2005年08月

2005年08月31日

お知らせ

―8月31日追記―
 ちょうどいま発売中の『週刊ポスト』の「ポスト・ノンフィクション」シリーズで、「戦争と新聞」第2回を書いています。日比谷焼き打ち事件の桂太郎の“陰謀説”を取り上げていますので、興味がある方はご覧ください。全4回の短期連載です。


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博文館『太陽』(大正7年5月号)

18dcd6eb.jpg 相変わらず古い雑誌が好きだ。手を出すときりがないので、明治期の雑誌を中心にしているが、大正期のものでも、安いとつい買ってしまう。写真は、博文館発行『太陽』(大正7年5月号)で、27日の古書展で「拾った」もの。裏表紙が欠けているだけで、あとはグラビアページなどもきれいなのだが、200円で出ていた。値段も値段だが、表紙の目次を見ると「露国の現状」という文字が飛び込んできた。大正7年は1918年で、まだ第一次世界大戦が続いている時期である。ロシアは1年前の1917年にロシア革命が起こってレーニンが首相になって、1918年3月にドイツと単独講和を結んでいる。もちろん、そのロシア革命後の現状、ということだろうが、日露戦争が終わってから13年後なので、何か参考になるかもしれないと思って購入した。すると、やはりグラビアページや本文に、日露戦争関係の記事が少し出ていたので、うれしかった。

 それ以外にも、南方熊楠の「馬に関する民俗と伝説」、横井時敬の「日本の食糧政策」、さらには「現代神秘主義」なんていうタイトルもあって興味を惹かれる。ページをぱらぱらとめくって斜め読みして面白かったのが、無名隠士という筆名で書かれた「静中動、動中静」である。政治に関する評論なのだが、日露戦争前後の首相の桂太郎と元老伊藤博文の裏話などが書かれていて、びっくり。ちょうど私はいま、“ニコポン宰相”と呼ばれるこの桂太郎という人物に悩まされていたからだ。

 明治期から大正期にかけて三度首相になった桂ほど、権謀術数に長けた政治家はいなかったようだ。陰謀に次ぐ陰謀、しかも、八方美人どころか十六方美人で、ニコニコ笑ってポンと相手の肩を叩いて、相手を信用させてしまう。そして、裏では裏切るわけである。これが“ニコポン”の由来だが、首相にこんなあだ名がつくというのも、考えてみるとすごいことだ。“変人”以上ではないか。

 意外にも桂は、歴代首相のなかで最も在職期間が長い。2886日間というから、ほぼ8年間だ。桂太郎は、伊藤博文よりも長く一国の宰相の座についていたのである。とんでもないタヌキ親父だ、と思っていたところ、この無名隠士も「桂と云ふ男は二重にも三重にも陣立てする奴」だと書いていた。その実例をいろいろあげた上で、次のように述べている。

 昔噺も時には面白ろからうがね、政界の事と云ふものは此の通り複雑して居るのじや。僅々二三十年間の事が右の通りぢやで、歴史なんて云ふものは殆んど信じられんと吾輩は思つて居るよ。歴史家が善人と断定して居る者が果して善人か何うか、歴史家が悪人と評して居るものが果して悪人か何うかなう。

 なるほど。これを読んで、いまの日本の政界を後世の歴史家が見たときに、果して誰を善人と見て、誰を悪人と見るのだろうか――と想像すると、ちょっと愉快だった。


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2005年08月30日

博文館『遼陽占領 紀念写真帖』(明治37年)

fb05bb0c.jpg 27日の古書展で買ったもう1冊は、博文館の『日露戦争写真画報 臨時増刊 遼陽占領紀念写真帖』(明治37年10月15日発行)。これは、いま日露戦争関係のことを書いているので、その資料用。『日露戦争写真画報』はすでに20冊くらいは持っているはずだが、通常の号に比べて、臨時増刊号は写真点数も多く、中身が濃い。とくに安くはなかったのだが、まあ妥当な値段だったので購入した。従軍記者だった田山花袋の観戦記が載っている。

 遼陽は中国遼寧省の都市で、戦略上の要衝の地だったため、日露戦争の激戦地となった。当初は、ここが主戦場になると考えられていたらしい。ロシア兵22万5000人に対して、日本兵は13万5000人。数で劣る日本軍はロシア軍を破ったが、死傷者数はロシアの1万6000人に対して、日本は2万3000人以上にものぼったという。これでは本当に勝ったといえるのかどうかわからない。ロシア軍を率いるクロパトキンは、「ロシア軍は予定の退却を行った」とうそぶいて、形勢が不利になるとさっさと兵を引いてしまった。だが、日本軍はもはや弾薬などを使い果たしていたために、逃げるロシア軍を追跡して殲滅的打撃を与えることは不可能だった。

 その結果、この遼陽を日露の決戦の場にしよう、という日本の当初の狙いは実現できなかった。ここで完全な勝利を得て、日本は講和にもちこむつもりだったのである。撤退するロシア軍を、北方までずっと追跡していくことはとてもできない。日本は武器も将兵も限界に近づいてきていたが、ロシア軍ははるかに優勢な軍備を整えつつあった。この戦いは世界の戦史に前例のない大激戦だったが、各国の従軍記者は「遼陽の会戦は日本軍の勝利ではなく、ロシア軍の失敗である」と伝えたという。

 この遼陽で戦死した橘中佐は、その後、広瀬中佐と並んで“軍神”と讃えられるようになった。この『日露戦争写真画報 臨時増刊 遼陽占領紀念写真帖』にも橘中佐の写真が載っている。ただし、他にも多くの戦死者が出ているなかで、どうしてこの橘が軍神と呼ばれるようになったのかは、よくわからない。同誌にはすでに「嗚呼軍神橘陸軍中佐」と書かれていて、特別扱いされているので、戦死した直後から軍神と呼ばれるようになったらしいのだが……。写真説明には、「花々しい戦死を以て日本武士の典型を示したる陸軍中佐橘周太氏」と書かれている。戦争におけるヒーロー、ある意味でのシンボルを欲していた新聞(テレビもラジオも存在しない当時のマスコミは、新聞が中心)が、国民の戦意高揚のために橘中佐や広瀬中佐の神話を創り上げた、というべきなのだろう。



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2005年08月29日

村井弦斎『川崎大尉』(明治31年)

