2009年11月15日

トークイベントのお知らせ

 来月、ライターの南陀楼綾繁(河上進)さんと、今週発売される彼の『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)刊行を記念して、著者の南陀楼さんと千駄木の「古書ほうろう」でトークをします。
 以下、南陀楼綾繁さんのブログ「ナンダロウアヤシゲな日々」の11月12日の告知より。

「古本が先か? 仕事が先か?」 黒岩比佐子×南陀楼綾繁
仕事に必要だからと古本を買い、古本を買うために仕事をする。気がつけば、周りには本の山……。いつの間にか因果な生き方を選んでしまったフリーの物書きの厳しくて、ちょっとだけ楽しい生活とは。
12月17日(木) 開場18:30/開演19:00
入場料 1000円(飲み物持込み可)
ご予約は電話かメールで。
 古書ほうろう 03-3824-3388
        horo@yanesen.net

 南陀楼綾繁さんの新刊『一箱古本市の歩きかた』は、〈誰でも一日だけの「本屋さん」になることができる一箱古本市や、日本各地のブックイベントの現状をレポートしたもの。〉この「一箱古本市」には、私も不忍通りで開催された第1回から、買う側として参加しています。このイベントがきっかけで、たくさんの古本ファンの人たちと知り合うことができました。その人たちから、本をめぐるさまざまな話を聞いていると、私などまだまだ修行が足りない、と痛感させられます(笑)。

 今度のトークで何が飛び出すのかわかりませんが、こういうお恥ずかしい“内輪話”を、公衆の面前でする機会はめったにないと思いますし、フリーの物書きの悲哀や、古本を買わずにはいられない症状の滑稽さを、存分に堪能(?)していただけると思います。ご興味があれば、ぜひご来場ください。

 昨日は神奈川県立図書館での図書館カレッジの第2回目が終わり、残すは21日と28日のあと2回。こうした連続講義を受け持ったのは初めての経験で、思っていた以上に緊張する。ただ、自分にとっても、新たにこれを調べてみようと思うことが出てくるので、いい刺激になっているようだ。今月は、11月30日にも慶應義塾大学でも講演することになった。今度は日吉キャンパスで、母校の後輩とはいえ、学生たちはみな平成生まれ! 気が遠くなりそうだ(笑)。はたして言葉が通じるだろうか……などと、異国へ行って話をするような気分になっている。

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2009年11月12日

柴田流星『伝説乃江戸』(明治44年初版)・その3

b8155613.jpg もう1点。竹久夢二の絵。


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柴田流星『伝説乃江戸』(明治44年初版)・その2

b2c9abbd.jpg 竹久夢二の絵。本文とは関係なく、役者を描いたものが挿入されているようだ。


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柴田流星『伝説乃江戸』(明治44年初版)

0cba53f4.jpg なんとか仕事の辻褄を合わせようとしているものの、どうしても思うようにはいかない。そもそも冬が大の苦手で、毎年この時期になると、自然に頭も身体も働きが悪くなる。夜の時間に外出するのが億劫になる。そう、「冬眠の季節」なのだ。3カ月くらい冬眠させてもらえないだろうか……。

 これは、先月末の古書展で買ったうちの1冊。函はついていなかった。装幀に目を惹かれたのと、挿絵が多数あり、竹久夢二だったので購入した。布製本だが、この表紙のタイトルと著者名は、上から印刷したものではない。もし、あとで印刷したものなら、白い文字の下に、布の模様が透けて見えるはずだ。つまり、この本の装幀に使うために、最初から文字部分を白く染め抜いたとしか思えない。そんな手間をかけた布製本は、いまではなかなか作れないだろう。

 発行所は聚精堂。柴田流星の名前は、ついこの前読んでいた本に出てきたので、この本を手に取ったとき、こういう著書があるのか、と思った。それなのにいま、柴田流星について書かれていた本を探そうとしたのだが、どんな本だったのかを忘れている(笑)。最近、こういう物忘ればかりで、本当に情けなくなる。しかも、この『伝説乃江戸』は、どういうわけか国会図書館には所蔵されていないようだ。内容は、タイトル通り江戸にまつわる伝説をまとめたもので、とくに珍しいものでもないのだが……。


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2009年11月10日

『明治のお嬢さま』4刷本が届く

c829d610.jpg 今日、拙著『明治のお嬢さま』(角川選書)の4刷本の見本が届いた。ほとんどの著書が初版止まり、せいぜい2刷であえなく敗退、といった状況のなかで、『お嬢さま』は信じられない快進撃。ブログで自分の本の宣伝をするのは恥ずかしいものの、“孝行娘”がここまで頑張ってくれているので、ちょっと宣伝。神保町の三省堂書店では、先週から「選書フェア」が開催されていて、角川選書からは拙著が選ばれている、とのうれしい知らせも。近いうちに見に行きたいと思う。

 著者が女性だと、女性のことを書きやすいかといえば、全然そんなことはない。むしろ、男性をまな板の上に乗せて、ばっさばっさと切り刻む(!)ほうが、私には向いているような気がする。といいつつ、男性女性にかかわらず、興味を惹かれる人物はいるので、これからもあまりこだわらずに書いていきたい。

 近代の女性を書く場合に難しいのは、肉声を伝える一次資料が少ないこと。男尊女卑の社会で、女だてらに少しでも目立てば、生意気だと叩かれ、ゴシップの種になって、新聞雑誌に書き立てられる。その女性が美貌の持ち主であればなおさらだ。そして、活字になったものしか後世には伝わらない。そうした記事に書かれている内容が、はたしてどこまで本当のことなのか、どこまで信憑性があるのか……。

 そういえば、酒井法子さんもここ数カ月間、総選挙の報道を上回る過剰報道にさらされていたという。100年後の人々は、2009年の日本における最大の事件、すべての国民が注目していたのは酒井法子さんの事件だった、と思ってしまうかもしれない(笑)。そして、間髪を入れずに“酒井法子もの”の本が何種類も出版され、飛ぶように売れる(のかどうかは知らないが)。わずかな時間で簡単に本を出し、あっという間に書店から消える、という時代なのだ。

 それに引き換え、書こうと決めてから3年近くが過ぎ、多額の資料代を費やしながら、まだ原稿が完成しない自分のことを思うと、苦笑する以外にないが……。でも、私にはそうした生き方しかできないので、これからも時流に乗らず、愚直に書きつづけようと思う。

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2009年11月08日

玉鳴館刊『第五回内国勧業博覧会写真画譜』(明治36年初版)・その3

ae206d52.jpg 上からアンドリュース&ジョージ館、右はカナダ館、左はホーン館。


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玉鳴館刊『第五回内国勧業博覧会写真画譜』(明治36年初版)・その2

42dd91ac.jpg 美術館。


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玉鳴館刊『第五回内国勧業博覧会写真画譜』(明治36年初版)

b743b3e9.jpg 11月に入って、いよいよ時間との競走のような日々が続いている。なかなかブログを更新する余裕がない……。今年は書評を書くために新刊本を月に10冊程度は読んでいる計算で、現在は上下2巻本を読んでいる。非常に面白いのだが、日中は読んでいる時間がないため、他の仕事を終えた就寝前の零時以降に、ようやくページを開くことができる。だが、途中でうたたねをしてしまい、首が痛くなって目が覚めるという状態。時間は過ぎているのに、ごくわずかしか読めていないのに気づいて、ガックリ。もう何日も前に読み始めたのに、まだ読み終えられていない……。

