2009年05月19日
文庫版『音のない記憶――ろうあの写真家 井上孝治』
まだ宣伝するには少々早いのですが、文庫版『音のない記憶――ろうあの写真家 井上孝治』が今週末から書店に並ぶ予定です。でき上がってきた見本を見ながら、この10年の激動の日々を思い出しているところです。というのは、この『音のない記憶』は私にとって文字通りのデビュー作なのです。10年前の1999年10月に、ハードカバーの単行本で文藝春秋から出版されました。重版したものの、数年前に絶版になっていて、現在は古書市場でしか入手できない状態でした。その本が今回、角川文庫(角川ソフィア文庫)から出ることになって、亡くなった子供が生き返ったような気分(!)です。しかも、私にとっては初めての文庫なので、この可愛らしいサイズがとても新鮮に感じられます。
文庫版の解説は大竹昭子さんです。この解説だけでも一読の価値があります。また、本文ページとは紙を替えて、写真ページを2折分、32ページもつけています。井上孝治さんには、『想い出の街』『あの頃』『こどものいた街』という3冊の写真集がありますが、ご存じない人も多いと思うので、ぜひこの文庫で彼の写真を知ってください。フランスのアルル国際写真フェスティバルの招待作家になったとき、アンリ・カルティエ=ブレッソンを思わせると賞讃された写真です。表紙の氷柱をなめる少年の写真は、アルル国際写真フェスティバルでポスターになったものです。これらの写真については――言葉による説明は不要でしょう。見ていただければ、彼の写真がなぜ多くの人々を感動させたのかが、きっとわかっていただけるはずです。
この『音のない記憶』は、アメリカまで自費で取材に行って原稿を書いたものの、持ち込んだ3社の出版社から本にすることを断られて、1年間も日の目を見ずに眠っていました。挫折と絶望にうちのめされていたとき、思いがけず文藝春秋から出せることになり、夢ではないかと思いました。それだけに、この本への思い入れも強いのです。
原稿を書き上げたのは12年くらい前なので、いまから思えばずいぶん若いころの作品です(笑)。しかし、いま書いているものとは違って、亡くなってから間もない人の評伝だったので、周囲の人たちにはかなり取材をしていますし、「足を使って原稿を書く」というノンフィクションの基本に忠実に従って書いています。100人近くの人にコンタクトを取ったはずです。取材費はもちろん印税をはるかに上回り、大赤字でした。正直に言えば、いまだったらとてもここまではできないかもしれない、という気もします。そういう意味では、読み返しながら、苦笑せざるをえませんでした。
10年も経ったのに、ほとんど進歩していないではないか、と叱責する声も感じました。デビュー作がこれまでで一番いいと言われたら、立つ瀬がありません。とはいえ、出版を断られ続けたため、当時は時間だけはたっぷりあり、文章はしつこいほどリライトしています。それくらい手を入れていかないとダメだ、ということなのでしょう。おかしな話ですが、自分でも久しぶりに読み返したので、他人の本を読んでいるような感じで、最後の井上孝治さんがガンで亡くなるあたりでは、泣きそうになってしまいました。
発売は今週末からです。値段は税込み860円。書店の角川文庫の新刊コーナーで『音のない記憶』を見かけたら、写真ページだけでもぜひご覧ください。そして、できれば序章も読んでみてください。この10年間、私が書き続けることができたのは、あの井上さんとの衝撃的な出会いがあったからだ、とつくづく感じています。最後に、この本を書くために協力してくださった大勢の方々に、この場を借りて改めて御礼申し上げます。
この記事へのコメント
1. Posted by jin
2009年05月19日 03:01
hisakoさん、ずいぶんご無沙汰でした。
「音のない記憶」が文庫で、再出版されるというブログを読んで、嬉しくなりました。ますますのご活躍を願っています。
もちろん、週末には、本屋へ走ります。
「音のない記憶」が文庫で、再出版されるというブログを読んで、嬉しくなりました。ますますのご活躍を願っています。
もちろん、週末には、本屋へ走ります。
2. Posted by Hisako
2009年05月19日 10:30
jinさま、「ずいぶんご無沙汰」ということは、もしかして写真家のjinさんでいらっしゃいますか?(もし違っていたらすみません)
『音のない記憶』が文庫になって、過去に引き戻されたような不思議な感覚を味わっています。こうして井上孝治さんの写真を眺めていると、飽きることがありません。もう半世紀以上前の風景なのですね。
『音のない記憶』が文庫になって、過去に引き戻されたような不思議な感覚を味わっています。こうして井上孝治さんの写真を眺めていると、飽きることがありません。もう半世紀以上前の風景なのですね。
3. Posted by
かぐら川
2009年05月19日 23:42
幻の本?が文庫になるとのこと。さっそく、買いに出かけます。「角川ソフィア文庫」という位置もいいですね。楽しみです。