154ce469.jpg 一昨日の古書展で購入した本の一冊は、村井弦斎の『川崎大尉』だ。版元は春陽堂。少々傷んでいるが、1898年の刊行といえば107年前である。弦斎の本は当時、大衆向けの通俗小説として読まれていたので、ある程度、ぼろぼろになっていた方が“それらしい”とはいえる。もちろん、入手する方にとっては美本であるにこしたことはないが、最近では弦斎の小説本の美本を1万円以内で買うのは、けっこう難しいようだ。まだ何冊か未入手のものがあるが、1冊何万円も出すのはちょっと……ということで、多少傷んでいても、古書展で安く出ていれば買うことにしている。

 この小説は、『報知新聞』に掲載されたときは、弦斎が書いたものとはわからなかった。いわゆる「実話もの」ということで、無署名で連載されていたのである。ちょうど弦斎が『日の出島』を足かけ6年連載している最中で、一時休載していた期間に書かれている。無署名にしたのは、人気の『日の出島』を中断したことで、読者から文句が出るのを避けるためだったのか。さすがの弦斎も、『日の出島』を長々と書き続けて飽きてきて、途中で全く違うこうしたものを書いてみたくなったのかもしれない。

 「実話もの」とはいえ、書名の「川崎大尉」という人物が本当に実在していて、これはノンフィクション作品なのか、あるいはモデルはいてもほとんど創作なのかははっきりしていない。「川崎」というのは仮名だと書かれている。おそらく、モデルはいてもかなり弦斎が創作しているのではないかと思う。過去に弦斎が書いた『近江聖人』などをみても、そんな気がする。『近江聖人』は中江藤樹とその母親のことを書いたもので、当時の教科書にも採用されて多くの子供たちに愛読されたが、史実ではないエピソードが織り込まれている。

 この『川崎大尉』の特徴は、主人公の姉弟(弟が出世してのちに海軍の川崎大尉になる)が「非人」といういわゆる賤民、被差別階級の出身だという点だ。二人は差別を受けて苦労しながら成人し、弟思いの姉のおかげで、ついに弟は立派に立身出世をとげる、という話であり、その点で一種の社会派小説にもなっている。弦斎は『夜の風』でも、賤民出身で捨て子だった少年が立身出世をとげる、という話を書いていて、当時、社会の下層民の生活に関心を持っていたようだ。



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2005年08月28日

なんと2カ月ぶりに……。

 もうすぐ夏も終わるが、実は私にとっては、夏が始まったという感覚も、終わるという感覚もあまりない。2カ月前の6月下旬から、時間が止まったままでいるような気がするほどだ。初めての雑誌の連載と、それを元にして単行本1冊を秋に出す、ということが決定して、“もぐら生活”に突入したのが6月下旬のこと。一流作家のように、ホテルで缶詰……というわけではない。単に自主的に、自分の仕事場で缶詰になっていただけなのだが。とにかく、そうしないと間に合わないような綱渡り的なスケジュールだった、というワケである。

 もちろん夏休みも土日休みもなし。これまで毎週通っていた東京古書会館の古書展も、ついに2カ月だけ自重することに決めた。来る日も来る日も原稿を書き、資料を読んではまた書く……という果てしない繰り返し。回りをみれば、みんな夏休みで旅行へ行ったり、バカンスを楽しんでいるように見える。真夏にこういう状態を続けるのは、さすがにこたえた。

 なんとか9割以上原稿が書けて、月末までには完成する見通しがついた。そうなると疼き出すのが古本の虫である。この2カ月間、他の方々のブログをのぞくたびに、いいなあ、行きたいなあ、とため息ばかりついていた。もちろん、でかけなくても「日本の古本屋」などのネットでは、ずいぶん買ってしまったから、古書に使った金額はゼロではない。しかし、8月はそれさえする余裕がなかった。日記を見ると、6月24日に五反田と神保町と2カ所の古書展をハシゴしたのを最後に、丸2カ月古書展へは行っていない。そこで、編集者に“お許し”を得て、昨日はついに東京古書会館へ行ってきた!

 うれしくて、つい長居をして、8100円分も購入。2カ月も古書展断ちをしてきたのだから、これくらいはいいだろう、と言い訳をしながら……。驚いたことに、会場に入ってすぐの棚で、まだ入手していなかった村井弦斎の小説『川崎大尉』(明治31年)を発見。口絵は欠けているが、もちろん購入した。やはり、“古本の神様”は存在しているらしい。


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2005年08月27日

暑いので伝書鳩の話(17)最近の鳩の本

4cf0d332.jpg 鳩について興味があるという方に、最近出ている鳩の本をご紹介しておこう。鳩といえば、有名なのが慶應義塾大学の渡辺茂教授。5年前、取材でお目にかかったが、興味深い鳩や鳥たちの話が次々に出てきて、実に楽しかった。写真はどちらも渡辺氏の著作で、左は1995年にNHKブックスから出た『ピカソを見わけるハト』、右は2001年に文春新書から出ている『ヒト型脳とハト型脳』。ピカソとモネの絵を見分ける鳩のことは、NHKテレビで取り上げられたりもしたので、ご存知の方もいるだろう。どうして、鳩がキュビスムの絵と印象派の絵を見分けるのか。これは実に面白いのでお勧めしたい。

 ノーベル賞ではなく、そのパロディーの「イグノーベル賞」というのがある。日本では「たまごっち」や「バウリンガル」の開発者が受賞して話題になったが、渡辺氏は1995年に、これを受賞している。受賞理由は「鳩を訓練して、ピカソとモネの絵を区別させることに成功したことに対して」。ちなにみに、もう一つ鳩がらみでこの賞を受賞した人がいる。金沢大学の廣瀬幸雄教授で、2003年に「鳩に嫌われた銅像の化学的研究」で受賞。兼六園内にある日本武尊の銅像に鳩が寄りつかないのをヒントに、鳩よけの合金を開発した、ということだ。


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2005年08月26日

暑いので伝書鳩の話(16)鳩が運んできたもの

a5f76822.jpg 台風が去って、今朝は静かな朝を迎えた。ミンミンゼミが朝から鳴いているが、もう夏も終わりに近い。先日、初めてツクツクホウシの声を耳にした。

