2009年09月15日

大杉栄のお墓参りと大杉栄の甥の橘宗一墓前祭(2)

b5be7acd.jpg (前回の続き)静岡駅から再び新幹線で、今度は名古屋へ向かう。そこから地下鉄で覚王山駅で下車して、参道を歩いて行くと日泰寺が目の前に現れる。「橘宗一墓碑保存会」の世話人の方々が用意してくれたマイクロバスで墓地へ。橘宗一少年の墓碑のところに、小さいテントが張られていた。写真はその橘宗一の墓碑。

 大杉栄と伊藤野枝と大杉栄の妹の子である橘宗一の3人は、関東大震災後の9月16日に憲兵隊に虐殺された。すでに86年が過ぎた現在、その事実を知っている人はどれほどいるのだろうか。何となく聞いたことがある、という程度の人が多いのかもしれない。佐野眞一氏の『甘糟正彦 乱心の曠野』を読んだ人は、あの事件の凄惨さを思い知らされて、暗然としたのではないか。

 当時数えで8歳、満6歳にすぎなかった橘宗一は、大杉栄の妹あやめの長男で一人っ子だった。その子が、たまたま大杉と伊藤野枝と一緒にいたというだけで、大杉の子供と間違えられて、命を奪われたのだ。大杉の子なら殺せ、みんな殺してしまえ、という発想もおぞましいが……。

 橘宗一の父は橘惣三郎といい、あやめと共にアメリカのポートランドに住んでいたときに、宗一は生まれている。そのため、宗一はアメリカの市民権を持っていた。ともかく、大杉と野枝と宗一の3人は、取調べたいことがあるから来てほしい、と憲兵隊に連行され、暴行を受けたあげくに殺されて、憲兵隊内の古井戸に投げ込まれた。遺体が井戸から引き揚げられたのは9月20日だが、3人の持物はすべて焼き捨てられていた。遺体は棺に入れた状態で遺族に引き渡されたものの、棺のなかは石灰で埋められていて、臭気を発していたという。この卑劣なやりかたに、大杉栄の同志たちが憤激したことは言うまでもない。

 だが、あまり知られていないのは、息子を虐殺された父、橘惣三郎の激しい怒りだろう。日泰寺の草むらのなかから、橘宗一の墓碑が発見されたのはまったくの偶然で、1972年8月のことだったそうだ。橘惣三郎は横浜で事業を行っていたが、橘家の本家は名古屋にあるので、日泰寺にあるのは不思議ではないということだが、長年この橘惣三郎がつくった墓碑が知られずにいた理由は、いまだに謎らしい。

 その後、草むらのなかの墓碑をそのままにしておくわけにはいかない、と何人かが奔走して、現在のように整備された。さらに、9月に記念の集会をすることになり、大杉栄の墓がある静岡とも連絡をとって、以前は2日続けて墓前祭が開かれていたという。


hisako9618 at 12:21│Comments(1)clip!3.身辺雑記 

この記事へのコメント

1. Posted by 杉野目 扶   2013年01月31日 17:05
5 現在、中学時代の恩師の依頼で大杉栄の甥,橘宗一の父、橘惣三郎、母「橘あやめ」について調べたく、資料を探しています。糸口を見つけたくお持ちの情報があれば、お手数でも下記メールアドレスあてご連絡頂ければ幸いです。因みに橘あやめの「憶い出だすままに」というエッセイがあるとも聞いています。 <mount.moiwa@kih.biglobe.ne.jp>

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