4. Posted by Hisako
2009年05月20日 01:28
かぐら川さま、どうもありがとうございます。ただ、いつものように、東京以外の場所では、書店の店頭に並ぶのが遅れる可能性があります。遅くとも25日(月)までには並ぶだろうと思うのですが……。見つからなくても、どうかがっかりしないでくださいね。
5. Posted by ヨーロッパ象
2009年05月20日 04:40
ブログ愛読しております。
文庫版での再出版何よりです。というよりも、あの本が絶版になっていたことの方がちょっと驚きでした。今の出版界を垣間見た思いです。
本は日本に置いてきてしまったので、直接手には取れませんが、改めていろいろな写真を記憶の底から拾い出しては味わっています。
文庫版での再出版何よりです。というよりも、あの本が絶版になっていたことの方がちょっと驚きでした。今の出版界を垣間見た思いです。
本は日本に置いてきてしまったので、直接手には取れませんが、改めていろいろな写真を記憶の底から拾い出しては味わっています。
6. Posted by Hisako
2009年05月20日 11:47
ヨーロッパ象さま、『音のない記憶』の再出版を祝っていただき、本当にありがとうございます。また、10年前のあの本を読んでいただいたことにも御礼申し上げます。
10年ひと昔といいますが、たしかに時代は大きく変わりますね。10年前には想像もできないことが起こっています。
生きている限り、これからも自分の目で時代を見続け、書き続けていきたいと思っています。
10年ひと昔といいますが、たしかに時代は大きく変わりますね。10年前には想像もできないことが起こっています。
生きている限り、これからも自分の目で時代を見続け、書き続けていきたいと思っています。
7. Posted by おまさ
2009年05月20日 13:03
わたしの黒岩さんのお仕事との出会いは、まさにこの単行本の『音のない記憶』でした。
井上さんのお写真がとてもステキで、黒岩さんが描いた井上さんとそのご家族もまた、ステキでした。
文庫版ももちろん、買って新たな気持ちで読ませていただきたいと思います。
お忙しい日々とは存じますが、どうぞお元気でこれからもよいお仕事を拝見(いや、拝読ですね・・・)させてくださいませ。
井上さんのお写真がとてもステキで、黒岩さんが描いた井上さんとそのご家族もまた、ステキでした。
文庫版ももちろん、買って新たな気持ちで読ませていただきたいと思います。
お忙しい日々とは存じますが、どうぞお元気でこれからもよいお仕事を拝見(いや、拝読ですね・・・)させてくださいませ。
8. Posted by Hisako
2009年05月20日 14:09
おまささま、そうだったのですか! 最初に『音のない記憶』を読んでくださったのですね。
何においても、「初めて」というのはドキドキするものですし、新鮮ですよね。慣れてくると、つい鈍感になりますが。
これからも、「初めて」本が出たときの気持ちを忘れずに、頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。
何においても、「初めて」というのはドキドキするものですし、新鮮ですよね。慣れてくると、つい鈍感になりますが。
これからも、「初めて」本が出たときの気持ちを忘れずに、頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。
9. Posted by 岩橋
2009年05月21日 19:05
文庫化、おめでとうございます。
すぐれた本が書店に並んでいるのは気持ちがいいですから、本の虫を自認する私も、うれしいです。
たくさん売れるといいですね。
すぐれた本が書店に並んでいるのは気持ちがいいですから、本の虫を自認する私も、うれしいです。
たくさん売れるといいですね。
10. Posted by Hisako
2009年05月21日 22:42
岩橋さま、「本の虫」を自認されている方々に読んでいただけることは、本当にうれしいです。
これからも、期待に恥じないものを書いていかなければと思っています。次の本の資料代のためにも、この文庫がたくさん売れて、重版するといいのですけれども……(笑)。
これからも、期待に恥じないものを書いていかなければと思っています。次の本の資料代のためにも、この文庫がたくさん売れて、重版するといいのですけれども……(笑)。
11. Posted by 桜井強
2009年05月25日 20:55
ご無沙汰です。日本聾史学会の桜井です。
東京での大変お世話になりました。
そして、「音のない記憶」贈呈をありがとうございました。まずはお礼まで。
12. Posted by Hisako
2009年05月25日 23:03
桜井さま、お久しぶりです。おかげさまで、無事に本が出てほっとしています。
この本で、井上孝治さんの写真をたくさんの人に知っていただければ、と願っています。ぜひ周囲の方々にもお伝えください!
