2011年11月
2011年11月28日 00:32
昨日(27日)大阪W選挙の投票があり、橋下徹前大阪府知事率いる大阪維新の会が完勝いたしました。妻とテレビを見ていたら、7時56分ころテロップでニュース速報とでましたが、何も流れなかったので、「恐らく橋下さんが勝ったんだろう。」という話をしました。(さすがに投票時間が午後8時までなので、8時前に速報を流すとまずいというテレビ局の判断があったのだろうと推察します。)予想どうり(?)橋下前知事率いる大阪維新の会が完勝いたしました。
様々な議論がありますが、次の2つの点で大きな意義のあることだろうと思います。1つは、閉塞してしまった政治状況に大きな風穴をあけ時代を進める可能性があることです。もう一つは、都道府県と市町村、特に政令指定都市との関係を今後どのように考えていくかという点だろうと思います。
今後の推移を見つめ、私も研鑽を積んでいこうと思います。
様々な議論がありますが、次の2つの点で大きな意義のあることだろうと思います。1つは、閉塞してしまった政治状況に大きな風穴をあけ時代を進める可能性があることです。もう一つは、都道府県と市町村、特に政令指定都市との関係を今後どのように考えていくかという点だろうと思います。
今後の推移を見つめ、私も研鑽を積んでいこうと思います。
2011年11月16日 00:11
11月15日は、私の誕生日です。42歳になりました。心新たに頑張っていこうと思っています。
さて、今日同じ日に、私が昔からお世話になっている方のお祝いの会がありました。久しぶりにご挨拶にお伺いしたときに誘われたのですが、そのタイトルが「驚愕!!すごい男がいました!〜なんと68才でエージシュート7回!〜」というものでした。ゴルフにあまり詳しくない私は、ゴルフでいいスコアを出したんだろうというくらいの認識しかなかったのですが、発起人の挨拶や友人代表の挨拶を聞いているうちに、意味がようやくわかりました。(ゴルフに詳しい方はすぐお分かりでしょうが・・・)要は、68歳でスコアが68で回ったということで、プロ並みの腕前だということでした。70歳は80歳になれば何とかエージシュートを達成できる人もいるようですが、60歳ではなかなか難しいのです。
この方は、日ごろも68歳に見えないほど若々しいですが、この日は、カラオケも熱唱しことのほかオーラがみなぎっていました。私もい一層頑張ろうと思いましたし、年を重ねても斯くありたいと思いました。
さて、今日同じ日に、私が昔からお世話になっている方のお祝いの会がありました。久しぶりにご挨拶にお伺いしたときに誘われたのですが、そのタイトルが「驚愕!!すごい男がいました!〜なんと68才でエージシュート7回!〜」というものでした。ゴルフにあまり詳しくない私は、ゴルフでいいスコアを出したんだろうというくらいの認識しかなかったのですが、発起人の挨拶や友人代表の挨拶を聞いているうちに、意味がようやくわかりました。(ゴルフに詳しい方はすぐお分かりでしょうが・・・)要は、68歳でスコアが68で回ったということで、プロ並みの腕前だということでした。70歳は80歳になれば何とかエージシュートを達成できる人もいるようですが、60歳ではなかなか難しいのです。
この方は、日ごろも68歳に見えないほど若々しいですが、この日は、カラオケも熱唱しことのほかオーラがみなぎっていました。私もい一層頑張ろうと思いましたし、年を重ねても斯くありたいと思いました。
2011年11月06日 23:43
2011年11月05日 23:43
今朝、仕事前にNHKの朝のニュースをみていたら、西岡武夫参議院議長の訃報のニュースが飛び込んできました。その場ですぐに手を合わせご冥福をお祈りいたしました。
私は、代議士秘書時代から西岡武夫先生の薫陶を受けてることができました。殊に、長年秘書をされ西岡先生と行動を共にされていた清水勝彦さんからは、息子のようにかわいがって頂きました。
13年前、福岡での私の友人の結婚式のとき、先生が主賓で出席されていた時、挨拶に伺うと、「彼は昔からよく知っているよ。」と同じテーブルの方々に紹介をしてくださいました。私が県議に初当選したときに、電話で「おめでとう」といってくださったこと。昨年の私の結婚式では祝電を頂き「堀君は昔からの同志」と過分のお言葉を頂きました。
西岡先生は、ロッキード事件を機に「保守政治の刷新」を掲げ自民党を離党し、新自由クラブを立ち上げ、その後自民党に復党し文部大臣を歴任するなど特に文教行政に大きな足跡を残されました。また、消費税導入後に党税制調査会長をされ消費税の定着に尽力されました。私が大学時代には、湾岸戦争など冷戦崩壊後の新たな国の秩序を模索している時代に、総務会長として難局に当られていました。
平成5年には、「政治改革」を標榜し自民党を離党し、新進党、自由党と政界再編の中、政権交代可能な2大政党制を目指し邁進をされてこられました。平成22年には参議院議長に就任されました。
議長としては、参議院の抜本的な選挙制度改革に熱心に取り組み、震災対応の不手際が続く菅内閣を「怒りを抑えることができない」と批判されていました。その姿は、「国を想う国士」の姿を現していました。
今日の夜のニュースで流れていた先生の言葉は、「政治はいかなる事態にも対応しなければならない。想定外などと逃げてはいけない。」という言葉でした。この言葉を私も胸に刻みつけて今後とも研鑽を積んでいきたいと想います。
「一本気で信念ある気骨の政治家」そして「ロマンあふれる政治家」であったと心から想います。重ねてご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
私は、代議士秘書時代から西岡武夫先生の薫陶を受けてることができました。殊に、長年秘書をされ西岡先生と行動を共にされていた清水勝彦さんからは、息子のようにかわいがって頂きました。
13年前、福岡での私の友人の結婚式のとき、先生が主賓で出席されていた時、挨拶に伺うと、「彼は昔からよく知っているよ。」と同じテーブルの方々に紹介をしてくださいました。私が県議に初当選したときに、電話で「おめでとう」といってくださったこと。昨年の私の結婚式では祝電を頂き「堀君は昔からの同志」と過分のお言葉を頂きました。
西岡先生は、ロッキード事件を機に「保守政治の刷新」を掲げ自民党を離党し、新自由クラブを立ち上げ、その後自民党に復党し文部大臣を歴任するなど特に文教行政に大きな足跡を残されました。また、消費税導入後に党税制調査会長をされ消費税の定着に尽力されました。私が大学時代には、湾岸戦争など冷戦崩壊後の新たな国の秩序を模索している時代に、総務会長として難局に当られていました。
平成5年には、「政治改革」を標榜し自民党を離党し、新進党、自由党と政界再編の中、政権交代可能な2大政党制を目指し邁進をされてこられました。平成22年には参議院議長に就任されました。
議長としては、参議院の抜本的な選挙制度改革に熱心に取り組み、震災対応の不手際が続く菅内閣を「怒りを抑えることができない」と批判されていました。その姿は、「国を想う国士」の姿を現していました。
今日の夜のニュースで流れていた先生の言葉は、「政治はいかなる事態にも対応しなければならない。想定外などと逃げてはいけない。」という言葉でした。この言葉を私も胸に刻みつけて今後とも研鑽を積んでいきたいと想います。
「一本気で信念ある気骨の政治家」そして「ロマンあふれる政治家」であったと心から想います。重ねてご冥福をお祈り申し上げます。
合掌