2006年02月

2006年02月15日

しばらくお休み

 早いもので、気がつくとこのブログを書き始めて1年半が過ぎていました。その間は2、3日を除いて毎日更新してきましたが、事情があって明日からしばらくお休みします。改めて読み返してみるとほとんど自己満足の世界なので、よくこんなことを毎日ずっと書いてきたものだ、と苦笑せざるをえないのですが……。いつも拙ブログを読んでくださっている方々にはお詫びいたします。3月に入れば再開できると思いますので、またそのときにお目にかかれれば幸いです。
 なお、今日と来週22日の日経新聞夕刊「読書日記」は休載しませんので、機会があればごらんください。22日が連載の最終回です。それでは、皆様どうかお元気で!


hisako9618 at 09:44|PermalinkComments(10)clip!3.身辺雑記 

2006年02月14日

『別冊太陽 日本のこころVII 棟方志功』・その3

e7d9af39.jpg 「鐘渓頌板画巻 龍膽の柵」


hisako9618 at 09:25|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

『別冊太陽 日本のこころVII 棟方志功』・その2

762638b7.jpg 「鐘渓頌板画巻 若栗の柵」


hisako9618 at 09:23|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

『別冊太陽 日本のこころVII 棟方志功』(昭和49年)

f9c0076f.jpg 『太陽』の別冊やさまざまなシリーズを買い始めて、すでに20冊以上たまってしまった。これも棟方志功の作品をたっぷりみることができて、とてもありがたい1冊だった。30年以上前の刊行だが、こうしたものを次々に出していた当時の平凡社は、さすがというほかはない。

 棟方志功のどこがいいのだろう、とむかしは思っていたのだが、最近はそのエネルギーに圧倒されるようになった。いいとか悪いとかを超えて、棟方志功がそこにいる、という感じがする。迸るような力にただ身を任せたい、という気持ちになってしまうのだ。こせこせせずに、あるがままの自分をぶつけていけばいい、というメッセージを感じて、元気が出てくる。この人の作品に、解説などは不要だろう。
     *      *
 わだばゴッホになる     草野心平

 鍛冶屋の息子は。
 相槌の火花を散らしながら。

 わだばゴッホになる。

 裁判所の給仕をやり。
 狢(むじな)の仲間と徒党を組んで。

 わだばゴッホになる。

 とわめいた。

 ゴッホになろうとして上京した貧乏青年はしかし。
 ゴッホにはならずに。
 世界の。
 Munakataになった。

 古稀の彼は。
 つないだ和紙で鉢巻きをし。
 板にすれすれ独眼の。
 そして近視の眼鏡をぎらつかせ。
 彫る。
 棟方志功を彫りつける。


hisako9618 at 08:40|PermalinkComments(4)clip!1.愛しの古本たち 

2006年02月13日

柿山蕃雄編『絵画辞典』・その3

379840d1.jpg 中のページ。これは左がカラーページだが、多くはモノクロページで、線描きのイラスト・カット集になっている。


hisako9618 at 08:08|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

柿山蕃雄編『絵画辞典』・その2

32d91ad8.jpg これは見返しページ。明治らしい雰囲気がよく出ている。


hisako9618 at 08:05|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

柿山蕃雄編『絵画辞典』(明治39年)

ea37dc4a.jpg 最近、こんな本を見つけた。古くて厚い本、しかも「辞典」となると興味を惹かれずにはいられず、手に取ってみると、表紙に金文字で書かれていた文字は残念ながら消えかかっていたが、『絵画辞典』と書かれていた。明治39年なので、ちょうど100年前に刊行されたものである。発行所は郁文舎、編者は柿山蕃雄という人だった。

 最初に少し、絵画についての説明が載っているが、この本はほとんどイラスト・カット集という感じで、自然界から人間から工芸品などにいたるまで、あらゆるものが描かれている。絵を描くときに、これを見て手本にしなさいということなのだろう。しかも、「辞典」というだけあって、索引がついているので非常に便利だ。カラーページもたくさん入っている。600ページを超えるこの本は、見ていて飽きることがない。というのも、当時の風俗がイラストで生き生きと描かれているからだ。

