昨夜、坂本龍一さんの訃報という衝撃のニュースがとびこんできました。
日中はずっとでかけていて、ニュースを見たのが夜中近く。
大好きだったアルバム「1996」や、地雷問題を扱った「Zero Landmine」などを聴いていたら涙が止まらなくなってしまいました。
ちなみに、最初に坂本龍一の音楽に接したのは、ムツゴロウさんが監督した映画「子猫物語」のサントラでしたが、小学生でほとんど記憶なし。
次がアニメ「オネアミスの翼」のサントラ。こちらはかなり印象的で、のちに図書館のCDコーナーにサントラCDがあったのを見つけて、テープにダビングしました。
映画「ラスト・エンペラー」は高校1年。映画もサントラもかなり夢中になりましたが、実はYMOとはほとんど結びついてなく、彼の全体像に触れたのが、だいぶ先のアルバム「1996」、さらに当時深夜帯でアルバイトしていたお寿司屋さんの板前さんがYMOが大好きで、私がキーボードが弾けると聞いたら喜んでYMOのワールドツアーのヴィデオとテープを持ってきて、これをスタジオで一緒にやろう!と頼まれ、「The End Of Asia」や「コズミック・サーフィン」などを譜面化する中、自分も当時のテクノ音楽にのめり込みました。
そんななかで登場したのがこちらの2冊。
坂本龍一全仕事。
こちらは「シェルタリング・スカイ」までの作曲メモや構想ノート、様々な雑誌などへのインタビューが載った一冊。
坂本龍一音楽史の方はもっとコアで、坂本龍一にとって音楽とはなにかというのを少年時代からのメモや楽想スケッチ、さまざまなインタビューなどでまとめたもの。
浮かんだ楽想をただ紡ぐだけでなく、そこに思想的、思考的な裏付けを用意する、彼の姿勢は、
たとえば山田耕筰の「作るのではなく生む」という考えと逆なのかもしれません。
「作るのではなく生む」は、作曲家はデバイスであり、無の中に存在している「ある音楽」を、その形通りにこの世に登場させる行為と読めます。
坂本龍一は自ら創作をコントロールした、思考する音楽を目指したようにも感じられます。若い時に計算で音楽を作る試みやコンピュータで音楽を作る試みをするために東大にも足を運んだといいます。それでいて、彼の音楽はものすごく自然に響きます。特に後年はメロディーすらもほとんど登場させず、響きの変化だけで豊潤な音楽世界を作り上げました。心の移ろい、空気の変化のような、目に見えないものを音に昇華できたのは彼だけだったのではないでしょうか。「戦場のメリークリスマス」も「energy flow」も素敵な音楽ですが、彼のたどり着いた独自の境地に、もっと皆さんが注目してほしいと思います。
上記の本は私が22〜3ぐらいの、ふらふらしていた時代に購入しましたが、1冊7〜8千円する本をどうやって買ったのかあんまり憶えてない(笑)。あの頃はお金がなくていつもお腹をすかせていましたが、本やCDはわりと迷わずに買ってしまっていたので、そんな感じだったのでしょうね。今は手に入らない幻の本になっているようですね。今でも大切な本です。
坂本龍一さんの本は他にも「時には違法」とか、「友よまた会おう」(村上龍さんとの対談集)、自伝などなどほとんど読みましたが、彼の正確な言葉選びには常に感銘を受け、自分もそうありたいと思ったものでした(全く無理でしたが)。
また、坂本龍一さんは山田耕筰の音楽がとても好きだったそうで、彼の和声感の斬新さについても触れられています。
心よりご冥福をお祈りします。
素敵な音楽を有難うございました。
ピアノ・トリオのアルバム「1996」のマッチングスコア集。
こちらも今は入手困難です。
日中はずっとでかけていて、ニュースを見たのが夜中近く。
大好きだったアルバム「1996」や、地雷問題を扱った「Zero Landmine」などを聴いていたら涙が止まらなくなってしまいました。
ちなみに、最初に坂本龍一の音楽に接したのは、ムツゴロウさんが監督した映画「子猫物語」のサントラでしたが、小学生でほとんど記憶なし。
次がアニメ「オネアミスの翼」のサントラ。こちらはかなり印象的で、のちに図書館のCDコーナーにサントラCDがあったのを見つけて、テープにダビングしました。
映画「ラスト・エンペラー」は高校1年。映画もサントラもかなり夢中になりましたが、実はYMOとはほとんど結びついてなく、彼の全体像に触れたのが、だいぶ先のアルバム「1996」、さらに当時深夜帯でアルバイトしていたお寿司屋さんの板前さんがYMOが大好きで、私がキーボードが弾けると聞いたら喜んでYMOのワールドツアーのヴィデオとテープを持ってきて、これをスタジオで一緒にやろう!と頼まれ、「The End Of Asia」や「コズミック・サーフィン」などを譜面化する中、自分も当時のテクノ音楽にのめり込みました。
そんななかで登場したのがこちらの2冊。
坂本龍一全仕事。
こちらは「シェルタリング・スカイ」までの作曲メモや構想ノート、様々な雑誌などへのインタビューが載った一冊。
坂本龍一音楽史の方はもっとコアで、坂本龍一にとって音楽とはなにかというのを少年時代からのメモや楽想スケッチ、さまざまなインタビューなどでまとめたもの。
浮かんだ楽想をただ紡ぐだけでなく、そこに思想的、思考的な裏付けを用意する、彼の姿勢は、
たとえば山田耕筰の「作るのではなく生む」という考えと逆なのかもしれません。
「作るのではなく生む」は、作曲家はデバイスであり、無の中に存在している「ある音楽」を、その形通りにこの世に登場させる行為と読めます。
坂本龍一は自ら創作をコントロールした、思考する音楽を目指したようにも感じられます。若い時に計算で音楽を作る試みやコンピュータで音楽を作る試みをするために東大にも足を運んだといいます。それでいて、彼の音楽はものすごく自然に響きます。特に後年はメロディーすらもほとんど登場させず、響きの変化だけで豊潤な音楽世界を作り上げました。心の移ろい、空気の変化のような、目に見えないものを音に昇華できたのは彼だけだったのではないでしょうか。「戦場のメリークリスマス」も「energy flow」も素敵な音楽ですが、彼のたどり着いた独自の境地に、もっと皆さんが注目してほしいと思います。
上記の本は私が22〜3ぐらいの、ふらふらしていた時代に購入しましたが、1冊7〜8千円する本をどうやって買ったのかあんまり憶えてない(笑)。あの頃はお金がなくていつもお腹をすかせていましたが、本やCDはわりと迷わずに買ってしまっていたので、そんな感じだったのでしょうね。今は手に入らない幻の本になっているようですね。今でも大切な本です。
坂本龍一さんの本は他にも「時には違法」とか、「友よまた会おう」(村上龍さんとの対談集)、自伝などなどほとんど読みましたが、彼の正確な言葉選びには常に感銘を受け、自分もそうありたいと思ったものでした(全く無理でしたが)。
また、坂本龍一さんは山田耕筰の音楽がとても好きだったそうで、彼の和声感の斬新さについても触れられています。
心よりご冥福をお祈りします。
素敵な音楽を有難うございました。
ピアノ・トリオのアルバム「1996」のマッチングスコア集。
こちらも今は入手困難です。