2022年12月
2022年12月31日 12:00
今年は、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を毎週欠かさずみました。元々、歴史好きなので、大変興味深く、面白く見させていただきました。
打倒平家に向けて勢力を結集させていく姿、平家打倒後にいかに武家政権を樹立していくか、そして政権内での主導権争いと権力闘争を悲喜こもごも、愛憎たっぷりに描いたドラマは大変見どころがありました。
中学生の時に学んだ歴史では、源氏の征夷大将軍が3代で絶え、北条氏が執権として鎌倉幕府を事実上支配するというところまでしか知りませんでしたが(高校は世界史を選択したので、この時代を詳しく勉強することはなかったのですが・・・)、その後、大河ドラマでみた「太平記」「北条時宗」で、「連署」「内管領」という役職があったり、執権よりも北条時頼が偉かったりと、鎌倉幕府の権力構造は複雑だったのだなと漠然と思っていました。興味もあり、自身で調べてみると、征夷大将軍、執権、北条得宗家、内管領の長崎家と時代とともに権力の実権が移ってきたという事でした。最初は権威と権力が一緒だったが、権威は残し権力が移っていったという状況なのだろうと思いました。
ちなみに、自身がかかわった組織を例える時に、よくこの例えを使うことがありました。日本の権力構造を考えるうえでとても参考になるといつも思っていました。
このドラマに触発されたのかもしれませんが、5月の連休中に千葉県の佐倉市にある国立歴史民俗博物館で開催されていた「中世武士団」の企画展示を見にいきました。初めてこの国立歴史民俗博物館に行きましたが、素晴らしいなと思いました。(後日、テレビ東京のアド街ック天国で佐倉市が特集されていた時に、この国立歴史民俗博物館が紹介され、「おおっ、この前いった」と思いました。)
この企画展示では、「鎌倉殿の13人」にもでていた「千葉常胤」をはじめとした千葉一族が紹介されていました。((千葉常胤は、ドラマでは岡本信人さんが演じていて、口癖のように「最後のご奉公でございます」と言って、割と有名になった方ですが・・・)
武士(団)がどのようにして成立していったかが各展示によって説明されていました。自分なりの解釈では、土地を私有し、その土地を守るために武装していく。やがて、強力な武力を持っていたので、軍事力の役割を担っていく。そして、鎌倉幕府の成立とともに土地の支配権、徴税権を持ち、土地の争いに対しての裁判権を持っていく。そしてついには行政権も持っていくといった形になっていったのかなと思いました。まだ、理解が十分でないのですが、歴史を振り返ることの楽しさと大切さを思いました。
一昔前といえば、一昔前ですが、1991年の海部内閣時の外交文書が外務省から公開されました。各紙で見ただけですが、「湾岸戦争後の海上自衛隊の掃海艇派遣の問題」、旧ソ連のゴルバチョフ大統領との「北方領土をめぐる交渉」、アメリカからの「コメ関税化の要求」など興味深い内容が出ていました。改めて、1991年(平成3年)は激動の時代だったのだなと思いました。
海部総理は、1989年(平成元年)に総理になり、丁度私が大学に入学した時でした。たまさか、私の所属したサークルの顧問の教授の方が、大学時代、海部総理と同級生だった言っていたこと、私が秘書として仕えた鈴木淑夫衆議院議員が海部総理と親しく、鈴木先生が国会で初質問をした時に、事務所に電話がかかってきて私が電話を取ると、「海部ですけど、先生はいる」と聞かれびっくりした思い出があります。
海部内閣の時代は、バブル景気の絶頂とその余波もあり、なんとなく日本も明るい雰囲気だったと思います。世相の明るさと海部総理の明るさ、気さくさも相まって、内閣支持率も高い方だった記憶しています。
しかし当時の海部内閣は、リクルート事件に端を発した「政治改革」と湾岸戦争における「国際貢献の問題」と大きな課題を抱えていました。こう振り返ってみると、現代の状況に重なって見えてしまいます。
アメリカの作家のマーク・トウェインの有名な言葉に、「歴史は繰り返さないが韻を踏む」という言葉があります。現在の状況は今後、もしかすると韻を踏むかもしれませんが、歴史に学び、経験と智慧で乗り切っていかなくてはならないと思います。
