2005年04月30日

著作権管理者からのご挨拶(4)

昨年の秋から、週末に時間ができると鎌倉に通い、十蘭ゆかりの資料を整理しています。自分の家の掃除も二の次にして意欲的に(?)出かけている理由は、ただただ新しい発見に興味があるからです。整理するのは本や写真等の他、最近の郵便物もあります。

差出人に、叔母が亡くなったことを知らせねばなりません。ガスや水道の領収書などに混じって、ブルーの封筒が目に止まりました。俳優座劇場からのダイレクトメールです。封を開けると「株主優待のご案内」という手紙で、俳優座劇場プロデュースNo.66「高き彼物」(作:マキノノゾミ 演出:鈴木裕美)というチラシが入っていました。

江口雄輔著の評伝「久生十蘭」の年譜を見ると、十蘭は18歳で函館新聞社の記者となり、20歳の時にアマチュア演劇グループに参加して演出をしています。その後、上京して岸田國士のもとで本格的に演劇にかかわるようになり、築地座の演出や舞台監督を務めたり、結成されたばかりの文学座にも参加しました。しかし、「俳優座」という記述は見当たりません。

ダイレクトメールの宛名は「久生幸子」となっています。「株主優待」ということは、叔母が株を持っていたということなのでしょうか。俳優座に電話をしてみると、名義は「久生十蘭」で株券は貸し金庫に保管してあるとのことでした。名義人が亡くなっているのであれば、名義変更をしなければならないといわれました。



そのために必要な書類をを集めるのが、なかなか面倒でした。私の名義にするためには、次のことを証明する必要がありました。「久生十蘭」「久生幸子」「阿部正雄」「阿部幸子」「三谷幸子」はそれぞれ誰で、私とはどのような関係なのかを裏付ける文書を揃えなければなりません。

「久生十蘭」の妻が「久生幸子」である−という証明は、中公文庫から出版された「肌色の月」をコピーしました。十蘭の絶筆となった作品です。最後の部分を叔母が加筆し、解説を「久生幸子」名で書いていました。「久生十蘭」の本名は「阿部正雄」で、昭和17年に叔母「三谷幸子」と結婚したことは、前述の評伝にありました。さらに「三谷幸子」が私の父の妹であるという戸籍謄本等も添えて、俳優座に送りました。

3週間ほどすると、B5サイズの株券2枚が送られてきました。黄土色に白抜きの模様が描かれた、ごく単純な印刷の株券です。(昔はこんなものでよかったのかと、ちょっと驚きました。)一番上に、大きめの文字で「株式會社俳優座劇場株券」。株主の欄には「久生十蘭殿」とありました。「株式発行の年月日」は「昭和三十二年十二月三日」。十蘭が亡くなったのは昭和32年10月6日です。叔母は、夫が亡くなった2ヵ月後に、夫名義で株を買った? 何故、自分の名前でなく、亡くなっている叔父の名義なのか? 訳の分からないものが次々に出てきて、私の好奇心がますます膨らみます。(つづく)


hisaojuran at 13:03│Comments(0)TrackBack(0) 著作権管理人コメント 

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