ヒサゴリオン

今も昔もボンクラ魂

ローガン LOGAN


取り敢えず、これがエンディングで流れなくてよかった。そんな事をされたら死んでしまう。そして、ジョニーキャッシュさんのHurtではなく、The man comes aroundだったのも意外というと意外。Hurtはというとナインインチネイルズさんの曲をカバーとして出したもの。この歌詞がまためちゃくちゃローガンの話になっていて泣けるんですね……
The man comes aroundは映画などで色々と聞きますけど、私の記憶だと『ブラックリスト』シーズン1第11話「善きサマリア人」(タイトルもまた聖書の中の話が元ネタ)のレイモンド・レディントンさんが容疑者を炙り出しながら殺して回るシーン、『ジャッキーコーガン』(ブラピさん主演、サブプライムローンがもはや比喩になってないクライム映画です)のオープニング、『ドーン・オブ・ザ・デッド』のオープニング(オープニングというにはやや遅いタイミングですけど)などですかね。調べてみると他にも出てきますけど、観てないのを書くのもなあと。歌詞としては、陶器職人の畑とか四頭の馬とかアルマゲドンとかが出てくるので、非常に聖書的なモノだというのは解りますけど、そこまでなので洋楽に詳しい人に当たってください。
The manはよく神やキリストとされていまして、生きる者と死ぬ者の(正に)ブラックリストを見ながら彼は歩き回っている。という風な歌詞です。エンドロールで権利的な問題、予算的な問題が無ければ、歌詞を付けておいてほしかった所です。そこは雰囲気よりも意味が分かることを優先してほしかったかなと。というか雰囲気優先だったら、あんな牧歌的なメロディが流れてきてるものだから、むしろ打ち壊し案件な気が……

まずもってタイトルをそのままに公開してくれてありがとうございました。いや、配給的にはX-MENシリーズって打ち出さない方が新規客が来るぞと思って、余計な邦題を付けなかっただけかもしれないけども。そういえば、映画の冒頭で20世紀FOXの「X」が最後まで残らず、普通に消灯するんですよね。これはX-MEN映画じゃないぞっていう気概が伝わってきて良いですし、最後のローガンの墓場でローラが十字を倒してXにするシーンをアザトイって言う人はこれで帳尻を合わせてください。

デッドプールとの相関も見どころ。元々、『ローガン』の企画はR指定もありな流れで来てたらしいのですが、快くゴーサインが出たのは間違いなく『デッドプール』のおかげでしょう。内容的には、主人公の能力、ミニマルなストーリーライン、家に帰れば老人がいる、サイドキックが女性、など共通点があったりもする。

勝手にリムジン映画っていうジャンルがあると思っているのですが、『ホーリーモーターズ』とか『コズモポリス』とか。そこで描かれるに、リムジンというのは1つの身体なんですよね(知った風な口で)。乗せられた客はアメリカを体現していく。西部劇の中から出てきたような人、USAを連呼するジャージーボーイズみたいな人たち(共和党なのか?)、そしてローガンにおっぱいを見せてくれるパリピ(死語)。そして、運転手は19世紀カナダ生まれ。

世界からミュータントが消えたっていうのは比喩じゃないかなと思います。アメリカとメキシコの国境には壁が築かれ、ノースダコタからカナダへ抜ければ追手は手出しできない。アメリカは何かしらの緊張状態にある?そしてミュータント兵士が必要?
カナダにミュータントチームがいる(原作だとアルファフライトでしょうか)として、そのチームもまたカナダ内の組織から追われている身だとすると、そもそも安心して暮らせるような場所ではないですし……ということを踏まえると、トランシジェン(関連組織も含めて)が支配している範囲というのはそこまで広くないのかもしれません。
国境の壁のアイデアはトランプさんが言い出す前から出ていたそうなんですけど、ローラたち人工ミュータントを追う人の名前がドナルドさんなので、何か言い逃れできない感があるけど、それも偶々です(しかし元々、1作目がアウシュビッツから始まっているように、排斥される側を描いているのです)。トランシジェンの主任研究者の名前がドクター・ライスなのも日本人的にはアメリカ感MAXですね。
ミュータントは「神の計画だ」とか「人類の進化だ」とか言っても、科学で抑えられてしまうのはなかなかに悲しい展開で、それこそ『フューチャー&パスト』で全ての人類にミュータントになる可能性が秘められているっていうのが明かされているものだから尚更。『フューチャー&パスト』のラストで到達した世界がこんな事になるのがね、本当にどれだけSなんだよっていう。ミュータント因子を抑える食材っていうのは恐らく『ファイナル・ディシジョン』のあの子供からなんでしょうな。

