2006年01月13日

久生十蘭の仕事部屋から(17)

34b9b1b4.JPG十蘭にまつわる品々もあらかた出尽くしました。ご紹介しようかどうか迷ったものが一つあります。それは阿部家の過去帳です。広げると縦横20センチほどのサイズです。

並ぶ戒名をここに書き写してみましょう。








南無 寶城院修善得入居士
南無 阿光院寶悌妙瑞大姉
南無 了得院教信自鐙居士
南無 昌徳院教自楽大姉
南無 芳月輝光居士
南無 夏山院孝順妙琴大姉

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2005年12月31日

久生十蘭の仕事部屋から(16)

ブログの原稿書きをサボっている間に、読者のPunpkinさんと十蘭好きさんがコメントをやりとりして、お話を進めて下さっていましたね。ありがとうございます。

十蘭好きさんによれば、十蘭が母子像で第一席となったニューヨーク・ヘラルド・トリビューン社の世界短編コンクールに関することが、「光華日本文学」第1号(1993年7月)に書かれているそうですね。須田千里さんが「『母子像』の内と外―久生十蘭論2」としてまとめられたものとのこと。Punpkinさん、内容が確認できましたら、お知らせください。

私も資料を見つけました。受賞当時の読売新聞の切り抜きです。3段扱いで、顔写真付き。日付がないのですが、こんな内容です。

 久生氏の「母子像」 短編小説コンクール世界賞

 (前略) 本紙のあっせんで参加した日本の作品四編のうち久生十蘭氏の「母子像」が第一席に入選した。今回の参加国は十八ヵ国で、応募作品は五十七編、大部分の作品は国別または一連の地域別コンクールを経て選び出された。 (後略)

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2005年12月12日

久生十蘭の仕事部屋から(15)

61f9791b.JPG鎌倉の掃除では、それまで見かけなかったファイルを見つけたことがありました。私の前に著作権管理をしていた従兄が、入れ違いに掃除に来て置いていってくれたもののようでした。その中に、「鎌倉 30.4.30」の消印入り電報のコピーがありました。
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2005年12月04日

久生十蘭の仕事部屋から(14)

e3cefa95.JPGこのブログを開くたびに最上段が「お位牌」の写真のまま、2週間以上がたってしまいました。著作権管理人、ブログ管理人とも情けないことに仕事に追われて時間の余裕がなく、読者の方にはたいへん失礼いたしました。ようやく出張の帰りの新幹線で時間ができ、ブログを書いています。

先月、私はまた鎌倉に出かけて十蘭の本の搬出をしました。叔母もいなくなった部屋の品物は全て片付けなければならなくなり、私は十蘭関連の資料や写真を全て引き取りました。書籍類は、小さめのダンボールで20箱くらいになりました。(写真は鎌倉から運び出す前の本棚の様子です。)
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2005年11月15日

久生十蘭の仕事部屋から(13)

30411e79.JPG位牌です。サイドボードの奥から出来てきたのは、2つの位牌でした。表と裏には次のような文字が書かれていました。






<左>  表:  昭和三十二年
         高照院文正見居士
         十月六日

     裏:  (久生十蘭)
         俗名 阿部正雄
         行年 五十五歳

<右>  表: 壽光院雙月明鑑大姉
   裏: 昭和三十五年二月三日卒
        俗名 阿部 鑑
        八十才


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2005年11月01日

久生十蘭の仕事部屋から(12)

d9612d38.JPG私がその部屋に初めて入ったのは1年前のことです。それは叔母が使っていた部屋で、入口の正面には十蘭の本が並ぶ本棚が2つ。左側奥のサイドボードの上には、十蘭の遺影が額に入って立て掛けてありました。その前には小さな木製の十字架と小物入れのような箱が2つ。

遺影の写真は、その後、単行本などもでよく使われていることがわかりました。撮影場所は、鎌倉の自宅の縁側のようです。同じ写真がアルバムからも見つかりました。裏を見ると、中央にこんな文字がゴム印で押されていました。

PHOTO BY TANUMA
TOKYO
COPYRIGHT RESERVED
これって、あの有名な「田沼武能」ではないでしょうか。さらに下の方に叔母の筆跡でこう書かれています。

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2005年10月11日

久生十蘭の仕事部屋から(11)

十蘭ゆかりの品々の中には、「軽井沢の土地」というのもありました。阿部正雄(久生十蘭の本名)宛ての固定資産税の請求書が、鎌倉の家に2年前まで届いていたので調べてみると、叔母の幸子が名義を変更せずに、税金を払い続けていたのです。

叔母が亡くなって1年が過ぎた昨年のこと、土地の名義をきちんとしておこうということになりました。手続きが済んだら、「軽井沢に十蘭文学館を建てるのもいいかも」「管理は誰にしようか」などと、茶のみ話が盛り上がりました。

そのころ、十蘭の長編小説「魔都」(社会思想社「現代教養文庫」)の解説で、土岐雄三が十蘭の軽井沢の“別荘”について書いているのを見つけました。

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2005年10月02日

久生十蘭を探して(9)

講演会を聞きに函館に行ってきました。函館は20年以上ぶりでした。著作権管理人の本籍地はかつて函館にあり、ある程度の土地勘もあるようなのですが、私はただの旅行者としての関わりしかありません。しかし、わざわざ、足を運んだだけのことはありました。

