2009年10月
2009年10月04日 22:17
昨日は、中州祭りがありました。所属する福岡青年会議所の昨年の委員会のメンバーの有志で出店を出しホタテとイカを売りました。なかなか私は売り切ることはできませんでしたが、上手なメンバーもいました。ここ数年毎年行っている行事です。日ごろご無沙汰の人にも何人か会え、楽しいひと時でした。
さて、前にもブログで何回か書きましたが、私は時代劇や大河ドラマが大好きです。今年放送されている「天地人」も時間の許す限り見ています。今日の場面は感動的でした。関が原の戦後処理で、上杉家を守るために直江兼続が徳川家康の「謀臣」本多正信に「自身の家督を本多正信の息子に譲ること」を申し入れ、上杉家の取り潰しを免れた場面です。そして、徳川家康の詰問にも、毅然として答える場面です。日本人が忘れかけている「義」「愛」というものを如実にあらわしていました。こうして彼らが貫いた「義」「愛」という精神がその後の上杉家で上杉鷹山のような先駆的な改革を行える土壌を創っていったのではと胸を熱くしました。
さて、前にもブログで何回か書きましたが、私は時代劇や大河ドラマが大好きです。今年放送されている「天地人」も時間の許す限り見ています。今日の場面は感動的でした。関が原の戦後処理で、上杉家を守るために直江兼続が徳川家康の「謀臣」本多正信に「自身の家督を本多正信の息子に譲ること」を申し入れ、上杉家の取り潰しを免れた場面です。そして、徳川家康の詰問にも、毅然として答える場面です。日本人が忘れかけている「義」「愛」というものを如実にあらわしていました。こうして彼らが貫いた「義」「愛」という精神がその後の上杉家で上杉鷹山のような先駆的な改革を行える土壌を創っていったのではと胸を熱くしました。
2009年10月01日 23:51
昨日、政治評論家の三宅久之さんの著書「政権力」という本を本屋で見かけて買いました。三宅久之さんはテレビでも葉に絹を着せぬ率直に物をいう私の大好きな政治評論家です。(昔、山田宏衆議院議員(現東京都杉並区長)の秘書をしていたとき、議員会館にいらっしゃって少しだけお話をしたことがあります。)
ざっと目を通しましたが、現在の政治の問題点や今後の進むべき道、そして政治家のリーダーシップや心構えなどを書いています。その中で、三宅先生が新聞記者から独立して政治評論家になったばかりのころ最初仕事がなかった。それで、半ば途方にくれて何人かの政治家に「こういうわけで政治評論家になりました。と手紙を出したら、一番最初に中曽根元首相から手紙が届き、「貴兄のことですから政治評論家として、今後、一家を成されるものと思いますが、万が一、何かお困りのことがありましたら、なんなりとご用命ください」といった返事がきたという件がありました。この部分を読み、三宅先生でも最初はとても苦労したのかと今の自分と重ね合わせとても親近感がわきました。また、中曽根元首相も一般にいわれているよりも人情家の一面もあるのだなぁと思いました。
この件の少し後に、三宅先生が「我が身を振り返ってみても、長期にわたって仕事ができた底力というのは、すべて『人』であったと痛感されます。」とあります。しみじみと私もかみ締めてがんばって行きたいと思います。
ざっと目を通しましたが、現在の政治の問題点や今後の進むべき道、そして政治家のリーダーシップや心構えなどを書いています。その中で、三宅先生が新聞記者から独立して政治評論家になったばかりのころ最初仕事がなかった。それで、半ば途方にくれて何人かの政治家に「こういうわけで政治評論家になりました。と手紙を出したら、一番最初に中曽根元首相から手紙が届き、「貴兄のことですから政治評論家として、今後、一家を成されるものと思いますが、万が一、何かお困りのことがありましたら、なんなりとご用命ください」といった返事がきたという件がありました。この部分を読み、三宅先生でも最初はとても苦労したのかと今の自分と重ね合わせとても親近感がわきました。また、中曽根元首相も一般にいわれているよりも人情家の一面もあるのだなぁと思いました。
この件の少し後に、三宅先生が「我が身を振り返ってみても、長期にわたって仕事ができた底力というのは、すべて『人』であったと痛感されます。」とあります。しみじみと私もかみ締めてがんばって行きたいと思います。