『シビル・ウォー』と同じく、フィクションを終わらせる者との戦いなわけですが、同じ西部劇モチーフの『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ』はしんちゃん側がフィクションを終わらせる者で、敵がフィクションを終わらせない者だったんですよね。という何でもない思い出し。そういえばキャッチコピーは『シェーン』が元ネタですね。

気になる所も無くは無い。メキシコ人看護師さんが残した動画の編集クオリティ高くないかとか。ローガンさん、留守を突かれすぎだとか。いや、元々シリーズ中でもそんなにしっかりした人じゃないですけどね。チャールズさんはお荷物だとか。いや、元々シリーズ中でもそんなにお荷物じゃなかった事の方が少ないですけどね。

以下、小ネタ(いや、上のがちゃんとしてたかっていうとそうでもないと思うけど)。
・チャールズさんが起こした悲劇(オンスロート?)などに具体的な回想シーンは無く、映画全体としては意外と前向きに見える。
・人工ミュータントたちの能力が、アイスマンやストームやフェニックスなどを準えている。
・ドナルドさんがローガンさんに「フェニックスに住んでるって噂だったが」って言う所。ちゃんとした地名なんですけど、まだジーン・グレイの死に囚われているっていう意味ともとれる。
・部屋にちゃんと『SAMURAI』の刀がある。
・運命的に、ふとしたきっかけで出会った娘のような存在を救うって展開は意外と1作目と同じなんですよね。しかも、敵はその子を利用するのが目的であって、ローガン自体に敵意というか興味は無い(戦闘的にも文字通り、相手にならなかったり)。
・モーテルの名前が自由の女神。
・「血まみれになり、その手に心臓を握りながら死ぬ」というユキオ(赤い髪の人です)の予知がまさかこんな展開になるとは思ってなかったというか。普通に『SAMURAI』観てた時はこれ以上ないくらい酷い死に方だなって思ってましたけど。
・「こういう感じなのか……」っていうローガンさんの最後の台詞には「家族を持つこと」と「死に至ること」の両方が読み取れてしまい、私は咽び泣いた。
・MX4Dだとウィスキーが出てくる度にほのかに甘い匂いが漂う。
・MX4Dだとチャールズさんのせいで席がめっちゃ揺れる。
・MX4Dはどれだけ空席でも全部の席が動く。

夜明け告げるルーのうた

歩けよ乙女とは違い、監督を前から追ってる人とか所謂普通のオタクとかサブカルっぽい人しか行かない感じなのか、あまりの不入りっぷり。
そして、行った割にあんまりノレナカッタ人の気持ちも書いておくのもいいかと思い書いてます。

まず、内容がちゃんとしてて絵と合わなかった。かなりマトモな神経で書かれているし、状況説明、心情説明、時間軸、対立軸だとかが分かりやすい。そういった冷静な路線のストーリーにかなり従いつつも、絵的には遊びたさもある。遊びたさはあるが遊び場が狭い。マトモな路線に引っ張られていて、というよりもマトモな時はマトモな絵で進めなければならず、結果として「踊り」のシーンだとか「泳ぎ」のシーンだとか「身体が動く」シーンでのみ湯浅さんの持ち味が発揮される。そこではかなりはっちゃけるものだから、また乖離が激しく、心地良い気分が断裂する。そこの両立が出来れば一番良い気はするけれども、正直に言ってしまえば出来ていなかったし、オリジナルなのにどうして、とは思った。そもそも「踊り」自体がそんなに良いものでもないと思ったし、曲も良くないと思ったしで、諸々総じて寒かった。