一番の収穫は空港から北村さんの車に乗せていただいて久生十蘭が少年時代を過ごした家と周辺の関連を実感できたことです。久生十蘭、長谷川海太郎(牧逸馬、林不忘、谷譲次)一家、亀井勝一郎の生家が極めて近い範囲にあったことは文献で知っていましたが、実際に四辻に立って北村さんから「ここが長谷川家、あちらが久生十蘭の家で、隣が亀井勝一郎の家」と説明してもらうと、まさしく目と鼻の先で、少し大きな声を出せば聞こえるほどの距離でした。

もう一つ、彼らの住居からすぐ近くに、今はただの地味な十字路にしか見えないところに「十字街」と言う地名があることを知ったことです。以前は繁華を極めた一帯だったそうです。辞書で引くと「十字街」は「十字路」とほぼ同義ですが、一般的には「十字路」は頻用されるものの「十字街」はそれほど良く見ることはないように思います。久生十蘭の代表作の一つである「十字街」はこの地名が刷り込まれて命名されたのかなと思いました。続きを読む

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2005年09月24日

久生十蘭を探して(8)

少し間が空いてしまいました。十蘭関係では著作権管理人と一緒に函館に行ったり、個人的にもいろいろと行事が詰まって時間を取られていました。

前回は、十蘭のフランス滞在の頃の渡仏を日程の面で調べてみました。その後、横浜の日本郵船歴史博物館で開催されていた「昭和11年欧州への船旅―高濱虚子『渡仏日記』より―」展を見に行ってさらに情報を得ることが出来ました。

まず、民間航空会社が発達していなかった当時の欧州への主要なルートを西回りの海路と、シベリア横断鉄道の二つだと思い込んでいたのですが、このほかに東回りもあったのです。

横浜などからアメリカのシアトルまで船で行き、そこから大陸横断鉄道で東海岸へ渡り、再び船に乗り換えて大西洋を渡るもので、意外なことに西回りの船旅よりこちらの方が日程も少なく、料金も安かったのです。

ただ、西回りの船旅の方がアジア、中近東を観光しながら行けるので人気があったようです。時間と懐具合に余裕があった人は往路を西回りで、帰路を東回り、いやこれはおかしいですね、そのまま西に進んでアメリカ大陸を経由して戻ってくるという贅沢を楽しんでいたようです。

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2005年09月18日

久生十蘭の仕事部屋から(10)

df281a48.jpg今回は仕事部屋の話題から離れて、9月10日に日帰りで出かけた函館訪問についてご報告します。函館市文学館の企画展「函館『不良文学』は元町育ち −長谷川海太郎・久生十蘭・水谷準−」(9月16日〜11月13日)に先立って行われた講演を聞くのが目的です。

こっそり出かけていって、講演が終わってから「実は私は・・・」と名乗り出ようと考えていたのですが、大島館長が「従軍日記」など展示資料を東京まで取りにこられたときに、つい「講演会にうかがいます」と口を滑らせてしまい、函館空港にはわざわざ文学館の北村巌さんが迎えに出てくれていました。

お昼は由緒あるレストラン・五島軒で「鴨カレー」をご馳走になりました。国際港だった函館の雰囲気は、明るく開放的で横浜に似ていると思います。私にとっては27年(?)ぶり、3度目の訪問です。父の出身地なので、ある種の感慨はありますが、街のことはよく知りません。

北村さんは車で十蘭の家があった場所なども案内してくれました。今は別の家が建っています。隣は何と亀井勝一郎の家。ちょうど元町カトリック教会の筋向いあたり。こちらは建て替えてはいないそうです。亀井勝一郎は、父親から「決しておとなりの正雄ちゃんのような不良になるな」といわれていたそうです。「正雄ちゃん」とは阿部正雄、十蘭のことです。

6af028c5.jpg続きを読む

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2005年09月09日

久生十蘭の仕事部屋から(9)

3525f9ec.JPGこのコラムのタイトルは「久生十蘭の仕事部屋から」となっていますが、私が整理に格闘している部屋は、十蘭が亡くなってから建てられたマンションの1室です。かつてはかなり広い芝生の庭を持つ日本家屋だったのですが、叔母が分譲マンションに建て替えました。

以前もちょっと触れましたが、叔母が倒れたのは2年前のクリスマスの朝のことでした。鎌倉の聖ミカエル教会に通う熱心なクリスチャンで、玄関の上がり框のところには、小さなクリスマスツリーや可愛らしいサンタクロースの人形などが並んだままになっています。

そこには、縦55センチ、横31センチの大きなエッチングが架かっています。銅版画家・清原啓子さんの「久生十蘭に捧ぐ」という作品です。細密画のようなタッチのモノクロの図柄は、幻想的で一種霊的な印象を与えます。

叔母宛の古い郵便物の中に、清原さんからの手紙がありました。1984年3月3日から中野の画廊で開催された「清原啓子 銅版画展」の案内です。この版画家についてを調べてみると、87年に31歳の若さで夭逝していました。「文学を創作の源とし、埴谷雄高、久生十蘭など敬愛する作家達に触発を受けた」画家だったそうです。