 昨日の午後は神奈川県立図書館で「図書館カレッジ」の講座。「雑誌から見た明治の青春」というテーマで、第1回は「民友社と『国民之友』」というタイトルでお話しした。個人的には「明治の雑誌」は大好きで、ずいぶん収集しているのだが、一般の方々にとってはあまりなじみがないものだろうし、興味をもってもらえるだろうか、と不安も感じていた。でも、皆さん熱心に聴いてくださったようで、とりあえずほっとした。第2回(14日)は「日露戦争期の報道合戦」、第3回(21日)は「反権力の諷刺雑誌」、第4回(28日)は「女性誌の世界」の予定。第2回では編集者としての国木田独歩、第3回では宮武外骨が主役。第4回はせっかくなので、明治の雑誌に掲載された美人写真(!)をたくさん紹介したいと思っている。乞うご期待! 明治の雑誌の面白さを知る、1つのきっかけにしていただければ幸いだ。

 写真は、明治36(1903)年に大阪で開催された第五回内国勧業博覧会の写真集。タイトルは『第五回内国勧業博覧会写真画譜』で、大阪の玉鳴館が発行したものだが、検索しても、今のところ同タイトルのものを所蔵している図書館は見当たらず、「日本の古本屋」などでも1件もヒットしない。博覧会人気を当て込んで刊行されたものだろうから、それほど発行部数が少なかったとは思えないが、博覧会関係の古書は人気があるので、マニアが秘蔵していて市場には出ないのかもしれない。糸で綴じ直してあり(しかも下手)、表紙に書き込みがあり、状態もあまりよくない。あとでよく見ると、最初の写真ページ1枚が破り取られていた。3150円だったが、買うには高かったかも……。

 序文が4ページあり、あとはすべて写真。片面のみにモノクロ写真が印刷されている。全部で16枚(ただし1枚欠)。玉鳴館は写真館だったらしく、奥付を見ると、博覧会の会場に2カ所の販売所を出店していて、この写真画譜のほかに絵葉書も販売していたらしい。たしかに、写真自体はよく撮れている。キャプションは日英併記で、会場を訪れた人たちが記念に、あるいは土産として買い求めたのだろう。


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2009年11月03日

自笑軒主人『秘密辞典』(大正9年6月初版)

4628739c.jpg 気がつくともう11月だ。今年があと2カ月しかないとは……。振り返ると、9月から10月にかけて絶不調で、通常の半分以下の労働量だったと思う。あちこちが痛かったり辛かったりで、仕事どころではなかったのだ。外出する日は、数日前からその日のために安静に過ごし、終わった翌日以降はまた3日ほど休んで身体の回復を待つ、といった状況。まだ万全ではないが、11月は「生活立て直し月間」にして、なんとか年末までに目標枚数の原稿を書き下ろしたい。

 そういうわけで、ここ2カ月は古書展にも行けないことが多かったが、代わりに古書目録で注文して買っている。10月はこれまでの古書購入金額の最高記録を更新してしまった。実は、これまで注文品が当たらなかったことは、わずか2回ほどしかない。クジ運がいいわけではないので、きっとほかには注文した人がいなかったのだろう。欲しいと思うものが、古書マニアと競合しないというのは、喜んでいいのかどうか、ちょっと複雑な心境。高値で買っている、ということかもしれないし……。

 前回、『難訓辞典』を取り上げたので、今回も辞典の話。写真は、先月の古書目録で注文して買ったうちの1点である。タイトルが『秘密辞典』で刊行が大正9年。ちょうどこの時期のことを調べているので、いったい何が書かれているのかと想像しはじめると、もういけない。なにしろ『秘密辞典』ですよ! 3150円という値段は、古書展に足を運んでいれば、多分「高い」と感じて買わないのだが、目録だとそう感じないのが不思議だ(笑)。

 著者の「自笑軒主人」は翻訳も手がけているようだが、誰かの変名だろうか。グーグルで検索すると、宮崎直次郎という人が、明治41年に会席料理店「天然自笑軒」を田端に出店しているとのこと。この宮崎の娘が芥川龍之介の義弟の妻で、芥川龍之介もこの「天然自笑軒」をよく利用していた、という記述があった。たしかに、近藤富枝『田端文士村』を見ると、「天然自笑軒」という項があった(読んだはずだが、まったく記憶にないとは……)。天然自笑軒主人=宮崎直次郎=『秘密辞典』の著者、ということなのだろうか。株の売買をし、茶や花をやり、一中節を語り、料理をつくる趣味人だったということだが。

 発行所は千代田出版部。サイズは9月26日のこのブログで書いた『新らしい言葉の字引』と同じ袖珍本で、厚さもほぼ同じ。巻末には附録がついている。「秘密」というので、もしかするとかなりアヤシイ方面の語彙が載っているのか、と期待する向きもあるだろうが、そうでもない。ただし、たしかにアブナイものも……(笑)。巻頭の例言には、「此の書に収めたる詞は、他の普通の辞書などには、無いものが多いと思ひます。本書に収むる処は、隠語、略辞、謎、俚諺、地口、洒落、俗説、符牒、記号、外来語、新流行語、特殊階級語、方言などです」とある。

 これを読み始めると、知らない言葉が多いのでやめられなくなりそうだ。大正時代に使われた隠語で、いまでは意味がわからなくなっているものも多いだろう。とくに悪口の言葉というのは面白い(笑)。たとえば「師範面」(しはんづら)。「師範学校の生徒には美人が居らず、何れも、晴れ晴れしくない、沈んだ渋い容貌なるをいふ」って、あまりにも失礼でしょうが!

 意外なことに、「出鱈めーしよん」なんていう語も載っている。意味は「出たらめといふ事。めーしよんと附けて英語の形に成したるもの」とある。「飲みにけーしょん」なんていう語はそれほど古くないと思うのだが(もちろん『秘密辞典』には載っていない)、この手の造語はすでに大正時代からあったのか。ウーン、知らないことばかりだ。

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2009年10月31日

井上頼圀ほか編『難訓辞典』・その2

b0890c73.jpg これは、たまたま目に入ったページ。ここに並んでいる語も、ルビがついていなければ、読めないものがかなりある。


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井上頼圀ほか編『難訓辞典』(明治40年10月初版、昭和8年10月再版)

b1d88046.jpg 昨日は快晴。神田古本まつりの期間中の東京古書会館「特選古書即売展」へ。これは例年、かなり珍しい本が出品され、値段も安い。そのため、古書の世界の猛者たちは、開場時刻前から行列をつくって突進するらしい。残念ながら、その壮絶な闘いに参加できるような体調ではないので、ここはおとなしく10時を過ぎてから入った。

 案の定、あきつ書店さんの棚の前は異常な熱気で、三重四重の人垣ができていて、近づくこともできない。あきらめて、人が少ない他の棚から見て回る。ほしい本はあっても、値段が高い。珍しいものがあったが、5万円近い値段を見てため息。それでも相場よりは安いと思うのだが……。美しい洋書の数々は、目の保養だ。

 実は今月、目録でかなり高額な古書を購入してしまったので、もうこれ以上は買ってはいけない、という緊縮財政。だが、せっかく来た以上、何も買わないわけにはいけない(笑)。第一陣が去った後の残り物を数冊買って、5000円以内の出費にとどめた。古書会館を出た後は青空掘り出し市を見て歩く。見ていると買いたくなるが、我慢して資料用に1冊のみ購入。それでも、総額では5000円を越えてしまった。昨日は、夕方から神保町で打ち合わせがあったので、結局、自宅と神保町を二往復した。いつもなら、補充分の本を目当てにもう一度古書会館へ行くところだが、もうその気力は出なかった。

 写真は、昨日購入したものではなく、その前の古書展で購入したもの。こうした特殊な辞典が千円以下で出ているのを見ると、編者の苦労を想像してつい買ってしまう。しかも、この『難訓辞典』はかなり使えそうだ。井上頼圀・高山昇・菟田茂丸の合編で、発行所は啓成社。背は革製、表紙クロス張りで、金文字。字画索引と五十音索引だけで79ページあって、それに加えて本文が424ページ。厚さは約3センチだ。出典の数が多く、かなり広範囲を網羅して難訓語を採録していることがわかる。ページをめくると、見たこともない言葉が次々に出てくる。面白くてつい読んでしまう辞典だ。