あと、もうそろそろ震災がどうとかからは離れてほしいというか。もう六年目だし、その間にあらゆる「応え」が存在したから、アプローチにとことん新鮮味が無いと駄目だと思う。
新鮮味で言うと、終盤の魚行列とかは絵的に『ギョ』を思い出した。
アニメ文庫 ギョ [Blu-ray]
アニプレックス
2012-02-15






読んでませんが、原作は伊藤さん。

取り敢えず、このアニメ版『ギョ』は『回路』っぽい感じもある。
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KADOKAWA / 角川書店
2016-03-25

奇跡的ながらも、『回路』もまた生と死の門を描いたものですし、なおさら嬉しくない(こういう場合において、嬉しい時ももちろんある)。死の島、生の島、カロン、ルーについては誰かが代わりに書くと思うので、頑張れません。
あと、ルーの父の姿を見るたび、ウェンディモンの異物感を思い出したりしたので、そこもまた新鮮味に欠けてゲンナリ。


最後に、評価とは別に失礼な事を書くと、親子で見に行くべき映画なんでしょうけど、ポッピンQ、ひるね姫に続いて、きっちりと宣伝が届いていない感じがある。勝手なことを、あなたは思うかもしれないが、いかにも子供受けしそうな場面で場内に子供が居ないという事つまりは子供が笑っていないという事に、私がどれだけ胸を痛めているかは分からないでしょう。

シャークトパス [DVD]
ケレム・バーシン
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2011-08-03


追記
この手の歌もの、曲ものではもっと劇中使用曲を増やしてほしい、もっとアルバムに出来るレベルで。
斉藤和義さんの曲にピンと来なければ何ともだし、YUIさんの曲もまた然り。それは勿論、私は好きだけれども。しかしながら、単純に考えて曲数を増やせば、台詞にプラスアルファもっと「意味」を載せられるし、劇中の登場人物たちの生活感が増すと思う。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス

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「アベンジャーズ」シリーズに代表されるマーベル・シネマティック・ユニバースの一作で、お尋ね者たちが成り行きでチームを結成し、銀河の危機を救う羽目になる姿を描いたアクションアドベンチャー「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のシリーズ第2作。スター・ロードを自称するいい加減なリーダー、ピーター・クイルを筆頭に、美しき暗殺者のガモーラ、毒舌なアライグマのロケット、樹木型ヒューマノイドで25センチまで再生したグルート、マッチョな破壊王ドラックスのガーディアンズの面々が、新たな危機に直面し、再び強大な敵と立ち向かうことになる様を描く。高慢な指導者アイーシャが率いる黄金の惑星で、小遣い稼ぎの仕事をこなしたガーディアンズ。しかし、ひょんなことからアイーシャを怒らせてしまい、追われる身に。危機に陥った彼らの前に、ピーターの父親だという謎の男エゴが現れるが……。クリス・プラット、ゾーイ・サルダナら前作からのキャスト陣に加え、ピーターの父エゴを演じるカート・ラッセルのほか、シルベスター・スタローンも参戦。監督・脚本も前作と同じジェームズ・ガン。(映画.com

「リミックス」にしたせいで、再編集版だと思われて余計に客足を減らしてる気はするんだが、どうなんだろう。邦題が「vol.2」になったセカイには生きれていないのでよく分からない(「ザ」くらい付けろよとは思う)。「ラグナロク」が「ラグナロク」のままでいてくれたセカイにも生きていないので、これによる興行収入的な差も分からない。とりあえずナンバリングを無くすことは配給会社の必須の仕事のようである(『カーズ』とか)。いや、『ワイルドスピード』は昔から『ワイルドスピード』だったしナンバリングも無かったし、十把一絡げに責めるのも良くはない気がするけど、テーマとひどく結びつきのあるものはやはり変えてはならないと思う。

