2009年08月24日

久生十蘭の仕事部屋から(51)

長らくのご無沙汰、失礼いたしました。昨秋発行の「定本 久生十蘭全集」はすでに第4巻、今年6月発行の岩波文庫「久生十蘭短篇選」は3刷までいっています。「趣味は久生十蘭」を公言している私ですが、読みづらい戸籍の文字とジックリ対面する余裕がなく先送りにしていました。

さて、私が十蘭の出生に興味を持ったのは、年譜に「父親不詳」と書かれていたからです。ひょっとすると私生児か、と勝手に想像していたのですが、十蘭の姉・輝子の長女・栄子さんから「父親は小林善之助です」とうかがい、あっさり“謎”は解けました。

以前にも書いたことですが、十蘭の母・カン(日常的には「鑑」を使った)の実家は廻船問屋でした。番頭頭だったのが小林善之助です。十蘭が生まれた後に離婚したことから「父親不詳」となったようです。久生十蘭こと「阿部正雄」関連の戸籍は、以下のように記述されています。

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hisaojuran at 09:40|PermalinkComments(5)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

2009年03月09日

久生十蘭の仕事部屋から(50)

亜子探偵の仕事ぶりがあまりにも素晴らしいので、呆気に取られたまま長い間、失礼しておりました。お約束どおり入手した戸籍謄本の内容をお伝えします。このブログは研究者の方も読んでくださっているようです。原本を見たい方はご連絡ください。

さて、個人情報保護法が施行されてからというもの、親戚といっても本人の承諾なしに他人の戸籍を調べることは出来ないのですが、「今、私がやらなければ、未来永劫、誰もしることができない」と思い、手を尽くして入手しました。

戸籍謄本はまず十蘭の母「阿部カン」に関するものからご紹介します。
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【戸主:阿部新七】(「除籍」の押印)
本籍:北海道函館市春日町五番地
父:阿部栄吉 母:亡ノブ (二男)
養父:亡阿部五平 養母:亡カネ (養子)
出生:安政元年拾月拾参日

新潟縣北蒲原郡乙村戸主阿部栄吉二男阿部五平仝ノ妻カネト養子縁組届出明治六年弐月壱日受附入籍
明治七年八月拾七日前戸主五平死亡ニ因リ家督相續届出
隠居届出大正八年九月参日受附
函館區春日町五番地戸主阿部光平父分家届出大正八年九月拾日受附
昭和参年壱月四日午前壱時函館市元町三十一番地ニ於テ死亡同居者阿部カン届出仝月拾日受附
昭和参年参月拾弐日阿部カンノ家督相續届出アリタルニヨリ本戸籍ヲ抹消ス
昭和九年参月拾壱日火災罹り滅失ニ付キ昭和拾年八月弐拾日本除籍ヲ再製ス
司法大臣ノ命ニ因り昭和拾年八月弐拾日 本戸籍ヲ再製ス○印

「妻:カシ」
父:亡阿部五平 母:亡カネ(長女)
出生:安政元年参月五日
大正八年九月拾日夫新七分家ニ付キ共ニ入籍
大正拾四年七月拾四日午前五時函館市元町三十一番地ニ於テ死亡戸主阿部新七届出仝日受附

「二女:カン」
父:阿部新七
母:カシ
出生:明治拾参年壱月拾日
函館區寿町五番地戸主阿部氏廢家ノ上戸主阿部新七二女入籍届出大正拾年四月壱日
受附
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この戸籍から分かることは、カンの父・新七は母・カシの実家に養子に入ったこと、娘のカンは父・新七が亡くなった後、家督相続をしていることです。「二女・カン」とありますが、なぜか「長女」の記述はありません。


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hisaojuran at 19:32|PermalinkComments(4)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

2009年01月07日

久生十蘭を探して(18)十蘭母子と杉邨てい(承前)

1929(昭和4)年の渡仏以前に十蘭と杉邨ていが出会っていた様子は今のところなさそうに思えます。今のところとしたのは、このような予想外の展開続きでは何が起きてもおかしくないからです。

時系列で十蘭、阿部鑑と杉邨ていの関係を見てみましょう。

昭和2年 8月    佐伯祐三、妻米子、娘弥智子、杉邨ていを伴って
             シベリヤ鉄道で渡仏
昭和3年 8月16日 佐伯祐三死去
昭和4年 7月20日 帝国劇場で26〜31日まで上演された
             新築地劇団7回公演『北緯五十度以北』の稽古中の
             十蘭(舞台監督)を石川正雄が
             訪問(『海峡71』石川正雄の「惜しい男」より)
  同年 7月22日 石川正雄が再び十蘭を訪ねると舞台稽古中卒倒した
             十蘭は南佐久間町の岩島病院に入院していた
             (『海峡71』石川正雄の「惜しい男」より)
  同年12月10日 久生十蘭、パリの石川正雄の下宿に現れる
             (『海峡71』石川正雄の「惜しい男」より)
  同年 同月12日 モスクワのこの日付の久生十蘭から阿部鑑宛の
             絵葉書が投函される
昭和6年12月13日 阿部鑑、日本郵船「鹿嶋丸」でマルセイユに到着
  同年 同月25日 久生十蘭は女性と約束、そこへ阿部鑑が現れる(十蘭談)
昭和7年 1月10日 阿部鑑、ノートルダム寺院などを見物
  同年 4月22日 パリの新聞「コメディア」に阿部鑑の紹介記事が掲載される
  同年 5月 4日 ジュネーブの谷梅子からキャスタナリー街30番地の
             阿部鑑宛に絵葉書が届く
  同年 同月13日 阿部鑑、杉邨てい、林芙美子が日本郵船「榛名丸」で
             マルセイユを出港
昭和8年 5月    久生十蘭は遅くともこの頃までに帰国
昭和9年 4月    早大大隈講堂で「ハムレット」の演出
             (『海峡71』清水一郎「久生十蘭ノート」)
昭和10年2月23日 「築地座」第27回公演『職業』を演出〜26日
             (『海峡71』清水一郎「久生十蘭ノート」)
   同年11月   築地座第27回公演「秋水嶺」を岸田国士とともに演出
昭和11年 4月    明治大学文芸科講師の辞令を受ける

これが、今手元にあるジグソーパズルの置き場がはっきりしているピースです。十蘭の足掛け四年のフランス滞在にはまだどこに嵌るか分らないピースがいくつかあります。

「彼が神経衰弱の療養に、南フランスのクロード・キャンヌの別荘(と云っても名ばかりで、物置きを改造したような粗末な代物)にゐた頃」は「丁度キャンヌの盛大で華やかな世界一と謂はれるカーニバルを毎晩二人で見物に出かけた」「『海峡71』「久生十蘭を憶う」竹内清)とありますから、これは杉邨ていが帰国した後、十蘭がフランスでの最後の年となった1933(昭和8)年2月と考えて良いでしょう。ニースでの写真もこの時のものだと思われます。

ブルターニュのベルイル島、ノルマンディのエトルタ、ル・アーブル、サントオバンスルメールなど絵葉書や写真が存在証明をした場所は、それが何年のことかは現状では分りませんが、服装の分析をすればかなり詰めることができるのではないでしょうか?