 ずるずると伝書鳩の話を書き続けて16回目。いささかウンザリされた方もいらっしゃるだろう。もう少しお付き合いを。一昨日、「山岳鳩」のことを書いたので、それに関連してもう少し書き足しておきたい。山岳地帯での遭難の際に活躍したのが「山岳鳩」だが、海で働いていたのが「海洋鳩」である。千葉県の房総半島周辺では、かつて漁船が出漁する際に伝書鳩を船に乗せていき、その日の漁の出来、船の位置、帰港予定時刻などを書いた通信文をつけて鳩を放していた。もちろん、万一海難事故が起こったときは、鳩で知らせることができる。こうした海洋鳩通信が一時はさかんに行われていたというが、船舶無線通信が普及して、鳩は不要になってしまった。

 このように伝書鳩が働く場面によって、軍用鳩、通信鳩、レース鳩、山岳鳩、海洋鳩などなどさまざまに呼ばれてきたわけだが、「鳩が運んだもの」も一様ではない。想像さえできないようなものを、これまで鳩は運んできているのだ。鳩通信について調べたときに一番驚いたのは、その点だったかもしれない。

 伝書鳩というように、最初は通信文を運ばせていた。鳩の負担を軽くするために、オニオンスキン紙というごく薄い紙に通信文を書いて、それを信書管に入れて鳩の足に装着するのである。紙ではなく、縮小してマイクロフィルムに撮影して運ばせて、届いた先でそれを拡大して判読する、ということも行われていた。

 だが、戦後に日本の報道機関で鳩が活躍していたときに鳩が運んだのは、写真フィルムだった。通信文は電話や電報で送ることができたが、デジタルカメラがなかった時代には、写真をデータで送ることができない。写真を新聞に掲載するためには、どうしても撮影したネガを本社へ運ぶ必要があった。そのときに、人が電車や自動車を使って運ぶよりも鳩の方が速い場合があったのである。現地で新聞カメラマンは撮影したネガを、感光しないように注意深く巻き取り、万年筆の太さほどの細長い通信管に入れる。それを鳩の背中に背負わせて飛ばしたのだ。

 新聞カメラマンの人に取材したときに苦労話を聞いたが、通信管を鳩に装着するにはコツがあって、慣れない人は鳩に「つつかれる」そうだ。しかも、羽を傷つけないように注意して装着しなければならなかった。そうやって、各新聞社が自社の鳩を飛ばしてスクープ合戦をしたわけで、本社では今か今かと窓の外を眺めては鳩の帰還を待っていた――というのがおかしい。

 通信文や写真フィルム以外にも、鳩は意外なものを運んでいた。20世紀初め、ドイツでは軍用鳩に特殊な小型カメラを装着して空中撮影させるということを行っている(写真は拙著『伝書鳩――もうひとつのIT』より)。人間のスパイが潜入できない場所を、空から秘かに撮影させようとしたのである。セルフタイマーつきのカメラで、重さは50gから70gだというが、さすがカメラ王国ドイツである。これは軍事利用だが、平和時の利用として、イギリスでは病院へ輸血用の血液サンプルを運ぶのに伝書鳩が使われていたことがある。救急車やタクシーよりも速く、しかも一度も紛失することがなかったという。

 これに似た話が日本にもあった。なんと「牛の精液」を鳩が運んでいたのである。長野県の山岳地帯の酪農農家が、乳牛の人工授精用の精液を特殊な容器に入れて空中輸送していたのだ。これにはビックリだった。まだ精液の凍結技術がなかった時代、輸送に長時間かかると牛の精子が死滅してしまうことから、鳩を使うことを考えたのだという。調べて見ると、長野だけでなく全国各地で鳩を使った事例が見つかった。だが、これも1960年代になって凍結精液による人工受精が普及したために、鳩は使われなくなった。それにしても、精液を運ぶ鳩――なんて、今なら「トリビアの泉」ものだろう。


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2005年08月25日

暑いので伝書鳩の話(15)『鳩の飼い方』

5e338140.jpg 最近、書店のペットコーナーに行っても、鳩の飼い方について書かれた本はまず置いていない。そうしたら、資料のなかからこのパンフレットが出てきた。社団法人日本鳩レース協会が作成した36ページの小冊子だが、取材にうかがった際にいただいたものだ。目次には、「はじめに/鳩舎の作り方/鳩の選び方/系統について/作出について/飼料について/馴致と訓練/鳩レースのしくみ/レースへの準備/ナチュラル・システムとW・システム」という項目が並んでいて、伝書鳩(レース鳩)の飼い方がコンパクトにわかるようになっている。鳩の飼い方を知りたい人(そんな人はいるだろうか?)は、同協会に問い合わせれば、譲ってもらえるかもしれない。在庫がないかもしれないので、保証の限りではないが。

 このなかで、「ナチュラル・システムとW・システム」というのは、多分、ほとんどの人が初耳だろう。せっかくなので、その項目を引いておこう(ただし、これを知っていても、何かの役に立つというわけではないので、誤解のなきように)。

  「ナチュラル・システムとW・システム」
 レースへ参加するシステムとして、大別してこの二方法があります。賞金レースの盛んなベルギーなどではW・システムが専ら用いられていますが、我国では一部で試用されているのみで、主にナチュラル・システムで飛ばされています。
 ナチュラル・システムとは、字義の通り、自然に飼育したままレースに参加する方式で、一つの鳩舎に雌雄とも飼育し、配合された状態でレースに出場させるので、配合の時期、産卵の調節等に注意をしなければなりません。例えば、雌鳩は産卵前後の一週間はレースに参加するのは不適当です。また雄鳩は余り発情している時は精神的に不安定ですので、注意しなければなりません。抱卵や育雛が鳩に及ぼす影響をよく考え、その鳩に適合した飛ばし方をすることです。
 他方、W・システムは、やもめ方式とも呼ばれる方式で、主に雄鳩を一つの鳩舎に入れ、雌から隔離して飼育し、レース直前に雌に会わせ、雄鳩の愛情や営巣本能を刺激して、帰巣本能を高め、よりスピードを出させる様にする方式です。そのためには種々特殊なテクニックや、特別の鳩舎構造などを要しますので、興味のある方は、鳩専門誌で御研究下さい。

 ここに書かれているように、W・システムは「やもめ方式」とも呼ばれている。早い話が、鳩に“別居結婚”を強いて、長い間会えずにいる妻に会いたいという愛妻家(!)の鳩の感情を利用することでレースに勝とうというのだ。人間とはなんと罪深いことをするのだろう!


