2008年01月24日

『彷書月刊』(2008年2月号、管野すが特集)

f6877f27.jpg 昨日は朝起きると、家々の屋根に雪が白く積もっていた。とにかく寒い季節が苦手で、雪など見ただけで倒れそうになる。体温が夏より0.7度くらい下がり、手足が氷のように冷たい。血圧もかなり低い気がする(普段も上が90くらいだが)。そのため動きが緩慢になって、日中起きていてもぼんやりしているだけで、全然仕事が進まない。ほとんど仮死状態(!)である。

 郵便受けを見ると『彷書月刊』2月号が届いていた。この号の特集は「己れを飾らず偽らず――管野すがのみちくさ」で、私は最初のインタビューの部分と、あとの方で、管野すがの「死出の道艸」について書かせていただいた。早速ページを開いてみると、昨年12月刊行の拙著2冊の紹介と、神奈川近代文学館で開催中の村井弦斎展と、記念講演会の情報まで取り上げていただいていた。田村編集長、どうもありがとうございました。書店に並ぶのは明日(25日)だと思うが、一足先に写真を載せておこう。

 この企画にかかわることになったのも、なんとも不思議なめぐり合わせだった。昨年、『文學界』の連載で幸徳秋水について書いたことから、1911年に大逆事件で処刑された12人のうち、唯一の女性だった管野すがについても少し触れることになった。とはいえ、彼女の生涯について、くわしく知っていたわけではない。むしろ、荒畑寒村が『寒村自伝』などで書いている彼女のイメージのほうが強かった。

 ところが、今度の『彷書月刊』を見ていただければわかるが、管野すがの実像はそれとはかなり違う。彼女は新聞社で活躍した女性ジャーナリストの草分けの一人だった。死の間際に書いた「死出の道艸」などは、いま読んでも心を揺さぶられる。ある意味では、荒畑寒村がつくり上げた“管野すが伝説”が、彼女の死後もずっとひとり歩きしていたといえる。過去の自伝や回想録などを読む場合や、生きている人に話を聞く場合でも、必ずそれ以外の人たちの証言も調べて裏を取らなければならない、ただ盲信してしまってはいけない、と改めて肝に銘じている。

 さらに、なんと管野すがは、国木田独歩が亡くなる1カ月ほど前に、茅ヶ崎のサナトリウムへ見舞いに行って独歩に会っていた!! その事実を知って、私はしばし茫然。すでに国木田独歩の本は出てしまったあと……。もっと早くわかっていたら、と後悔してもあとの祭り。この一件についても書いたので、ぜひ『彷書月刊』をご覧ください。



hisako9618 at 11:51│Comments(4)clip!3.身辺雑記 

この記事へのコメント

1. Posted by かぐら川   2008年01月24日 22:23
 管野すがが、国木田独歩が亡くなる1カ月ほど前に、茅ヶ崎のサナトリウムへ見舞いに行っていた!。ほんとですか。(漱石の手紙に霜川の名を見つけたような気分です。これ、ほんとうなのですが。)二人にどんなつながりがあったのでしょう。『彷書月刊』読みたいですね。が、田舎では入手できません・・・。
2. Posted by Hisako   2008年01月24日 22:53
本当です。管野すがが、はっきりそう書いているので、間違いないと思います。私もその文章を読んだとき、自分の目が信じられませんでした。独歩について書かれた文献にも、管野すがについて書かれた文献にも、そんなことは1行も書かれていませんでした。
お近くの図書館に『管野須賀子全集2』(弘隆社)があれば、そのP235〜238をご覧ください。
3. Posted by かぐら川   2008年01月24日 23:06
 『管野須賀子全集』は、県立にも市立にもないようです。近年の研究書として清水卯之助『管野須賀子の生涯 記者・クリスチャン・革命家』が市立にあり、書名からして独歩と近い線を追っているようなので、読んでみたいと思います。
 明日が、管野すががいのちを断たれた日になりますね。
4. Posted by Hisako   2008年01月25日 00:08
県立図書館に『管野須賀子全集』がないとは、ケシカラン話ですね(笑)。残念なことに、清水卯之助氏の本には、国木田独歩の名前は一度も出てきません。
いまのところ、管野すが自身が書いた文章以外に、彼女と独歩と結ぶ線は見えていないのです。独歩に関する記述が、当時、彼女が勤務していた新聞に載っていないか、と思って調べたのですが、それも残念ながら空振りでした。
1月25日に合わせて「管野すが特集」を出すなんて、『彷書月刊』も心憎い演出をしますね。

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