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久生十蘭を探して(17)十蘭母子と杉邨てい

エッフェル塔、上海の料亭で阿部鑑と一緒に写っている若い女性が杉邨ていだと言う前提で考えてみます。

阿部鑑が巴里に入ったのは1931(昭和6)年12月、マルセイユから直接パリに向ったとすれば、12月14日の朝になります。これは十蘭の「ぼくのおふくろは、六十近くになってから、ひとりで、ヒョッコリと、パリへやってきた。それもノエル(クリスマス)に・・・・ぼくのほうには、当然、女の子と約束があったもんだから、なんて、まァ、バカな日にやって来やがったもんだろうと腹をたてた」と言う「ユリイカ 特集久生十蘭 文体のダンディズム」(平成元年6月1日発行)掲載の、渡辺紳一郎との対談とは多少のズレはあるが、「ほら吹き阿部」と呼ばれてもいることですし、対談を面白くするための発言ではないかと思います。

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久生十蘭を探して(16)十蘭と杉邨てい

松も取れる時季になりましたが、明けましておめでとうございます。
年末年始の九連休にじっくり久生十蘭を堪能しようとしましたが、資料の整理にことのほか手間取り、果たせませんでした。資料の整理に時間が掛かったのは昨年暮に判明した十蘭と母・阿部鑑、そして杉邨ていの係わり合いについて確認しなければならないことが山積したからです。

一つ謎が解けるとかすかな道が開けたように感じました。しかし、解けた謎がまた新たな謎を産みます。

高田ハープサロンの高木さんとはあれから何度かメールの交換をさせていただきました。高木さんがお持ちの情報からは「1935(昭和10)年の『日本アルプ協会』の名簿に大阪市港区の住所で「杉邨テイ子」の名前が記載されている」こと、また会合記録の中に「会員杉邨テイ子氏の上京を機として、歓迎茶話会を開催、写真撮影」と言う記事があり会場は東京・銀座の「ラスキン文庫」であること、「第一回アルプ演奏会(昭和12年2月8日)集合写真とプログラム」「日本ハープ協会第二回演奏会(昭和13年11月7日)の集合写真とプログラム」「日本ハープ協会第三回演奏会のプログラム」をお持ちであること、「1941年9月12日の東京交響楽団 第一回演奏会 於日比谷公会堂にハーピストとして名前がある」ことを教えていただきました。

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hisaojuran at 11:03|PermalinkComments(4)TrackBack(0)久生十蘭を探して 

2008年12月03日

久生十蘭を探して(15)証拠写真発見

6234c65d.JPG帰途・上海の料亭:榛名丸一行[1]阿部鑑と林芙美子の関連が浮かび上がったことで局面が開けました。久生十蘭に比べれば大衆性でも知名度でも(残念ながら)遥かに高いから豊富な資料が残っているからです。

元・著作権管理人にこの件を連絡したところ「九月末まで、新宿の林芙美子記念館で、パリ滞在を含む写真展が開催されていた」と教えられました。「それでは、問い合わせをしましょう」と言っていたら、早速、電話をしてくれ、展示終了後、写真は所蔵している「新宿区歴史博物館」に返却したのでそちらに当れと言われ、学芸員の方を紹介していただき十一月二十九日に写真を見せていただける運びになりました。

この日、私はよんどころの無い所用があり、静岡県下田市にいなければ、ならなかったので元・著作権管理人に一人で出向いてもらうことにしました。その際に阿部鑑のアルバムも持参して欲しいと頼んだのですが、これが大当たりでした。
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hisaojuran at 19:29|PermalinkComments(6)TrackBack(0)久生十蘭を探して 

久生十蘭を探して(14)阿部鑑と杉邨てい

毎年のように渡仏していますが、別に十蘭の研究の為に出かけている訳ではありません。単に「フランスかぶれ」であるだけです。今回も特に目的も無く(ある意味では贅沢な話ですが)「巴里で飯でも喰うか」と言う程度の理由です。「ついで」に十蘭関連の手がかりでも見つかれば御の字と言う程度です。しかも、「十字街」の中に出てくる巴里市内の具体的な地名や建物を巡ってみようと思っていながら肝心の「十字街」の文庫本を持ってゆくのを忘れました。

旅立つ前に杉邨ていについて何か手がかりは無いかと事前に調べている時に「高田ハープサロン」と言う楽器店のホームページ内に「日本ハープ物語 その1 演奏家編」と言うコンテンツを見つけました。以前、杉邨ていについて調べた時には見当たらなかったので比較的最近作られたホームページのようです。(ブログも併設されていて最も古いのが二〇〇七年四月なのでその頃開設されたようです)

テキストの中に「杉邨てい」の記述は存在しないのですが、「来日したハーピストではスペインのソランジェ・レニが1937年4月に来日し、「相当な名手」と評され、当時のハーピストにレッスンを授けている写真が現存しています」と言う記述があり、添えられた画像に「ソランジェ・レニ 山崎光子/杉村テイ子」とあります。画像の二人の日本女性のうち右側の女性が「杉邨てい」のようです。一九九二年の北海道新聞に掲載された須田千里さんの寄稿に添えられた写真と同一人物であるかどうかは断言できませんが、まず間違いないと思います。

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久生十蘭を探して(13)キャスタナリー街再訪

P1250829掲載用P1250832掲載用P1250841掲載用            ************************十一月十一日から十八日までパリに滞在しました。相変わらずこの時期のパリは天気が悪く、あまり動き回ることが出来ませんでした。今回は阿部鑑の住所が判明したのでもう一度キャスタナリー街を踏査することと、植物園と思しき場所で特徴的な建物が遠景に写り込んでいる写真がどこで撮られたのかを特定できればと言う課題を持って行きました。

十三日の午後にキャスタナリー街を訪ねました。その前に十蘭の師であった岸田国士が投宿していたファギエール小路(行き止まりの路地)を確認しました。パスツール研究所のそばの長さ十五メートルほどの狭い路地でした。岸田国士がいた十四番地はちょうど路地の突き当たりで、ここ数十年の間に建ったらしい集合住宅がありました。当時の面影のようなものはほとんど残っていません。一棟だけ、二階に擦りガラスの大きな窓があるアトリエのアパートのような建物がありました。当時はこのような建物がたくさん建っていたようです。

ファギエール小路からキャスタナリー街三十番地まではゆっくり歩いて十五分ほど指呼の間でした。前回は番地の表示板をメモするために雑な撮影をしたのですが、今回は三十番地の現況と周辺に残る一九三〇年以前に建てられた建物をじっくり観察しました。前回は気付かなかったのですがキャスタナリー街三十番地は現在では二つに分かれています。一つは前回の三枚ある画像のうちの真ん中の白い集合住宅です。今ひとつはその隣の不自然な空地です。集合住宅の空地側の壁と、空地を囲う鉄柵のそれぞれに三十番地の表示板が貼ってありました。さらに三十二番地も空地になっています。

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2008年11月30日

ちょっと興奮してます

思わせぶりなタイトルで申し訳ありません。

大変な事実が判明し、それをもとにした推理がまたとんでもないことになっています。一眠りして頭を冷やしてから詳しいことを書きたいと思います。


亜子十郎

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2008年10月23日

久生十蘭の仕事部屋から(49)

皆様、長らくのご無沙汰にて失礼をいたしました。さて10月10日、ついに「定本 久生十蘭全集」(全11巻)の第1巻が発刊されました。(詳細は国書刊行会のサイトをご参照ください。http://www.kokusho.co.jp/news/index.html)