私が十蘭の小説を読み始めて知ったのは、著名作家や有名文芸評論家が十蘭を非常に高く評価しているということです。さらに、あちらにもこちらにも熱烈な“隠れファン”(?)がいるということです。画家の清原さんはそんな一人でした。一般読者を楽しませるだけでなく、芸術家にインスピレーションを与えられる作家。稀有の才能というのかも知れません。(つづく)


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2005年08月31日

久生十蘭の仕事部屋から(8)

06dbdc05.JPG私が生前の十蘭についていろいろ調べたり書いたりしていることについて、よいことだと評価している人ばかりではありません。ジュウラニアンならご存知かと思いますが、本人はプライベートなことについては極力、公表しない作家だったようです。

小説家は作品が全て。どんな人生を歩み、どんな生活をしたかなどということはどうでもいいことだと、いつだったか叔父に言われました。これは母方の叔父のことです。甲府にある恵運院という寺の住職をしている作家・青山光雄です。(メジャーでないので、皆さんはご存知ないかも知れませんね。)

十蘭の既刊の単行本や文学館のホームページの略歴にかなりの誤りがあることが分かり、端から懸命に校正しているという話をしたら、「そんなことは、どうでもいいことだよ」というのです。

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2005年08月17日

久生十蘭の仕事部屋から(7)

c523f4b4.JPG8月4日付の「久生十蘭の部屋から(6)」にコメントをくださった方々、ありがとうございます。このブログは2人の人間が書いているので、混乱させているようです。申し訳ありません。もう一度ここできちんと整理してお伝えします。

私=久生十蘭の著作権管理人。昨年6月に突然、従兄からこの仕事を回され、「久生十蘭」という作家の何たるかも全く分からずに、時々、鎌倉の家に行って、書庫を掃除しながら「お宝」を発掘中。

友人=このブログを管理しながら、目下、「亜子十郎」としてもう1つのコラム「久生十蘭を探して」を書いています。「著作権管理人の代理人」(ややこしい!)。つまりブログの管理ができない私の代理です。当初「hisaojuran」と名乗ったのですが、恐れ多いことに気付き、亜子十郎に改名しました。たいへんな凝り性で、9月にはフランスに行って、十蘭ゆかりの情報を集めようと意気込んでいるところ。

さて、久生十蘭の直筆「従軍日記の発見」について、読売新聞が8月11日付夕刊で記事として取り上げてくれました。顔写真を貸してくださいといわれ、数葉の写真の中からどれにしようか、ちょっと悩みました。
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2005年08月10日

久生十蘭を探して(7)

「ふらんすへ行きたしと思ヘども
 ふらんすはあまりにも遠し
 せめては新しき背広をきて
 気ままなる旅にいでてみん。」
と歌ったのは萩原朔太郎ですが、久生十蘭がフランスに渡った頃、フランスの遠さはどの程度だったか文献に当たってみました。

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2005年08月04日

久生十蘭の仕事部屋から(6)

このブログも、読者の方からコメントをいただけるようになって、勇気百倍です! そろそろ寝ようかと思っていたのですが、冷たい水でも飲んで目を覚ましブログを書くことにしました。

20代の感想人さん、18歳で読み始めて大学の卒論に十蘭を選んでくださった大正躑躅さん、コメントをお送りくださり、ありがとうございます。私の周りは年配の愛読者が大半なのですが、現代の若い方々にも十分にアピールすることを知り、叔父もきっと喜んでいますよ。

ところで亜子十郎さんが書いていたように、この8月10日に講談社文芸文庫から「久生十蘭作品集」が出版されます。新刊です。本当に驚きです。半世紀も前に亡くなった作家の小説が、新たに出版されるなんて。近年に出版された文庫本としては、ちくま文庫の「久生十蘭集 ハムレット」があります。

講談社も文庫本です。ちくま文庫とどう違うのか、堀山和子編集長にメールでうかがってみたところ、次のようなご返事をいただきました。

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2005年07月30日

久生十蘭を探して(6)

久生十蘭と関わりを持つパリに、私も以前から魅せられて、年に一、二度訪れています。大体6泊8日でパリに三泊、フランスを中心にしたヨーロッパの地方都市に三泊という旅程です。

今年は6月にパリとカルカソンヌ、昨年は2月にパリとアビニョン、11月にパリとディジョンといった具合です。通算でパリは9回、日数にすると40日近く滞在しています。最初は戸惑った地下鉄も今は東京の地下鉄同様に乗りこなし、バスもなんとか大丈夫になっています。

十字街」に登場するパリの街角の多くは何度も通りすがった場所ばかりです。先月訪れた世界遺産にも指定されているカルカソンヌの城塞都市はまるで「真説鉄仮面」の舞台となった監獄代わりの古城のようでした。

著作権管理人が「久生十蘭の仕事部屋から(4)」で書いたように、今年の9月には久生十蘭の作品に登場するパリを改めてじっくり見るために渡仏するつもりでいます。

さて、そんなこともあり1929年(昭和4年)から33年(昭和8年)の久生十蘭の滞仏について調べています。久生十蘭は自らの身辺について一切書かないことを貫いています。ほとんど唯一の身辺雑記である未発表の「従軍日記」を読む限り、久生十蘭は人付き合いが悪いわけではなく、毎夜の如く新聞記者たちと飲み歩き、麻雀の卓を囲んでいます。パリでも同時期に滞在していた日本人との交流があったはずだと睨んで資料を読んでみました。