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2005年08月24日

暑いので伝書鳩の話(14)『はと通信』

e1fedfe7.jpg 申し訳ないことに、今回の写真はオリジナルの表紙をコピーしたもの。社団法人日本鳩レース協会が所蔵するものを閲覧したときに、コピーさせてもらった。これは、かつて郵政省内に財団法人日本鳩通信協会という組織があった時代に、1958年から1961年まで刊行した機関誌『はと通信』である。鳩の話もそろそろネタが尽きてきたが、伝書鳩について取材していて驚かされたのは、鳩が運んでいた「もの」と、鳩が使われていた場面の多彩さだった。通信文や写真のネガだけでなく、他にもいろいろなものを鳩は運んでいた。その取材のなかで、この機関誌の存在を知ったのだった。

 軍隊で使われていた鳩が「軍用鳩」、新聞社や通信社で使われていた鳩が「通信鳩」、レースで飛ばされる鳩が「レース鳩」というわけだが、平和な時代になってまず「軍用鳩」がお払い箱になった。続いて、新聞社など報道機関でも、機械通信の発達で「通信鳩」が不要になった。一般で飼われている「レース鳩」だけがかろうじて残ったわけだが、もっと広く鳩通信を普及させるにはどうしたらいいか、ということで財団法人日本鳩通信協会という組織が作られ、鳩を活用する方法がいろいろ試されたらしい。「その他の通信鳩」ということになるが、そのなかに「山岳鳩」と呼ばれる人命救助のための鳩がいた。

 『はと通信』の創刊号には、1958年4月20日の逓信記念日に開催されたイベントで、当時の郵政大臣だった田中角栄がスピーチする写真も載っていた。40歳になる直前で非常に若々しい。そして、同誌には、谷川岳につくられた鳩舎で伝書鳩の訓練が行われていることが書かれていた。登山する人々が遭難したときに、伝書鳩で知らせるという試みである。実際に鳩が使われて、遭難した人の命が助かったということも同誌のバックナンバーで確認できた。そうした山で活躍する鳩が「山岳鳩」と呼ばれていたらしい。

 しかし、「山岳鳩」が普及したかと言えば……。残念ながら、谷川岳に登山する人が、鳩を数羽入れたカゴを携行していくということは、滅多になかった。山を登るのに、そんな邪魔なものは誰も持ちたがらない。しかも、皮肉なことに、鳩を携行するほど用心深い人なら遭難することもない。そんなわけで、登山者が鳩を携行する率は1割に満たず、結局、この谷川岳の鳩舎も長続きはしなかった。考えてみると、機械を購入して設置した場合は、毎日メンテナンスする必要はない。しかし、鳩は生き物である。誰かが鳩の世話係としてそこにいて、毎日エサをやり、水を換えて、フンを掃除して、空に放って訓練しなければならない。その人間の人件費が続かなくなった、というのが理由だったらしい。華々しくスタートした谷川岳のプロジェクトも、こうして最後は人知れず撤退したのだった。もし、成功して今でも継続していたら、NHKの「プロジェクトX」ものだったと思うのだが……。



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2005年08月23日

もう1日お休み

 昨日は本当にダウンしてしまいました。こんなに寝たのは何年ぶりだろう、というくらい寝たので、今日はだいぶ元気になりましたが、まだ少しふらふらしているので、もう1日お休みします。


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2005年08月22日

お休み

 今日はブログを書くのを休みます。ダウン寸前。


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2005年08月21日

暑いので伝書鳩の話(13)靖国神社の鳩の慰霊祭

40681647.jpg 今日も朝から暑い。8月もあと10日で終わりである。毎年この時期になると、多くの死者のことを思わずにはいられない。お盆と太平洋戦争の敗戦とが重なっているというのは、実に不思議な符合だ。日本は60年間一度も戦争をせずにきたというが、世界ではその間もずっとあちこちで紛争が続いていた。そのたびに多くの死者が出ている。いったい、いくら殺し続ければ気がすむのだろう。

 鳩は「平和のシンボル」とも言われている。その鳩がかつて軍用鳩として働かされていた、つまり戦争に使われていた、というのは皮肉な話である。昨日のブログに書いたように、靖国神社には「鳩魂塔」という鳩の慰霊碑が立っている。何万羽か何十万羽かその実数はわからないが、たくさんの鳩が軍用鳩として飼育され、戦場で命を失った。靖国神社にはそうした鳩たちの鎮魂の場所でもある。

 そして、8月15日の1カ月後の9月15日には、毎年鳩レース関係者によって鳩の慰霊祭が行われている。写真は5年前にその慰霊祭に参加したときのものだ。上の写真は、白鳩を空に放しているところで、下の写真は神官による慰霊祭の光景である。鳩の慰霊祭、と聞くと馬鹿にする人もいるだろう。でも、いろいろ話を聞いてみると、慰霊祭を行う人々の気持ちもよくわかった。鳩レースをやっている人たちは、今もたくさんの鳩を犠牲にしているらしいのだ。

 非常に矛盾しているのだが、鳩をレースに出すということは、つねに危険と隣り合わせである。もう二度と戻ってこないという可能性もあるわけで、可愛がっている鳩なら、レースになど出さずに大事に飼い続ければいいことになる。それでもレースに出す。最近では、鳩レースの鳩の帰還率が悪くなっていて、携帯電話の電波が鳩の帰巣性に悪い影響を与えているのではないか、という説もあるらしい。何百キロも離れた自分の巣まで戻ってくるのは、あの小さな鳩にとっては実に苛酷なことなのである。

 迷い鳩はどうなるのか。途中でどこか別の鳩舎に紛れ込むということもあるらしい。その場合は、脚環のナンバーで持ち主がわかるので、発見した人が連絡してくれれば、元の飼い主のもとに戻れる。しかし、疲れきっているところをハヤブサなど空のハンターに襲われれば、鳩はひとたまりもない。レースに参加した小さな鳩は、誰にも知られずにあちこちで命を失っている。それでも、競馬の馬とは違って鳩はどんどん繁殖するので、たくさんの鳩を飼っている人はたくさんの鳩をレースに出し、帰還率が悪くてもまた次の鳩を出す、ということをくり返している。これは、愛鳩家にとっては、罪深いことでもある。だから、せめて慰霊祭を行って、人間の都合で命を落としている鳩の霊をなぐさめようというのである。そういう事情を知ると、なんともいえない気持ちになるのだが……。