私の手元には数日前に届きました。700ページ近い厚さで、小型の百科事典といった感じです。上品なグレーの布張りで、ページを開くと目に優しいクリーム色の紙に二段組。活字の大きさと行間のもバランスもよく、何かとうるさかった十蘭も大満足ではないでしょうか。

小説、エッセー、翻訳等、ほとんどの作品を網羅し、1970年前後に出版された三一書房版の「旧全集」に比べると、約2倍の分量になるそうです。10月6日は十蘭の106回目の誕生日。「新全集」の発刊祝いも併せて、天国では妻と一緒に例年になく盛大に祝杯をあげているのではないかと想像しています。それにしても、歿後半世紀にして、これだけ立派な全集を出してもらえるのは、作家冥利に尽きますね。


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2008年05月12日

久生十蘭の仕事部屋から(48)

43d48a79.jpg随分、間が空いてしまい、ついにネタ切れかと思われた方もいらしゃるかも知れませんね。何だかんだと余裕がなく、失礼しました。まだ、ご紹介していない写真がありますので、またぼちぼちアップしていきます。

これからご紹介していく写真は、フランスから戻ってからのものとなります。この写真は昭和16年9月3日とあります。場所は書いてありませんが、千葉・犬若海岸の海の家ではないかと考えられます。十蘭の隣が、翌年、結婚する幸子。左端は竹内清。幸子の隣の眼鏡をかけた男性は、清の11歳年下の弟・信次です。

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2008年03月09日

久生十蘭の仕事部屋から(47)

先月、十蘭の「従軍日記」原本3冊と「戦闘詳報」「ノート」を函館市に寄付しました。ホコリだらけで本棚の隅に眠っていたノートが、貴重な資料として故郷の函館に受け入れられたことに、深い感慨を覚えます。

十蘭は渡仏前年、演劇を勉強するため岸田國士をたよって上京し、その後、一度も故郷の土を踏むことはありませんでした。その理由を友人の常野知哉が同人誌「海峡」第71号(久生十蘭追悼特輯号、1960年11月発行)「『生社』時代のエピソード」で、こう書いています。

(前略)往年、阿部自身が先輩(注:長谷川海太郎のこと)同様、文名を得て同じく鎌倉の材木座に、立派な邸宅を構えたが、その頃僕は函館新聞に関係して居たので、何とかして、此の有名な久生十蘭事、阿部正雄を、函新主催で、招待し、晴れの錦衣帰郷と言うやつをやらせようとして彼に相談した事があった。喜んで来てくれるだらうと思って返事を待って居たが、返事は意外にも辞退して来た。
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2008年01月06日

久生十蘭の仕事部屋から(46)

766a07e1.JPG遅ればせながら、明けましておめでとうございます。「従軍日記」の出版で一息ついたまま、年を越してしまいました。昨年は『新青年』研究会トークショー「久生十蘭を語る―没後50年・全集刊行に向けて―」の後、江口雄輔さんによる函館市文学館講演会「再読、賛嘆、久生十蘭」」が開催され、そこでもファンの皆様にご挨拶させていただくことができました。それまで作家・十蘭についてそれほどご存知ない方もいらしたようですが、少しは関心を持っていただくキッカケにはなったようです。お忙しい中ご出席くださった皆様にお礼を申し上げます。

さて、いよいよ今年は国書刊行会から「久生十蘭全集」が出版されます。目処は6月とのことですが、江口さんからは「どうなることでしょう」と自信なさそうなご返事。十蘭は作品を発表した後も何度も手を入れているため、「これが定本」と断定することができず、編集担当の先生方には本当にご苦労をおかけしています。

十蘭没後50年が過ぎ、十蘭の著作権保護期間は終了しました。NPO日本文藝著作権センター(三田誠広理事長)から送られてくる「文藝著作権通信」の最新号(第9号:平成19年10月発行)の特集は「保護期間延長に関する諸問題」で、「欧米ではすでに保護期間70年が標準となっている」として、日本が50年としていることに対して強く異議を申し立てています。

とはいえ日本はまだ「著作権50年」ですから、無料でインターネットに公開されている「青空文庫」には早速、十蘭の作品が並んでいます。熱心なファンがこつこつと入力されていたもののようです。著作権継承者としては抵抗がないわけではありませんが、十蘭の小説を面白さを知っていただくキッカケになればと納得しています。興味を持たれたら、次には是非、本物の本でその醍醐味を堪能していただければと思います。

今回は、フランス時代の最後の一枚の写真(1930年=昭和5年撮影)を添付して、皆さんのささやかな“お年玉”とさせていただきます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。(つづく)



hisaojuran at 23:14|PermalinkComments(2)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

2007年10月24日

「トークショーのご報告」と「講演会のご案内」

98e6e7a8.jpg9d1c58b2.jpg著作権管理人です。10月6日のトークショー「久生十蘭を語る」にご参加くださった皆さん、ありがとうございました。何せ半世紀も前に亡くなった作家なので、どれだけの方がいらっしゃるかが心配でしたが、ブログやミクシーを読んだという方も含め、36人と“大盛況”でした。

この日の朝、私は十蘭のお墓に「従軍日記」の見本を持って出版の報告に行きました。十蘭はちょうど50年前の昭和32年(1957年)、10月6日午後1時40分に鎌倉の自宅で息を引き取りました。ちょうど「50回忌」の当日、トークショーに著作権継承者がノコノコ出て行って「コンニチハ」、だけでは芸がなさすぎると思い、十蘭の遺影を持参し、参加者全員に献杯をしていただくことにしました。予算の都合で、「シャンパン」の予定が「発泡ワイン」、「グラス」は「プラスチックコップ」となりましたが、たいへん素晴らしい供養になりました。

「従軍日記」については、親戚から「埃だらけのノートを見つけて、よく本にしてくれたね。僕だったら資源ゴミに出していたことろだった」「十蘭の軍服姿の写真を見るのは初めて」「叔父チャンの乱筆、久しぶりに見ました」などの感想が届き、みな喜んでくれています。

ところで、十蘭の故郷である函館で次のような講演会が開催されます。お近くの方はぜひ、ご参加ください。私も都合をつけてうかがおうと思っています。今回はシャンパンのサービス(?)はちょと無理ですが。

◇タイトル:函館市文学館講演会『再読、賛嘆、久生十蘭』
◇日  時:平成19年10月27日(土)午後2時〜4時
◇会  場:函館市民会館 大会議室
◇講  師:江口雄輔氏

画像は10月6日のトークショーの模様、「久生十蘭 従軍日記」(講談社)

hisaojuran at 20:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)著作権管理人コメント 

2007年10月01日

「従軍日記」発売日変更とトークショーのおしらせ

ブルターニュ、ノルマンディの旅から戻ってまいりました。その後報告は改めて行います。本日は4日に発売予定だった、「従軍日記」の発売日が10日に変更になったことと「久生十蘭を語る〜没後50年・全集刊行に向けて」開催のお知らせをいたします。

発売日の遅れは、内容の正確さを求めるため校正に思った以上の時間が掛かったためだそうです。亜子十郎はこの作業には全く関わっていないため詳細は分かりませんが、ゲラの一部を見せていただいた範囲では相当力の入ったものになっていました。

トークショーは、10月6日17時30分から千代田区神田神保町の専修大学1号館地下1階14教室で開催されます。

『新青年』研究会の浜田雄介さんの司会で、「話題提供」は江口雄介(昭和大学)、川崎賢子(文芸評論家)、沢田安史(SRの会)、礒崎純一(国書刊行会)です。著作権継承者の三ツ谷も私、亜子十郎も参加予定です。お時間のございます方は是非御参加ください。

