2006年02月20日

久生十蘭の仕事部屋から(21)

20639d71.JPG南極記」執筆に使われたと思われるのが南極の地図です。東西南北と赤鉛筆で書かれ、南極の地図の中に山の名前や国名が細かく記入されています。



昨年、たまたま「オール読物」の編集長だった杉村友一さんと電話でお話をする機会がありました。昭和23年ごろに文藝春秋社に入社されたとのことでした。「私はまだ新米の編集者で、何回か鎌倉のお宅に原稿を取りに通ったことがあります」とのこと。残念ながら十蘭に直接、会うことはなかったそうです。

「とにかく遅筆で奇人といわれていましたね。若い奥さんとお話をしましたが、十蘭は夜、仕事をしていたようで、奥さんは薬を飲んで付き合っていたそうです。そのためにノイローゼになったと聞いています」

十蘭の口述筆記に付き合い、資料集めに整理、さらに食事の準備や家事もしなければならなかったのですから、寝る時間もままならない生活だったことは容易に想像できます。晩年は、今でも健在の伯母と一緒に住んでいました。普段の家事は全て自分流に完璧にやらなければ気がすまない人のようでした。

私が鎌倉の家にときどき顔を出すようになったのは、晩年のことです。たまに遊びにいくと、前日から準備をしたような料理が食卓に並び、帰り際にお土産まで持たせてくれました。“大の大人”になって、お土産までもらえるとは思ってもいなかったので、これほどに細かい気遣いをする叔母だったことを知り驚いたものです。

十蘭は来訪者には最高のもてなしを心がけていたようです。絶筆となった「肌色の月」(中公文庫)の解説に、幸子叔母は死の床にあった十蘭とのやりとりを書いています。

「おい、先生にご飯をさしあげなさい・・・」
「えゝ、もうさっきさしあげたんですよ」
「お茶は・・・」
こんな苦しい息の中で、いつものようにこまかいところまで神経がうごく。泣くにも泣けないような気持ちにさせられた。

十蘭との結婚生活は15年間。共に築いたスタイルはそのまま叔母の生活の流儀となっていました。ノイローゼになりながらも、必死に夫に付いていった妻は、晩年、片目の視力をほとんど失っていたと伯母から聞きました。

十蘭の結婚後の作品は、妻が骨身を削りながら共に生み出したもの。そういっても過言ではないでしょう。(つづく)


hisaojuran at 07:57│Comments(2)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

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この記事へのコメント

1. Posted by 大正躑躅   2006年03月12日 03:18
「肌色の月」のあとがきは、見事な文章だと思います。きりっとしていて、強くて大人な、すばらしい女性だったんだろうなと想像しながら読んだものです。
加えて、このブログで情報を得たり、自分も人の妻となった今となっては、さらに、深く感じ入るものがあります。厳しい家庭生活だなぁ、ある意味すごい美しいわけだけど、奥さんはほんと・・・立派だー。

そういえば昔、友人に十蘭をとこの本を貸したところ、「あとがき、泣けたわ〜」ばかりの感想をもらったことがあったのを思い出しました・・・
小説にも、いいフレーズとか読みどころがいっぱいあったはずなのですが・・・
2. Posted by 著作権管理人   2006年03月31日 00:16
大正躑躅さん

著作権管理人です。
いつもご愛読ありがとうございます。
大正躑躅さんの久しぶりのコメントを、嬉しく読ませていただきました。

「肌色の月」については、妻が最後の部分を書いて完成したということを知らずに読んでも、全く違和感を感じません。十蘭の小説を口述筆記していたことで、文章のリズムや言葉の選び方は「十蘭風」になっていると思います。

また気付いた点などについてコメントを書いていただければ幸いでしす。ブログ執筆が遅れています。今しばらくお待ちください。


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