 驚いたのは、初版が明治40年10月、再版が昭和8年10月だったこと。26年後に再版とは! その間、評価が下がらなかったというのはすごい。人名辞典を引いてみると、井上頼圀は学習院教授などを務めた国学者で、生まれたのは1839年……なんと天保10年生まれだった。大正3年には亡くなっている。つまり、死後19年経ってから再版されたことになる。この本は、装幀も扉のデザインも、見るからに明治の辞典そのものなので、初版から手を入れたところはほとんどなさそうだ。

〈追記〉
 さらに驚いたことには、昭和54年と平成7年にこの辞典の復刻版が出ている。平成7年の復刻版は、東出版から10500円で出ていて、いまも販売されているらしい。


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2009年10月28日

鈴木三重吉『女』(大正4年7月初版、8年5月5版)

c6ec839f.jpg 出張中にたまったいろいろなことがまだ片付かず、とにかく忙しい。神田古本まつりも始まっているというのに、神保町へ行くどころではない。しかも、出張の疲れがいっこうに抜けず、身体のあちこちが壊れかけているような感じがする。数年前には、1年間で20回近くの出張をこなしていたこともあったのだが……。最近は、ほんの少し歩いただけで疲れてしまう。やれやれ。

 21日のブログに書いた「三重吉全作集」シリーズが、3冊から4冊に増えた! 右手前の1冊は、第四編『女』。24日に京都でお会いした林さんからご恵贈いただいた。初版は大正4年だが、この本は大正8年の第5版で、やはり布製本で天金、発行所は春陽堂になっている。『千鳥』と同様に、「装画 津田青楓氏/背字 夏目漱石先生/木版 伊上凡骨氏」と書かれている。白状すると、このシリーズへの興味の大半は、津田青楓の装幀にあって、鈴木三重吉の作品の方は読んでいないのだが。


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2009年10月25日

関西学院大主催の2回の講演、無事終了

 23日から24日まで久しぶりに関西へ出張して、昨夜帰宅。今回は、2日連続で関西学院大学主催の講演会。23日は日露戦争、24日は村井弦斎の話をした。幸い天気にも恵まれて、予想以上にたくさんの方々が来てくださった。会場に足を運んでくださった皆様には、この場を借りて御礼申し上げます。また、お世話になった主催者の方々、本当にありがとうございました。

 講演前に緊張するのはいつものこと。だが、今回は出張する前日の夜、大学内で迷子になって、時間までに講演会場にたどりつけない、というありえない夢を見てしまった(笑)。何か悪いことが起こるのではないか、と心配になってしまったが、トラブルもなく無事に終わって本当にホッとした。関学大の上ヶ原キャンパスを訪れたのは初めて。広い芝生が広がり、小川が流れ、ここで学んでいる学生たちが羨ましくなった。もう一度学生という身分になれたら、20代のころの何倍も熱心に勉強すると思うのだが……。

 せっかくなので、帰路は京都で途中下車して、銀閣寺近くに出店した山本さんの古書善行堂へ。すでに、古本好きの人たちがブログで紹介してくれている上、現在発売中の『中央公論』11月号の巻頭カラーページと、特集「古本屋めぐりは楽しい」にも載っているので、初めてという感じはしなかった。関西在住の古本道の大先輩(中島さん、林さん)が時間をつくって来てくださって、善行堂にいらしていた扉野さん(初めてお会いした)も一緒に、店主を囲んで、店内で“つわものどもの古本談義”(!)が盛り上がった。一般の人が聞いたら、いったいこの人たちは何を話しているのだろう、と不思議に思ったに違いない。

 噂にたがわず、善行堂には欲しい本がいろいろあった。結局、店主お勧めの一品(!)ともう1冊を購入。早速、いただいた講演料の一部を善行堂に還元することに……(笑)。京都で古書の熱気に当てられて、というか、しゃべり疲れて、帰りの新幹線のなかではさすがにぐったり。半分くらいは寝て、帰り着いたのは23時少し前。たまった郵便物やEメールを見る元気はなく、倒れるように寝た。

 すぐに、また11月7日からは、神奈川県立図書館主催の「図書館カレッジ」4回がスタートする。その前に、神保町では「神田古本まつり」も始まる。こんなに古書を買い続けていても、古本市へ行くと、何か欲しい本と出会うのが不思議だ。忙しいと言いつつ、古書市や古書展に通ってしまう自分を呆れつつ、期間中は神保町へ一度は行くことになりそうだ。その間をぬって、原稿も早く書かなければ……。


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2009年10月21日

鈴木三重吉『霧の雨』(大正4年10月発行、初版)

fe7a155e.jpg 思うように仕事が進まず、今週は憂鬱な日が続いている。寒くなってくると、どうもいけない。身体が弱っているせいか、体温調節がうまくできないので、膝掛けやら湯たんぽやら、早くも冬支度。こんなときに風邪をひいては一大事、となるべく早く寝るようにしている。だが、夜は安眠できない。悪夢の連続で、うなされて目が覚める。こんな調子で、仕事のストレスからは一生逃れられないのだろうなあ、とふと思う。

 この前の「ぐろりや会」で買った本をもう1冊。「三重吉全作集」の第六編で『霧の雨』だ。函なしだが500円なら安い。ただ、不思議に思ったのは、すでに手元にもっている「三重吉全作集」の2冊は布製本だったのに、これは紙製本だ。写真に3冊を並べてみた。左が今回購入した第六編『霧の雨』で、真中が第五編『千鳥』、右が第十二編の『小鳥の巣』だ。いずれも天金。前に購入した2冊は、『千鳥』が大正8年の第6版、『小鳥の巣』も大正8年の第4版である。『千鳥』には「装画 津田青楓氏/背字 夏目漱石先生/木版 伊上凡骨氏」と明記されているが、『小鳥の巣』には装幀者などの名前はない。

 では、今回購入した『霧の雨』の初版はどうかといえば、表紙は紙製だが木版刷りで、「装画 津田青楓/背字 夏目漱石/木版 大倉半兵衛」となっていた。こちらは敬称なしで、彫師が伊上凡骨ではなく大倉半兵衛である。その違い以外によく見ると、『霧の雨』の奥付は「著者兼発行者 鈴木三重吉」となっていて、「発行所 鈴木三重吉方」「発売所 春陽堂」である。この書き方は自費出版だ。しかし、『千鳥』と『小鳥の巣』を見ると、「著作者 鈴木三重吉」「発行所 春陽堂」になっていた。

 私の手元にあるこの2冊は、初版本ではないのでよくわからないが、これはどういうことなのだろう。当初、自費出版で刊行を開始したが、途中から春陽堂が出版を引き受けた、ということなのか。その際、装幀も紙製本から布製本に変更されたのか。「三重吉全作集」は全部で13冊あるらしい。「日本の古本屋」で検索すると、署名入りなどもあって揃いでは数万円の値段がついているが、あとの10冊は気長に探していこうと思う。


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2009年10月19日

『美観画報』(明治39年6月発行、第6号)

58753c40.jpg 先週の土曜日、外出する機会があったので、東京古書会館の古書展「ぐろりや会」へ。時間があまりなかったので、駆け足で1時間ほど見た。2日目ということもあり、買えそうなものはないかと思ったが、意外なものを見つけることができた。国木田独歩が近事画報社から発行していた雑誌の1つ、そのなかでも珍しい『美観画報』である。国会図書館に所蔵はなく、東大明治文庫や日本近代文学館にも全部は揃っていない。