詳細は
http://d.hatena.ne.jp/sinseinen/

                                亜子十郎 拝



hisaojuran at 07:40|PermalinkComments(2)TrackBack(0)著作権管理人代理コメント 

2007年09月14日

ブルターニュ、ノルマンディ紀行

明日、13日からブルターニュとノルマンディに出かけます。勤めがあるもので、なるべく効率良くと思って、1年前から日程だけを決めていました。ところが、じわじわと高くなるユーロに加え、ラグビーワールドカップがフランスで開催されており、パリのホテルの高いこと…。いつも泊まっているモンマルトルの安宿が一泊3万円近くて目を回しました。

そこで、今回はパリは通過するだけです。十蘭関連ではサントオバンスルメールに一泊するほか、ベルイル島にも行きます。確たる手がかりはないのですが、十蘭の写真を地元の観光協会に送って、場所の特定を依頼しています。

根が貧乏性なので、取材のほかに観光も詰め込んだので自分でも「大丈夫か?」と感じる強行軍になっています。果たして、成果はあがるのか、と言う前に無事に帰国できるのか…。


                                  亜子十郎 拝


hisaojuran at 00:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)久生十蘭を探して 

久生十蘭「従軍日記」が来月4日、講談社から発売!!

愛読者の皆さん、久生十蘭の「従軍日記」が10月4日、講談社から発行されることになりました! 10月6日は十蘭の50回目の命日。この記念すべき時に、このビッグニュースです。ブログを最初から読んでくださっている方なら、“十蘭の仕事部屋”から、存在が知られていなかった「従軍日記」が発見されたことは、すでにご存知のことと思います。

本心を吐露することのなかった十蘭が、従軍記者としてどのような体験をし、また何を思ったのか、それが綴られています。日記の翻刻(解読)は北海道教育大学函館校助教授の小林真二先生にお願いしました。2年前の秋、函館市文学館主催企画展「函館『不良(モダン)文学』は元町育ち—長谷川海太郎、久生十蘭、水谷準」で講演をされた時にお会いしただけですが、無理を承知でお願いしました。

わずか半年余の間に3冊の翻刻を仕上げるという作業は、並大抵のご苦労ではなかったと思います。外国語の単語も頻繁に使われ、おまけにつづりの間違いが多く泣かされたそうです。使われていた外国語はフランス語、インドネシア語、英語、オランダ語、ドイツ語、中国語、イタリア語、スペイン語、ロシア語でした。

「巻頭」は橋本治さんが執筆されています。若い頃に十蘭の全集を読んで大きな影響を受けたと朝日新聞社「一冊の本」で以前、書かれていました。装丁は注目のデザイナー、鈴木成一さんです。

どんな内容なのか、出版まで待ちきれないという皆さんに、“先取り”して最初の部分をご紹介しましょう。(以下は小林先生が翻刻された原文で、出版される「従軍日記」とは表記などが異なっています。)

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hisaojuran at 00:08|PermalinkComments(3)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

2007年08月26日

久生十蘭の仕事部屋から(45)

酷暑の夏、いかがお過ごしでしょうか。さて、フランス時代の十蘭の写真は、前回ご紹介したもので全てです。今回は、当時のエピソードを一つ取り上げます。

函館時代から女性の出入りが多かった十蘭が、フランスに滞在したのは30歳前後。竹内清は、「海峡」第37号(昭和33年1月発行)「阿部の思い出」の中で、で次のように書いています。

(前略)当時、関西のSという二十二三才の女の子が、ハープの勉強をしていた。佐伯という夭折した天才画家の姪という話であつた。此の女とアパート暮しを三年位したので、巴里でも女に不自由しなかつた。

Sが帰国後、独りぼつちになつた阿部は、猛烈なホームシツクにやられ、先輩青山義雄氏(北海道出身の洋画家)の世話で南仏クロード・キヤンヌの別荘、と云つても物置きを手修しした程度の別荘だが、南仏の明るい海岸でフランス最後の年を過ごしたのだが、ひどい時は、よだれをたらすまでの強い神経衰弱に悩まされたそうだ。(後略)


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hisaojuran at 16:05|PermalinkComments(3)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

2007年07月09日

久生十蘭の仕事部屋から(44)

今回は「フランス時代の十蘭 写真特集」です。(説明は全て十蘭本人。)
1930年7月6日これは今僕がゐる ホテルの五5階
1930年7月6日セエヌ河の○麻○上流の中洲でWEB
1930年7月6日セイヌ河の中洲







 屬海譴郎K佑ゐるホテルの五階のバルコン」七・六・一九三〇
▲札┘眠呂硫沈上流の中洲で。 七・六・一九三〇
これもセイヌ河の中洲 七・六・一九三〇

この3枚はいずれも「1930年6月7日」の日付です。,痢嵋佑ゐるホテル」はどこでしょうか。十蘭はこの半年前にパリに来ました。十蘭の宿については、友人の石川正雄が「海峡」に書いています。ブログ(42)で引用しましたが、もう一度、その部分を読んでみます。

何分突然なので、近所に恰好な宿もなく、十日ばかり私の室のダブルベットに三人雑魚寝した。まもなくとなりのホテル―パンション―にいる知り合いで、若い夫婦者の声楽勉強の巽清次郎という人の世話で、そこのホテルの四階かの一室が空いたので、そこへ移った。
石川が書いた「ホテルの四階かの一室」が、「今僕がゐるホテルの五階」なのかも知れません。ホテルでは小さな石油コンロを買ってつましい自炊生活を送っていたようですが、背広姿できちんとネクタイを締めている様子からは、生活の厳しさは感じられません。母親に安心させたいのでしょう。
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hisaojuran at 07:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

2007年06月09日

久生十蘭の仕事部屋から(43)

0d2a0d63.JPG
b61e8d71.JPG一見、版画のように見える絵葉書です。モノクロ写真に着色したものでしょうか。文面を読んでみましょう。

Via Siberia
凾館市會所町十八
阿部 鑑 様
Hakodate
Japon

こゝはオルヌと申す河○○○岸です。
寫眞の左から(○番目の小?)さな漁師の家の二階にゐて○○
(あ?)さから日没迄水あびをしてゐます。
この十日から余ホド劇しい勉強が始まりさうで
充分身体を錬へて置かねはならぬといふので、一生懸命です。
早朝五時から散歩をし夕方はまたこゝの家の舟で沖へ釣りに出かけます。
海岸は相変らず生活が安易で、
いろいろ生きたも(の?)が喰へるのでたのしみです。 將雄 
サントオバン・スュウル・メエルにて

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2007年05月08日

久生十蘭の仕事部屋から(42)

f3729c28.jpg129773b3.jpgすっかり間が空いてしまい、愛読者の皆様には申し訳なく思っています。週末ごとにブログの更新が気にかかっていたのですが、年度末締め切りの仕事の後始末があって、ようやく一息ついたところです。

十蘭の母・阿部鑑のアルバムに貼ってあった十蘭から母親宛ての絵葉書を、前回に続いてご紹介します。この絵葉書には鑑の筆跡で「ウラジオストック停車場」のメモがついています。鑑は渡仏に当たって船を利用したので不思議に思って裏を見てみると、十蘭の筆跡でこう書かれていました。