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2005年07月20日

久生十蘭の仕事部屋から(5)

私が十蘭の小説を読み始めたのは、昨秋からです。その中に「湖畔」があります。十蘭という作家のこともほとんど知らない私が、何から読んでいいのか分からない状況の中で手にとったのが、これでした。「湖畔」が2002年12月上旬に演劇として上演されたことを、公演パンフレットで知ったからです。

「咲良舎」という演劇集団による「久生十蘭生誕100年記念公演」(シアターX)です。没後半世紀ちかい作家の作品がいまだに演劇で取り上げられていることを知って驚いたのも、この時です。

構成・脚色・演出:守輪咲良 美術:島次郎 –-- 守輪さんとは面識がありませんが、島さんには4〜5年前に一度、横浜の美術展でお目にかかり、東横線で渋谷まで一緒に帰ってきたことがあります。私が十蘭の著作権管理者になる前のことです。今の私のことを島さんが知ったら、さぞ驚かれることでしょう。

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2005年07月16日

久生十蘭を探して(5)

著作権管理人から「相当に入れ込んでいます。十蘭に魅せられてしまった」と言われていますが、まったくその通りです。図書館から借り出した三一書房版「久生十蘭全集」を読みながら、一方で久生十蘭と関わりのある人々の自伝や評伝などを読んでいます。元々、読書は趣味なのですがこれほど寸暇を惜しんで読むのは中学2年の夏休みに60冊ほど読破した時以来です。

久生十蘭の捜索状況ですが、いくつかに的を絞り込んで関連書籍を読み込んでいます。まずは、雑誌「新青年」の周辺です。久生縦覧と函館の同郷で兄貴分格の谷譲次(長谷川海太郎)とその兄弟たち、歴代の編集者、「新青年」の座談会などを読み漁って久生関連の情報を集めています。この線では「久生十蘭を探して(1)」で前述したように女優の杉村春子が出征祝いの日章旗にある「腰原愛子」の謎を解いてくれました。今は、杉村春子の回想記「舞台女優」などを読んでいます。

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2005年07月11日

久生十蘭の仕事部屋から(4)

読者の皆さん、しばらくのご無沙汰、申し訳ありません。亜子十郎さんから時々、ブログのアクセス数が送られてきます。6月は4日ほどアクセス数が100を越えました。「7月は平均100を目指しましょう」と発破をかけられているのですが、ブログを書く時間がなかなかとれませんでした。

代わりに亜子十郎さんが2回連続で書いてくれました。先日、亜子十郎さんにパリを舞台にした長編小説「十字街」をプレゼントしたら、「僕がよく知っている場所が沢山でてきたので、この前のフランス出張前に読めばよかった」と悔しがることしきり。「こうなったら9月に休暇を取って、パリにいってこようと思います。十蘭と僕の動線はかなり重なっているみたいなんです」と、相当に入れ込んでいます。十蘭に魅せられてしまった読者を「ジュウラリアン」と呼ぶそうですね。まさに亜子十郎さんはジュウラリアンの資格十分だと思います。

私も出張だ、仕事だといいながらも、久生十蘭を放り出していたわけではないんですよ。ある団体の会報担当理事をしているのですが、「オフタイム」というコラムの筆者が見つからないので、「久生十蘭を知っていますか」というタイトルの原稿を書きました。

いつかそんな原稿を書くことになるとは予想していました。他の2人の編集担当者から、「聞いたことない作家ですね」などといわれたら格好悪いかなと思い、話題提供程度に「実は、作家だった叔父さんの著作権管理人になってしまったんです。その話を書きましょうか」と口に出してみました。

「それは面白いですね。ところでなんていう作家?」。意を決して「久生十蘭っていうんですけど・・・」と自信も無くいってみると「あっ、それならウチに本があるかもしれない」「昔、読んだことあるな〜」と、2人からは手応えのある反応がかえってきました。(ホッ・・・。)

「知らない人が多いので・・・」と愚痴ると、「知っているのは、我々の世代が最後かもしれないね」といいます。「我々」といった2人の編集担当者は、昭和ヒトケタ末期からフタケタの生まれ。久生十蘭の読者はとはどんな人たちなのか、私は非常に関心があるのですが、一般的には70代以上といえるのでしょうか。

いいえ、そうともいえないようです。団塊の世代の友人からこんな話も聞かされています。「学園紛争のバリケードの中では、“左手にマルクス、右手に横溝正史、久生十蘭”だった」。私も団塊の世代です。「学生時代に読んだのはサルトルだったけど」といったら、その友人は「サルトルなんて古いな〜。ひと世代前なんじゃないの」といって、笑いました。

確かに白水社のサルトル全集は兄のお古でした。しかし当時、私の友人たちの愛読書に久生十蘭があったという話は、聞いたことがありませんでした。私がバリケードの外の世界にいたからかも知れません。それにしても“左手にマルクス、右手に久生十蘭”とは光栄なことです。

