葛飾北斎の話を記した手紙でした。
クリントイーストウッドは若い頃はダーティーハリーの映画で一世を風靡し80歳近くになっても「硫黄島からの手紙」等様々な名作を監督として世に送り出しています。一方、葛飾北斎は、生涯をかけて浮世絵を極めようとし80歳を過ぎてもなおまだこの道を極めていないと絵筆をもって旅に出たという話があります。ちなみに北斎の浮世絵は出島を通じて当時のヨーロッパに流れゴッホをはじめとする後の印象派の絵画に大きな影響を与えました。今でもパリでは芸術家を目指す若者が、トンネルの壁に北斎の富嶽三十六景の絵を書き続けているというエピソードがテレビで紹介されていました。まさに、現在国が推し進めているクールジャパンの最たる事例ではないかと思います。
 さて、フランスの話が出てきたところで、フランスの政治家クレマンソーをここで紹介したいと思います。クレマンソーは若い時は政府を攻撃し内閣を何度も辞任に追いやり「虎」の異名をとりました。52歳の時に政界を離れジャーナリスト活動に専念しました。世界史で有名な「ドレフュス事件」ではドレフュス擁護の論陣をはりました。1902年、60歳を超えて政界に復帰し1906年から1909年には首相を務めました。そしてイギリス、ロシアと三国協商を結びました。第一次世界大戦中に再度フランスの首相として登板しドイツの攻撃を受け意気消沈し厭戦気分の国民を鼓舞し勝利を収めました。クレマンソーはヴェルサイユ条約調印時には80歳を超えていたわけであり(また、会議開催中に銃撃されたが事なきを得たことも驚異ですが・・・)、端倪すべからざる人物であると思います。
 長々と書きましたが、要は、超高齢化と言われる社会、年をとってもしっかりと頑張っていかなくてはならないし頑張っていけるだろうと思います。私は今年まだ(?)45歳、益々己を磨き志を高く掲げて頑張ってまいります。良いお年をお迎えください。


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2014年05月05日

26 5 反逆の本
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を私は、毎週楽しみにしてみています。リアルタイムで見れない時は、録画してみています。残念ながら、視聴率はあまり高くないようで盛り上がりを期待したいところです。数年前の「功名が辻」の時もそうでしたが、戦国時代(正確言えば安土桃山時代でしょうが・・・)を物語りにした時に、ドラマの主人公とは別に「信長、秀吉、家康」の軸がどうしても必要となるので散漫になるというのがあるのかもしれません。来週、再来週と黒田官兵衛が荒木村重に裏切られて人生で最大のピンチを迎える状況となります。これを乗り越え、軍師として大きく飛躍し、秀吉を補佐して天下取りに邁進していく今後が楽しみです。
 ところで、遠藤周作さんの著作で「反逆」という小説があります。この小説は、私の高校時代に読売新聞の連載小説で掲載されていて当時、興味深く読みました。(すべてではありませんが・・・)この小説の見所は、天才(暴君?)織田信長に仕える、荒木村重、明智光秀、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の苦悩と葛藤を描いています。絶対的権力者である織田信長の様々な命令、処置、人事などに対し、どのような感情を抱きどう対処していくのか読み応えがあります。「軍師官兵衛」でも出ていた場面ですが、初対面の時、刀で刺した団子を面前で食べさせられた屈辱と恐怖が忘れられず、些細な失敗からどんどんと深みに嵌り、最後は信長に反旗を翻し悲劇的な末路をたどった荒木村重、彼に同情しながらも彼の攻撃の先頭に立たされ彼と同じように信長に反旗を翻し本能寺の変にいたった明智光秀、信長に反発を抱きながらもじっとそれを隠し続け、他の二人を冷徹に見ていた秀吉とその心理描写が見事に描かれています。
 数年前、ブックオフで単行本を見つけ購入しました。(残念ながら上巻だけですが・・・)今、斜め読みですが改めて読み返しています。大河ドラマとあわせて読むと見ごたえがあります。お勧めの一冊です。