阿部 鑑 様
凾館市會所町十八

Hakodate
Japan

少しの障害もなくウラジオストツクに着きました。
昨夜は一晩こヽに泊り今日午后六時に
この繪葉書が示すところの停車場から巴里に向けて出発します。
東京を出発する晩には岸田先生夫人が僕のために
「銀座グリル」で送別会をしてくれ、停車場迄送って下さいました。
僕は非常に元氣です。少しもご案じなさることはありません。では、ごきげんよう

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2007年03月14日

久生十蘭の仕事部屋から(41)  ***十蘭がパリで学んでいたこと***

832f6687.JPG30688fce.JPG                                                                                                                       




 アンコールワットのような建物の写真に
Exposition coloniale internationale Paris 1931とあります。
1931年に開催された「パリ国際植民地博覧会」の記念絵葉書です。

阿部鑑の渡仏関連の2冊のアルバムのうちの1冊にあったものです。「昭和六年十月 巴里出発の際門下の送別会」に始まり「社中送別会」「華道師範の送別会」「東京ニ於いての送別会」と続き、「イジプト・ピラミッド見学」「セイロン島見学」・・・。

亜子十郎さんが現在の場所を写真で紹介している「パリ15区キャスタナリー街30番地」にあった「キャスタンヤリー アパートの一室」で、柏に似た大きな葉をモチーフにした派手な模様の壁を背に、椅子に座る和服姿の鑑の写真もあります。

さらに「エッフエル塔」「ポートサイド見学」「上海の料亭 榛名丸一行」「マルセーユ牢獄ニテ」「甲板記念 榛名丸」「ナポリ出港 自写」「帰朝第一の集り」「日本橋白木屋帰朝」「今井楼上にてカンゲイ会」・・・。

間を埋めているのが、観光用絵葉書や「帝國美術院 美術展覽會」「二科美術展覧會」の出品作品の絵葉書。そこに脈絡もなく貼られていたのが、この絵葉書でした。

糊づけされた葉書の隙間から、文字が書かれていることが分かります。破らないようこわごわ剥がしてみると、宛名は「阿部鑑様」。文末には「将雄」「母上様」。十蘭の本名は「正雄」ですが、「母上様」というのですから、十蘭以外は考えられません。

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2007年02月09日

久生十蘭を探して(12)***阿部鑑の幻***

bc651042.JPGece3020a.JPG62ae3be3.JPG











久生十蘭を探して(11)を書いた直後に、著作権管理人から阿部鑑の居住地が分かったと言うメールが届きました。

興奮したのはもちろんですが、何でフランスに行く前にアルバムから絵葉書を剥がしてくれなかったのかなぁ、と言う気持ちもありました。(11)に書いたようにキャスタナリー街まで行って限られた時間でとりあえず全番地の建物を見てきたのですから、30番地と特定できていれば時間の使い方も違っていました。阿部鑑の幻とすれ違ってしまった気分です。とは言え済んだことを悔やんでいる暇があれば先へ進まないと思って気を取り直しています。

問題の30番地の辺りは(11)の写真の場所から7、80メートルほど入った右側の一帯です。あの写真では昔の姿が良く残っていると言う感じですが、キャスタナリー街全域ではかなり再開発が進んでいます。一目で戦後の建物と分る建物の方が多いように感じました。30番地と両隣の画像をアップします。限られた時間で引いた画像をじっくりと押さえてゆく余裕がななかったので、そちらは記憶にとどめて、位置関係を記録するために番地を写し込んだだけのものです。(フランスでは道の一方は偶数、反対側は奇数で番地が付きます)

次回のフランス訪問(予定では2007年9月)ではちゃんと押さえてくるつもりです。次回は「のんしゃらん道中記」の舞台を巡ってノルマンディ辺りで十蘭の足跡を探ってみたいと思っています。

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2007年01月23日

久生十蘭の仕事部屋から(40)***パリの阿部鑑その2***

4f0297b2.bmp8444c422.bmp2冊のアルバムのうち1冊はほとんどが絵葉書です。エッフェル塔やノートルダム寺院などパリの名所が並んだ後に、この絵葉書が貼ってありました。湖に浮かぶ白鳥や背景の雪をかぶった山は、どう見てもフランスではなさそうです。台紙から剥がしてみると、「マダム・アベ」宛ての手紙でした。

台紙が黒いため、糊がついていた部分が黒くなっていますが、文字は鮮明です。宛先の住所はパリ15区キャスタナリー街30番地。十蘭の母・阿部鑑は確かにここに住んいたのです。

消印は「GENEVE 1932 4・」(ジュネーブ 1932年5月4日)。「谷梅子」という人が寿府(ジュネーブ)から出したものです。鑑はこの年の5月13日にマルセイユ発の榛名丸で帰国することになっているので、受け取ったのは出発直前ということになります。達筆で判読がちょっと難しいのですが読んでみましょう。

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2007年01月09日

久生十蘭の仕事部屋から(39)***パリの阿部鑑その1***

おくればせながら皆様、新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

私は、十蘭に会った記憶もなければ、著作も読んだことがない叔父の著作や資料を整理しながら、このブログを書いてきました。いつの間にか“十蘭初心者”が、著作や写真を前にそれなりの説明ができる“ボランティア学芸員”のようになりました。

さて、アルバムに貼られた新聞記事です。1932年(昭和7年)4月22日付フランス・コメディア紙。鑑の筆跡で日本語訳がありました。


魅力ある藝術  パリ藝術新聞 記者 アンドレ・ワルノオ述 
花の藝術家 マダム・アベ(一九三二年四月二十二日 コメデイア紙)

私はマダム・アベにモンパルナッスの花屋アンドレ・ボーマンの地家(ママ)室で逢った。マダム・アベは花が藝術的な表現の一つの手段となり得るといふ事を示すために巴里にこられた日本の婦人である。

日本では花を挿ける事は一つの藝術であって、非常に多くの流派に分れてゐる。フランスの上流の令嬢達がピアノを習ふ様に日本の若い婦人達は各々風尚を以って家庭を花で飾る藝術を学ぶのだ。主人にはそういふ花○我らは何にもまして價値あるものであろう。

マダム・アベは日本に於てその一派を主宰してゐられる人である。見受けるところ、それは何といふ魅力のある將来のある藝術であろう。

私は花屋の地下室の花を撒き散らされた長い卓の前でマダム・アベに逢った。棚の上にはかめや篭や花の壷、手篭などがつまつてゐ、濕つた土と葉と野菜置場のいゝ匂ひがしてゐた。マダム・アベは小さな鋏を持ち、袖の長い黒い衣服に白い線取りした青い前掛をし、毛織物に沓下に草靴(サンダル)を穿いて仕事をしてゐた。

マダム・アベは恰かも詩を作ってゞもゐる様にかめを飾って行った。五本のあらはな長い茎の薔薇、白い二本のリラの小枝、多少の葉○れで全部だ。しかし、バラは茎の上で、この世の最も美しい東邦風の図案畫をそこに描き出してゐた。すべてはこの上もない調和を保ち、○花の前に立つて韻律の整つた詩が○つる喜悦に等しいものを感じさせた。

つゞいてマダム・アベは松の枝を篭に挿した。その一番高い枝は傲然と躍り上るやうに○立ってゐるその下に○つた四つの赤いチウリップは○撥け返るやふな色の例から暗い刺○○松の葉を透し出してゐた。