ご無沙汰中の話が長くなりました。話を「十蘭の仕事部屋」に戻します。

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2005年07月04日

久生十蘭を探して(4)

(3)で吉行淳之介が編集者として久生十蘭と交渉があったことが分かったので、吉行淳之介について調べてみました。

私がよく利用しているインターネット書店「BK1」で吉行の著作を検索してみました。BK1では以前は現在入手可能な書籍しか検索できなかったのですが、最近絶版になったものも検索できるようになり大変便利です。

吉行淳之介で検索すると「懐かしい人たち」(講談社1994年4月8日刊)が目につきました。内容説明を読むと「井伏鱒二から向田邦子まで、幅広い交遊の記憶の中から素顔の魅力が鮮やかに甦る」とあります。これはまた何か久生十蘭に関する記述が見つかるかもしれないと中央区立京橋図書館に行き、同書を請求しました。運良く開架に置いてあったので早速手に取って目次を見ると「久生十蘭のこと」と言う項目がありました。勇んで読んでみると何のことは無い前出の「雨戸の中」と全く同じです。文末の初出一覧を見ると「『久生十蘭全集第六巻』(三一書房)月報第五号昭和四十五年四月刊」とあります。振り出しに戻りました。

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2005年06月22日

久生十蘭を探して(3)

先日、三一書房版「久生十蘭全集此廚鯑手しました。久生十蘭の本はほと
んどが絶版となっていて、古書価格もかなり高価なのですが、幸運にも著作
権管理者の知り合いの方が某大型書店に在庫があることを見つけてくださり
これと「同供廚鯆蟆舛嚢愼しました。もう一冊あったのですが、これは全
集に挟み込まれている「月報」が欠落していたのでまたの機会に賭けまし
た。

さて、この「此廚侶酳鵑砲狼塙埆瀁群陲「雨戸の中」と言う題で久生十蘭
の思い出を書いています。著作権管理者の「久生十蘭の仕事部屋から
(3)」に吉行淳之介のことが出てきたのでちょっと引用してみます。

「社の編集局長永井寿助氏は、久生十蘭の熱烈なファンで、やがて久生氏が
鎌倉に転居されたとき、私たちの社の人間がその手伝いをすることになっ
た。(中略)材木座近くの大きな二階家だったが、ひどく汚れていて、畳と
廊下の雑巾がけに苦労した記憶がある。丁度、澁澤龍彦君が東大に入る前に
アルバイトとして社にいたので、彼も雑巾がけをした一人である。」

澁澤龍彦は度々、久生十蘭に言及していることは聞いていたが、このような
関係だったとは知りませんでした。しかし、十代の澁澤龍彦が雑巾がけをし
ている姿は見たいような、見たくないような気持です。引用を続けます。

「暗くなって、ようやく一段落して、酒宴になった。(中略)あの頃、久生
氏は幾つくらいだったのだろうか。たぶん四十台だったろう。私は二十三、
四だった。酒が足りなくなると『おい従卒』と、久生氏は若い奥さんに向っ
て怒鳴り、酒屋に走らせた。この『従卒』が連発され、奥さんはまねまねし
く立働かれたのが印象に残っている。」


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2005年06月19日

久生十蘭の仕事部屋から(3)

埃まみれの資料は、触れるだけ喘息になりそうです。まずは神奈川近代文学館に寄贈してきれいにしてもらい、それからゆっくり目を通してみようと考えていたのですが、寄贈したら最後、現物には触れることはできないことが分かりました。

従軍日記や新聞の切り抜き、写真の他、フランス語や英語の小説(ペーパーバック)などダンボール箱5つほどの資料が「全集の編集に役立ちそう」ということで、江口雄輔さんの研究室に移されることになりました。宅急便での輸送かと思ったのですが、「貴重なものですから、何かあれば取り返しがつきません」と、資料はタクシーで大切に運ばれていきました。私としては、あんなボロボロで真っ黒けの資料の運搬にタクシーを使うと聞き、都内までのタクシー代がとても気になりました。

私の友人に、ある新聞社の記者がいます。久しぶりに電話で話をする機会があったので「ところで久生十蘭って知ってる?」と聞いてみました。勿論、知っているという返事。「えっ、叔父さんなの?」と驚いた様子です。他の新聞社の友人は皆、「へえー、若いときは函館新聞の記者だったの」と、同業者だったことに親しみを感じている程度で、「どんな字を書くの?」「どんな作家?」など初歩的な質問ばかりでした。

ですから、まさか彼女が十蘭を知っているとは思いませんでした。「直筆の従軍日記が出てきたんだけれど」。新聞に取り上げてくれることを少し期待して説明すると、記事になりそうだというのです。江口さんのような研究者だけでなく、久生十蘭という作家がまだまだ一般社会でニュース価値があることを、このとき知りました。

「久生十蘭の従軍日記発見!」がどのような記事になるのか分かりませんが、まずは資料を見てもらうことにしました。取材をしてくれることになったのは、彼女の同僚記者です。このブログを管理している亜子十郎さんも「是非、見たい」というので、3人で江口さんの研究室にうかがういました。