 この雑誌の編集担当は、明治・大正の文壇の奇人として有名な「グレさん」こと坂本紅蓮洞だ。それだけでも買う理由になるが、しかもこれは第6号。近事画報社の経営が悪化して、国木田独歩が独歩社を興して、5誌のみを引き継ぐことになったのが、明治39年の6月頃。つまり、この『美観画報』第6号が出た直後で、この号で『美観画報』は廃刊してしまったのである。第6号が存在していることは、広告で確認できていたものの、その実物は所蔵図書館がないため未見だった。

 『美観画報』はずっと探していて、最初に入手できたのは、色刷りの図版がすべて揃っている第4号だった。値段は8400円と、私にとってはかなり高額だった。その後、やや状態の悪い第1号と第2号を、それぞれ3000円と4000円くらいで見つけて購入。それに対して、この第6号は巻頭のカラー図版はすべて切り取られてしまっていたが、本文は問題なしで700円。坂本紅蓮洞も記事を書いている。2日目まで残っていたなんて!と幸運に驚きながら、もちろん購入した。

 『美観画報』と坂本紅蓮洞については、拙著『編集者 国木田独歩の時代』で、かなりくわしく述べたので、興味がある方は参照していただきたい。『美観画報』という題号を見ると、美しい風景や観光名所の写真を載せたグラフ誌かと思ってしまうが、実質的には『美女画報』か『美妓画報』とでも呼ぶべき雑誌なのだ。最初にそれを知ったとき、想像もしていなかったので呆気にとられた。

 それ以来、私はこの雑誌を“明治版『プレイボーイ』”と呼んで、あちこちで話題にしている。読者は9割以上男性だったと思われる。美人芸妓のカラー図版を切り取った前の持ち主は、きっと手帳の中にでもしのばせて、こっそり見ながらニヤニヤしていたのだろう。誰かがそんな記述をしているのが発見できれば面白いのだが……。せめて、1年でも続いていれば、もう少し話題になっただろうが、わずか6号で終わってしまったのが残念だ。

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2009年10月16日

黒法師『世界乃大秘密 美人探検』・その2

bc030832.jpg 相変わらず、時間に追われていてブログを書く余裕がない……。あれこれ考えては、憂鬱になっていたところに、編集者のTさんからうれしい電話があった。
「『明治のお嬢さま』の重版が決まりました!」
 まさか、と思ったが4刷である。ほとんどの本が初版止まりの私にとっては、もちろん初めてのことだ。とはいえ、まだ1万部にも届かないないのだから、売れっ子作家の人から見れば、鼻の先で笑われそうだが……。なにはともあれ、これでまた古書が買える(笑)。書店で購入してくださった方々に、心から御礼申し上げます。

 さて、前回『世界乃大秘密 美人探検』について書いたところ、たくさんのコメントをいただいた。やはり、ヨコジュンさんのファン、あるいは古典SFファンは多いのだ、と再認識した次第。もどかしいのだが、近くの図書館では『SFマガジン』を閲覧できず、未読状態。コメントで教えていただいたのだが、『世界乃大秘密 美人探検』はH・R・ハガードの翻案だということだ。写真は、巻頭の口絵。探し当てた美人があまりにも美しかったので、驚いている場面である。残念ながら、この絵では絶世の美女とは思えないが……。

 あらすじを紹介すると言っても、かなり荒唐無稽ではあり、時間の浪費という気もしないではないのだが……(笑)。
 明治30年代の麹町に、万国語学校の校長を務める栗本申三という男がいた。彼は博士だが、容貌がきわめて醜く、独身で一生を教育に捧げようとしていた。この栗本のもとに、アラビア語を学びに来た30過ぎの男がいた。彼は肺病で亡くなるが、死の間際に不思議な遺言を栗本に託す。それは、息子に関わることだった。男の息子の名前は西小路真一で、アラビア語を教えてほしい、という。そして、真一が25歳になったときに、箱を開けて中を読むように伝えてほしい、というのだった。

 真一25歳の年がきて、栗本の立ち会いのもとで箱が開けられる。そこには奇妙なことが書かれていた。先祖代々2000年以前からの仇敵がいるので、それを倒せ、というのである。さらに、その仇敵とはアラビアの「蕃地」に住む女王だという。2000年前とはどういうことなのか、よくわからないうちに、真一と栗本の2人は、仇敵探しの旅に出るのだった……。

 (このペースであらすじを書いていくと、一晩かかりそうなので途中を省略するが、あしからず。)要するに、その「女王」というのが、不老不死の秘密の力をもち、2000年前から生き続けていたという驚くべき話なのだ。女王に会うまでにもさまざまな冒険があり、ロマンスがあり、命の危機にさらされたりする。真一は病気になって寝込んでしまうが、栗本はついに女王と対面する。そして、女王の美しさに茫然とする。女王は学問にも通じていて、栗本は女王とさまざまなことを話し合って驚嘆する。さらに、女王は不思議な力を持っていた。透視をしたり、目の光で人間の記憶を消し、殺すこともできた。

 西小路家では代々、この女王のことを仇敵として語り継いできたのだが、女王は栗本に、2000年前に自分が唯一恋した相手が西小路家の先祖で、その恋人が死んだのちも、きっと生まれ変わって会いに来てくれると信じて2000年生き続けてきた、と話す。栗本はその話を信じられないが、女王は、一万年や二万年は生きられると言う。そうしているうちにも、真一の容態が悪化して、死に瀕してしまう。

 栗本は、女王の力にすがって真一を助けてもらうしかないと考えて、懇願する。女王は真一を見るなり、彼こそ2000年待ち続けた大切な恋人だ、と言う。女王が与えた薬で、真一は命をとりとめた。だが、そのあとで、女王こそ敵討ちの相手だと知って、真一は短刀で女王を殺そうとする。それを栗本が止めた。命の恩人に刃を向けては、日本男児の恥だ、と言うのだった。

 女王は、真一と栗本にさまざまなものを見せた。それは奇蹟としか思えないものだった。女王は人間も製造(!)しているという。女王はその美貌をもって、真一の心を虜にしようとする。女王のあまりの美しさに我を忘れそうになりながらも、真一は心を石にして、言うままにはならない。ついに女王はあきらめて、真一のために不老不死の妙術を授ける、と言い出した。真一が頼むと、栗本にもその術を授けよう、と女王は言った。

 そこからかなり離れた場所に「命の火柱」というものがあるという。それに触れると不老不死の身になり、容貌は美となり、気力は鉄となる、と女王は説明する。3人はひそかにその場所へ向かう。絶壁を越えて、ようやく火柱までたどりついた。だが、その火柱に触れれば、黒こげになりそうなので、真一も栗本も触れる気にはならない。そこで女王は、2人の見ている前で、身をひるがえして火柱に飛び込んだ。

 ところが、女王はなかなか出てこない。2人が不安になって待っていると、なかから老婆が出てきた。女王は幾度となく火柱に触れた結果、元に戻ってしまったのだった。そのまま女王は息絶えてしまう。結局、真一は手を触れずして、敵討ちを果たしたことになった。そして、2人は急いでその場を離れ、なんとか無事に日本に帰り着いたのだった。(終わり)


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2009年10月14日

黒法師『世界乃大秘密 美人探検』(明治45年2月初版、3月再版)

546686dd.jpg 今日は久しぶりに明治の奇書(!)を。去る8月、今年の購入本のうち、間違いなく5本の指に入ると思われる奇天烈でトンデモな古書を発見した。少し調べてからブログに書こうと思いつつ、その余裕がなく、ずっと書けずにいたのだが、忘れてしまわないうちに紹介しておこう。