マダム・アベは偉大な藝術家だ。その人がもう日本に帰られるといふのは実に残念な事である。なぜ、フランスで生花の教授を始めないのであろう。巴里の若い令嬢の中から天分ある人を多く発見するであろうのに。


f569bbcb.JPG19ba48a5.JPG





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hisaojuran at 20:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

2006年12月31日

一年間のご愛読ありがとうございました

今年も押し詰まりました。

このブログを開始してからまだ足かけ二年ですが、今年は十蘭の実像についてさまざまな発見がありました。これまで不詳とされていた父親が特定されたり、十蘭のフランスでの足取り(パリ、ニースでの写真)も分かりました。(まだ未発表ですが、フランス国内数箇所での写真と日時が特定できる文書類が見つかりました)

ジグソーパズルのピースは確実に数が増えているのですが、それらがどう繋がるのかはこれからの課題です。

先日、江口雄輔さん、川崎賢子さんと北海道教育大学の小林真二さんに著作権継承者と亜子十郎を加えて「久生十蘭・忘年会」を開きました。真面目な話からくだけた話まで長時間にわたって盛り上がりました。

くだけた話のほうではいずれ、読者の皆様もお招きして、さまざまな顔を持つ久生十蘭に多方面から光を当てる「十蘭十夜」とでもいったイベントができればなどという話も出ました。まだ、ジャストアイディアの段階ではありますが、実現できれば楽しい催しになるだろうと思います。

年末年始の慌しい中、私はひたすら十蘭の作品を読もうと思っています。

どうぞ、みなさまには良いお年をお迎えくださりますよう、お祈り申し上げております。



                                            亜子十郎 拝


hisaojuran at 16:22|PermalinkComments(2)TrackBack(0)著作権管理人代理コメント 

久生十蘭の仕事部屋から(38)***十蘭の母の渡欧で新事実***

90cd7e2d.JPGラクダに乗る十蘭の母、鑑(後列右から2番目)です。75年以上も前に、着物姿でラクダに乗った日本女性というのも、あまりいないのではないでしょうか。「イジプト・ピラミット見学」とあります。裏には次のような名前が並んでいます。人数と人名の数が合わないので、残念ながら人物の特定はできません。

(後列)一星夫人、森口氏、高橋氏
(前列)案内者、水谷氏、森原氏、石川氏、一星氏

鑑のアルバムは、私には順番の意味が理解できず、往復の経路も年月日も不明です。それでも、場所のわかる2枚の絵葉書に日付のメモがあるので、これでヒントになるかも知れません。

◇CENTRAL HABOUR HOGKONG の文字入り絵葉書
  昭和六年十一月十三日 鹿嶋丸寄港 曇天、暑く衿まで汗する

◇MARSEILLEの絵葉書(多数)
  七、五、十三

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hisaojuran at 16:04|PermalinkComments(1)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

2006年12月13日

久生十蘭の仕事部屋から(37)

4fa217a6.JPG栄子さんによれば、鑑は離婚した後、函館高等女学校でお茶とお花を教えていたそうです。しかし、それだけでフランスへの渡航費を捻出するのは難しいのではないでしょうか。
「一人娘だったので、親から継いだ財産を処分して出かけたようです」

それなら納得できます。昭和3年1月4日、父・真七が他界しています。母・カシは大正14年にすでに亡くなっており、鑑1人が相続人です。廻船問屋ということであれば、それなりの財産があったと考えられます。公表されている十蘭の年譜によれば、昭和5年か6年に渡仏したとありますので、年代も合います。

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hisaojuran at 23:47|PermalinkComments(2)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

2006年11月30日

久生十蘭を探して(11)***キャスタナリー街***

1618cc39.jpg8c7a615b.jpgさて、阿部鑑のアルバムからいくつかの写真を複写してパリに向いました。
昨年も同じ時期にパリに行ったのですが、この時は手掛かりが少なすぎて成果は全くありませんでした。

今回、持参したのはビルのバルコニーでポーズを取る十蘭、「セイヌ上流の中洲で」と書き込みがある橋を背景にした水辺の十蘭、植物園のような場所に和服で立つ阿部鑑、「パリ・キヤスタンヤリー入り口」と書き込みがある絵葉書などです。

十蘭の取材だけで渡仏したわけではないので、十分な時間をかけることはできませんでしたが、多少の収穫はありました。
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hisaojuran at 22:41|PermalinkComments(4)TrackBack(0)久生十蘭を探して 

久生十蘭を探して(10)***青山高樹町三番地***

60ff60e4.gifなんと一年も書き込みを休んでしまいました。とは言え十蘭の探索は休んでいません。

著作権継承者はさらっと流していますが、十蘭の姪の栄子さんにお目にかかった折に

「借家でお隣は岡本さんです。回覧版をよく届けにいきました」
と言うお言葉に
「えっ、岡本さんって、岡本一平ですか。岡本太郎一家ということですか」
と即座に岡本一平に結び付けて反応が出来たのには理由があります。

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2006年11月19日

久生十蘭の仕事部屋から(36)***十蘭の父親判明!***

今年1月13日のブログに、十蘭の母・鑑や祖父母などの名前を記した「相関図」をご紹介しました。函館は過去に何度も大火に遭っているため、系図を正確に辿るのは難しい状況です。十蘭の出生について、公表されている年譜にはこう書かれています。

江口雄輔著:久生十蘭(白水社)
*1902年(明治35年) 
4月6日、函館市(当時は函館区)元町に生まれる。本名阿部正雄。父(不詳)、母(鑑)の長男。3歳年上の姉輝子があった。
*1904年(明治37年)2歳 
この頃より廻船業を営む祖父(伯父説もあり)、阿部新之助に養育されたといわれる。

中島河太郎篇:久生十蘭集(東京創元社)
*明治35年(1902年)
4月6日、北海道函館市に生まれた。本名、阿部正雄。父に2歳の時に死なれ、海運業を営む伯父、阿部新之助に育てられた。


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2006年11月09日

久生十蘭の仕事部屋から(35)

479cc650.JPG十蘭の姉・輝子の長女、栄子さんは上品な語り口で写真の人物について説明を始めました。「確か昭和15年か16年の頃です。叔父(十蘭)と祖母(鑑)が住んでいた青山高樹町の家に、家族で遊びにいった時の写真ですね。近所の写真屋さんを呼んで撮ったものです」

十蘭を中心に、向かって左が栄子さん、後ろが鑑です。その左には栄子さんの母・輝子と父・昇平も写っています。後ろにある本棚はまだ鎌倉の家にありますが、相当ガタがきていて半分、崩れています。

栄子さんは青山のこの家によく泊まりにいったそうです。
「借家でお隣は岡本さんです。回覧版をよく届けにいきました」
「えっ、岡本さんって、岡本一平ですか。岡本太郎一家ということですか」
「ええ、叔父はよく“太郎のバカ息子”などといっていましたよ」

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2006年10月23日

久生十蘭の仕事部屋から(34)

長期にわたる中断、申し訳ありません。エンジンをかけなおして頑張ります。

さて、鎌倉の家にあった山のような資料の中に、気になる「手紙」がありました。差出人は十蘭の姉・輝子の長男と長女です。江口先生に整理していただいたリストには、このような内容であると記されています。

