2009年12月
2009年12月31日 00:03
年の瀬も押し迫ってまいりました。12月の一つの大きな出来事は、福岡青年会議所の「送る夕べ」をはじめとした「送り出し」という行事が続いたことでした。前にもブログに書いたように、平成12年5月に正式入会し、活動を約10年弱続けてきました。「細く長く自分流に」続けてこれたのも多くの先輩、現役メンバーといった仲間のおかげでした。私は、16日の「送る夕べ」で次のような御礼の挨拶をしました。「細く長く自分なりに10年弱続けてこれました。レア(あまり目立たない?)という称号も頂きながらも続けてこれたのは、多くの皆さんのおかげです。途中、選挙に落選し、つらく苦しいときも、暖かく激励していただき、また励ましていただきここまでこれました。これからは、青年ではなくなるかもしれませんが、『英知と勇気と情熱をもって』(青年会議所の綱領にでてきます。)天下国家のため、明るい社会のために頑張っていきたいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。最後に、感謝の思いを込めて一人万歳をさせてください。『福岡青年会議所万歳!万歳!万歳!』ありがとうございました。』
心から感謝、感激、感動です。福岡青年会議所の皆さん(先輩の方、現役のメンバーの方)本当にありがとうございました。
心から感謝、感激、感動です。福岡青年会議所の皆さん(先輩の方、現役のメンバーの方)本当にありがとうございました。
2009年12月08日 23:18
先日、古い書類を整理していたら、10年近く前の週刊誌(正確には平成12年1月20日発行)が出てきました。(整理・整頓が苦手な私は、よく昔の書類をそのままにしておく癖があり直さなくてはと常々思っているのですが・・・)それを何気なくめくっていると、梶山静六先生が書いた日本再生のシナリオという文章が載っていました。当時の日本(平成12年1月)は、小渕内閣の末期の時期でした。バブル崩壊後の長引く不況、平成9年の三洋証券の破綻、山一證券の破綻、北海道拓殖銀行の破綻に始まる金融危機から脱却を図っている時代でした。小渕内閣の積極財政政策の時代でした。
これに先立つこと2年ほど前に、まさに金融危機の真っ最中に、金融再生のための「梶山構想」を文芸春秋に発表し、その後の政策転換を実現させ日本の金融破綻を梶山先生が救った後に語られるほどの業績を上げられました。
話は戻りますが、この記事には、こう記されています。「国と地方を合わせた公債残高600兆円以上という借金が、ちょっとやそっと目先の景気が上向いただけでは返せない金額であることは、誰が見ても分かります。つまり目下の不況を招いている個人消費の冷え込みは、政治がしっかりとしたメッセージを国民に伝えていないことにも大きな原因があるのです。そうであるならば、政治のあるべきメッセージは、将来、財政を必ず健全化しなければならないという道筋を明らかにしたうえで、日本経済の構造的な患部にメスを入れることです。」とあります。そして、「経済構造改革」を断行することだと述べてあります。今、読んでも心打たれる内容です。
今、梶山静六先生がご存命なら、日本経済の状況、そして日本の政治の状況をどのようにご覧になるだろうかと思いをはせました。
これに先立つこと2年ほど前に、まさに金融危機の真っ最中に、金融再生のための「梶山構想」を文芸春秋に発表し、その後の政策転換を実現させ日本の金融破綻を梶山先生が救った後に語られるほどの業績を上げられました。
話は戻りますが、この記事には、こう記されています。「国と地方を合わせた公債残高600兆円以上という借金が、ちょっとやそっと目先の景気が上向いただけでは返せない金額であることは、誰が見ても分かります。つまり目下の不況を招いている個人消費の冷え込みは、政治がしっかりとしたメッセージを国民に伝えていないことにも大きな原因があるのです。そうであるならば、政治のあるべきメッセージは、将来、財政を必ず健全化しなければならないという道筋を明らかにしたうえで、日本経済の構造的な患部にメスを入れることです。」とあります。そして、「経済構造改革」を断行することだと述べてあります。今、読んでも心打たれる内容です。
今、梶山静六先生がご存命なら、日本経済の状況、そして日本の政治の状況をどのようにご覧になるだろうかと思いをはせました。