2006年04月17日

久生十蘭の仕事部屋から(25)

8bf72f86.JPG前回の写真がニースで撮影されたとの情報が、亜子十郎さんから届きました。ご協力くださった方、ありがとうございます。インターネットの威力を実感しています。今回の写真も昭和5〜6年、フランス時代の写真です。

手元にある数少ない資料を読むと、「竹内清」という人が十蘭とかなり親しかったことがわかりました。十蘭の妻・幸子の長姉の夫・精吾が、竹内清の弟です。竹内清について調べれば、もう少し十蘭のことがわかるのではないかと思い、実は昨秋、お嬢さんの瑠璃子さんに会いました。

もちろん初対面です。縁をたどれば遠い親戚となるわけで、上京の折に時間をとってもらいました。その時に預かった資料の1つに「海峡」という函館の同人誌があります。こんな原稿を書いています。


「阿部の思い出」 竹内清 (1958年1月 )
阿部とは十蘭の本名です。前年10月に十蘭が亡くなりました。竹内のこの時の肩書きは「本社同人、函館自由座創設者」となっています。瑠璃子さんによれば、竹内は演劇の勉強のために1929年(昭和4年)に演劇界の“ある先生”につくためにフランスに渡り、その後、先生と共にミュンヘンに移ったそうです。

パスポートには、1933年2月から3月ににオーストリア、イタリア、コロンボなどを通過している形跡があるので、この頃に帰国したと考えられます。十蘭のフランス滞在時期とほとんど重なっていることを知りました。

「阿部の思い出」には、十蘭が「何の前ぶれもなく忽然と巴里の吾々のホテルへ姿を現した。」とあります。また、南仏でのエピソードにも触れています。

Sという女性が帰国後、独りぼっちになった阿部は、猛烈なホームシックにやられ、先輩青山義雄氏(北海道出身の洋画家)の世話で南仏クロード・キャンヌの別荘、と云っても物置を手修しした程度の別荘だが、南仏の明るい海岸でフランス最後の年を過ごしたのだが、ひどい時は、よだれをたらすまでの強い神経衰弱に悩まされたそうだ。私が猛(独?)逸から帰国する際三週間ほどこの別荘で共に暮した。

「Sという女性」は、画家・佐伯祐三の姪の「杉邨てい」だそうです。ところで写真ですが、質素なドアの様子から、「物置を手直しした程度の別荘」の玄関前なのではないかと考えたりしています。(つづく)




hisaojuran at 21:54│Comments(2)TrackBack(0) 久生十蘭の仕事部屋から 

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 大正躑躅   2006年05月06日 19:49
十蘭の、男前な写真が多々紹介され、満足の極みです。
いままで、そんなに男前だと思ってはいなかったのでした。
そっちのほうでもさらにファンになりそう。
満足です。

杉邨ていさんは、十蘭のフランス時代の恋人で、「ノンシャラン道中記」のタヌのモデルと言われており、若くして亡くなったハープ弾きの女性だったと思います。

ていさんの写真はないのでしょうか。
幸子夫人に見つからぬよう、どこかに隠してはいないかしら。
十蘭世界の男ぶりから推して、傷心の勢いでその時に写真とかすべて処分してそうな気もしますが・・・
(まぁ、ファンの勝手な妄想ですが・・・)
2. Posted by 亜子十郎   2006年05月11日 06:46
大正躑躅さん、こんにちわ。

幸子未亡人が整理した遺品なので、仮に十蘭が残していたとしても廃棄されてしまったのではないでしょうか?ただ、ていの写真と言うことであれば数年前に朝日新聞(だったと思う)に掲載されていました。横顔でしたが美しい方のようでした。


                      亜子十郎拝

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