 とくに、さまざまな職業の人物を描いたページには、足袋職、下駄の歯入れ職、浅草海苔製造職、菓子職、船大工、ブリキ職、焼き物師、研ぎ師、髪結い、すだれ職、刷り物師、鍋職、左官職、呉服屋、古着屋、金魚屋、飴売り、魚屋水屋、八百屋、蜜柑屋、新聞配り、荷物配達、鳶の者、下足番、水撒き人足、人力引き、木こり、あわび採りなどたくさんの種類が載っていて、当時の社会の様子をうかがわせる。「水売り」がいたのかとか、「荷物配達」と書かれている人はまるで現代のS川急便の人みたいだとか、見ているとじつに面白い。

 こうした絵の見本帖のようなものは、明治期には他にもいろいろあったようだし、江戸時代にも存在していたようだ。鳥獣戯画や北斎漫画など、日本の“漫画”の系譜というものも想像させる。単純なラインで、動きのあるものを生き生きと捉えて紙面に再現するのは、日本人が古くから得意としてきたことなのだろう。それは、こうした『絵画辞典』を参考に絵を描く練習を積んで、画家たちが磨いていった能力なのかもしれない。どんな天才画家も、最初は基本のデッサンから学んだのだろうから。
 それにしても、この辞典を見ていると、自分でも絵を描きたくなってしまう。最近、そんな余裕はまったくないが……。


hisako9618 at 08:02|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

2006年02月12日

『弦斎全集』(豪華版、昭和3年)・その2

0ae1e2b8.jpg 表紙はこんな感じ。一見しただけでは、中身が滑稽小説の『食道楽』だとはわからないだろう。


hisako9618 at 10:08|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

『弦斎全集』(豪華版、昭和3年)

9fbd5400.jpg 昨日のブログで、北原白秋の全集本の豪華版のことを書いたので、豪華版つながりで、今日は村井弦斎の全集本の豪華版を――。白秋ならわかるが、文壇では大衆作家、通俗作家としてしか評価されてこなかった弦斎の著作に豪華版があるの?と意外に思う人が多いのではないか。ところが、あるのですよ、これが。茶色の革製で、表紙も小さなイラストが1点あるのみでデザインは控えめだが、革の色合いも手触りも感じがいい。

 弦斎が亡くなったのは昭和2年なので、これは没した翌年に刊行されたものだ。発行所は玉井清文堂。『弦斎全集』と銘打っているからには、全部の著作を刊行する予定だったのだろうと思われるのだが、弦斎の代表作『食道楽』の正篇(上下)・続篇(上下)と、のちに増補した資料篇を5冊に収めたところで、刊行が終わってしまった。つまり、この全集は全部で5巻なのだが、写真には4冊しか写っていない。残念ながら、いまのところ第1巻はない。

 じつはこの本、昨年、神保町のある古書店さんからいただいたものだ。あることの謝礼ということで、思いがけず紙包みをいただいて、開けてみるとこの豪華版4冊が!! もちろん、私が村井弦斎の評伝を書いていることを知っていて、プレゼントしてくださったのである。自分が欲しいと思っていた本をいただくのは、本当にうれしいものだ。この場を借りて、あらためて御礼申し上げます。

 村井弦斎の著作はそこそこの数があるので、これまでにかなり買い集めてはきたものの、まだ全部は所有していない(『弦斎全集』の普及版は持っている)。かなり前にネットで検索していたとき、この豪華版が出品されているのを見つけたことがあった。弦斎の遺族から資料の寄贈を受けている神奈川近代文学館にも、この豪華版は所蔵されていない。そのため、『弦斎全集』に豪華版があることすら、その時まで知らなかった。個人の全集で、普及版と豪華版の2種類をつくるのは珍しいことではないので、わずかな部数だけつくられたのだろう。そのときは値段を見て躊躇して、数日後にふたたび検索すると、もう消えていた。誰かがすぐに買ってしまったらしい。そのため、私にとっては見ることができない“幻の豪華版”になっていたのである。