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2014年01月26日

 先日、NHKのクローズアップ現代で、「ビットコイン」(仮想通貨の一種)の特集を放送していました。
 ビットコインはサトシナカムラという人(もっともこの人が誰だかわからないそうですが…)がネットで論文を発表して一部の天才がネットで楽しくて作り出したそうです。みんながそれを通貨として受け取り楽しくてしょうがないないから始まったのではないかといわれています。そして、キプロスの経済危機で国家の通貨より信用されて使われ、中国マネーのおかげで2兆円くらいまで膨らんでいるとの事です。番組で解説をしていた岡田均さんという方が「まさにみんながお金だと信じるのがお金という典型だ」とおっしゃっていました。当然、国家の発行する通貨の信頼性に影響するのではということで、規制を行う国(中国)、規制を検討している国(日本)、自己責任に任せる国(アメリカなど)と各国で対応がなされています。
 ところで、この話を聞いて、2つのエピソードを思い浮かべました。
一つは「西郷札」です。西郷札とは、明治10年の西南戦争の時、西郷軍が戦費の調達のため占領地で発行した今で言う仮想通貨です。これはもちろん、通貨としての価値はなく西南戦争終了後、紙くずとなったのは論をまたないわけです。
 ちなみに、この西郷札を扱った小説を松本清張が昭和26年に発表し、これがデビュー作となりました。余談ですが、平成3年に松本清張さんの作家活動40周年を記念して民放のキー局が、毎月1回松本清張原作のドラマも放送しましたが、その第1作が「西郷札」でした。そしてさらに余談になりますが、ここで緒方直人さんと仙道敦子さんが共演をして、これがきっかけでお二人はご結婚をされました。(なぜここまで詳しいかというと、私が当時、仙道敦子さんのファンだったからにほかなりません。もちろんこのドラマも見ました。)
 もう一つのエピソードは蒋介石総統と人民元です。これもNHKの特集でやっていましたが、日中戦争時、蒋介石総統率いる中国国民党軍は日本軍に戦闘で負けてばかりいましたが、(これは多少の誇張だろうと思いますが、詳しく戦記をしらべていませんからわかりませんが、もちろん勝った事もあるでしょうが…日本軍が圧倒的に強かったということでしょうが…)最終的に日本軍に勝利を収めます。この要因の一つに、蒋介石総統が人民元を創設し、戦費の調達をしっかりと行えたことがあるそうです。蒋介石総統が後に、「元の誕生がなければ早く敗れていたか、屈辱の講和をしていた。」と語っています。
 「通貨とは」、真剣に考えさせたれた1日でした。


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2014年01月03日

 久々に「独眼竜」の気炎を聞きました。「独眼竜」といってももちろん伊達政宗ではありませんが… その人物は立花証券元社長(現立花商事会長)の石井久さんです。氏は証券業界では知らない人はいないといわれる伝説の相場師です。「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」と読み、1953年のスターリン暴落を読みきった人物です。(1月3日の日経新聞の3面に人物紹介と共にリアルの逆襲という特集記事に出ています。)
 石井久氏が20年くらい前に日経新聞の私の履歴書で自身の半生をつづっていて、当時興味深く読ませていただきました。今日は、久々にお見かけしたので驚きと共に、特集記事を熱心に読みました。齢90歳になってもその考えは鋭さがにじみ出ていると感じました。
以下は、その記事中の石井氏の発言です。
・ 私は情報は新聞や雑誌などから得ており、インターネットは使えない。長期投資にはそれで十分だ。重要なのは書いてあることをうのみにせず常に自分の頭で総合的に考えるようにすること。
・ いちど投資で利益が出てもおごらず、内外情勢の勉強を続けること。私は60年以上規則正しい生活を続け、勉強もしている。
・ 多数意見の逆を考えることも大切。
・ 世の中にある情報をそしゃくして冷静にみれば、時代の流れを読める。
・ (株式相場は)向こう3年ほどは高くなるとみる。00年のIT相場の高値(2万0833円)は超えるだろう。安倍晋三政権が続き、経済重視の政治が続くことが条件だ。
・ 長期では日本経済を悲観している。人口減少下でも政府は移民政策に消極的だ。国の借金は1000兆円に及ぶ。貿易赤字も定着し、必然的に円は弱くなる。〜中略〜キャピタルフライト(資本投資)が本当に起きる前に、政府は行動しないといけない。

