今年も色々と映画を観ているのですが、『ブラック・クランズマン』が近況に合うような気がします。いや、別にどこかに潜入したというわけではないのですが。
この映画の中には、ホワイトパワーとブラックパワーが戦うシーンがありまして(いや、本当に)、本当は複雑に考えなければならない物事が単純な二項対立に消化されてしまうという、(言葉を選ばなければ)馬鹿なシーンなのです(言葉を選ぶべきだった)。
話題性や瞬発力が優先され、正当性や論理がないがしろにされる近況において、「売り言葉に買い言葉」とならないように、私も生きていかなければならないと日々、感じます。『ブラック・クランズマン』はこういう話では微妙に無いのですが、一度頭に固定観念が入るとなかなか抜けない(もしかしたら死ぬまで)、という話ではあります。
あと、最近、「固定観念」を「固定概念」と言う人が増えてきたので、そろそろ「固定概念」が正しい日本語になるんでしょうか。
さて、本題なのですが、アニクリ様の最新号に、何故か、載せていただくことになりました。
(何を載せていただいているのか?と訊かれると難しいです)
いや、本当に毎回すみません。
読ませていただいたモノから察するに、Nagさんの心境に、私の提供したものが何かしらの共鳴する部分を持っていたのかと存じます。
まだ他の方のモノを読ませていただいてはおりませんが、どうやら今回の号は、「愛の賛歌」のような気がしますので、是非ともご購入ください。
※今回の売り上げは京都アニメーション様へ寄付されるそうです。
今更ながら、グリッドマンの話とか書いておくべきだったなどと思いながら〆
この映画の中には、ホワイトパワーとブラックパワーが戦うシーンがありまして(いや、本当に)、本当は複雑に考えなければならない物事が単純な二項対立に消化されてしまうという、(言葉を選ばなければ)馬鹿なシーンなのです(言葉を選ぶべきだった)。
話題性や瞬発力が優先され、正当性や論理がないがしろにされる近況において、「売り言葉に買い言葉」とならないように、私も生きていかなければならないと日々、感じます。『ブラック・クランズマン』はこういう話では微妙に無いのですが、一度頭に固定観念が入るとなかなか抜けない(もしかしたら死ぬまで)、という話ではあります。
あと、最近、「固定観念」を「固定概念」と言う人が増えてきたので、そろそろ「固定概念」が正しい日本語になるんでしょうか。
さて、本題なのですが、アニクリ様の最新号に、何故か、載せていただくことになりました。
(何を載せていただいているのか?と訊かれると難しいです)
いや、本当に毎回すみません。
読ませていただいたモノから察するに、Nagさんの心境に、私の提供したものが何かしらの共鳴する部分を持っていたのかと存じます。
まだ他の方のモノを読ませていただいてはおりませんが、どうやら今回の号は、「愛の賛歌」のような気がしますので、是非ともご購入ください。
※今回の売り上げは京都アニメーション様へ寄付されるそうです。
今更ながら、グリッドマンの話とか書いておくべきだったなどと思いながら〆