「AIYANの歌」の諸問題の後は、山田耕筰の代表的歌曲「からたちの花」が持つ問題についてのご報告。
え?この名曲に問題が?

あるんです!

まずこちらを見てください。
春秋社新全集版の「からたちの花」です。

からたちの花(春秋社)


教育芸術社の高校の教科書などもこの版の表記を採用しています。老舗出版社が出版した当時最新校訂による「全集版」ですから権威も抜群です。

続いてこちらが音楽之友社版。
「最新・日本名歌曲選集 山田耕筰歌曲集 I 」によるものです。

からたちの花(音友版)


速度表記が全く違う!!!


春秋社版が4分音=56であるのに対して、音友版は8分音=72〜92。
音友版はつまり音符1つ1つ(言葉1つ1つ)についてのテンポに変更した上で、春秋社版より遅くなってるのです。

春秋社版の表記と同じ表記の楽譜を探してみたところ、全音楽譜出版社のものは全て春秋社版と同一表記でした。
こちらはB5判の「日本名歌110曲集」

からたちの花(全音日本名歌曲集)

こちらは「日本歌曲集1」

からたちの花(全音日本歌曲集)


一方音友版と同じもの以下の通りです。

日本放送出版協会「山田耕筰名歌曲全集1」

からたちの花(日本放送出版協会)


第一法規出版による山田耕筰全集
からたちの花(第一法規)


更に、冒頭の強弱、1小節目からのアーティキュレーションもかなり違いますね。
全体を通して、この両者の版は別の曲みたいに違ってます。
音符自体の違いは1箇所だけなのですが。

なぜこんな違いが出たのでしょう。
春秋社新全集版の校訂報告には版の変遷への記述も見られ、それによればおおまかに3つの版の流れがあったそうです。
第一期が初版→日本独唱曲集→童謡唱歌名歌曲全集という3つの版
第二期が山田耕筰歌曲選集→春秋社旧全集版→山田耕筰名歌曲選

ここまでは戦前の版です。

そして第三期として日本放送出版協会の「山田耕筰名歌曲全集」→第一法規全集版となります。
春秋社新全集版は第二期のものを底本として作成されました。

春秋社新全集版には音友版と全音版の記述はありませんが、音友版は第三期、全音版は第二期の記述を踏襲しています。

さあ、山田耕筰の意志はどちらに反映されているのでしょう??

2006年にクラフトーン・エディションを作成した際に、私は春秋社新全集版の判断を尊重して、春秋社新全集を底本として版下を作成しました。
ところが、最近校訂報告を読み返してみましたが、第二期を底本として採用する根拠がどこにも載っていないのです。管弦楽作品のように古いから作曲者に近いとかいう、無根拠な理由だったとしたら由々しき事態です。
ただ、日本放送出版協会版が出版されたのが1950年。
山田耕筰は前年に左半身麻痺の重病を患っており、この版にどこまで自身の意志を反映できたのかは未知数です。
かといって、では春秋社旧全集版が本人の意向がより反映されていたのかというと、その頃の山田耕筰は「あやめ」の上演でフランスに行っていたり、でほとんど弟子任せだったともいいます。
いろんな版を眺めながら悩んでいましたが、答えはずっとそばにありました。
日本放送出版協会版の「作曲者の言葉」です。

・・・この全集においては過去二十年に渡る演奏経験と、全国に及ぶ音楽大衆の愛唱によって研磨彫琢された貴重な実例などを考慮に入れて、日本的歌唱法の確立を図るとともに、必要と思われる部分には敢然訂正加筆して、底本的完璧を期した。また日本歌曲演奏に緊要な邦語の発音と発声の問題はもとより、ややもすると等閑に附せられがちな演奏速度、及び曲進行の緩急、声の濃淡強弱、旋律描写の法などを説き、更に作者たる私の欲する緻細に記述して、歌唱者の参考に供することとした。

敢えて旧作にも手を加えても自分の歌を正しく歌いやすいように加筆訂正した版。

まさに山田耕筰によるパフォーミング・エディションではないですか!!

そしてこの版を「底本的完璧を期した」版と山田耕筰自身が述べているわけです。
これ以上の言質はないでしょう。

この本に於いては
「日本の歌曲とその基本的な演唱、演奏法について」という6ページにも渡る小論文、さらに各曲の歌い方が実に細かく、作曲者によって記述されています。

「からたちの花」の解説などは1文字1文字について細かくアーティキュレーションを指示する熱の入れようです。

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「日本の歌曲とその基本的な演唱、演奏法について」には「からたちの花」の冒頭の歌い方を、上は西洋的、下は日本的な歌唱法として紹介していますが、ここで掲載されている譜例を見てください。

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強弱は「p」ではなく、「mf」になっていますが、アーティキュレーションのマツバマークはまさに、日本放送出版協会版と同じ!!
さらに楽譜を精査すると、「からたちの花」の歌唱法で書かれている内容とほぼ一致しているのです。

春秋社新全集版の校訂者は、なぜ山田が最終的に残そうとしたものを採用しなかったのでしょう??
原典版、ウア・テキストってなんなのでしょう?
作曲者が残そうとしたものを残せない校訂者ってなんなのでしょう?

ようやく「からたちの花」も山田先生の意図を見つけることができました。僕の勉強不足のために遠回りしてしまいすみません!
クラフトーン・エディションの「からたちの花」をお買い上げ頂いた方で、ご希望の方には無料で最新校訂版をお送りしますので、koscak@craftone.co.jpまでメッセージをお送りください。