2005年05月

2005年05月30日

久生十蘭の仕事部屋から(2)

すでにご承知のとおり、このブログ管理をお願している亜子十郎さんが「久生十蘭を探せ」というコラムを開始してくれました。本業の仕事はどうなっているのかと心配しつつ、次々に新たな発見をしてくれるので、私もつい仕事を忘れて読んでいます。

「大佛次郎 敗戦日記」にある「久生十蘭が大佛次郎に干物を送った」話は、まさに有名人の台所を覗くミーハーの気分にさせてくれて、面白い! 些細で取るに足りないようなエピソードこそ、素顔を知る上で重要な意味を持ちます。

亜子十郎さんが「著作権管理人」の補足コメントを期待している2つの事柄について、早速、十蘭夫妻と一緒に暮らしたことのある従兄弟(竹内弘)に聞いてみました。答を、そのまま皆さんにお伝えします。

〔銚子に疎開した久生十蘭がコノシロの干物送りくれる。若宮町2ノ124竹内方〕 確かにこの住所は、私が小学校時代に住んでいたヒゲタ醤油の社宅で、 この家の奥の離れに十蘭と幸子叔母が住んでいました。

大佛次郎の銀婚式に銚子からカレイと海老を送った「ブウちゃん」とは 「ブウちゃん」と呼ばれていたということは、知りません。初めて聞きました。干物を知りあいに送ったようなことは、ありそうなことです。十蘭は、魚介類は大好きでした。

 「黄金遁走記」に出てくる狐顔のコン吉は、十蘭自身だと見る人がいるようです。実際の十蘭はキツネではなくブタのイメージ?? 亜子十郎さんにはひとつ「ブウちゃん」とは誰のことかを、突き止めて欲しいですね。

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さて、「久生十蘭の仕事部屋」です。仕事部屋といっても、本人が住んでいた家は建て替えられたため、実際の仕事部屋ではありません。私が整理をしているのは、十蘭の著作やアルバム、資料等が詰め込まれている8畳ほどの部屋です。

真っ黒な埃を被ったダンボールや資料との格闘は、昨秋から5回ほどやっています。我ながら熱心に取り組んでいる理由は、柴田錬三郎の手紙や、戦地に持っていったと思われる日の丸など、思いがけない「お宝」が出てくるからです。本棚周辺を整理した後、箪笥の左手を見てみると、カーテンで仕切った向こう側にもさらに棚があり、叔母の洋裁の本やダンボールが積み上げられていました。

次から次へと出てくる物にウンザリしながら片付けていると、茶色の書類箱がありました。蓋を開けてみると、大きめの変色した封筒に、墨で「従軍日記」と書かれています。中にはノートが5〜6冊。ちょっとワクワクしながらページを開けてみました。
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2005年05月25日

久生十蘭を探して(2)

大佛次郎は久生十蘭が幸子夫人と結婚した際に仲人を務めています。大佛が1897年生まれ、久生が1902年生まれの5歳違いで後年はともに鎌倉に住み、仲の良い友人だったようです。

「大佛次郎 敗戦日記」の中に久生十蘭の名前は三ヶ所に出てきます。

この日記は昭和19年9月10日から20年10月10日まで書き継がれていますが、19年10月26日に以下の記述があります。

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2005年05月24日

久生十蘭を探して(1)

久生十蘭について色々調べています。とりあえず先日著作権管理人が書いた
「日の丸の署名人」で新たに二人が特定できました。

一人は腰原愛子です。博文館新社の「叢書『新青年』聞書抄 まだ見ぬ物語
のために」中の「杉村春子さんに聞く『音声のスタイリスト−久生十蘭』」
と言うインタビューで杉村春子が「『瀬戸内の子供ら』と言う芝居は成功し
ましたけれどもね。(中略)若い娘さんは腰原愛子さんという初めての人が
やって、田村さんが藍色の浴衣を家から持っていらし(後略)」との記述があ
ります。

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hisaojuran at 06:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)久生十蘭を探して 

2005年05月21日

著作権管理人代理人のご挨拶

著作権管理人の代理「hisaojuran」です。ブログを開く時に考えもなくIDを「hisaojuran」にしましたが、考えてみれば久生十蘭に失礼でした。書き込み上の名前も「著作権管理人代理」では硬いので「亜子十郎」を名乗ろうかと思います。こえなら久生十蘭も苦笑して許してくれそうですから。

さて、「著作権管理人からのご挨拶(5)」に書かれたように、著作権管理人(以後、当人と表記)から「久しぶりに食事でも…」と呼び出されて、世間話で食事を終えたところで持ち出されたのが、久生十蘭でした。びっくりしました。もちろん、名前は知っていましたし、何篇か読んだ記憶は微かにあったのですが、「知っています」と胸を張れる立場ではありませんでしたから。

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hisaojuran at 05:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)著作権管理人代理コメント 

2005年05月20日

久生十蘭の仕事部屋から(1)

私の叔母が久生十蘭と結婚したのは、昭和17年(1942年)7月14日です。フランス革命記念日。日本では「パリ祭」と呼んでます。十蘭は20代の後半にフランスにいたことがあるので、もしかしたらそれに引っ掛けたのでしょうか。この日を選んだ理由は不明ですが、叔母はまだ20歳でした。東洋英和女学校幼稚園師範科を卒業して2年がたったころのこと。十蘭はすでに40歳です。

ハタチの叔母から見れば、20歳も年長の十蘭は「かなりのオジサン」という印象だったのではないでしょうか。15年間の結婚生活では、秘書さながら口述筆記を手伝い膨大な資料集めもしたそうです。十蘭について語る人が必ず触れるのが、その人並みはずれた博覧強記ぶり。作家の妻とはいえ、久生十蘭が相手を相手に、並大抵の苦労ではなかったのではないかと、想像されます。

夫は全て自分のペースで生活をしていて、口述筆記が一段落すると、すぐに「飯だ」といって妻を困らせました。食事には、支度の時間が必要だと叔母がどこかで書いていました。十蘭が亡くなった後、未亡人としてその3倍の日々を過ごしました。

十蘭の著書が並ぶ本棚の前には、大量の服地を詰め込んだプラスチックケースが、山積みになっていました。叔母は洋裁が趣味だったようです。一箱ずつあけて「使えそうな生地」「今の時代では派手すぎ」などと仕分けをしていると、シワクチャになった「日の丸」が出てきました。

家族や友人らしい寄せ書きがあります。洋服地の間に無造作に挟まっていました。こんな粗末な扱っていいのだろうかと思いながら、広げてみました。それが下の写真です。
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hisaojuran at 03:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から