先般母テル永眠の際は、御懇篤なるご弔辞をいただき・・・厚くお礼申し上げます。・・・平成三年二月二十二日

十蘭の死後も、妻・幸子は義姉一家と交流があったようです。ブログ(17)でご紹介した「相続関係図」では省略しましたが、姉「テル」には二男二女があることが書かれています。
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2006年08月29日

久生十蘭の仕事部屋から(33)

小説と演劇の日々だったように思える十蘭ですが、友人達と遊びにいくこともありました。「昭和12年 蔵王」とメモのついた写真がありましたのでご紹介します。男女4人で出かけたようですが、友人達が誰なのか、全くわかりません。
6ee824b2.JPGb2e16de9.JPG
そういえば、山がテーマの短編を書いていますね。「一の倉沢」というタイトルで、「久生十蘭全集第2巻」に収録されています。また、「日本の名山4 谷川岳」(1963:博品社)にも冒頭に取り上げられています。
(紀伊国屋のサイトにありましたので、ご参考まで。http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9970734806) (つづく)


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2006年08月08日

久生十蘭の仕事部屋から(32)

988d2416.JPG前回ご紹介した十蘭の劇団名「冬青座」は、「まさきざ」と読みます。叔母が書いた写真の説明にはルビが振ってありましたので、付け加えさせていただきます。広辞苑ほかいくつかの辞書を引いてみたのですが、「まさき」という読み方は見当たりませんね。

ところで今回の集合写真には、何の説明も書いてありません。何の写真かも分からなかったのですが、並んでいる人たちの顔をジックリ見ていたら、前回の黒磯町の集合写真と同一人物を4人ほど見つけました。背景の建物は、左側が玄関で公民館のような公共施設のように見えます。

年譜によると、昭和16年当時、十蘭は「劇団冬青座を主宰し、地方のアマチュア演劇の指導や、農村の慰問に各地をまわる」とあります。冬青座の団員と一緒にどこかに慰問にいった時の写真かもしれません。(つづく)


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2006年07月31日

久生十蘭の仕事部屋から(31)

ceef5d88.JPG47c00315.JPGつづけて演劇関連の写真を2枚ご紹介します。左の写真は、十蘭がタバコをくわえながら講義をしています。向かって右手、梁から下がっている紙に書かれている文字は、次のように読めます。

一 素人演劇運動の理念○
   その○○○○○
       ○北四朗氏
二 実技指導
  「村の飛行士」
       阿部正雄氏
       冬青座一同

左手の黒板には、このような文字が並んでいます。

第一日
 一 國民演劇について
 二 演劇○○
   ○○ ○優 ○○ 照明
 三 演劇の作り方
  a) 脚本決定から○○迄
  b) 稽古開始から公演まで
 四 演出
  a)脚本の整理
  b)演出の大○
 五 演出の実際
  主題「村の飛行士」
  1)顔合わせ
  2)本讀み
  3)讀合せ
  4)立稽古
 六 配役

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2006年07月24日

久生十蘭の仕事部屋から(30)

サッカーのワールドカップにかまけて、更新が遅くなりました。この間、十蘭ファンのイラストレーターYOUCHANさんの個展にもいってきました。

「キャラコさん」を題材に、本の表紙を想定した絵で、かわいらしいキャラコさんが描かれています。清原啓子さんの細密画のようなエッチングとは全く趣を異にした作品ですが、現代の女性にこうして取り上げられる小説を書いた十蘭は、とても幸せだと思います。次のサイトで、現代の(?)キャラコさんに会うことができます。
http://www.youchan.com/blogs/archives/2006/06/calico_tenji.html

さて、十蘭は昭和8年(1933年)に、足掛け4年滞在したフランスから帰国し、新築地劇団演出部に所属して、演劇に情熱を燃やすことになります。今回は演劇指導に関連する写真を2枚、ご紹介します。
ddb9ebd3.JPG5eabf295.JPG
上段の写真は、本読みをしているところのようです。場所や日時は不明ですが、舞台づくりの様子がうかがえます。

10月5日〜25日に開催された「築地小劇場改築竣成記念大公演 ハムレット」では、十蘭こと阿部正雄は舞台監督を担当しています。プログラムにはこうあります。
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2006年06月07日

久生十蘭の仕事部屋から(29)

058a6463.JPG今回の写真の撮影場所や年月は不明ですが、フランスのようです。若い頃の十蘭は女性に非常にもてたそうなので、ハンサムぶりがわかる1枚を選んでみました。

さて、十蘭のフランス時代のエピソードとして触れたいのが、母・鑑についてです。江口先生の年譜にはこう書かれています。

一九三〇年かその翌年に、彼の母親もパリを訪れ、約一年間滞在した。
「海峡」の同人であった石川正雄(石川啄木の女婿)が、十蘭の四周忌の特集(昭和35年第71号)で、母の渡仏について触れています。

(前略)阿部がパリの私達をおどろかしたのは、その年(昭和4年)の十二月十日だった。
 東京で巴里の話をした時、欧州行貨物船でマルセーユまでデッキパッセンジャーになっていくと、ひどく安く行けるなどといっていたが、私達同様シベリヤ経由だった。(中略)

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2006年05月21日

久生十蘭の仕事部屋から(28)

前のブログからかなり間が空いてしまいました。朝日新聞5月11日付夕刊記事「久生十蘭とブログ」を読んで、このブログにアクセスしてくださった読者もいらっしゃるようですね。コメントを残していただきありがとうございます。

これまで私は性別不明、年齢不詳ということでブログを書いてきました。記事を読んで名前も性別も年齢も分かって、「な〜んだ」とがっかりされた方もいらっしゃるようです。

ここで重要なのは私の正体ではなく、このブログを通じて、十蘭のファンにより多くの情報をお伝えすることだと思っています。これに懲りずに(?)、今後ともよろしくお願いいたします。また、内容の誤りや誤字など気付かれたことがございましたら、これまでどおりご指摘いただければ幸いです。

朝日の記事で全集の刊行を知られた方も多いようです。出版は著作権が切れる来年12月末日以降になります。楽しみにしてくださっている読者のために、私が聞いている範囲の内容をお伝えします。

基本的には編年体で大まかな卷立てと内容は次のとおりです。

1巻:「ノンシャラン道中記」「金狼」「魔都」など
2巻:「顎十郎」「キャラコさん」など
3巻:「海豹島」「地底獣国」「平賀源内」など
4巻:「女性の力」「紀ノ上一族」など
5巻:「内地へよろしく」「要務飛行」など
6巻:「ハムレット」「だいこん」「ココニ泉あり」など
7巻:「春雪」「黄昏日記」「ノア」など
8巻:「無月物語」「十字街」「うすゆき抄」など
9巻:「真説・鉄仮面」「母子像」「肌色の月」など
 10巻:エッセー、座談会、従軍日記、最初期作品など
 11巻:翻訳、年譜、書誌

当初は10巻の予定でしたが、1巻増えました。1冊のボリュームは400字詰め原稿用紙で2千枚ほど。最終巻は2千5百枚以上になるようです。ちなみに1970年に発行された三一書房の全集(全7巻)は、2段組で350〜400ページあります。(つづく)

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2006年05月06日

久生十蘭の仕事部屋から(27)

ee8b2108.JPG龍絶蘭さん、pumpkinさん、前回のブログへのコメント、ありがとうございます。資料整理にも力が入ります。ただ、手持ちの情報が少ないので、過大な期待をされませんようお願いいたします。