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2005年08月20日

暑いので伝書鳩の話(12)靖国神社の鳩魂塔

06d07ba4.jpg 相変わらず暑い。そして、ずっと仕事。今月末までに書き上げてしまわなければいけない原稿に追われ続けている。最初は、全部で350枚くらいの予定で書き始めたのに、ここまで300枚書いて、まだあと120枚くらい書かないと終わらなくなってしまった。書いているとどんどん長くなるのは、いつものことだ。昨年上梓した村井弦斎の評伝も、最初は1000枚以上になって、それからリライトして300枚以上削って、新たにまた200枚以上書き足したりしている。だから、内容は大幅に変わっているのに、枚数はそれほど変わらなくなってしまった。最近、厚い本や評伝は敬遠されるし、値段が1500円を超えると「高い」と言われて、読者に買ってもらえないという。時代に逆行してばかりいることに、我ながら呆れてしまう。楽してお金を儲けよう、という人には絶対にノンフィクションライターという職業はお勧めできない。

 5年前に伝書鳩のことを取材したのも、誰も見向きもしないものに興味を持って書く人間が、一人くらいいてもいいだろう、と思ったからだった。本が出せるというあてもなく、ただ自分が調べたくなって調べ、取材をしたにすぎなかった。行く先々で、「いまどき、鳩の本なんか出す出版社があるんですかねえ」と言われたほどだ。愛鳩家たちでさえそう言うのだから、不安は募る一方だった。たしかに、文藝春秋がよく鳩の本を出してくれたものだと思う。

 さて、写真は靖国神社の「鳩魂塔」である。軍用鳩の慰霊碑だ。このところ、なにかと話題の靖国神社だが、あそこに人間ではなく動物の慰霊碑があることをご存知だろうか。国のために戦って亡くなった兵士たちを祀るのが靖国神社だ、とずっと思っていたのだが、実は、戦争に駆り出されて「戦死」した動物たちも一緒に祀られているのである。

 靖国神社に慰霊碑がある動物というのは、馬、犬、そして鳩だ。軍用馬、軍用犬、軍用鳩として戦場で活躍し、敵の銃弾や砲撃などで死んでいった彼らが、靖国神社で人間と一緒に祀られている。馬と犬と鳩という組み合わせは意外に思えるだろうが、戦争に役に立つ動物はこの3つくらいだったことになる。たしかに、猫など戦争に連れていっても、何も役には立たないだろう(猫にとっては幸運なことに!)。ほかにも、いろいろ研究はされてきたようだが、実際に戦争の役に立ったのは馬と犬と鳩だったのである。

 家畜動物のなかで、牛や豚やニワトリは、古くから食用として人間の役に立ってきた。しかし、何かの目的のために訓練して使役する動物ということになると、日本では普通、馬と犬くらいしか思い浮かばないだろう(東南アジアの国々では、象も使役動物なのだろうが)。しかし、馬や犬と違ってほ乳類でもなく、わずか2.4g程度の脳をもつにすぎない鳩が、軍隊や新聞社などで活用され、靖国神社に慰霊碑まで立っている――。この事実を知って、靖国神社で実際にこの鳩魂塔を見たときは、胸がいっぱいになった。


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2005年08月19日

村井弦斎の『食道楽(下)』と『週刊ポスト』連載

cccfedb3.jpg 今日はお知らせが2件。1つは、写真右の村井弦斎の『食道楽』の下巻が、今日発売になりました。上巻の方は1カ月前に発売されたのですが、おかげさまで好評を博して2刷が決定しました! このブログを読んで、上巻を買ってくださった人もいらっしゃると思いますが、本当にありがとうございました。岩波文庫はそれほど初版部数が多くないので、少しでもたくさん書店に出て、いろいろな人の目に触れるようになればいいな、と思っています。

 この下巻の巻末には、上下巻に登場する料理を引ける「料理法索引」がついています。原書にもついているのですが、もちろん、この文庫ではページ数がすべて入れ替わっているので、編集部で改めて作成したものです。この本を料理の実用本として使いたい人は、ぜひこの索引を活用してください(全部の料理の作り方が載っているわけではありませんが)。たとえば、「茄子」でどんな料理が載っているのかを見てみると、茄子の辛子漬、茄子の生醤油漬、茄子の刺身、茄子のソース煮、茄子の鍋田楽、茄子のバター焼き、茄子の百一漬、茄子のフェタス、茄子のフライという具合で、9種類の料理が出てきます。このほかにも、巻末付録には「米料理百種」「パン料理50種」「病人の食物調理法」などもついています。大原満とお登和嬢の恋の行方は……? 百年前の大ベストセラー小説『食道楽(下)』、どうぞお楽しみください! 下巻にも、上巻とは別に解説を書いています。

 さて、もう1つは『週刊ポスト』の「ポスト・ノンフィクション」に4回の連載を書いたのですが、その第1回が今日発売の号に掲載されます。毎回5ページの連載です。テーマは「戦争と新聞」。ちょうど百年前に起きた日露戦争後の日比谷焼き打ち事件を中心にした歴史ノンフィクションですが、調べていくと、意外な話がたくさん出てきて驚きました。百年前の明治の日本と現代の日本とが、なんとなく似ているように感じるのは、その後に起こったことを考えると、ぞっとしてくるのですが……。

 「日比谷焼き打ち事件」という言葉は、多分、歴史の教科書に出てきたので覚えている人が多いことでしょう。百年前の1905年9月5日と6日に、日露講和条約に反対する民衆による大きな暴動が起こりました。しかし、この暴動によって東京市中の交番の約8割が焼き打ちされて焼失し、無警察状態となって、9月6日から11月29日までの約3カ月も東京に戒厳令が施行されていた、という事実を知っている人は少ないのではないでしょうか。講和に反対するということは、戦争の継続を要求するということになりますが、民衆が平和でなく戦争を望んだ、というのはどういうことだったのか、その背後にはどんな動きがあったのか――。限られた紙面ですが、そうしたことを今度の連載のなかに書いています。『週刊ポスト』を見かけたら、手にとってみてください。女性はちょっと、手に取りにくいかもしれませんが。