 いつも来場者が多い古書展「書窓展」で、それほど混んでいなかった棚の一角に「美人探検」の背文字があり、思わず目を惹きつけられた。明治の美人について書かれた本なら興味がある。写真が載っていればなお嬉しい。そこで奥付を見ると「明治四十五年」とあって、資料に使えそうだと思ったのだが、ページをめくると残念ながら小説で、写真などは載っていなかった。函は背の部分が欠けていて、値段は1000円。がっかりして一度は棚に戻した。だが、まてよ、と思ったのは著者名の「黒法師」。「黒法師」はたしか、渡辺霞亭の筆名だったのではないか。霞亭の小説なら面白いはずだ、と思い直してもう一度その棚まで戻ってみた。意外にも、その本はまだ誰にも買われずに、そこに残っていた。

 写真でわかるかどうか(クリックすると拡大)。菊判サイズのこの本の装幀がすごい。表紙の薄緑色はワニ皮の模様である。もちろん、本物のワニ皮ではなく、それに似せて型押しをして、グレーのインクで模様を印刷した紙だが、驚くほど精巧にできている。明治末期に、こういう洋紙を日本で製造していたのか、それとも輸入品なのだろうか。あとで本文を読んでみて、ワニが登場したので納得した。そのワニ皮の模様の上に、南洋風の樹木と美女の姿が描かれている。巻頭にはカラー口絵が一葉。本文は状態もいい。

 書名は『世界乃大秘密 美人探検』で、発行所は東亜堂書房。著者の「黒法師」は渡辺霞亭。村井弦斎とほぼ同世代の売れっ子新聞小説作家で、「東の弦斎、西の霞亭」といわれたように一時代を築いた。驚くべきはその多作ぶりで、霞亭のほかに別号(朝霞、碧瑠璃園、緑園、黒法師、黒頭巾、春帆楼など)で、歴史物から現代ものまで、さまざまなジャンルの小説を“並行して”書き分けている。霞亭の書斎にある机の引き出しには多数の新聞雑誌の名前が貼り付けてあり、それぞれの引き出しに書き上げた原稿を入れていくのだが、ときどき入れ間違えるので、登場人物が混乱してしまう……という笑い話のようなエピソードを、文士仲間の誰かが書いていたのを覚えている。この『世界乃大秘密 美人探検』は、そのなかでも“古典SF”ものとして異彩を放つ作品だろう。何かに連載されたものだと思うが、手もとの資料ではわからなかった。おそらく地方新聞だろう。

 古典SFといえば、横田順彌さんだ。ネットで検索した限りでは、横田さん以外にこの小説について記述している人はいないようだった。「SFマガジン」2003年12月号に、横田さんはこの小説のことを書いているらしい。その記事をまだ読んでいないものの、ともかくこの本をざっと一読してうなってしまった。突っ込みどころ満載(?)の強烈な面白さ。言い訳めくが、仕事以外に小説を読んでいる余裕などない状態だったにも関わらず、購入した翌日には読了してしまった。本文476ページで決して短くはないものの、会話が多いのでさっと読める。タイトル通り、本当に「美人探検」するストーリーだった! 今日は時間がないので、内容については次回。

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2009年10月12日

“古本強化月間”なのに

 毎日身体がきつくて、しばらくブログを書けずにいた。見にきてくださる方々には、本当に申し訳ない気分……。先週末は珍しく2日続けて外出し、それぞれ楽しい催しだったのだが、そのあと2日間ダウンしてしまった。悪寒がして吐いてしまい、仕事もできない状態。原稿を書きたいのに書けないという、情けなさの極致。ひたすら睡眠をとり、9時間近く寝た日もあった。

 その翌日は、岡崎さんが音頭をとり、南陀楼さんが幹事で実現した“ライターの会”。ずいぶん前から約束したこともあり、行きたかったので、なんとか出席できてよかった。一滴もお酒は飲まずに、会食しながら気ままなおしゃべりを楽しむ。その日は最後まで体調もよくホッとしたが、翌日の夜、また突然、座っていられないほど気分が悪くなって、早く寝てしまう。こんなことが続くので、夜に外出するのが恐くなっている。体温はほぼ平熱なので、新型インフルエンザではないと思うが……。慢性疲労とストレスが原因か。

 幸いその翌日はだいぶ回復したが、東京古書会館の「城南展」には行かず、来月の4回の講演の準備に取りかかる。1回2時間半という長丁場なので、途中で休憩を取っても、話だけではとても時間がもたないと思い、資料として図版を用意することにした。部屋のあちこちから明治の古い雑誌を掘り出してきて、うずたかい山をつくり、1冊ずつチェックしながら頁にしおりをはさみ、予備も含めて200枚近い図版をスキャン――。この単純動作を長時間くり返していたら、今度はギックリ腰の一歩手前の腰痛(笑)。まったく、漫画である。これでは歩けない……と、次の日の千駄木の一箱古本市もパス。店主の方々にお会いできなくて、本当に残念だったが、しかたがない。

 あまり食べられないので、体重も50kgを切ったままだ。10月は、古本ファンにとっては“古本強化月間”で、あちこちで古書市や古本イベントが開催される。その1年で最も胸が躍る時期にもかかわらず、このていたらく。とにかく、これから年内にやることが決まっている仕事を、責任をもってやり終えなければならない。ありがたいことに、来年の1月からの仕事もいくつか決まっている。そのために体力を回復して、万全の状態に戻すようにしたい。書き下ろしが、また遅れてしまいそうだが……。

 先月もブログに書いたが、11月の4回の講座というのは、神奈川県立図書館の平成21年度図書館カレッジで、11月の土曜日、7日、14日、21日、28日の午後に開催される。詳細はこちら。定員は40人と少ないので、質疑応答時間もとる予定。かなり内容の濃い講座になる気がする。

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2009年10月02日

『文藝倶楽部』(明治37年2月号)

f184a9dc.jpg またあれこれと仕事が重なって、頭の中を交通整理しなければならない状態になっている。講演が多いと、その準備に思っている以上に時間がかかる。原稿締切は12月上旬と聞いて、まだ先だと思って引き受けたものがいくつかあるが、実はそんなに余裕はないのだった……。どうしても、締切が近いものから先に手をつけることになるので、書き下ろしの原稿のほうはいっこうに進まない。他に何もやらなければ、あと1カ月あれば何とか書き上げられると思うのに……。どうしてこう要領が悪いのか、とため息ばかりついてしまう。

 だが、やはり人間は好奇心の強い生き物なのだろう。初めてのことや、新しいことには思わず惹きつけられ、長くやっていることには感動しなくなる。ようするに「飽きてくる」のだ。だから、初めての人との仕事はぜひやってみたいと思うし、自分がこれまで書いていないテーマを提示されると、面白そう!と思ってしまうのだ(単純なだけかも……)。フリーランスの鉄則で、なるべく仕事は断らないということにくわえて、そのため、新しい仕事のオファーがくると断れないのだ。

 写真は見た通りのボロボロの『文藝倶楽部』。どこかの図書館が所有していたらしく、表紙にラベルも貼られている。木版口絵も切り取られてついていなかったが、明治37年2月号なので、何か面白い記事が載っているのではないかと思って500円で購入した。国会図書館に足を運び、マイクロフィッシュで閲覧することを考えれば、500円は安い。読んでみると、予想通りというか予想を上回る記事に出会って、歓喜した。村井弦斎の名前が何カ所にも載っていたのである。

 その1カ所を挙げておこう。同時代の作家の評判というのは、百年以上後に生きている私たちには、なかなか想像できないものがある。それだけに、こうした同時代の人が書いた文章は貴重だ。

