2005年07月

2005年07月30日

久生十蘭を探して(6)

久生十蘭と関わりを持つパリに、私も以前から魅せられて、年に一、二度訪れています。大体6泊8日でパリに三泊、フランスを中心にしたヨーロッパの地方都市に三泊という旅程です。

今年は6月にパリとカルカソンヌ、昨年は2月にパリとアビニョン、11月にパリとディジョンといった具合です。通算でパリは9回、日数にすると40日近く滞在しています。最初は戸惑った地下鉄も今は東京の地下鉄同様に乗りこなし、バスもなんとか大丈夫になっています。

十字街」に登場するパリの街角の多くは何度も通りすがった場所ばかりです。先月訪れた世界遺産にも指定されているカルカソンヌの城塞都市はまるで「真説鉄仮面」の舞台となった監獄代わりの古城のようでした。

著作権管理人が「久生十蘭の仕事部屋から(4)」で書いたように、今年の9月には久生十蘭の作品に登場するパリを改めてじっくり見るために渡仏するつもりでいます。

さて、そんなこともあり1929年(昭和4年)から33年(昭和8年)の久生十蘭の滞仏について調べています。久生十蘭は自らの身辺について一切書かないことを貫いています。ほとんど唯一の身辺雑記である未発表の「従軍日記」を読む限り、久生十蘭は人付き合いが悪いわけではなく、毎夜の如く新聞記者たちと飲み歩き、麻雀の卓を囲んでいます。パリでも同時期に滞在していた日本人との交流があったはずだと睨んで資料を読んでみました。

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hisaojuran at 14:55|PermalinkComments(2)TrackBack(0)久生十蘭を探して 

2005年07月20日

久生十蘭の仕事部屋から(5)

私が十蘭の小説を読み始めたのは、昨秋からです。その中に「湖畔」があります。十蘭という作家のこともほとんど知らない私が、何から読んでいいのか分からない状況の中で手にとったのが、これでした。「湖畔」が2002年12月上旬に演劇として上演されたことを、公演パンフレットで知ったからです。

「咲良舎」という演劇集団による「久生十蘭生誕100年記念公演」(シアターX)です。没後半世紀ちかい作家の作品がいまだに演劇で取り上げられていることを知って驚いたのも、この時です。

構成・脚色・演出:守輪咲良 美術:島次郎 –-- 守輪さんとは面識がありませんが、島さんには4〜5年前に一度、横浜の美術展でお目にかかり、東横線で渋谷まで一緒に帰ってきたことがあります。私が十蘭の著作権管理者になる前のことです。今の私のことを島さんが知ったら、さぞ驚かれることでしょう。

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2005年07月16日

久生十蘭を探して(5)

著作権管理人から「相当に入れ込んでいます。十蘭に魅せられてしまった」と言われていますが、まったくその通りです。図書館から借り出した三一書房版「久生十蘭全集」を読みながら、一方で久生十蘭と関わりのある人々の自伝や評伝などを読んでいます。元々、読書は趣味なのですがこれほど寸暇を惜しんで読むのは中学2年の夏休みに60冊ほど読破した時以来です。

久生十蘭の捜索状況ですが、いくつかに的を絞り込んで関連書籍を読み込んでいます。まずは、雑誌「新青年」の周辺です。久生縦覧と函館の同郷で兄貴分格の谷譲次(長谷川海太郎)とその兄弟たち、歴代の編集者、「新青年」の座談会などを読み漁って久生関連の情報を集めています。この線では「久生十蘭を探して(1)」で前述したように女優の杉村春子が出征祝いの日章旗にある「腰原愛子」の謎を解いてくれました。今は、杉村春子の回想記「舞台女優」などを読んでいます。

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hisaojuran at 06:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)久生十蘭を探して 

2005年07月11日

久生十蘭の仕事部屋から(4)

読者の皆さん、しばらくのご無沙汰、申し訳ありません。亜子十郎さんから時々、ブログのアクセス数が送られてきます。6月は4日ほどアクセス数が100を越えました。「7月は平均100を目指しましょう」と発破をかけられているのですが、ブログを書く時間がなかなかとれませんでした。