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2005年08月18日

暑いので伝書鳩の話(11)新聞社で働く通信鳩の悲哀

8e678985.jpg 日本の新聞社や通信社が伝書鳩を使っていたのは、1960年代まで。「通信鳩」とも呼ばれた鳩の鳩舎は、新聞社のビルの屋上にあり、毎朝放たれた鳩の群れがその上空を旋回していたものだそうだ。かつての有楽町には大手新聞社の東京本社ビルが集中していたので、ビルの上空を鳩が大きな輪を描いて飛ぶ姿は、都会の風物詩にもなっていたという。また、鳩を使わなくなってからも、しばらくは鳩舎でそのまま飼っていたらしい。しかし、いよいよ鳩が時代遅れのものとなり、各社とも鳩舎を撤去して、飼っていた鳩は希望者に頒布した。その子孫は「毎日系」とか「読売系」というふうに呼ばれていたそうだが、それも次第に忘れられていった。

 写真は、元の朝日新聞東京本社があった有楽町マリオンの14階にいまもある鳩の銅像だ。雨の日に撮ったので、ぼけてしまったのだが……。彫刻家朝倉響子氏の作で、1962年6月26日に除幕式が行われたということだ。この2羽の通信鳩は、1羽は背中に通信管を背負い、1羽は足に信書管をつけている。新聞社のために離島や僻地から、あるいは嵐のなかを飛んで、貴重な情報をもたらした“小さな通信士”を讃えて立てられたのだった。

 それも今は昔。拙著『伝書鳩――もうひとつのIT』(文春新書)が出たとき、30代の新聞記者の人に、「鳩が写真を運んでいたって話は、神話みたいに聞いていましたが、本当だったのですね」と言われたのを未だに覚えている。新聞社の社員でさえ、もはや伝書鳩の活躍を知らない時代になっているのだ。そのうち、新聞社が鳩を飼っていたなどという話は、本当に神話か伝説になってしまうのではないか。なんとも切ない話だ。

 切ないといえば、新聞社の鳩係だった人から、取材のときに聞いた話が印象深い。鳩係は1羽ずつの鳩の勤務評定というか成績表をつけていたそうで、それを見るとどの鳩がよく働き、どの鳩があまり働いていないかが一目瞭然だったという。新聞記者もスクープを狙って、できるだけ過去に実績のある優秀な鳩を連れていこうとする。道草を食って帰還するまで2、3日かかるような鳩は役に立たないので、次第に出動回数が減っていくのである。

 普通、鳩の寿命は約10年といわれ、長生きすれば20年ということもあるらしい。ところが、新聞社の通信鳩は平均寿命がわずか5、6年。それだけ酷使されるということだろう。しかも、鳩係の人の話では、「よく働いてくれた鳩ほど短命で、鳴かず飛ばずの鳩は長生きした」という。つまり、優秀な鳩は、大変な現場へ連れて行かれ、必死で困難な道のりを帰還しては、また次の現場へ――とどんどん出動回数が増えていき、早く死んでしまう。一方、いわゆる“ダメ鳩”はその間、巣でのんびりすごし、エサを食べているので長生きするというのである。何だかサラリーマンの社会を彷彿とさせられる。過労死か、窓際ですごして楽をするか――。どちらが幸せな人生なのだろうか。


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2005年08月17日

暑いので伝書鳩の話(10)『The World Champions '94 Edition』・その2

18b66117.jpg 昨日の地震は怖かった。しばらく横揺れが続き、スチール製の本棚がゆらゆらと左右に大きく揺れた。またしても、書いている途中の原稿を早く保存しなければ、とパニックになり、揺れているなかでUSBメモリーに保存して持ち出せるようにし、パソコンの電源を切ろうとしたが、船酔いのように気分が悪くなった。テレビをつけると震度4とのこと。ついこの前も震度4だったのに、いったい次はどうなるのだろうか、といささか嫌な予感がする。

 前にも書いたが、1923(大正12)年9月1日に関東大震災が起こったときには、中野の陸軍軍用鳩調査委員会が飼育している伝書鳩2000羽が、各地の被害の状況を調べるのに活躍している。「臨時鳩隊」が編成され、伝書鳩を携えて日光、宇都宮、千葉、横須賀、横浜、藤沢、小田原、清水港など関東周辺の各地へ出張した担当者が、現地の様子を書いて鳩に運ばせたのだ。交通網も通信網もずたずたになっていたので、人間が徒歩で戻るよりもずっと早く、鳩は中野の鳩舎に飛んで帰ってきた。機械通信が復旧したのは9月中旬で、それまで伝書鳩が大活躍したという。その活躍に対して、東京市長(当時は東京府東京市だった)、横浜市長などから感謝状が授与されている。それにしても、このところ地震が続く。これ以上起こらないことを祈りたい。

 写真は、昨日紹介した世界の有名な鳩と鳩舎の写真集のなかのページである。こんな感じでずっと鳩が紹介されている。どの鳩も、名門の血統を誇っているかのように堂々としている(!)。とはいえ、外見はドバトとそんなにかわらないのだが……。こんなふうに書くと、愛鳩家からは絶対に非難されるだろう。たしかに、伝書鳩は毎日のエサも飼い主が工夫を凝らしたものを食べているため、栄養状態がよく、羽の色もつやつやしていてきれいだ。ドバトよりひと回り大きい感じで、とくに両方のつばさがたくましい。何百キロも飛ぶためにはそれだけの飛翔力が必要だが、ドバトはほとんど住み着いている場所から動かないので、長距離を飛ぶことはないらしい。試しに、ドバトを捕まえて、何十キロか離れた場所に連れていって放しても、元の場所にはまず戻れないという。

 それでも、レース鳩がドバトと外見がほとんど同じ、というのは致命的な気がする。「ナーンダ、ドバトと同じじゃない!」と普通の人は片付けてしまうに違いないからだ。まったく違う外見、たとえば羽の色が七色だとかだとしたら、数万羽が同時に飛び立つ鳩レースは、さぞかし美しくて壮観なことだろう。そういう鳩が飛ぶレースだったら、もっと人気が出ているかもしれないのに――。


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2005年08月16日

暑いので伝書鳩の話(9)『The World Champions '94 Edition』(1994)