〈広告まで目を通して、懸賞の規定を繰返して読んだ売(ママ。「後」の誤植か)は屑屋に売つて、芋を買うべく新聞を愛読するが当世なり、日露折衝の問題より先づ職業案内に眼を注くが今日の読者なり、金色夜叉に於けるお宮の名は知らずとも、食道楽に於ける音羽嬢の名を知らざるものなけん。故尾崎紅葉山人を知らざるものはあるも、村井弦斎先生を知らざるものはなけん。〉

 誤解のないように書き添えておくと、この文章の筆者は村井弦斎の『食道楽』を決して褒めているわけではない。全部を引用するわけにはいかないので、この部分だけを載せたが、要するに、「偉い文士」と「売れる文士」とは違う、という話のなかで、実用的な小説を書くので売れる作家として、弦斎を引き合いに出した、というわけだ。それでも、尾崎紅葉の『金色夜叉』のヒロインお宮よりも、弦斎の『食道楽』のヒロインのお登和(文中では「音羽」となっているが)のほうが有名だったとは驚いた。さすがの私も、そこまで言い切る自信はなかったのだが。

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2009年09月30日

馬場峰月『ゆうもあ物語』(昭和6年初版)

fe37cd91.jpg 9月24日のこのブログでお知らせしましたが、神奈川県立図書館の平成21年度図書館カレッジが、11月の土曜日、7日、14日、21日、28日の午後に開催され、その講師を務めることになりました。明日10月1日から受講申し込みの受け付けが開始されます。申込方法はこちらをご覧ください。
 10月24日(土)には関西学院大学オープンセミナーの講師を務めます。詳細はこちらをご覧ください。
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 また時間に追われていて、どうもブログを書く余裕がない。明日から10月。うまく時間を使っていかないと、年内にやろうとしていることも終わらなくなりそうだ。書評用に読みたい本もたまっているのだが……。新聞の書評は基本的に新刊本だ。そのため、新刊本を読む機会が増えたが、そうなると今度は古本まで手が回らない。買ったままの状態で積み上げられた古本が、うらめしそうにこちらを見ているような気がする……。

 これも前の古書展で買ったもの。辞典類を目にすると買うクセがついてしまったせいで、この本の外観に目がとまった。何しろ分厚い。厚さは5センチもあり、背の部分は本革、タイトルは金文字だ。さぞ高尚な内容の本なのだろう、と思ってよく見れば、書名は『ゆうもあ物語』だった。昭和6年に帝国教育研究会から刊行された初版で、著者は馬場峰月。本文は810ページもある。

 はしがきによれば、「本書は古今東西の、最もユーモラスな物語を集成したもので、正に諧謔と滑稽、機智と頓智の一代宝庫、以て現代生活に疲れたる人々の魂を慰め、これに新たなる興奮を与へ、傍ら処世の要諦を覚らしめんとするものである」ということである。この1冊には420数篇の物語を収め、その合間に川柳300首、狂歌150首、狂詩19首を採録したというが、よくもまあたくさん集めたものだ。

 といいながら、当然のように読む時間はなく(読んでも笑うだけだろうし)、よほどの暇人でない限り、この1冊を丸ごと読破する人はいないだろう。わかっていながら、こんな本まで買ってしまう自分がつくづく情けない。いつの日か、この本が役に立つ機会は来るのだろうか……。

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2009年09月26日

服部嘉香・植原路郎『新らしい言葉の字引』(大正7年初版、13年増補95版)

536f6ab0.jpg 時間に追われて、フリーランスのライターの「してはいけない鉄則」(!)第一条の「頼まれた仕事は断るな」の禁を破ってしまった……。24年のライター歴で、原稿を書く仕事を断ったことは数えるほどなのだが、この年になると徹夜はできないし、急な飛び込みの仕事を引き受けるには限界がある。それに、またもや身体の具合が悪く、徹夜どころか睡眠はたっぷり取っている。タイミングが悪すぎて、断ったのは正しかったと思うが、せっかく初めて電話をくれた人には、本当に申し訳ないことをした。

 東京古書会館の古書展に行くのも、2週続けてあきらめた。10月4日の「日本の古本屋博」には、何としても行きたいが……。昨日は、必要な資料を探すため、部屋のあちこちから本をつめた箱を発掘する。こんなところにこんな本がひと山あったなんて!という、嬉しいような情けないことの連続。自分でしまっておいて忘れているのだから手に負えない。そのため、いま使っている資料は机に一番近い場所に積み上げ、机やテーブルがいっぱいになると床の上に積みはじめ、その結果がこの惨憺たるありさまだ。他の人たちは、いったいどうやって蔵書を管理しているのだろうか。

 大正時代の面白い字引を見つけた。実業之日本社から大正7年に刊行され、翌年すぐに増補版が出て、その後も重版を重ねた服部嘉香・植原路郎著の『新らしい言葉の字引』。手もとにあるのは第95版である。「新らしい」といっても80〜90年前に使われていた「新語」や「流行語」なので、現代から見れば古くさいものもあるが、逆にそれが面白い。面白すぎてつい読んでしまうのだが、じっくり読んでいる時間がないので、目にとまったものを「リ」の項目から2つ……。

【離婚病】飛行家の罹る病で空中病といふのと同じことである。飛行家は常に空中から急激に地上に降下するので、結局空気の稀薄な上空から遽(にわ)かに降下して濃厚な空気を吸ふ為に、その当時は快いが、忽ちその反動として精神が曇り、神経は過敏となり、態度語気は荒々しくなり、家庭の愉快も感じなくなり、淋しい孤独の生活に陥るといふ奇なる現象を呈する。例のスミス・クロード・グラハムホワイトの諸氏はこの病に犯された人々である。

【流行文芸】二通りの意味がある。即ち一は時代民心の適合しよく流行し広まる文芸。一は誰か一人がいゝと云つた為めに猫も杓子も読みたがり流行する文芸。前者の例には所謂天民式(其項参照)文芸あり、後者の例には淫蕩文学(其項参照)上の作品が多くある。

 「離婚病」にかかったというスミス、クロード、グラハムホワイトとは、いったい誰なのだろう。「天民式」は松崎天民のことだろうと見当がつくが、「天民式」と「淫蕩文学」の項には以下のように書かれていた。

【天民式】松崎天民氏の好んで用ひた報告雑報記事的文体、多く市井のロマンス・エピソードを主題とし、小説と雑報記事との中間を辿る一種の文体、「倫落の女」「銀座界隈」の如きは其の代表的作品である。

【淫蕩文学】取材描写のすべてが男女、花柳の情事に渉り、ニキビ党の歓迎する色慾の方面のみを精写する文学。

 いかがだろうか。かなり笑える1冊だと思うのだが。


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2009年09月24日

お知らせ

 時間がないので、今日はお知らせだけを……。

 神奈川県立図書館の平成21年度図書館カレッジが、11月の土曜日、7日、14日、21日、28日の午後に開催され、その講師をすることになりました。会場は横浜市の神奈川県立図書館の多目的ホール、「雑誌から見た明治の青春」というテーマで、4回それぞれ2時間半、雑誌の実物なども見ていただきながらお話しするつもりです。
 予定している内容は以下の通り。

■第1回(11月7日)
〈民友社と『国民之友』――明治の俊英たちの愛読誌〉
「明治の青春」という言葉から、まず思い浮かぶ雑誌は民友社の『国民之友』だろう。明治20年代の青年たちは例外なく、『国民之友』を読んで若き血をたぎらせた。また、同誌が掲載した創作は、坪内逍遙、森鴎外、尾崎紅葉、幸田露伴、二葉亭四迷、樋口一葉、山田美妙、徳冨蘆花、国木田独歩、北村透谷など文壇人のほとんどを網羅している。『国民之友』はどんな雑誌で、民友社を創立した徳富蘇峰とはどんな人物だったのか。なぜ、若者が愛読したのかを考える。