さて、今回の写真は、いったい何をしているところなのか分かりません。撮影場所や年月日も不明です。

十蘭がフランスに滞在していた昭和4年から8年までの行動について、「久生十蘭」(江口雄輔著)の年譜には次のように書かれています。

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2006年04月25日

久生十蘭の仕事部屋から(26)

a6e62e03.JPG今回ご紹介する写真も「昭和5〜6年フランス時代」のものです。手前の人物が誰なのかはわかりません。竹内清か、あるいは療養で南フランス滞在中に世話になった画家の青山義雄かも知れません。
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2006年04月17日

久生十蘭の仕事部屋から(25)

8bf72f86.JPG前回の写真がニースで撮影されたとの情報が、亜子十郎さんから届きました。ご協力くださった方、ありがとうございます。インターネットの威力を実感しています。今回の写真も昭和5〜6年、フランス時代の写真です。

手元にある数少ない資料を読むと、「竹内清」という人が十蘭とかなり親しかったことがわかりました。十蘭の妻・幸子の長姉の夫・精吾が、竹内清の弟です。竹内清について調べれば、もう少し十蘭のことがわかるのではないかと思い、実は昨秋、お嬢さんの瑠璃子さんに会いました。

もちろん初対面です。縁をたどれば遠い親戚となるわけで、上京の折に時間をとってもらいました。その時に預かった資料の1つに「海峡」という函館の同人誌があります。こんな原稿を書いています。
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2006年04月12日

久生十蘭の仕事部屋から(24)

61b683cb.JPGee709101.JPG長いこと間があいてしまい失礼しました。アルバムの写真を皆さんにご紹介することは決めたのですが、写真だけ並べるのも物足りないので、いろいろな資料に当たっています。調べ始めると、資料によって年代が異なっていたり、辻褄があわなかったりして、なかなかまとめられないでいます。

いつまでもぐずぐずしていても仕方ないので、とにかく古そうな写真から順にご紹介することにしました。今回は「フランス時代」として叔母がまとめていた写真から2枚。十蘭は昭和4年(1929年)から8年(1933年)の4年間、フランスに滞在しました。以前、このブログで取り上げた十蘭直筆の「履歴書」によると、4年10月に「演劇研究ノタメ渡歐ス」。6年4月「佛國巴里市立工藝學校ヘ入学」し、8年3月に「同校音画科ヲ卒業」、9月に「歸國ス」となっています。

ただ、実際には履歴書の内容が正しいとはいえないようで、十蘭の足跡についてはあまりよく分かっていないようです。今回は、特徴的な背景の写真を選びました。場所が書かれていないので、どこで撮影されたかは不明ですが、建物が写っている写真は、函館市文学館の常設展示で掲出されています。(つづく)


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2006年03月12日

久生十蘭の仕事部屋から(23)

前回、十蘭の全集企画に触れましたが、今後は編集の進捗状況などについてお知らせできることになりました。
編集にかかわっているのは、江口雄輔さん、川崎賢子さん、浜田雄介さん、沢田安史さんの4人に加えて、国書刊行会の礒崎純一編集長です。

「定本久生十蘭全集」というタイトルで、全11巻になるとのこと。昨年、礒崎編集長にお会いした時のお話では全10巻ということでしたので、予想以上に多くの資料が集まったようです。

編年体編集となります。ここにご紹介した「従軍日記」を初めとして、新しい資料や、翻訳、エッセイ、評論、座談会なども収録予定です。これまでものとは全く色合いの異なる全集となり、厳密な本文校訂をされるそうです。

このブログは、十蘭の熱心なファンが読んで下さっているようなので、1つお願いしたいことがあると、江口先生から伝言です。東京新聞に連載された「をがむ」のテキストが一部欠落しているのだそうです。お持ちの方がいらしたら、ご連絡をいただければ幸いです。

今回は2年後に発売される全集の話題でしたが、先日、三一書房の全集の山を整理して写真をとりました。ピントが合っていないお粗末な写真ですが、ご参考までにアップします。狭い部屋に並べたので見づらくなりました。最上段が第1版第1刷で左から右へ第鬼から第惨まで。

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2006年02月28日

久生十蘭の仕事部屋から(22)

4c5296d7.jpgブログ(19)のコメント欄で、企画中の全集への注文などを書いてくださるようにお願いしたところ、熱心な読者からいろいろご提案をいただきました。コメントを書いてくださった方、ありがとうございます。江口先生にお伝えしました。

30年前に全集を出版した三一書房は、労使紛争があって重版も8刷で終わっているようです。「今度の全集は百年間もつ全集に」と、編集にかかわる方々もかなり気合が入っていると聞いています。このブログも読んでくださっているようですので、皆さん、この先もドシドシご意見やお考えをお書きくださいね。

さて目下、私は写真の整理中。デジカメで撮影するとフラッシュで画像が光るので、スキャナーで読み込み年代順の表を作っています。叔母はとても几帳面だったので、ほとんどの写真に年月日が書いてあるのですが、親しい者だけが見ることを想定していたようで、省略もあります。

私の手元には、2冊のアルバムがあります。その1冊は、全てが十蘭の告別式の写真で埋まっています。知らない人がかなり写っているので、従兄に聞きながら整理していくつもりです。今回は、私が目を通した写真の中の「お宝」を1枚お見せしましょう。
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2006年02月20日

久生十蘭の仕事部屋から(21)

20639d71.JPG南極記」執筆に使われたと思われるのが南極の地図です。東西南北と赤鉛筆で書かれ、南極の地図の中に山の名前や国名が細かく記入されています。

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2006年02月13日

久生十蘭の仕事部屋から(20)

73680f20.JPG前回ご紹介した「南極記」について年譜で調べてみると、昭和26年(1951年)の作品であることが分かりました。このブログの読者ならご存知のことかと思いますが、十蘭は口述筆記で小説を書いていました。ですから直筆の原稿はほとんど残っていないと思っていたのですが、「南極記」の原稿は従軍日記と同じ筆跡でから、本人が書いたものでしょう。
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2006年02月05日

久生十蘭の仕事部屋から(19)

77e405e1.JPGこのブログでご紹介するものもそろそろ尽きてきたかと思っていたのですが、ご紹介していないものがありました。昨年、函館文学館の企画展に従軍日記と一緒に貸し出しました。

「南極記」の原稿と資料です。ご存知のように十蘭の直筆原稿は、私が知る限りでは従軍日記だけのようなのですが、この原稿の文字を見ると従軍日記と同じ筆跡なので、十蘭が書いたものだと思います。

「別冊文藝春秋 第二十三号」の目次もありました。いつごろの出版なのでしょうか。(つづく)


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2006年01月31日

久生十蘭の仕事部屋から(18)

90c11dd7.JPG十蘭にまつわる資料の中から、シミのついた台本が出てきました。
「殺意の家」よみうりテレビ−とあります。日本テレビ系ですね。
木曜ゴールデンドラマと書いてあります。
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2006年01月13日

久生十蘭の仕事部屋から(17)

34b9b1b4.JPG十蘭にまつわる品々もあらかた出尽くしました。ご紹介しようかどうか迷ったものが一つあります。それは阿部家の過去帳です。広げると縦横20センチほどのサイズです。

並ぶ戒名をここに書き写してみましょう。








南無 寶城院修善得入居士
南無 阿光院寶悌妙瑞大姉
南無 了得院教信自鐙居士
南無 昌徳院教自楽大姉
南無 芳月輝光居士
南無 夏山院孝順妙琴大姉

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