代わりに亜子十郎さんが2回連続で書いてくれました。先日、亜子十郎さんにパリを舞台にした長編小説「十字街」をプレゼントしたら、「僕がよく知っている場所が沢山でてきたので、この前のフランス出張前に読めばよかった」と悔しがることしきり。「こうなったら9月に休暇を取って、パリにいってこようと思います。十蘭と僕の動線はかなり重なっているみたいなんです」と、相当に入れ込んでいます。十蘭に魅せられてしまった読者を「ジュウラリアン」と呼ぶそうですね。まさに亜子十郎さんはジュウラリアンの資格十分だと思います。

私も出張だ、仕事だといいながらも、久生十蘭を放り出していたわけではないんですよ。ある団体の会報担当理事をしているのですが、「オフタイム」というコラムの筆者が見つからないので、「久生十蘭を知っていますか」というタイトルの原稿を書きました。

いつかそんな原稿を書くことになるとは予想していました。他の2人の編集担当者から、「聞いたことない作家ですね」などといわれたら格好悪いかなと思い、話題提供程度に「実は、作家だった叔父さんの著作権管理人になってしまったんです。その話を書きましょうか」と口に出してみました。

「それは面白いですね。ところでなんていう作家?」。意を決して「久生十蘭っていうんですけど・・・」と自信も無くいってみると「あっ、それならウチに本があるかもしれない」「昔、読んだことあるな〜」と、2人からは手応えのある反応がかえってきました。(ホッ・・・。)

「知らない人が多いので・・・」と愚痴ると、「知っているのは、我々の世代が最後かもしれないね」といいます。「我々」といった2人の編集担当者は、昭和ヒトケタ末期からフタケタの生まれ。久生十蘭の読者はとはどんな人たちなのか、私は非常に関心があるのですが、一般的には70代以上といえるのでしょうか。

いいえ、そうともいえないようです。団塊の世代の友人からこんな話も聞かされています。「学園紛争のバリケードの中では、“左手にマルクス、右手に横溝正史、久生十蘭”だった」。私も団塊の世代です。「学生時代に読んだのはサルトルだったけど」といったら、その友人は「サルトルなんて古いな〜。ひと世代前なんじゃないの」といって、笑いました。

確かに白水社のサルトル全集は兄のお古でした。しかし当時、私の友人たちの愛読書に久生十蘭があったという話は、聞いたことがありませんでした。私がバリケードの外の世界にいたからかも知れません。それにしても“左手にマルクス、右手に久生十蘭”とは光栄なことです。

ご無沙汰中の話が長くなりました。話を「十蘭の仕事部屋」に戻します。

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hisaojuran at 06:58|PermalinkComments(2)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

2005年07月04日

久生十蘭を探して(4)

(3)で吉行淳之介が編集者として久生十蘭と交渉があったことが分かったので、吉行淳之介について調べてみました。

私がよく利用しているインターネット書店「BK1」で吉行の著作を検索してみました。BK1では以前は現在入手可能な書籍しか検索できなかったのですが、最近絶版になったものも検索できるようになり大変便利です。

吉行淳之介で検索すると「懐かしい人たち」(講談社1994年4月8日刊)が目につきました。内容説明を読むと「井伏鱒二から向田邦子まで、幅広い交遊の記憶の中から素顔の魅力が鮮やかに甦る」とあります。これはまた何か久生十蘭に関する記述が見つかるかもしれないと中央区立京橋図書館に行き、同書を請求しました。運良く開架に置いてあったので早速手に取って目次を見ると「久生十蘭のこと」と言う項目がありました。勇んで読んでみると何のことは無い前出の「雨戸の中」と全く同じです。文末の初出一覧を見ると「『久生十蘭全集第六巻』(三一書房)月報第五号昭和四十五年四月刊」とあります。振り出しに戻りました。

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hisaojuran at 23:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)久生十蘭を探して