 それが、弦斎の評伝を上梓して何年か経ってから、こうして思いがけず手にすることができたのである。本との出会いは、1冊ずつが特別な思い出になる、としみじみ思う。


hisako9618 at 10:02|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

2006年02月11日

『白秋全集 第六巻 歌集(2)』・その3

b0c86154.jpg 函は汚れていたが、一応ついている。


hisako9618 at 08:42|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

『白秋全集 第六巻 歌集(2)』・その2

41cff122.jpg これは開いたところ。天金が施してある。


hisako9618 at 08:37|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

『白秋全集 第六巻 歌集(2)』(豪華版、昭和9年)

ab3a1ff6.jpg ついこの前、『アルス婦人大講座』のことを書いたら、昨日の古書展でアルス刊『白秋全集』の革製の豪華版を格安で発見! 函はさすがに少々汚れているが、昭和9年発行の初版本である。500ページを超えるずっしりと重い本だ。装幀者は恩地孝四郎。以前、何度かこのブログでも恩地孝四郎の装幀本を紹介したが、そのとき、このアルスから刊行された白秋全集も恩地が装幀していることを知った。その豪華版の写真を見て、もし手に入るなら欲しい、と思っていた。それ以来、古書展で『白秋全集』の普及版の端本は見たが、豪華版の方は見かけたことがなかった。

 それが昨日、あきつ書店さんの棚にこれ1冊だけが並んでいた。函に「豪華版」の文字があるのを見て、本体を取り出すと、何ともいえない深い小豆色というかワインカラーの色合いに、細かい模様の型押し、金箔押しが魅力的である。そして、革製本独得のこの手触り。恐る恐る値段を見ると1800円。目を疑ってすぐに購入を決めた。昨日は一日、この本を買えたことで幸せな気分だった。考えてみると、なんと安上がりなことか! いまどき、高級レストランでは、とても1800円で豪華な食事などできない。だから、古書展通いはやめられないのだ。


hisako9618 at 08:31|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

2006年02月10日

『写真画報』(明治40年8月)

cf6c67c8.jpg 結局、今日も朝から神保町へ。またもや古書展(書窓会)で書籍12冊、雑誌3冊を買ってしまう。書窓会は、エッと驚くような本が100円、200円という値段で並ぶので、通常の1.5倍ぐらいの人が押しかけてくる。今日も会場内は通勤ラッシュ並の混雑だったが、もうすっかり慣れてしまった。押されたら負けずに押し返して、平然としている(それでいいのだろうか……?)。

 今日も何冊か欲しかった本を買うことができたので、満足して帰宅。やるべきことが山積みにもかかわらず、つい買ったばかりの本を1冊ずつ広げて、眺めたり読みふけってしまう。といって、計15冊も買ってきて、短時間で全部を熟読できるはずもない。結局は積ん読状態になってしまうのだ。それでも、やはり本を買ってしまう。すると、積んだ山がさらに高くなる。それでもまた買う。ついに、山が崩れる寸前になる……。

 写真は、昨日のブログに書いたのと同じく、押川春浪が編集長だった『写真画報』(明治40年8月発行)。昨日の号は1500円だったのに、なぜかこの号は800円だった。昨日の方が少し古いのに、状態が良かったからだろうか。表紙画を見ても、昨日の方が数段いいという気はする。この明治40号8月号は、月刊誌の表紙としては少々インパクトに欠ける。この時点では、翌年1月号から『冒険世界』へ切り替えることが、すでに決まっていたと思うのだが、その準備で忙しくて、結果的に手を抜いた(?)ようになってしまったのだろうか。

 口絵写真を見ても、美人の肖像写真がずいぶん多いという気がするし、本文ページの方では、押川春浪が『冒険小説 波間の美人』を連載している。いわゆるグラフ誌としての『写真画報』では、どうも一般受けせず売れ行きも悪いため、内容を変えざるを得なかったのだろう。写真に興味がある私にとっては、写真と結びついてさまざまな情報を伝えていくグラフ誌が、日露戦争後の日本に根づかなかったのは、ちょっと残念な気がするのだが。


hisako9618 at 17:13|PermalinkComments(2)clip!1.愛しの古本たち 

2006年02月09日

『写真画報』(明治39年12月)

45e36a75.jpg このところ、古書展で見かけると条件反射的に買い求めてしまうのがこれ。明治のグラフ誌である。このブログの1月21日にも書いたが、日露戦争のあいだ博文館から刊行されていた『日露戦争写真画報』が、戦争が終わると「日露戦争」の4文字をとって『写真画報』として刊行されるようになる。これは明治39年12月発行の号だ。