1b4678b1.jpg 伝書鳩が軍隊で軍用鳩として働いたり、新聞社の通信鳩として働いていた時代は終わった。現在は、趣味の鳩レースに飛ばすために、一部の愛鳩家たちに飼われているだけで、レース鳩と呼ばれている。鳩にとっては幸せな時代になったともいえるだろう。それでも、レースの距離は200kmでも短い方で、500kmとか1000kmレースというのもある。世界でもっとも距離が長いレースは、過去にアメリカで200マイル(3219km)が行われたことがあったというが、これはもうサバイバルレースで、無事に戻ってきた鳩はそれほど多くはなかっただろうと思う。

 鳩レースの場合、途中で迷い鳩になってしまって、自分の鳩舎に戻って来ない鳩もかなりいる。それにしても、未知の場所に連れて行かれて、目印もなにもない大空をひたすら何百キロメートルも飛んで、自分の鳩舎まで戻ってくるというのだから、鳩の帰巣能力には驚嘆するしかない。鳩が飛ぶスピードもかなりのもので、天候や地形に大きく左右されるものの、平均して時速60キロ、レースで優勝するような優秀な鳩になると、時速100キロ以上で飛ぶらしい。風に乗れば時速150キロ以上ということもある。

 鳩レースはゴールがそれぞれの鳩舎で、飛行距離が鳩によって異なるため、分速を比較して順位を出す。競馬などと違って、空には観客もいないので、飼い主がそれぞれ自分の鳩が帰還した時刻を申請するのだ。伝書鳩は脚環をつけて協会に登録しているが、レースのときにはレース用のゴム環をつけて飛ばす。飼い主は自分の鳩が帰還するとそのゴム環を外して、ピジョンタイマーと呼ばれる記録時計に到着時刻を刻む。どの鳩が優勝したのかはあとでわかるのである。そう聞くと、なんだ、つまらない、と思う人もいるかもしれない。しかし、鳩を飼っている人たちは、鳩が遠く離れた場所から自分の鳩舎の方角を見極めて戻ってくる、というところに醍醐味を感じているわけだ。

 鳩は一度飛び立つと、普通は飲まず食わずひたすら飛び続ける。そのため、鳩舎にたどり着くころには疲れきっている。鳩が帰って来た瞬間が、愛鳩家にとっては最高にうれしいときなのだという。とはいえ、鳩にしてみれば、自分のいとしい妻(あるいは夫)と子供がいるわが家へ帰りたい一心で、長い旅路を必死で飛んで帰ってくるわけである。しかも、途中でハヤブサなど空のハンターの餌食になることもあれば、悪天候に巻き込まれてしまうこともある。実に危険が多いレースなのだ。もしかすると、鳩の方ではレースを楽しむどころか、「いい迷惑だ」と思っているかもしれないのだが……。

 写真は、5年前にレース鳩について取材をしていたときにいただいたもの。世界の有名な鳩舎と、そこで飼われている“有名な鳩”の写真集である。競馬に出走するサラブレッドと同じように、鳩レースも血統のスポーツであり、名門の血を引く鳩を訓練してスピードと帰巣能力を磨くことで、レースに勝てるのだという。「鳩王国」として知られているのはベルギーとオランダだ。この写真集には、アメリカ、ベルギー、カナダ、台湾、オランダ、ドイツ、日本、イギリス各国の名門鳩舎と、そこで飼われている鳩の写真が載っている。なかには、1羽で数百万円クラスの鳩もいるが、バブルのころには、なんと1羽2000万円以上で鳩が輸入されたこともあったという。さすがに今はそんな値段がつくことはないらしいが……。鳩レースのことを知らない人にとっては、驚きの1冊であることは間違いない。


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2005年08月15日

暑いので伝書鳩の話(8)『軍用鳩通信術教程草案』(昭和10年)

7d2ef6c9.jpg 8月15日。毎年、この日が来るたびに、自分がもしあの戦争中に生まれていたら――と想像してしまう。60年前の8月15日以来、軍の施設や官庁や軍人の幹部の自邸などでは、書類などを焼却処分する煙が高く立ち上っていたという。もちろん、証拠隠滅のためである。そして、敗戦によって鳩も受難のときを迎えた。軍用鳩も、一部は逃がしたりもしただろうが、なにしろ帰巣性があるので、いくら放してもそれまで飼われていた軍の施設にある鳩舎に戻って来てしまう。そのため、証拠隠滅の一環として、軍用鳩も殺してしまったというのだ。なにも、鳩が好んで戦争のために働いたというわけでもなし、なんということを――という気がするが、敗戦が決まったときというのは、実際には、正常な精神状態でいられるものではなかったに違いない。上司から、証拠をすべて消せ、と命令されれば、それまで大事に育てていた鳩でも殺すしかなかったのだろう。

 新聞社で飼われていた通信鳩も、戦中・戦後の食糧難の時代には悲惨な状態だった。鳩係の人の話によれば、鳩に食べさせるエサの確保には相当苦心したらしい。それも当然だろう。人間だって食べるものがないときに、鳩に食べさせるエサなど、いったいどこで調達できるというのか。豆や穀類など、鳩にエサとしてやるくらいなら、人間が食べたいという時代があったのだ。それどころか、通信管を背負っている鳩が、飢えた人間に猟銃で撃ち落とされてしまう、ということも結構あったようだ。そのため、新聞社で記者たちが首を長くして鳩の帰りを待っていても、鳩はいつになっても帰って来ない。鷹やハヤブサではなく、人間に食べられてしまったのである。

 写真は、私が持っている鳩関係の古書のなかでは、おそらく一番珍しいものだろうと思う。この軍用鳩調査委員会編『軍用鳩通信術教程草案』(昭和10年)は、5年前に鳥海書房さんで見つけて購入したもの。扉と奥付は活字だが、それ以外の本文はすべてガリ版印刷である。あくまで「草案」で、この後に印刷するつもりだったのだろう。とはいえ、そうした印刷された本が国会図書館などには残っていないので、敗戦時に全部焼却されてしまった可能性が高い。

 編者の軍用鳩調査委員会というのは、一昨日のブログで紹介した本の著者が勤めていた軍の施設である。大正8年4月に、中野の陸軍電信隊のなかに設けられ、そこで軍用鳩の養成や訓練が行われていた。いわば、この本は軍用鳩養成のための教科書のようなものだ。非常に専門的な内容で、附録なども充実している。