この「独眼竜」の言葉、日本の今後はどのようになるのか?参考にしながら研鑽を積んでいきたいと思います。


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2013年12月31日

 12月に入って、南アフリカの元大統領マンデラ氏の訃報のニュースがありました。非人道的なアパルトヘイトの撤廃、人種の対立を乗り越えて融和を掲げ、「虹の国」を目指し国家の建設を行ってきました。訃報に際し、世界から多くの哀悼の意が表せられました。オバマ大統領は「私の人生のお手本だった。」と述べました。
 さて、多少不遜ではありますが、私、堀 宏行もお手本というかマンデラ氏を見習った一人であります。私が高校生の時、まだアパルトヘイトが厳然と存在していた時、新聞の特集で獄中にいるマンデラ氏の記事が掲載されていました。その中で、「20数年獄中にあるマンデラ氏はシャドーボクシングなどを行って健康管理を行い健在である」という趣旨の文章が目に入りました。強固な難敵に挑むマンデラという人物に非常に引かれたと共に、何故このように不屈の精神を保てるのか非常に感動を覚えました。私もこの不屈の精神を学ぼうと思い、単純かも知れませんが大学に入りボクシングを始めました。元々あまりスポーツが得意ではなかったので、大学の体育の授業で習い、その後ボクシング同好会というサークルにも入り、週に1度ボクシングジムにも通いだしました。ボクシングを始めたことが、私にとっても体を鍛え、健康になり、精神の鍛錬にもなり、その後の人生にも多くの価値を生み出したと思っています。もちろん、これだけで不屈の精神が身につくわけではありませんが、一助にはなっただろうと思いす。
 ここ数年の政治的に厳しい状況の時に、私が何とか乗り越えてこれたのも、多くの友人、支援者に支えられてのことです。そして今、様々な経験からこの不屈の精神を身につけてこれたか。自分が持ち合わせているか。これからも持ち続けていけるか。自身に問い続けていきたいと思います。
 皆様、よいお年をお迎えください。
 


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2013年11月30日

 11月15日に44歳になりました。自分では見かけは若い(?)と思っていますのでもう、40の半ばに差し掛かったかという感じとまだまだ40の半ばかという気持ちが半々です。これからも志を高く掲げ、目標をもって精進していこうと思っています。
 今月は、昔からお世話になっていた後援者の方のお別れ会に参列させていただきました。会場に入り、遺影を見つめていると、その方との出会いとお付き合いの中で様々なことを学ばせていただいたことが心の底から甦ってきました。献花をさせていただく時に目頭が熱くなりました。ご冥福をお祈りすると共に心から今までのご指導に対しまして感謝の念をささげ改めて立派な政治家になろうと心に誓いました。
 現在、特定秘密保護法案が大きな話題になっていますが、私がかつて秘書として仕えた山田宏衆議院議員が与党との修正協議や委員会での質問でテレビによく出て大活躍をされていました。たまたま国会中継をテレビでみていて議論を聞いていましたが、問題点が正鵠を得ていて身内贔屓ながら、「さすがだなぁ」と思い大変感銘を受けました。昔、山田議員が質問をするとき、二人で夜遅くまで、資料を作成したり、打ち合わせをしたりしていたことが懐かしく思い出されました。山田議員は気迫に満ち、野性味があり武闘派のイメージもありますが(よく怒られたことがありましたが…)、とても優しい一面もありました。私が休日出勤してソファーで寝ていたら、風邪をひくだろうとそっと事務所にあったタオルケットをかけていてくれた事がありました。その時は、「あっ、実は優しいんだなぁ」と妙に感じ入りました。この時代に培った経験は今でも私の大きな財産となっていることを改めて思い起こされました。
 そして、11月末には、大学時代の親友が仕事の都合で福岡に着たので、わずかの時間でしたが、夕食を共にして近況を語り合い、政治、経済などの様々な話をして盛り上がりました。
 よき師、よき友を持つということは人生の財産だと思いました。


