2016年12月31日 04:11

学びて思うとはー芦田均元首相の言葉から

久しぶりにブログを書きます。いつもの出だしですが、ご無沙汰ですみません。まずは、今年1年本当にお世話になりありがとうございました。来年もご指導の程よろしくお願い致します。
 さて、私の趣味の1つに新聞の切り抜きがあります。(あまりに昔のものや溜まり過ぎで、整理に苦心するのですが・・・)昔の記事を2年位前に整理していたら、大学時代に切り抜いた記事がでてきました。おそらく平成4年か5年頃の記事ですが、住友生命保険名誉会長(当時)の新井正明さんの私の履歴書です。新井さんが大学時代に芦田均さんが講演に来て次のようにおっしゃったそうです。「学びて思わざれば則ち左傾し、思うて学ばざれば則ち右傾す、故にわれは中道を行く」と。
 当時大学生だった私は、無性にこの言葉にひかれ、おそらくこの記事を切り抜き保存したのだろうと思います。自身の将来について様々に思いを巡らせ、青春時代の様々な悩みや葛藤があったのかもしれません。あれから二十数年経ち、この言葉のとおり実践できたのだろうかとふと振り返ってしまいます。これからこの言葉を改めて噛み締めて精進していきたいと思っています。
 ところで、せっかくですので芦田均さんについて少し触れさせていただきます。芦田さんは外交官を経て、衆議院議員となりました。この時期は軍部が国政を席巻しており日本がファシズムに突入していく時期でした。しかし、芦田均さんは、自由主義の立場を堅持し、軍部に妥協することなく国政で活躍をしました。圧巻は、斎藤隆夫衆議院議員が軍部の忌避に触れ、衆議院議員を除名されたと時に、反対票を投じた数少ない国会議員でした。かつて法務大臣を務めた秦野章さんはこの行動を高く評価し、芦田さんのような政治家が当時20人でも30人でもいたらあの戦争は防げたのかもしれないとその著書で述回していました。
戦後の活躍では、日本国憲法の中で特に議論となる9条に,いわゆる芦田修正を盛り込みました。そして、GHQ支配下の日本で総理となり難局にあたりました。しかし、GHQの派閥争いから生じたといわれる昭電疑獄で逮捕され失脚しました。(後にこれは無罪が確定しています。)復権後はハンガリー動乱に際しては反共の立場から日本ハンガリー協会を設立し会長となるなど終始自由主義を守ることに心を砕き、外交問題で發じ識と行動力を示されました。晩年は、自身の外交官として、そして政治家としての経験から第二次世界大戦を振り返り、「第二次世界大戦史」を病魔に侵されながらも完成させました。まさに見識の發ぢ遽曚靴神治家であったと思います。
 一度この本を読み、自身の研鑽に努めていきたいと思います。来年もよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。



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