■第2回(11月14日)
〈日露戦争期の報道合戦――グラフ誌の先駆者・国木田独歩〉
百年余り前に日本が国の存亡をかけて戦った日露戦争。今年から3年にわたって放映されるNHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』は、その日露戦争における若者たちの姿を描く。司馬遼太郎の『坂の上の雲』には書かれていないが、当時の雑誌は激しい報道合戦を繰り広げていた。そのなかで勝利を収めたのがグラフ誌『戦時画報』。その編集長は国木田独歩だった。自然主義作家の知られざる一面を解説する。

■第3回(11月21日)
〈反権力の諷刺雑誌――明治の“奇人”宮武外骨〉
明治の奇人といえばこの人、宮武外骨。宮武外骨は生涯に40種以上もの雑誌を刊行した。そのうち最も有名なのは『滑稽新聞』で、題号は「新聞」だが、月2回発行の雑誌である。彼は、腐敗した権力やそれにへつらう人々を徹底的に諷刺し、当局から発禁処分を受けては、何度も罰金刑や入獄をくり返す。それでも歯に衣を着せない言動をやめず、次々に新雑誌を創刊した。『滑稽新聞』を中心に、宮武外骨の破天荒な雑誌編集者としての姿を浮き上がらせる。

■第4回(11月28日)
〈女性誌の世界――美貌を競う“明治のセレブ”〉
明治の女性誌は19世紀から20世紀に入ると大きな変化を見せる。20世紀初頭には、現在の女性誌の原型ともいえる内容で、グラビアページを多用したファッショナブルな女性誌が登場する。そのなかで、博文館の『女学世界』、近事画報社の『婦人画報』、実業之日本社の『婦人世界』の3誌を中心に、それぞれの雑誌の特徴と読者の反応について述べる。『婦人画報』に登場する“セレブ”たちの話も織り交ぜながら、明治の若い女性の意識の変化を読み解いていく。

 有料ですが、受講を希望される方は、10月1日から図書館に申し込んでいただければ幸いです。申込方法などは、こちらをご覧ください。

 それから、前にもお知らせした通り、10月には関西学院大学オープンセミナーの講師を務めます。10月24日(土)の午前中で、無料です。詳細はこちらをご覧ください。

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2009年09月22日

小河滋次郎『丁未課筆 春之巻』(明治40年初版)

c78c62ba.jpg 休日も連休も関係なく、仕事があれば仕事をせざるをえないのが自由業で、その実態は“不自由業”そのもの(笑)。連休中に終えるつもりだった仕事が、まだ半分も進んでいない……。困ったものである。おまけに、胃腸の具合が悪くて気分もさえない。読みたい本には手を触れることさえできない。それなのに、届いた古書目録で本を注文してしまう……。

 写真はこの前の趣味展で買った本。著者の小河滋次郎のことは全く知らなかった。偶然手にとって奥付を見ると、発行日は明治40年で、「非売品」と書かれている。「編集兼発行者」ということは、自費出版だろう。驚いたのは、その横に書かれている印刷所。なんと「岐阜監獄」となっていたのである。ちょうど明治の獄中書簡をたくさん読んでいたところだったので、「監獄」の文字につい反応してしまった。囚人ではなさそうだが、いったいこの著者は何者だろう、と好奇心に駆られて購入した。

 写真でわかるように何の飾り気もない本だが、調べてみると結構珍しいようだ。『丁未課筆』は『小河滋次郎監獄学集成 第5巻』に収録されているらしい。「監獄学」という言葉も初めて聞いたが、小河は日本の監獄学の第一人者で、世界的に有名な人物なのだという。しかも、小河滋次郎は生年が村井弦斎と同じ文久3年で、没年も弦斎より2年早いだけなので、ほぼ同時代を生きた人である。これは興味を惹かれずにはいられない。

 さらに、小河は弦斎のずっと後だが、同じ東京外国語学校で学んでいた時期もあったらしい。弦斎はロシア語だったが、小河はドイツ語を専攻している。その後、小河は東京専門学校に入学して法律を学び、さらに東京大学に入ったという。そこで、恩師の穂積陳重から、監獄学をやるように勧められたらしい。東大で学んで監獄学……。

 この『丁未課筆』は日記風に綴られた随筆だが、監獄学の権威が書いただけあって、目次を見ると、話題は監獄や囚人のことはもちろん、犯罪や裁判や刑罰のことが多く書かれている。裁判員制度が注目されている現在、百年余り前の日本ではどんなことが問題だったのかを知るのも、ちょっと面白そうだ。


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2009年09月20日

明治村の「明治グルメ博」/雑司ヶ谷「みちくさ市」

620c9b49.jpg 19日(土)は愛知県犬山市の明治村に初めて行ってきた。11月29日まで「明治グルメ博」が開催され、その初日だった昨日、村井弦斎の『食道楽』のことを中心に講演をした。その前後に、明治村に移築された明治から大正にかけての建物を見学。ごく一部だけだったが、やはり本物に触れるといろいろなことを想像せずにはいられない。漱石、鴎外、露伴が住んでいた家、フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル、そして明治の写真館や監獄……。帝国ホテルはさすがに風格を感じたが、それと同じくらい印象的だったのが監獄だ。どんな人がここに囚われていたのだろうか。

 連休初日だったこともあり、家族連れや若いカップルの姿が目立ち、レストランやカフェもたくさんの人でにぎわい、教会では結婚式が行われていた。ランチには、福沢諭吉が好んだという牛鍋を食べ、『食道楽』のレシピを再現したコロッケをお土産にいただいた。揚げたてのコロッケのにおいがあまりに魅力的なので、帰りの新幹線で早速一つ食べてみたが、素朴な味で美味しかった。東京から行くには少し遠いが、ここでしか観ることができない貴重なものも多い。また、改めてじっくり観に行きたいものだ。

 昨日は終日出張していたので、今日はやることがたまっていて、出かけている場合ではなかったのだが、あまりの天気の良さに、少し「みちくさ市」をのぞくことにして、雑司ヶ谷へ向かう。不忍通り一箱古本市もそうだが、ある範囲に分散していてその間をぶらぶらと歩き回るというのが、多分性に合っているのだろう。古本を買うより、店主の人たちとおしゃべりするのが目的みたいな感じだが、そういいつつ、結局今日もまた8冊買う。さらに、1冊はただでいただいてしまった(ありがとうございました)。

 結局、「少し」のつもりが2時間(笑)。これぞまさに「みちくさ」だ。これほど本が売れない時代のなかで、これほど本好きの人が大勢集まる場所に身を置けるのが、この心地良さにつながっているのだろう。そして、1冊わずか100円から500円くらいで味わえる満足感。なんと安上がりなのだろうか(笑)。ただ、買った本を読む時間が足りない。もっと本を読まなければ……。


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2009年09月18日

柴田宵曲『煉瓦塔』(昭和41年9月、500部限定)・その2

b39dd034.jpg こちらがその柴田宵曲の自筆原稿。「日本古書通信社原稿用紙」と印刷された原稿用紙に、万年筆で書かれている。この用紙は1行が15文字で20行。一般の400字詰めではなく300字詰めだ。原稿の見出しは「世辞屋」で、『煉瓦塔』には収録されていない。封筒には以下のように説明が書かれている。

 柴田宵曲氏原稿在中
  「煉瓦塔」に著者の署名が入る筈のところ、御病気のため
  それが出来なくなりました。
  「煉瓦塔」「紙人形」「漱石覚え書」の著者自筆原稿一篇
  を添付して署名に替えさせて頂きます。

 普通、こうした限定本は、著者が1冊ずつ署名を入れて、予約した人に頒布することが多い。「御病気のため」とあるが、柴田宵曲は昭和41年8月23日に亡くなっていて、これは奥付の本の発行日(9月10日)より前だ。本は早く完成していたが、署名をする時間を考えて、先の日付にしたのかもしれない。