 前にも書いたように、『写真画報』の編集長は、冒険小説などで有名な押川春浪である。日露戦争が継続している間、戦争の状況を少しでも知りたいという読者は、戦争を報道する当時のマスコミ――といってもほとんどが新聞。もちろん、当時はテレビもラジオもない――に釘付けになっていた。そのため、新聞も雑誌も部数を急増させる結果になったが、戦争が終わるとその反動で、人々の高揚していた気持ちは一気に落ち込み、戦争雑誌の売れ行きもガクッと落ちてしまう。そこで、各誌は紙面を刷新して、なんとか継続を図るのだが、結果的には、日露戦争期に創刊された戦争雑誌はどれも長続きせずに消えることになった。

 博文館の『日露戦争写真画報』も編集長を押川春浪に換えることで、戦争とは関係ない『写真画報』というグラフ誌の形で継続させようとした。だが、これは2年だけ発行されたのち、『冒険世界』という違うコンセプトの月刊誌に転換する。つまり、この『写真画報』はごく短い期間しか出ていない貴重なものだ。それを先週の古書展でまた発見できたのだから運がいい、と勝手に思うことにした。1冊1500円とそこそこの値段だったが、中身を見ればそれくらいの価値はある。

 巻頭の写真ページが面白い。「東京競馬会の秋季大競馬」「大島修学旅行」(明治大学の主催)「文藝協会の文士演劇」「駒場農科大学運動会」「婦人の武術と美術」など様々だが、ニュース写真的なものと、いわゆる芸術写真的なものとが混在しているのが興味深い。このなかで「大島修学旅行」の写真につけられているキャプションには笑ってしまった。

 明治大学の催しにて、一隻の汽船を雇ひ伊豆大島に修学旅行を試み、本館の天渓荷月両君亦た招かれて其一行に加はりしが、汽船大島に着きて後、海上荒れて一行帰る能はざること一週日、殆んど全島の食物喰尽す処なりしと云ふ

 離島への小旅行が、とんだサバイバル生活になったという次第。明治の頃だけに、連絡手段も非常に限られていただろうし、みな心配したことだろう。集合写真を見ると、ざっと100人以上はいる。ほとんどが制服を着た明治大学の学生たちだ。食べ盛りの男子学生が100人の団体で1週間も島に滞在するとなると、これはちょっと大変である。

 この旅行に参加した神保荷月が本文ページに記事を書いていた。それによれば総勢140人が参加していたらしい。救助を待つ間の様子を、彼は都々逸ふうにこのように表現している。
「酒なく菓子なく煙草なし、金もなくなる舟もなし、する事なければ大あくび、これぞ明治の六無斎」
「無情の船長帰り来ず、望もすべて絶へはてて、止むなく横須賀鎮守府に援助をたのむ鹿島艦」
「明日の救助をあてにして、今宵を島の名残とし、千代屋に開く茶話会に、はれて歌ふや喇叭節」
 いつ船が来るかもわからず、空腹で非常に情けない思いをした一行のことを想像すると、やはりつい笑い出しそうになってしまうのだった。


hisako9618 at 08:09|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

2006年02月08日

『アルス婦人大講座 第九巻 日本料理法・西洋料理法・和洋菓子の作り方』(昭和5年)

6430b2be.jpg アルスが戦前に出していた『婦人大講座』のことは以前から知っていたが、実物は見たことがなかった。シリーズの巻数が多いわりには、古書展などで見ることが意外になかったのだ。『婦人大講座』と銘打っているからには料理の巻があるはずなので、一度見てみたいと思っていたところ、先月の古書展に4冊ほど並んでいて、運よくその1冊が写真の『日本料理法・西洋料理法・和洋菓子の作り方』だったのである。村井弦斎つながりで古い料理本をずいぶん買っているが、さすがにきりがないので、昭和に刊行されたものは見送るようにしていた。でも、これは昭和5年だし、初めて見たのだから……と言い訳をして購入。古書を買うたびに自分で自分に言い訳をするのも、アホではないかという気がするが、これも古書病患者の症状の一つなのだろう。