 ところで、日中戦争では数多くの軍用鳩が活躍していたが、そんな時代の空気を感じさせるものがある。昭和14年に日本伝書鳩協会が「伝書鳩普及標語懸賞」というものを実施していたのだ。

 軍鳩飼って国護れ
 国の為めみんなで殖やせ伝書鳩
 いざ共に飼へよ興亜の伝書鳩

 これが、一等、二等、三等の入選作。当時は「欲しがりません勝つまでは」のたぐいで、こうした標語が山のようにつくられていたようだが、伝書鳩の標語まであったのには驚く。


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2005年08月14日

暑いので伝書鳩の話(7)『鳩』(昭和6年)

e9edd595.jpg はげしい雷雨が2日続いた。万一のことを考えて、パソコンをストップするため、一時原稿執筆を中止せざるを得なくなる。ペースが崩れるとなかなか書き始められない。しかも、深夜まで座り続けているため、今度は腰痛でどうしても書けなくなる。腰痛が原因で、今日はここまで、とパソコンの電源を切ることになる。情けない。それにしても、このパソコン(iMac)はよく働いてくれる。そう思いつつ、もしこれが次の瞬間に壊れたら――と想像して冷や汗が出る。何とか壊れずにずっと働いてください、と祈るような気分だ。

 パソコンなど、ただの機械にすぎないのだから、壊れるときは壊れる。それなのに、こうして頼っている人間が間違っているのだろうが、この便利さに慣れてしまうと頼らずにはいられない。かつて、通信手段が限られていたときに、伝書鳩にそれを託した人たちも、何とか届けてくれ!と祈るような気持ちだったに違いない。ただし、伝書鳩は機械ではないので、もっと頼りがいがないともいえる。

 伝書鳩については、面白いエピソードがたくさん残っている。かつての伝書鳩は新聞社のスクープ合戦を担っていた。取材に駆けつけた各社の新聞記者やカメラマンは、伝書鳩に通信管(写真を入れて背中に背負わせるもの)や信書管(通信文を書いた紙を入れて足に取りつけるもの)を装着して、さあ、本社まで急いで飛んで行ってくれ!と放す。各社の鳩がいっせいに飛び立つなかで、どういうわけか、ある記者が連れてきた鳩だけは、一度は飛び立ったが、すぐに降りてきて近くの木の枝にとまったきり動かない。生き物だけに、その日は鳩にとって、あまり飛びたい気分ではなかったのかもしれない。記者は焦る。木の下で「シッ、シッ」と言ったり、両手を大きく振り回して鳩を飛ばそうとするのだが、鳩はいっこうに動かない。そこで、小石を拾って鳩の方に投げつける。「コラッ、怠けていないで飛べ!」――ようやく、しかたなさそうに飛び立つ鳩。他社の記者たちからは同情のまなざし。

 そんな牧歌的な光景も、いまでは遠い昔の話だ。どこへ行っても携帯電話がつながるようになり、記者もノートパソコンを持参して、その場でインターネットでデータの確認もでき、原稿を書いてすぐに送信できる。デジタルカメラで撮った写真も文書と一緒に送れる。いや、携帯電話のカメラで撮った写真でも充分なほどだ。なんと味気ない世の中になったことか。

 写真は、以前もこのブログで紹介したことがある松本興著『鳩』(昭和6年)。鳩の世界ではよく知られた著者による名著である。これは観賞鳩の写真ページ。鳩には400種以上の品種があって、そのなかには観賞鳩もあれば食用鳩もある。観賞鳩は尾がフリルのようになっているものが多いようだ。この本を見ていると、これが鳩?と思うほど珍しい鳩の写真も載っている。でも、観賞鳩を飼っている人も、最近はあまりいないのではないか。


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2005年08月13日

暑いので伝書鳩の話(6)『伝書鳩の飼い方と訓練法』(昭和42年)

0a302254.jpg 何となく世の中が静かで、お盆休みに入ったのだということを感じさせる。こういうときに、都内のいろいろな施設へ行くとすいていていいのだが、モグラのようにずっと仕事部屋にこもった生活をしていると、それもまったく関係がない。友だちから時折(まだ見捨てずにいてくれる人もいるのだ)遊びにおいでよ、と誘われるのも、申し訳ないことに次々に断っている。なんだか、出家して世俗の交わりを絶ったような気分になってくる。浮世離れしてくるのも仕方がない。

 写真の本も、前回と同様に古書展で見つけて買い求めたもの。著者は駒原邦一郎という人だ。下の写真の紙焼きは、買ったときに本に挟まれていたものだ。この本の元の持ち主が撮ったものらしく、裏には鉛筆でそれぞれ説明も書いてあった。自分の愛鳩の写真らしい。ちょっと子供っぽい筆跡なので、小学校高学年か中学1年生ぐらいだろう。古書を買うと、こんなふうになかから思いがけないものが出てくることがあるのだが、この鳩の写真は、本に挟んであったことに気づかずに売られてしまったのではないか。本人がもし生きていらっしゃるなら、この写真は、子供時代のもっとも大事な思い出の一部だろう、と思うので。

 著者の略歴を見ると、東京中野にあった陸軍軍用鳩調査委員事務所で軍用鳩の研究をしていた人だった。日中戦争中は、満州の陸軍通信育成所で、軍用鳩の繁殖、育成、技術者の養成に当たり、戦後も伝書鳩の研究と指導に活躍したらしい。中野の陸軍軍用鳩調査委員事務所のことなど、取材できたら、きっと面白い話がたくさんあったはずなのだが……。もちろん、ずいぶん前に鬼籍に入られていることだろう。

 ちなみに、この版元は愛隆社といって、巻末には「愛隆社実用叢書」の広告が掲載されている。全81冊のシリーズのなかで、ペット関係の本は『小鳥の飼い方』『伝書鳩の飼い方と訓練法』『鳩の飼い方』『犬の飼い方と訓練法』『犬の飼い方』『熱帯魚の飼い方』の6冊のみだった。しかも、そのうちの2冊がなんと鳩の飼い方の本なのだ! 猫の飼い方の本もなければ、ハムスターだのフェレット(イタチ)だの爬虫類だの……といったものはもちろん出てこない。猫は訓練しないものだし、野良猫だか飼い猫だかわからないような状態で飼われていたから、本を出しても売れないということなのだろうか。昭和42年当時に家庭で飼われていたペットはせいぜい小鳥と伝書鳩と犬、ということなのだろう。


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