2006年04月25日

久生十蘭の仕事部屋から(26)

a6e62e03.JPG今回ご紹介する写真も「昭和5〜6年フランス時代」のものです。手前の人物が誰なのかはわかりません。竹内清か、あるいは療養で南フランス滞在中に世話になった画家の青山義雄かも知れません。


さて、十蘭の親友だった4歳年長の竹内清は、函館中学から明治大学予科に入学しますが、中退して函館毎日新聞の記者となります。十蘭が所属したのは函館新聞なので会社は違いますが、同業者であり十蘭が参加する函館の文芸雑誌「生」のリーダーでした。

竹内と共に活動した常野知哉が「海峡」108号(1965年7月「竹内の追憶」)で、その活動を記しているので、少し長くなりますが引用します。

竹内の追憶は関東大震災の時、函館毎日新聞の特派員として、現地に急行した時の、彼の見事な活躍振りから始まる。(中略)

その後「生」と言う文芸雑誌が函館に生れ、今日、この「海峡」という形で続いて居るが、「生」は竹内をリーダーとして、行友、伊東、阿部、石川、僕等と言うメンバーで所謂、郷土文芸運動なるものを楽しんで来た。

更に函毎には村山社会部長が中心となって演劇運動が展開され、これが函館素劇会となって毎年劇場を借りて色々公演して居たが、竹内が新劇、翻訳物の方を引き受けて居たので、当然「生」社の我々も素劇会に参加し、よい気分で遊ばせてもらった。

たゞ我々のこうした文芸演劇運動にたいする情熱は極めて純情熾烈なものがあり、シナリオの勉強には、結局、これを板につけて舞台で実演し自作を自ら演出して見る事が最も効果的なシナリオの勉強になる事を痛感し、各自が書いたものゝうち秀れたものを「生」誌上に発表し、これを公演すると言う方式をとった。

それがやがては石川、竹内、阿部の渡仏、演劇研究の遊学となり、阿部が築地小劇場の舞台監督から異色作家の久生十蘭となり、石川は啄木の女婿として、今日の啄木研究家としての地歩をかため、竹内も亦富良野に生活の根拠を置いて地方演劇運動の本格的指導者として、先年は全道演劇コンテストで彼の指導下に在る、富良野青年演劇団が優勝しこれを引率して東京で堂々公演する等、彼の演劇運動に対する情熱は六十路を越えても尚、青年の如く若々しく燃えて居た。


このように、竹内は十蘭が作家活動に専念するようになってからも、演劇活動を続けました。戦後は転居先の富良野で「囲炉裏座」を結成。瑠璃子さんによれば、県立富良野高校演劇部も指導し、23年には火災に遭った同校の改築費を稼ぐために「父帰る」の上演を計画したそうです。

常野さんの原稿は、さらにフランス滞在中の様子にも触れています。

石川と竹内が渡仏すると、間も無く、俺も行くと言って阿部が巴里の二人の前に突如として現はれ、石川が先に帰った後に二人が残ったが、勿論屋根裏での貧乏生活で、遂いに、この二人が当時、巴里に居た、武林夢想庵夫妻の家に転がりこみ、武林の翻訳の口述筆記を引き受けるという事で強引に居候をやったことは、当時の「改造」で武林が書いて居た。
竹内は、十蘭が亡くなった3年後、「海峡」71号(1960年11月)「久生十蘭追悼特万輯号」で、「久生十蘭を憶ふ」と題し、フランス滞在中の楽しい経験を書き遺しています。
阿部の思ひ出で、一番懐かしく又楽しいのは、滞仏時代のことだ。巴里のお祭りのクジ引きに、シャンパン一本あたって、下宿で呑みながら、郷愁を埋めるべく、一晩中、覚えている歌を大声でどなり、近所の部屋から叱られ、宿を追われるのを覚悟の上で、暴れた日を思ひ出す。彼が神経衰弱の療養に、南フランスのクロード・キャンヌの別荘(と云っても名ばかりで、物置を改造したような粗末な代物)にゐた頃、丁度キャンヌの盛大で華やかな世界一と謂はれるカーニバルを毎晩二人で見物に出かけた。

街の片側が、キス無礼講という道路があって、頭から紙製の雪見たいに、色とりどりの紙片を浴せ、祝福しあうんだが、この紙片が雪道のように、何と一センチ位も歩道につもっている豪勢さは、さすがキャンヌと感心した。モーブ色に明け暮れる地中海の美しさ。龍舌蘭のある砂浜で、傍若無人に、裸ではしゃき廻った若かりし日よ!いつまでも祝福あれ。

2人がフランスに滞在したのは昭和4年〜8年のこと。ともに30歳前後で若さも十分な年頃でした。竹内清は十蘭が亡くなった8年後の1965年、67歳で亡くなりました。(つづく)


hisaojuran at 22:37│Comments(3)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by 龍絶蘭   2006年04月26日 00:02
 こんにちは
 ああ…面白いなあ。写真も見られて最高です。
 神経衰弱か…。なんか意外ですけど
 武林夢想庵のくだりはとても興味深いです。
 うん。調べれば、いろいろ出てきそうですね。
 これからも愉しみに読んでいくとします。

 それでは
2. Posted by pumpkin   2006年04月26日 15:50
大変貴重な写真、また貴重な資料を提供していただき、ありがとうございました。

「海峡」は名前しか知りませんでしたが、十蘭が加わった雑誌の後身なんですね。
いろいろ珍しい証言があるんですね。

これからも期待しています。
3. Posted by 龍絶蘭   2006年04月26日 18:28
しつれいしました
武林無想庵
でしたね。関係ありませんが
木村蒹葭堂と武林無想庵が
頭の中でゴッチャになってました。
これを期に、整理しておきます。

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