 アルス(ARS)とはラテン語で芸術を意味し、北原白秋と弟の北原鉄雄が大正4年に創立した阿蘭陀書房がその前身である。私にとっては、月刊誌『CAMERA』をはじめ、写真関係の書籍の版元としてなじみが深い出版社だ。白秋の著作の大半もアルスから出版されている。デザイン的に目を惹く本も多く、この『婦人大講座』も実用書のシリーズとしては意表を衝く装幀だった。マーブル紙を使った表紙と見返しと背の金文字は、当時としてはかなり高級感があったのではないか。

 表紙を開くと、カラーの口絵としてセザンヌ、モネ、アングルなどの名画があり、続いてモノクロの料理の写真が載っている。その後には、多くの料理本同様にさまざまな料理の作り方が説明されている。西洋料理法の「ポタージュ」の章には、ポタージュ・クレール・エ・コンソメ・オルヂネールだの、ポタージュ・クレール・エ・コンソメ・ド・ヴォライユだの、スープ・ド・レコル・プロヴァンサルだの、ポタージュ・エ・スープ・エトランジェだの舌をかみそうな名前が多数ならんでいた。西洋料理を食べる際の「食卓作法」にもかなりのページが割かれている。『婦人大講座』は結構、上流階級の女性を読者ターゲットにしていたようだ。

 はさまれていた月報によれば、この時期のアルスは『婦人大講座』以外にも、『アルス音楽大講座』『アルス美術大講座』『アルス写真大講座』『アルス建築大講座』『アルス電気工学大講座』『アルス機械工学大講座』という6種類のシリーズを刊行中だということなので驚いた。それほど事業が拡大していたのか。しかし、現在アルスは存続していないわけで、出版界の栄枯盛衰の激しさを改めて感じさせられた。


hisako9618 at 08:03|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

2006年02月07日

酔狂散史『大正福引一千題』(大正2年)

c7d7f845.jpg 最近見つけた古書で一番小さいのがこの本。万年筆とくらべるとこの通り。12.4cm×7.2cmしかない。こんなものを買ってどうするのか、と笑われそうだが、タイトルに“福引”と入っている古書が、2000円前後という結構高い値段で何種類か古書展に出ているのを見て、前からちょっと気になっていたのである。これは200円だったので、見つけた!という感じで買ってしまった。ペンネームの「酔狂散史」を見ただけで、内容はだいたい見当がつくだろう。

 福引といえば、歳末に商店街などでやっているガラガラポン、という光景を思い出す。では、この福引とは? 前にこのブログでも紹介した明治43年刊の『現代娯楽全集』で、早速「福引」の項を引いてみた。驚いたことに、9ページにもわたって説明と実例が詳細に掲載されていた。この本はなかなかのものである。普通は、たかが福引、と片づけられてしまうところだが、ここまできちんと丁寧に調べてくれているというのはすごい。
 『現代娯楽全集』によれば、「福引」は次のように説明されている。

 宴会の興を増さしめんが為めに各自に籤(クジ)を引かせて物を分与するものなり。古は年始に二人むかひて餅を引き破るを福引きと言ひしことかい★(土+蓋)襄抄に見えたり。而して此餅の多少に依りて其年の運の吉凶を判じたるものなりと言ふ。

 以下、延々と歴史的な説明が続くのだが、そのへんは省略して、現今(明治43年当時)の福引について書かれている部分――。

 現今行はるゝる福引は一座の興味を助くる為め、其物品をあらはに描かずして、地口めきたる事を籤に書き、之を引きたるものと雖も如何なる物品を得るや判断に苦しみ、彼れか此れかと右眄左顧の其様殊に可笑しく、分配方にては籤の文句と物品との説明が節面白く滑稽交りに述べつゝ物品を付与するなど、確かに一座の興を起さしむる価値あり。

 そのあとに、商店街や新聞雑誌で行われる福引のことも説明されている。こちらは、いまの私たちが福引という言葉からすぐに思い浮かべるものと同じだ。
 この『大正福引一千題』は、前半の説明にある宴会の座興として行われる福引で当たった品と引き替えるクジに書く文句を、一千題並べている。たとえば、こんな具合(左がクジに書かれている言葉で右が賞品)。

 ・一夜妻……如露(女郎)
 ・出雲の忠臣……縄箒と紙(名和伯耆守)
 ・伊藤博文公の暗殺地……饅頭(満州)
 ・ハイカラ演説……コップ(水ばかり飲む)
 ・日露戦争の結果……拍子木(二本がかちかち)