資料はきれいに分類され、2つの本棚に収まっていました。いくら研究とはいえ、埃との格闘でさぞ大変だったことでしょう。川崎賢子さん、浜田雄介さんと月に1回集まって資料をチェックし、従軍日記は1ページごとにデジカメで撮影して、3人で分担して清書をしているとのことでした。
474b2c73.JPG続きを読む

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2005年06月10日

著作権代管理人のご挨拶

更新が遅れていて申し訳ありません。ネタはあるのですが、管理人、代理ともに身辺多忙で手がつけられません。

代理は本日(6月10日)から18日まで、管理人は17日から24日まで本業で海外出張となります。

管理人は代理が不在中に原稿を書くと申しておりますので次の書き込みは18日以降になってしまいます。

亜子十郎 拝

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2005年05月30日

久生十蘭の仕事部屋から(2)

すでにご承知のとおり、このブログ管理をお願している亜子十郎さんが「久生十蘭を探せ」というコラムを開始してくれました。本業の仕事はどうなっているのかと心配しつつ、次々に新たな発見をしてくれるので、私もつい仕事を忘れて読んでいます。

「大佛次郎 敗戦日記」にある「久生十蘭が大佛次郎に干物を送った」話は、まさに有名人の台所を覗くミーハーの気分にさせてくれて、面白い! 些細で取るに足りないようなエピソードこそ、素顔を知る上で重要な意味を持ちます。

亜子十郎さんが「著作権管理人」の補足コメントを期待している2つの事柄について、早速、十蘭夫妻と一緒に暮らしたことのある従兄弟(竹内弘)に聞いてみました。答を、そのまま皆さんにお伝えします。

〔銚子に疎開した久生十蘭がコノシロの干物送りくれる。若宮町2ノ124竹内方〕 確かにこの住所は、私が小学校時代に住んでいたヒゲタ醤油の社宅で、 この家の奥の離れに十蘭と幸子叔母が住んでいました。

大佛次郎の銀婚式に銚子からカレイと海老を送った「ブウちゃん」とは 「ブウちゃん」と呼ばれていたということは、知りません。初めて聞きました。干物を知りあいに送ったようなことは、ありそうなことです。十蘭は、魚介類は大好きでした。

 「黄金遁走記」に出てくる狐顔のコン吉は、十蘭自身だと見る人がいるようです。実際の十蘭はキツネではなくブタのイメージ?? 亜子十郎さんにはひとつ「ブウちゃん」とは誰のことかを、突き止めて欲しいですね。

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さて、「久生十蘭の仕事部屋」です。仕事部屋といっても、本人が住んでいた家は建て替えられたため、実際の仕事部屋ではありません。私が整理をしているのは、十蘭の著作やアルバム、資料等が詰め込まれている8畳ほどの部屋です。

真っ黒な埃を被ったダンボールや資料との格闘は、昨秋から5回ほどやっています。我ながら熱心に取り組んでいる理由は、柴田錬三郎の手紙や、戦地に持っていったと思われる日の丸など、思いがけない「お宝」が出てくるからです。本棚周辺を整理した後、箪笥の左手を見てみると、カーテンで仕切った向こう側にもさらに棚があり、叔母の洋裁の本やダンボールが積み上げられていました。

次から次へと出てくる物にウンザリしながら片付けていると、茶色の書類箱がありました。蓋を開けてみると、大きめの変色した封筒に、墨で「従軍日記」と書かれています。中にはノートが5〜6冊。ちょっとワクワクしながらページを開けてみました。
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hisaojuran at 06:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

2005年05月25日

久生十蘭を探して(2)

大佛次郎は久生十蘭が幸子夫人と結婚した際に仲人を務めています。大佛が1897年生まれ、久生が1902年生まれの5歳違いで後年はともに鎌倉に住み、仲の良い友人だったようです。

「大佛次郎 敗戦日記」の中に久生十蘭の名前は三ヶ所に出てきます。

この日記は昭和19年9月10日から20年10月10日まで書き継がれていますが、19年10月26日に以下の記述があります。

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hisaojuran at 22:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)久生十蘭を探して 

2005年05月24日

久生十蘭を探して(1)

久生十蘭について色々調べています。とりあえず先日著作権管理人が書いた
「日の丸の署名人」で新たに二人が特定できました。

一人は腰原愛子です。博文館新社の「叢書『新青年』聞書抄 まだ見ぬ物語
のために」中の「杉村春子さんに聞く『音声のスタイリスト−久生十蘭』」
と言うインタビューで杉村春子が「『瀬戸内の子供ら』と言う芝居は成功し
ましたけれどもね。(中略)若い娘さんは腰原愛子さんという初めての人が
やって、田村さんが藍色の浴衣を家から持っていらし(後略)」との記述があ
ります。

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hisaojuran at 06:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)久生十蘭を探して 

2005年05月21日

著作権管理人代理人のご挨拶

著作権管理人の代理「hisaojuran」です。ブログを開く時に考えもなくIDを「hisaojuran」にしましたが、考えてみれば久生十蘭に失礼でした。書き込み上の名前も「著作権管理人代理」では硬いので「亜子十郎」を名乗ろうかと思います。こえなら久生十蘭も苦笑して許してくれそうですから。

