2014年12月
2014年12月31日 15:40
今年もあと1日となりました。1年間お世話になりまして本当にありがとうございました。今回、NHKの大河ドラマ「軍師勘兵衛」をほぼ見逃さず見ました。勘兵衛役の岡田准一の好演もさることながら、徳川家康役の寺尾聰も素晴らしいと感じました。策士然とした雰囲気は恐らく歴代の大河ドラマの家康役でピカ一だろうと思います。さて、徳川家康の有名な言葉に「人の一生は長き道のりを重き荷物を背負いて歩むが如し」という言葉があります。幼い頃から苦労を重ねた家康ならではの含蓄のある言葉だと思います。(もっともこの言葉は家康像を打ち出すための後世の史家の創作だという説もあります。)ここ数年の思い通りにならない苦しい時期をこの言葉をよく噛み締めました。
さて、今年は、スポーツの世界では錦織圭選手の活躍が内閣改造の話も吹き飛ばすくらい大きな話題となり、テニスもブームとなりました。彼の師匠の松岡修造さんもよくテレビに出ていました。今年、同時に忘れてはならない事はプロ野球で中日ドラゴンズの山本昌投手が49歳にして最年長勝利の記録を樹立したことだろうと思います。来年もプロ野球の世界に残るということで、齢50歳にしてプロ野球界で活躍していくというのは驚くべきことだろうと思います。個人差はあるでしょうが、年とともに必然的に衰えていく体力、運動神経をカバーしてプロ野球をやり続けるというのは、運動選手でない私は一層頑張っていかなくてはならないと心を奮わされました。たまたま見ていた日刊ゲンダイで武田鉄矢さんが、「自分は野垂れ死ぬまで生涯現役で頑張る」とおっしゃりこの山本昌投手を絶賛していました。
数年前、あるかつて名を馳せた老政治家が落選して去就に迷っている時色々悩んでいたようなので、私は次のように自分の考えを伝えたことがあります。「体力があり、健康に問題がなく、環境が許せば次出馬されたらどうですか」と。その後私は、その人物に書簡を送りました。内容は、その政治家がかつて活躍していた時の記事と一緒にクリントイーストウッドの話と葛飾北斎の話を記した手紙でした。
クリントイーストウッドは若い頃はダーティーハリーの映画で一世を風靡し80歳近くになっても「硫黄島からの手紙」等様々な名作を監督として世に送り出しています。一方、葛飾北斎は、生涯をかけて浮世絵を極めようとし80歳を過ぎてもなおまだこの道を極めていないと絵筆をもって旅に出たという話があります。ちなみに北斎の浮世絵は出島を通じて当時のヨーロッパに流れゴッホをはじめとする後の印象派の絵画に大きな影響を与えました。今でもパリでは芸術家を目指す若者が、トンネルの壁に北斎の富嶽三十六景の絵を書き続けているというエピソードがテレビで紹介されていました。まさに、現在国が推し進めているクールジャパンの最たる事例ではないかと思います。
さて、フランスの話が出てきたところで、フランスの政治家クレマンソーをここで紹介したいと思います。クレマンソーは若い時は政府を攻撃し内閣を何度も辞任に追いやり「虎」の異名をとりました。52歳の時に政界を離れジャーナリスト活動に専念しました。世界史で有名な「ドレフュス事件」ではドレフュス擁護の論陣をはりました。1902年、60歳を超えて政界に復帰し1906年から1909年には首相を務めました。そしてイギリス、ロシアと三国協商を結びました。第一次世界大戦中に再度フランスの首相として登板しドイツの攻撃を受け意気消沈し厭戦気分の国民を鼓舞し勝利を収めました。クレマンソーはヴェルサイユ条約調印時には80歳を超えていたわけであり(また、会議開催中に銃撃されたが事なきを得たことも驚異ですが・・・)、端倪すべからざる人物であると思います。
長々と書きましたが、要は、超高齢化と言われる社会、年をとってもしっかりと頑張っていかなくてはならないし頑張っていけるだろうと思います。私は今年まだ(?)45歳、益々己を磨き志を高く掲げて頑張ってまいります。良いお年をお迎えください。
さて、今年は、スポーツの世界では錦織圭選手の活躍が内閣改造の話も吹き飛ばすくらい大きな話題となり、テニスもブームとなりました。彼の師匠の松岡修造さんもよくテレビに出ていました。今年、同時に忘れてはならない事はプロ野球で中日ドラゴンズの山本昌投手が49歳にして最年長勝利の記録を樹立したことだろうと思います。来年もプロ野球の世界に残るということで、齢50歳にしてプロ野球界で活躍していくというのは驚くべきことだろうと思います。個人差はあるでしょうが、年とともに必然的に衰えていく体力、運動神経をカバーしてプロ野球をやり続けるというのは、運動選手でない私は一層頑張っていかなくてはならないと心を奮わされました。たまたま見ていた日刊ゲンダイで武田鉄矢さんが、「自分は野垂れ死ぬまで生涯現役で頑張る」とおっしゃりこの山本昌投手を絶賛していました。
数年前、あるかつて名を馳せた老政治家が落選して去就に迷っている時色々悩んでいたようなので、私は次のように自分の考えを伝えたことがあります。「体力があり、健康に問題がなく、環境が許せば次出馬されたらどうですか」と。その後私は、その人物に書簡を送りました。内容は、その政治家がかつて活躍していた時の記事と一緒にクリントイーストウッドの話と葛飾北斎の話を記した手紙でした。
クリントイーストウッドは若い頃はダーティーハリーの映画で一世を風靡し80歳近くになっても「硫黄島からの手紙」等様々な名作を監督として世に送り出しています。一方、葛飾北斎は、生涯をかけて浮世絵を極めようとし80歳を過ぎてもなおまだこの道を極めていないと絵筆をもって旅に出たという話があります。ちなみに北斎の浮世絵は出島を通じて当時のヨーロッパに流れゴッホをはじめとする後の印象派の絵画に大きな影響を与えました。今でもパリでは芸術家を目指す若者が、トンネルの壁に北斎の富嶽三十六景の絵を書き続けているというエピソードがテレビで紹介されていました。まさに、現在国が推し進めているクールジャパンの最たる事例ではないかと思います。
さて、フランスの話が出てきたところで、フランスの政治家クレマンソーをここで紹介したいと思います。クレマンソーは若い時は政府を攻撃し内閣を何度も辞任に追いやり「虎」の異名をとりました。52歳の時に政界を離れジャーナリスト活動に専念しました。世界史で有名な「ドレフュス事件」ではドレフュス擁護の論陣をはりました。1902年、60歳を超えて政界に復帰し1906年から1909年には首相を務めました。そしてイギリス、ロシアと三国協商を結びました。第一次世界大戦中に再度フランスの首相として登板しドイツの攻撃を受け意気消沈し厭戦気分の国民を鼓舞し勝利を収めました。クレマンソーはヴェルサイユ条約調印時には80歳を超えていたわけであり(また、会議開催中に銃撃されたが事なきを得たことも驚異ですが・・・)、端倪すべからざる人物であると思います。
長々と書きましたが、要は、超高齢化と言われる社会、年をとってもしっかりと頑張っていかなくてはならないし頑張っていけるだろうと思います。私は今年まだ(?)45歳、益々己を磨き志を高く掲げて頑張ってまいります。良いお年をお迎えください。