 いやはや、あまりにくだらないので、このへんで止めておこう。なんとこれが千も続くのである。でも、福引の本がたくさん出版されているところを見ると、明治・大正期には結構ブームになっていたのだろう。宴会で酒を飲みながら、こうして一人ずつクジを引いては、大爆笑した光景が目に浮かぶようだ。昔の福引、いまはビンゴゲームか。


hisako9618 at 09:02|PermalinkComments(2)clip!1.愛しの古本たち 

2006年02月06日

黒岩涙香訳『野の花』(縮刷版、大正5年)・その2

be56312c.jpg 見返しは孔雀の絵。この本の装幀をした町田歌三が描いたものらしい。


hisako9618 at 07:42|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

黒岩涙香訳『野の花』(縮刷版、大正5年)

f3051260.jpg 昨日のブログで、小さな本に惹かれると書いたが、その意味では縮刷版なども大好きだ。明治期にベストセラーになった単行本は、大正期にポケットサイズの縮刷版になって刊行され、さらに版を重ねているケースは多い。いまでいうなら、単行本が出てから何年かすると、文庫本になって再登場する、というところか。

 写真は、黒岩涙香訳の『野の花』(扶桑堂)だ。原作はミセス・トマス・ハーディーで、「家庭小説」と書かれている。サイズはいまの新書判だが、500ページを超える厚さである。黒岩涙香はファンが多いのか、伊藤秀雄氏の黒岩涙香に関する研究書も含めて、古書展では結構な値段がついていることが多い。村井弦斎と同時代のジャーナリスト・作家ということで、涙香には以前から興味があるのだが、彼自身の著書はあまり持っていなかった。珍しく、この縮刷本は200円で出ていたので、迷わず入手(安ければ買う、といういつものパターン)。本来は函があるらしい。装幀も気に入った。背にはピンクの撫子の花。表紙には、たぶん蝶をデザインしたマークがあしらわれている。そして、白い帯に細い金箔のライン。町田歌三という人の装幀だという。

 黒岩涙香の場合、原作を翻訳したというよりも、翻案したといったほうがいいのだろう。この『野の花』も、登場人物は「瀬水冽」とか「陶村時之介」とか日本人の名前になっている。やはり、カタカナの名前よりはこういう日本人の名前に換えたほうが、読者はストーリーに入り込みやすかったようだ。イギリスとかインドとか舞台が国際的なので、「ケーン州の瀬水家と云ふは貴族の中でも……」というように少々不思議な感じがするが、それも黒岩涙香なら許されてしまうのだろう。英国の貴族社会の物語が、日本の家族小説として身近に読めてしまう。そこが黒岩涙香の上手さ、ということだと思う。


hisako9618 at 07:38|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

2006年02月05日

夏目漱石『硝子戸の中』・その2

e629ff10.jpg 見返しのこの模様のモダンなこと! ウィリアム・モリスを思わせる。美術史に詳しいわけではないのだが、時期的に見てアール・ヌーボーの影響なのだろう。


hisako9618 at 07:52|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち 

夏目漱石『硝子戸の中』(大正14年39版)

a1da5cc9.jpg ずっと雑誌ばかりが続いたので、このへんで単行本を。前にもこのブログで書いた気がするが、どうも小さなサイズの本に弱い。最近の古書展で、夏目漱石の『硝子戸の中』(岩波書店)を見つけた。この随筆は、大正4年1月から2月まで『朝日新聞』に連載されている。そのため、初版は大正4年3月だが、10年後の大正14年までに実に39版も版を重ねている。函と見返しに破れがあったが、数百円と安かったので購入。というのも、この装幀が気に入ってしまったのだ。とくに、表紙のこの花と鳥の意匠を見た瞬間、買おうと決めた(なんと単純!)。

 しかも、この本は漱石自身の装幀らしい(これと『こころ』のみ)。サイズは、文庫本よりも縦が1.7cmほど長く幅が1cmほど短く、現在の新書よりもひと回り小さい。古い本で装幀が素敵な本は復刻版でしか入手できないことが多いので、やはり買ってしまうことになる。これも、古書を買うための言い訳にすぎないのだが。こうして、またもや古書が増えていく……。


hisako9618 at 07:47|PermalinkComments(0)clip!1.愛しの古本たち