2006年02月13日

久生十蘭の仕事部屋から(20)

73680f20.JPG前回ご紹介した「南極記」について年譜で調べてみると、昭和26年(1951年)の作品であることが分かりました。このブログの読者ならご存知のことかと思いますが、十蘭は口述筆記で小説を書いていました。ですから直筆の原稿はほとんど残っていないと思っていたのですが、「南極記」の原稿は従軍日記と同じ筆跡でから、本人が書いたものでしょう。


昭和26年といえば、十蘭が叔母・幸子と結婚して9年目。叔母は十蘭の片腕として資料探しから口述筆記まで、文字通り手となり足となって夫の作家活動を陰で支えました。その時期に、何故、十蘭は自分で原稿を書いたのでしょうか。

幸子には2人の兄と3人の姉がいました。私の父は次兄にあたります。現在も健在なのは2番目の姉(私にとっては伯母)だけです。十蘭が実際にどのように作品を作り上げていったのか。老人ホームにいる伯母を訪ねた時に、何かエピソードを覚えていないかと、聞いたことがあります。

「そういえば、口述筆記をしていて、幸ちゃんが1字でも漢字を間違えると、顔が曲がるくらいに殴られたそうよ」。・・・・やはり十蘭も“明治の男”だったようです。ちょっとショックで辛い話でした。(つづく)


hisaojuran at 07:53│Comments(2)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

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この記事へのコメント

1. Posted by pumpkin   2006年02月13日 21:16
十蘭が口述筆記であったことは聞いていますが、たしかに十蘭の自筆原稿というのは市場にもめったにあらわれないようです。

確か数年前に一度自筆書簡と称するものがあらわれましたが、本当に自筆だったかどうかはわかりません。

しかし、手紙は自分で書いたのではないでしょうか。うろおぼえですが、江戸川乱歩が戦後、探偵作家クラブに入会を依頼する手紙を送ったところ、巻紙に墨で書いた断り状が来たという話を読んだことがあります。

乱歩はその物々しさと気むずかしさに渋い顔をしたそうです。
2. Posted by 龍絶蘭   2006年02月19日 22:53

 こんにちは
 とくに話題はありませんが
 冬枯れの樹木みたいなものでも書いてみます。
 十蘭が好んでいた落語家とか、映画とか、歌舞伎などの情報も
 薮の中なんでしょうかね?
 教養文庫『無月物語』の「解題」で
 中井英夫さんが、さらりと書いていますが
「久生が晩年もっとも愛した喜劇役者は伴淳だった…」
 って、どこからの情報なんでしょうね?
 どうも、私は、こんなところが気になってしまう。
 またこんなことも書いてあって
「…久生の選集を出すことになり、鎌倉へ伺った…」
 ってことは、その時、幸子夫人から聞き知ったのかな?
 と、思ってみたりしています。
 十蘭さんも中井さんもダンディで
 ダンディって、隙がないからなあ…
 それでは

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