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2013年08月31日

 この夏は酷暑といわれるくらい暑く、自己防衛に、昼間は帽子をかぶって外に出て、夜はペットボトルに水をいれ枕元において寝ていました。
 8月は、初盆に行きました。お世話になった方の霊に手を合わせ今までのお礼と自分の近況や決意をご報告したりしていました。胸に込み上げるものがありました。
 また、高校の同級生の同窓会や、高校の部活、弓道部のOB会にも出席をしました。10年近く前に、インターハイの全国大会に出場して全国で2位となった後輩も出席していました。私自身は大して弓道はうまくなかったのですが、(もちろん同級生で相当腕がたった仲間もいます。)弓道部に所属していたことが本当に誇りに思います。そして、中学の同級生数人と集まりました。卒業以来30年近くぶりに会う方もいて懐かしさが込み上げてきました。加えて、青年会議所のOBが中心のマラソン部会にも1年ぶりに出席しました。簡単にマラソンをした後、ビアガーデンで食事をしてとても気持ちよくすごしました。
 このようなお付き合いは、私のいい時、悪い時関わらずきさくに何でも言え心の故郷だと感じさせます。鋭気を養い、頑張っていこうと思います。


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2013年04月29日

 4月29日は「昭和の日」です。この日は、元来は昭和天皇陛下の誕生日で、昔は天皇誕生日で祝日でした。私たちの世代以上(40代)の方には「ああ、なるほど。」と思い起こすのではないかと思います。昭和64年1月7日に昭和天皇が御崩御され、年号が平成に変わり、平成19年まで「みどりの日」といわれていました。
 この4月29日を「昭和の日」としようという運動が平成に入りずっと続いていました。この運動を推進していた一人が、末次一郎さんという方でした。末次一郎さんは、陸軍中野学校出身、戦後、外地からの引揚者の支援、青年海外協力隊の創設、沖縄の祖国への復帰運動の推進、そして晩年まで北方領土の返還運動に尽力をされておりました。いわゆる日本の「戦後」の問題に心を尽くして取り組んでこられました。
 私は、師匠でありました山田 宏衆議院議員を通じてご縁を頂き末席ではありましたがご指導と薫陶を受けてまいりました。平成13年に末次一郎さんはご逝去されましたが、この「昭和の日」の制定に私も少しでも尽力でき、師の志を実現できればと思い、県議会在職中、国への意見書として「昭和の日の制定を求める意見書」を提出するよう県議会各会派の意見者調整会議で提唱をいたしました。しかし、その時は、賛同を得ることができず頓挫いたしましたが、全国の多くの末次先生の志を受けた方々のご尽力で祝日法の改正という形で「昭和の日」が実現をいたしました。いつもこの日は万感の思いがいたします。
 意見書に書いた私の文章には確か、「戦争、終戦、そして戦後の奇跡的な復興という激動の昭和に思いをいたし、今後の日本の発展を図っていくために…」という文言を書いた記憶があります。昭和という時代は、私達の世代は、子供から、思春期、そして青年に成長していく過程であり、特に、私は、事実上の昭和最後の年とも言える昭和63年は高校を卒業しました。そういったことも含めてこの時代に思いをはせてみてはいかがでしょうか?


