この間の連休に、1泊2日で旅、
広島県の呉市方面へと小旅行へ行ってきました。
呉市から車で約1時間の大島下島にある天然の良港である、御手洗(みたらい)へ
ちょっと足を伸ばせば、四国の今治も、もっと橋を渡っていけば竹原へも行ける位置。
瀬戸内の島々や、尾道なども京都の美大生だったころ。もしくは卒業した後に、たびたび行きましたが
いつに行っても、瀬戸内の平和に感じる美しい景色は懐かしく心が和みます。
御手洗は、2時間位で歩いて散策できる、こじんまりとした町で
江戸時代の面影を残す町並みと、昭和初期の洋館などの混在した重要伝統的建築物保存地区でもあり
江戸時代のままに、入り江の港には石垣作りの波止場と、灯台の役目であった石組みの高灯籠、住吉神社があり、
江戸から明治にかけては、潮待ち・風待ちのために寄る港として、栄えた町だったそう。
江戸の頃、仲買い問屋であった船宿を、外観も中もさわらず、そのまま活かして喫茶処、カフェにしたお店で
2階の窓は全て開け放され、畳で丸いちゃぶ台にレモンソーダフロートを注文し、味わい飲みながら眺める入り江の海は、波ものたりのたりと、穏やかでのどかでした。
江戸の頃は、北前船や交易船が寄港し栄え、遊郭が4軒あったそうで、今も一軒、悲しい伝説と共に
当時の姿を残していました。内部も修復し保存されています。
写真は撮っていませんでした。
ふと、何故、「御手洗」という名の町なのかを疑問に思い、喫茶処の若いご主人に尋ねると、
その昔、平安時代に
菅原道真公が太宰府に流された時に寄港し、潮が引くのを待合いする間、島の井戸で手を洗われたことから、由来となり町の名へとなったそうです。
お話を聞かせてくれ、道案内をしてくれた紳士は、6時間で潮の満ち干が変化すると言っておられました。
満ちると関西の方へ流れて、引くと九州の方へ瀬戸内は流されていくそうで
昔はエンジンもなく手漕ぎ船のために、潮の満ち引きと風の吹く方向が航旅の進行を、司っていたようです。
町の人は皆たいそう親切に、道を案内してくれたり、昔のお話を聞かせてくれたり、誇りを持ち
とても幸せそうな人々の住む可愛らしい町に思いました。