今年1年大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
打倒平家に向けて勢力を結集させていく姿、平家打倒後にいかに武家政権を樹立していくか、そして政権内での主導権争いと権力闘争を悲喜こもごも、愛憎たっぷりに描いたドラマは大変見どころがありました。
中学生の時に学んだ歴史では、源氏の征夷大将軍が3代で絶え、北条氏が執権として鎌倉幕府を事実上支配するというところまでしか知りませんでしたが(高校は世界史を選択したので、この時代を詳しく勉強することはなかったのですが・・・)、その後、大河ドラマでみた「太平記」「北条時宗」で、「連署」「内管領」という役職があったり、執権よりも北条時頼が偉かったりと、鎌倉幕府の権力構造は複雑だったのだなと漠然と思っていました。興味もあり、自身で調べてみると、征夷大将軍、執権、北条得宗家、内管領の長崎家と時代とともに権力の実権が移ってきたという事でした。最初は権威と権力が一緒だったが、権威は残し権力が移っていったという状況なのだろうと思いました。
ちなみに、自身がかかわった組織を例える時に、よくこの例えを使うことがありました。日本の権力構造を考えるうえでとても参考になるといつも思っていました。
このドラマに触発されたのかもしれませんが、5月の連休中に千葉県の佐倉市にある国立歴史民俗博物館で開催されていた「中世武士団」の企画展示を見にいきました。初めてこの国立歴史民俗博物館に行きましたが、素晴らしいなと思いました。(後日、テレビ東京のアド街ック天国で佐倉市が特集されていた時に、この国立歴史民俗博物館が紹介され、「おおっ、この前いった」と思いました。)
この企画展示では、「鎌倉殿の13人」にもでていた「千葉常胤」をはじめとした千葉一族が紹介されていました。((千葉常胤は、ドラマでは岡本信人さんが演じていて、口癖のように「最後のご奉公でございます」と言って、割と有名になった方ですが・・・)
武士(団)がどのようにして成立していったかが各展示によって説明されていました。自分なりの解釈では、土地を私有し、その土地を守るために武装していく。やがて、強力な武力を持っていたので、軍事力の役割を担っていく。そして、鎌倉幕府の成立とともに土地の支配権、徴税権を持ち、土地の争いに対しての裁判権を持っていく。そしてついには行政権も持っていくといった形になっていったのかなと思いました。まだ、理解が十分でないのですが、歴史を振り返ることの楽しさと大切さを思いました。
一昔前といえば、一昔前ですが、1991年の海部内閣時の外交文書が外務省から公開されました。各紙で見ただけですが、「湾岸戦争後の海上自衛隊の掃海艇派遣の問題」、旧ソ連のゴルバチョフ大統領との「北方領土をめぐる交渉」、アメリカからの「コメ関税化の要求」など興味深い内容が出ていました。改めて、1991年(平成3年)は激動の時代だったのだなと思いました。
海部総理は、1989年(平成元年)に総理になり、丁度私が大学に入学した時でした。たまさか、私の所属したサークルの顧問の教授の方が、大学時代、海部総理と同級生だった言っていたこと、私が秘書として仕えた鈴木淑夫衆議院議員が海部総理と親しく、鈴木先生が国会で初質問をした時に、事務所に電話がかかってきて私が電話を取ると、「海部ですけど、先生はいる」と聞かれびっくりした思い出があります。
海部内閣の時代は、バブル景気の絶頂とその余波もあり、なんとなく日本も明るい雰囲気だったと思います。世相の明るさと海部総理の明るさ、気さくさも相まって、内閣支持率も高い方だった記憶しています。
しかし当時の海部内閣は、リクルート事件に端を発した「政治改革」と湾岸戦争における「国際貢献の問題」と大きな課題を抱えていました。こう振り返ってみると、現代の状況に重なって見えてしまいます。
アメリカの作家のマーク・トウェインの有名な言葉に、「歴史は繰り返さないが韻を踏む」という言葉があります。現在の状況は今後、もしかすると韻を踏むかもしれませんが、歴史に学び、経験と智慧で乗り切っていかなくてはならないと思います。
今年1年大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。