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2013年03月20日

今日は、地下鉄サリン事件から18年の日です。テレビのニュースで事件現場での献花のシーンが映し出されていました。私もテレビ画面に手を合わせ犠牲になられた方のご冥福をお祈りさせていただきました。
 18年前、事件当時の日の事は今でも鮮明に覚えています。当時、私は山田宏衆議院議員の政策秘書をしていました。東京都杉並区に住んでいました。通常は、午前8時30分までに、議員会館に出勤していましたが、たまたま月曜日でしたので、杉並区の事務所でミーティングがあり、参加していました。(通常、月曜日に地元事務所でミーティングがありいつも参加していました。)ミーティングが長引き10時近くになった時に、山田宏議員が「おい、今日は議員会館に誰かいるのか?」というので、「今、誰もいません。」と答えると「ばかやろう。会館に早く行け。」と言われて事務所を飛び出し地下鉄丸の内線に荻窪駅から飛び乗りました。途中、新宿駅を停車せず、「異臭騒ぎがあったので通過します。」というアナウンスが流れてきました。いつも降りる国会議事堂前で降りると霞ヶ関駅と新宿駅は「異臭騒ぎがあったので停車しません。」と看板が出ていました。私は、事件の事を全く知らなかったので(当時はスマホもなくまだ私自身も携帯電話すら持っていませんでした)、前日のニュースで新宿でホームレスが抗議で騒いでいたので、これがひどくなったのかなぁと思って議員会館の事務所に行き、仕事をしていたら、電話がなり、私がでると、私の父から電話がありました。「どうした?」と聞くと、「お前大丈夫か?」といわれ、「はぁ?」というと父が事件のことを教えてくれました。それで事件のことを知り、テレビをつけてびっくりした次第でした。
 自分ももしかして被害にあっていたかもしれないと思うとぞっとしたのを鮮明に覚えています。その後の経過は周知の通りです。
 昨年、この事件の最後の関係者がようやく逮捕されました。この時は、妻とスーパー銭湯にいって休憩室でテレビを見ているときニュース速報でテロップが流れてきました。長い戦いだったのだなぁとしみじみ感じました。
 当時、杉並区には、オウム真理教の道場が複数あり、地元では大変困惑していました。私は、たまさかオウム真理教信者の脱会を支援していた滝本弁護士が大学のサークルの先輩でもあったので、相談に行きました。滝本先生もオウム真理教に狙われていたので、事務所が二重ロックになってとても厳重でありました。そして地元で勉強会をしていただきました。
 国会の質問で、山田宏議員が、「オウム真理教に破壊活動防止法を適用すべきだ。」と村山首相(当時)に迫りました。社会党出身の村山首相は躊躇したようですが破壊活動防止法の団体規制(解散の指定)を閣議決定し、公安調査庁長官が公安審査委員会に「解散の指定」処分を求めたが、公安審査委員会はこの請求を棄却しました。昨年夏のサンデー毎日で岩見隆夫さんが、「オウム真理教には破壊活動防止法を適用すべきだった。」と評論を書いていましたが、その通りだと改めて感じました。あれだけの事件(テロといったほうが適切でしょうが)を起こした団体が今も名前を変えて存続しているのです。
 また、昨年、この事件の検証番組がNHKでありました。これを見て痛感するのは、現行の都道府県警察だけでなく、アメリカのFBIのような広域に捜査をできる警察を作り、全国規模の犯罪組織に対応していく必要性です。地下鉄サリン事件の前からオウム真理教が行った事件が神奈川県、熊本県、長野県などで起こりました。また、本部は山梨県にありました。しかし、それぞれの警察が対応し相互の連携がうまくいっていませんでした。この点は、地下鉄サリン事件当時国家公安委員長であった野中弘務さんも指摘しています。(もっとも野中弘務さんは、警察はすべて国家警察にすべきだと考えていると著書で述べていますが…)このような事件、テロが二度とおきないようしていかなくてはと思います。

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