 本の巻頭には柴田宵曲の「はしがき」があり、その日付は7月15日である。川上澄生氏の明治色ゆたかな装幀により、明治百年に当たる出版物を飾り得たのは感謝に堪えない、ということを書いているので、本の装幀も見ていたようだ。病状が突然悪化したのだろうか。ともかく、この本が柴田宵曲の生前最後の本であることは間違いないだろう。


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柴田宵曲『煉瓦塔』(昭和41年9月、500部限定)

5ca995fb.jpg カレンダーを眺めながらため息。さすがに今日は、五反田の南部古書会館にも行かず、東京古書会館にも行かずに、一日中ひたすら仕事。9月も半分以上過ぎて、いよいよ時間的に余裕がなくなってきた。古書展で古書を漁るのは、半分は自分の楽しみで仕事とは言えないし、収穫がないこともあるし……。それでも、古書展に行かない週末はやはり寂しい。もう、部屋中が古書に埋まっていて、置き場もないというのに。

 最近の古書展で買った本で、まだブログに書いていない本もずいぶんたまってしまった。この前の東京古書会館の「趣味展」で見つけて、目を疑ったのがこの本。柴田宵曲の500部限定の『煉瓦塔』である。日本古書通信社から昭和41年に刊行されたもので、私が買う本にしてはかなり新しい。でも、著者は柴田宵曲で、サブタイトルは「近代文学覚え書」。

 文庫本サイズだが、驚いたのは外箱・函付き、天金で、装幀が川上澄生だったこと。表紙・扉絵は川上澄生の木版自刻と書かれている。500部中381番だった。これだけではない。帰宅してから取り出してよく見ると、本だけではなく、1通の封筒が入っていた。その中身を見てビックリ! 思いがけず、著者の柴田宵曲の自筆原稿が1枚入っていたのだ。これまでに、古書展でずいぶん古本を買ってきたが、物故作家の生原稿がついてきた、なんてことは一度もなかった!


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2009年09月16日

『柳田泉の文学遺産』(右文書院)全三巻完結

cfd99889.jpg お知らせです。今年の5月から隔月で刊行されてきた『柳田泉の文学遺産』(右文書院)の第一巻が発売になります。すでに第三巻と第二巻は既刊で、これで全三巻が完結しました。その今月発刊の第一巻の解説を書きましたので、機会があればご覧になってください。この第一巻の内容もとても面白いです。写真は、手前から第一巻、第二巻(解説は池内紀氏)、第三巻(解説は坪内祐三氏)。装幀は吉田篤弘氏と吉田浩美氏(クラフト・エヴィング商會)。

 明治文学をちょっとでもかじった人は、柳田泉の本を読まないわけにはいかないだろう。私はたまたま、明治文学では特殊な位置にいた村井弦斎などに首を突っ込んでしまったが、弦斎のことを調べる意味がある、と自信を持たせてくれた恩人が柳田泉だった。まさか、そういう人を“対象”にして、えらそうに解説を書く日が来るなどとは、あのときは夢にも思わなかった……。このシリーズを手がけた編集者の川村伸秀さんに感謝の言葉を贈りたい。


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2009年09月15日

大杉栄のお墓参りと大杉栄の甥の橘宗一墓前祭(3)

1f1f3766.jpg 大きな自然石の碑銘の表には、上に「Born in Portoland Ore. 12th 4. U.S.A.」、下には縦書きで、「吾人は須らく愛に生くべし、愛は神なればなり 橘宗一」という文字が彫られている。
 だが、衝撃的なのは、墓碑の裏側に刻まれた文字だ。
 碑文は以下の通り(写真参照)。
「宗一(八才)ハ、再渡日中、東京大震災ノサイ、大正十二(一九二三)年九月十六日夜、大杉栄 野枝ト共ニ犬共ニ虐殺サル Build at 12th 4. 1927 by S. Tachibana 那でし子を 夜半の嵐にた折られて あやめもわか奴 毛のとなり希里 橘惣三郎」

 「犬共ニ虐殺」……。可愛がっていた一人息子を殺された父の無念さが、この5文字から、長い時を隔てても伝わってくる。その碑文を、しばらく無言で見つめていることしかできなかった。

 集まった約40人がそれぞれ線香を立て、僧侶の読経とともに献花と焼香をして、墓前祭は終わった。毎年参加して30年以上、という人もいらっしゃるほどで、70代、80代の高齢の方が多いのはもちろんだが、30代以下の若い人も数人来ていた。『大杉栄 自由への疾走』(岩波書店)の著者であるノンフィクション作家の鎌田慧氏も参加されていた。


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大杉栄のお墓参りと大杉栄の甥の橘宗一墓前祭(2)

b5be7acd.jpg (前回の続き)静岡駅から再び新幹線で、今度は名古屋へ向かう。そこから地下鉄で覚王山駅で下車して、参道を歩いて行くと日泰寺が目の前に現れる。「橘宗一墓碑保存会」の世話人の方々が用意してくれたマイクロバスで墓地へ。橘宗一少年の墓碑のところに、小さいテントが張られていた。写真はその橘宗一の墓碑。

 大杉栄と伊藤野枝と大杉栄の妹の子である橘宗一の3人は、関東大震災後の9月16日に憲兵隊に虐殺された。すでに86年が過ぎた現在、その事実を知っている人はどれほどいるのだろうか。何となく聞いたことがある、という程度の人が多いのかもしれない。佐野眞一氏の『甘糟正彦 乱心の曠野』を読んだ人は、あの事件の凄惨さを思い知らされて、暗然としたのではないか。

 当時数えで8歳、満6歳にすぎなかった橘宗一は、大杉栄の妹あやめの長男で一人っ子だった。その子が、たまたま大杉と伊藤野枝と一緒にいたというだけで、大杉の子供と間違えられて、命を奪われたのだ。大杉の子なら殺せ、みんな殺してしまえ、という発想もおぞましいが……。

 橘宗一の父は橘惣三郎といい、あやめと共にアメリカのポートランドに住んでいたときに、宗一は生まれている。そのため、宗一はアメリカの市民権を持っていた。ともかく、大杉と野枝と宗一の3人は、取調べたいことがあるから来てほしい、と憲兵隊に連行され、暴行を受けたあげくに殺されて、憲兵隊内の古井戸に投げ込まれた。遺体が井戸から引き揚げられたのは9月20日だが、3人の持物はすべて焼き捨てられていた。遺体は棺に入れた状態で遺族に引き渡されたものの、棺のなかは石灰で埋められていて、臭気を発していたという。この卑劣なやりかたに、大杉栄の同志たちが憤激したことは言うまでもない。

 だが、あまり知られていないのは、息子を虐殺された父、橘惣三郎の激しい怒りだろう。日泰寺の草むらのなかから、橘宗一の墓碑が発見されたのはまったくの偶然で、1972年8月のことだったそうだ。橘惣三郎は横浜で事業を行っていたが、橘家の本家は名古屋にあるので、日泰寺にあるのは不思議ではないということだが、長年この橘惣三郎がつくった墓碑が知られずにいた理由は、いまだに謎らしい。

 その後、草むらのなかの墓碑をそのままにしておくわけにはいかない、と何人かが奔走して、現在のように整備された。さらに、9月に記念の集会をすることになり、大杉栄の墓がある静岡とも連絡をとって、以前は2日続けて墓前祭が開かれていたという。


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2009年09月14日

大杉栄の墓の横の墓誌

9c7cf267.jpg 大杉栄の墓の向かって右側には、荒畑寒村の文章を刻んだ墓誌がある。1976年に建立されたもの。これによって、ようやくここに葬られているのは誰なのかがひと目でわかり、後世まで残ることになった。


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