この本で、井上孝治さんの写真をたくさんの人に知っていただければ、と願っています。ぜひ周囲の方々にもお伝えください!
13. Posted by みなみ
2009年06月10日 08:01
おじゃまいたします。
昨晩『音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治』読了いたしました。
さまざまな考えが頭をよぎりました。同じ風景を目の当たりにしても孝治さんの目には健聴者とはちがうモノが見えていたのではないか。
あそこまでろうあ者の組織作りに奔走させた熱意と、写真に憑かれたそれとは同質のものだったのか。もっと単純に、孝治さんが被写体と対峙しているたたずまいを一目見たかったなあ、などと。
孝治さんの写真の素晴らしさは、選りすぐりのグラビアページでたっぷり伝わってきましたが、黒岩さんの文章はまさしく拮抗(こういう形容が相応しいかどうか?)している感じました。
「長い時間と多額の経費」と無私の熱意のすえになったデビュー作なのに、こちらはわずか数日で読み終えてしまうのは申し訳ない気がしました。
得がたいひとときでした。ありがとうございました。
あっ、忙しいときほど食事はしっかりなさってくださいね。工作舎からの近刊も楽しみにしております。
昨晩『音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治』読了いたしました。
さまざまな考えが頭をよぎりました。同じ風景を目の当たりにしても孝治さんの目には健聴者とはちがうモノが見えていたのではないか。
あそこまでろうあ者の組織作りに奔走させた熱意と、写真に憑かれたそれとは同質のものだったのか。もっと単純に、孝治さんが被写体と対峙しているたたずまいを一目見たかったなあ、などと。
孝治さんの写真の素晴らしさは、選りすぐりのグラビアページでたっぷり伝わってきましたが、黒岩さんの文章はまさしく拮抗(こういう形容が相応しいかどうか?)している感じました。
「長い時間と多額の経費」と無私の熱意のすえになったデビュー作なのに、こちらはわずか数日で読み終えてしまうのは申し訳ない気がしました。
得がたいひとときでした。ありがとうございました。
あっ、忙しいときほど食事はしっかりなさってくださいね。工作舎からの近刊も楽しみにしております。
14. Posted by Hisako
2009年06月10日 09:37
みなみさま、『音のない記憶』を読んでいただき、ありがとうございました。これまでで一番、本になるまで苦労した評伝なので、誉めていただくと、それだけで胸がいっぱいになってしまいます。
文章はすぐに読めてしまいますが、井上さんの写真を、コンパクトな文庫の形にすることができただけで、十分満足しています。近くに置いて、仕事の合間に写真を眺めていますが、そうしていると「無私の熱意」がたしかに伝わる、という希望が持てますね。
あのころに比べて、今の自分は手を抜いてはいないか……と、自分自身に問い直すいい機会にもなりました。これから先、何ができるかわかりませんが、新たな気持ちで、挑戦しつづけていきたいと思います。
文章はすぐに読めてしまいますが、井上さんの写真を、コンパクトな文庫の形にすることができただけで、十分満足しています。近くに置いて、仕事の合間に写真を眺めていますが、そうしていると「無私の熱意」がたしかに伝わる、という希望が持てますね。
あのころに比べて、今の自分は手を抜いてはいないか……と、自分自身に問い直すいい機会にもなりました。これから先、何ができるかわかりませんが、新たな気持ちで、挑戦しつづけていきたいと思います。