さて、「著作権管理人からのご挨拶(5)」に書かれたように、著作権管理人(以後、当人と表記)から「久しぶりに食事でも…」と呼び出されて、世間話で食事を終えたところで持ち出されたのが、久生十蘭でした。びっくりしました。もちろん、名前は知っていましたし、何篇か読んだ記憶は微かにあったのですが、「知っています」と胸を張れる立場ではありませんでしたから。

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hisaojuran at 05:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)著作権管理人代理コメント 

2005年05月20日

久生十蘭の仕事部屋から(1)

私の叔母が久生十蘭と結婚したのは、昭和17年(1942年)7月14日です。フランス革命記念日。日本では「パリ祭」と呼んでます。十蘭は20代の後半にフランスにいたことがあるので、もしかしたらそれに引っ掛けたのでしょうか。この日を選んだ理由は不明ですが、叔母はまだ20歳でした。東洋英和女学校幼稚園師範科を卒業して2年がたったころのこと。十蘭はすでに40歳です。

ハタチの叔母から見れば、20歳も年長の十蘭は「かなりのオジサン」という印象だったのではないでしょうか。15年間の結婚生活では、秘書さながら口述筆記を手伝い膨大な資料集めもしたそうです。十蘭について語る人が必ず触れるのが、その人並みはずれた博覧強記ぶり。作家の妻とはいえ、久生十蘭が相手を相手に、並大抵の苦労ではなかったのではないかと、想像されます。

夫は全て自分のペースで生活をしていて、口述筆記が一段落すると、すぐに「飯だ」といって妻を困らせました。食事には、支度の時間が必要だと叔母がどこかで書いていました。十蘭が亡くなった後、未亡人としてその3倍の日々を過ごしました。

十蘭の著書が並ぶ本棚の前には、大量の服地を詰め込んだプラスチックケースが、山積みになっていました。叔母は洋裁が趣味だったようです。一箱ずつあけて「使えそうな生地」「今の時代では派手すぎ」などと仕分けをしていると、シワクチャになった「日の丸」が出てきました。

家族や友人らしい寄せ書きがあります。洋服地の間に無造作に挟まっていました。こんな粗末な扱っていいのだろうかと思いながら、広げてみました。それが下の写真です。
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2005年05月09日

著作権管理者からのご挨拶(5)

久生十蘭の著作権管理人になってから、友人や知人に会うたびに「ヒサオジュウランを知ってますか」と聞いています。「知ってる」と答えてくれるのは、10人に1人くらいでしょうか。「知らない」という人は「どんな字を書くの」と聞きます。漢字の説明をすると、たいてい「変わった名前だね」という会話が続きます。それだけではあんまりなので、「一応、直木賞をとったことがあるみたい」などと付け加えたりします。

ある時、叔母の遺品を整理していたら、小さな引出しから叔母宛の古い葉書が出てきました。差出人の名前を見ると「柴田錬三郎」とあります。十蘭が亡くなったすぐ後の頃で、あまりにも早く亡くなってとても残念、云々に続いて、「十蘭という作家は天才だと思う」と書かれていました。

久生十蘭という作家に対する私の認識は、「直木賞作家、変人、それなりに評価する人もいる」程度です。しかし、あの(!)柴田錬三郎が「天才」と評価しています。年譜で調べてみると、柴田錬三郎は十蘭と同じ昭和27年(1952年)に、直木賞を受賞していました。

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2005年04月30日

著作権管理者からのご挨拶(4)

昨年の秋から、週末に時間ができると鎌倉に通い、十蘭ゆかりの資料を整理しています。自分の家の掃除も二の次にして意欲的に(?)出かけている理由は、ただただ新しい発見に興味があるからです。整理するのは本や写真等の他、最近の郵便物もあります。

差出人に、叔母が亡くなったことを知らせねばなりません。ガスや水道の領収書などに混じって、ブルーの封筒が目に止まりました。俳優座劇場からのダイレクトメールです。封を開けると「株主優待のご案内」という手紙で、俳優座劇場プロデュースNo.66「高き彼物」(作:マキノノゾミ 演出:鈴木裕美)というチラシが入っていました。

江口雄輔著の評伝「久生十蘭」の年譜を見ると、十蘭は18歳で函館新聞社の記者となり、20歳の時にアマチュア演劇グループに参加して演出をしています。その後、上京して岸田國士のもとで本格的に演劇にかかわるようになり、築地座の演出や舞台監督を務めたり、結成されたばかりの文学座にも参加しました。しかし、「俳優座」という記述は見当たりません。

ダイレクトメールの宛名は「久生幸子」となっています。「株主優待」ということは、叔母が株を持っていたということなのでしょうか。俳優座に電話をしてみると、名義は「久生十蘭」で株券は貸し金庫に保管してあるとのことでした。名義人が亡くなっているのであれば、名義変更をしなければならないといわれました。

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hisaojuran at 13:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)著作権管理人コメント 

2005年04月21日

著作権管理者からのご挨拶(3)

この「ブログ」を読んでくださっている皆さんへ

私自身、訳もわからずこの「ブログ」なるものを始めたところ、知人・友人からいろいろな質問がメールに届きました。本来であれば、十蘭のファンからの意見・感想を聞きたいのですが、今のところまだ反応がないので、とりあえず内々のやりとりから話題を1つ取り上げて、「枕」とすることにしました。