しかり、家族の話である。MCUでは多くの家族ドラマが展開されており、父親の本当の愛情に気づいたり(『アイアンマン』)、仲良し家族(凄いアレな状態ではあるけど)になったり(『アントマン』)する。『GOTG』のvol.1では冒頭からピーターの誘拐から始まっている為、父親が誰なのかとか再会するのかとか、地球に帰ってきてエンディングを迎えるのかとかそういった内容をvol.1内で済ませるかと思っていたが、そんな事は無く、「なんかピーターの父親が特殊っぽいから、息子さんも特殊っぽい」という事までが明かされるに留まったのである。
ここで話は少し脱線するが、vol.1が嫌いである(嫌いであったと言うのも正しい気がする)。その原因が2点ある(私の普段のノリを知っている人しかここを訪ねないと思うので、詳細は省く)。
①友情・愛情だけで困難を乗り越えたかと思ったら「その血の運命」の力も使って乗り越えていた
②メンバー達の悪事が裁かれないまま英雄になってしまう
特に先の話と重なるのは①である。ピーターの父は生きた惑星であり、神のごとき存在である(最近(?)だと『銀魂』とか『シドニアの騎士』とかを想像してもらえるといいかもしれない)。そして、SFにおいて父というのは往々にしてクソであり、御多分に漏れず、こいつもクソであった。その名の通り、その真実の姿の通り、エゴの塊である。彼は彼で、ピーターの母親の事を自身の真の目的を忘れてしまいかねないほど愛してしまっていたのだから、憎めないといえば憎めない(のか?)。
今回のvol.2では、そんな実の父親だけでなく、育ての父親の事が明かされる。明かされるというか、もう登場していたヨンドゥがそういう存在であることはvol.1から明かされており、ピーターを誘拐して盗賊に育てていた青い奴(あと矢がカッコイイよね)くらいの認識だったのだが、まさかエゴからピーターを守る為に動いていたとは想像できなかったし、そのくらいの認識だったキャラクター(だからこそ)がこんなにも熱くて哀しいラストを迎えるとは思ってもみなかった。
vol.1は「失ってきた者たちが得ていく」物語というより、ただ物語に乗せられて意気投合してみただけのチームにしか私には見えなかった為、「暗い過去と向き合うよりも前を向いて歩こう」という風に私には映った。メンバー同志で打ち明け話はするが、打ち解けてはいない感が澱のように溜まっていた。これがvol.2で解消されるのである。vol.2は敵の野望や設定こそMCU中でもなかなかに壮大だが、惑星間の移動こそ少なく、宇宙を縦横無尽に走り回るわけではない、非常に内省的な作品である。自身の核の部分を他人に理解してもらう、他人の核の部分を自ら理解しようとする事が今作の進行であり、それこそマンティスの能力含め、エゴという惑星の核にガーディアンズ全員で向かうに至るまでが正にそういった探求と和解の旅路となっている事は言うに及ばないだろう。
ヨンドゥは自身の境遇とピーターを重ね合わせた結果として守っていた事を明かし、なおかつロケットが自己防衛のために悪事を働いてしまう事にも触れ、彼の内面を自覚させてあげるのだ。私はこの部分で②の問題がある程度、自分の中では解消された。そして①の問題も最高の形で解消された。
自身の神の部分を捨て「ただの人間でもいい」と言ったピーターではあるが、ただの人間になったからこそ彼は奇跡を起こせず、最愛の父親を救えないのである。この一連のシーンはvol.1の、チームで奇跡を起こすラストとは対になっており、vol.2が全体としてチームモノとしてどうなのかというと、かなり個々の戦いの要素が強く、そこが嫌な人は一定数いるかもしれない。けれども、この話においては自身が自身の可能性や不可能性に向き合うことが出来るのかを問うものとなっているため、私は全体のトーンとして正解だと思う。
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