今回のテーマは「著作権管理人」。「どんな仕事なのか」「どのようにすればなれるのか」「特別な資格が必要なのか」「無名の作家でも亡くなった後に著作権管理人がいるのか」という質問がありました。私は「著作権管理人」と名乗っていますが、正式には「著作権継承者」といい、「著作権」という権利を継承しています。

「著作権」とは著作物を保護するもので、「著作権法」という法律があり、小説だけでなく音楽、映画、写真、絵画などが対象となっています。(私は法律の専門家ではないので、私自身の解釈としてお読みください。)著作物が許可なく出版されたりコピーされたりすると、「著作権の侵害だ」と文句をつけたりするのを、時々、新聞などで取り上げられるのをご存知かと思います。

作家が亡くなると有名・無名に関係なく、著作権は死後50年の間、権利として守られます。前にもお話ししましたが、久生十蘭は1957年に亡くなり、妻(私の叔母)が著作権を継承したのですが、2年前に亡くなりました。子どもがいなかったため、甥か姪のだれかが継承することになり、たまたま私が引受けることになってしまいました。

十蘭の小説を出版したいとか、演劇に使いたい、DVDに収録したい――といった要望があると、私がその企画内容を読んで使用の許可をするか否かの判断をし、問題がなければ承諾の印を押す。そんな仕事です。単行本などが出版されると、出版社は著作物使用料を印税(一般的には定価の10%)として著作権者(著作権継承者)に支払います。

「あ〜、いいな〜」と思われるかも知れませんね。でも、「印税は誰のもの?」という問題があります。これはある意味で遺産なのですから、私の兄弟や従兄弟たちも等分にもらう権利があります。話をつけておかなければ、遺産相続争いということにもなりかねません。

幸い私の場合は、印税の使い道について皆の了解を得ているので、争いはありません。(でも、突然、十蘭ブームが起きたて印税がドッと増えたりしたら、話は違ってくるかも知れませんね。)さて、本題に入りましょう。
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hisaojuran at 21:04|PermalinkComments(2)TrackBack(0)著作権管理人コメント 

2005年04月12日

著作権管理者からのご挨拶(2)

久生十蘭が生きていた頃、私は何度か鎌倉の家にいったことがあります。家は材木座海岸の近くにあり、家族で何度か遊びにいきました。というより、海水浴に行くときに着替えの場所として格好の場所にあり、「海の家」代わりにしていたようです。父の一番下の妹が、十蘭の妻・幸子で、私が小学校に入るか入らないかの頃のことです。

当時、私たち子どもは「鎌倉の家では、騒いではいけない」といわれていました。幼い子どもたちの騒々しさは、小説家には歓迎されなかったようです。広い畳の部屋と、その前に緑鮮やかな芝生の庭が広がっていた光景を、鮮明に覚えています。

十蘭に会った記憶は、全くありません。いま思えば残念なことです。鎌倉の家は立派な日本家屋でした。十蘭が亡くなったあとマンションに建替えられました。玄関を開けると、靴箱の上にクリスマスの可愛らしい小物類が並んでいます。叔母が倒れたのは12月25日の朝のこと。子どもはいません。そのまま1年半が過ぎていました。

本棚のある部屋に入ると、ダンボール箱などが山積みにされていて、壁際に並んだ本はかなりの年月を経た埃がかぶっていました。そのの足元には、出版社から送られ紐が解かれないままの小包が、いくつも積み上げられていました。叔母は晩年の数年間、体調を崩していたので、本の整理どころではなかったようでした。

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hisaojuran at 20:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)著作権管理人コメント 

2005年04月04日

著作権管理者からのご挨拶(1)

皆さん、初めまして。私は久生十蘭の著作権管理人です。昨年4月に突然、この「肩書き」が従兄弟から私に回ってきました。十蘭が昭和32年(1957年)に亡くなって半世紀ちかくがたとうとしています。にもかかわらず多くの読者がいることに、とても驚いている昨今です。

そこで、十蘭の読者が作品についてどんな感想を持っているのか、作家についてどんな印象を持っているのか、そんなことを知りたいと思い、ブログを始めることにしました。まずは、文学に関して全く素人の私が、どんな風に著作権管理の仕事を始めたのか、そしてその仕事を通して起こりつつある出来事について、少しずつお話ししていきます。

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hisaojuran at 13:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)著作権管理人コメント 

お待たせいたしました

みなさん、こんにちわ。雑誌「新青年」などで活躍した作家久生十蘭のオフィシャルサイト準備委員会へようこそ。私は1957年に亡くなった久生十蘭の現在の著作権管理人の代理のhisaojuranと申します。著作権管理人の意を受けて管理人とみなさまの仲介をさせていただくのが私の務めです。

実は著作権管理人もその代理人である私も久生十蘭について詳しく知っているわけでも、全著作を読破したわけでもありません。最近になって「全部読まねば」と思って時間の許す限り作品を読んでいるところです。

従って、久生十蘭ファン、研究者にとってははなはだ頼りない管理人と代理人ではありますが、よろしくお願いいたします。


               「久生十蘭著作権管理人」代理 hisaojuran


hisaojuran at 09:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)著作権管理人代理コメント 

2005年03月08日

準備中です。

暫くお待ちください。



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